
一つの過去から、古い日本から、現代に向って伸びてくる一筋の信仰心。それは時を越えて、お彼岸のお中日になると光の筋となって伸びてくる。それは教理といったものを超えて、その光の筋によって、僕たちの想いもあの世へ繋がっているのだと静かに教えている。あれは、ご先祖さまと今生きている自分たちがずっと繋がっているという光なのだよ、という声が聞こえるような気がします。
一筋の光。
僕が襲名のときにこの曲を選んだのは、親父、おじいさん、叔父、曾おじいさん、そのまたおじいさんからずっと伸びてきた能に対する想いが、『当麻』の信仰のテーマを通して僕の中に繋がっていく、永く伸びていくという想いがあったからです。それはもう、理屈とかではなく、体から体へ伝えられてきた、DNAといったものも含め、技術だとか、おじいさんから聞いた事、親父から聞いたこと、伯父たちから聞いた事、あらゆる想いが、あの一筋の光だと思ったからです。
(本文より。原文ママ)
2012年の1月に出版された、九世の本です。
銕仙会の初会で販売されていたので、早速購入しました。
一読して非常に印象的だったのは、てっつんみたいな立場の人なのに、とても素直で率直な内容だったこと。
銕之丞家のこと、自分自身の「能」のこと、ドジでノロマな亀だった?!青年時代のことなどが、丁寧に語られています。30歳ぐらいまでは能は嫌い(というか苦手)だったけど家は継がなきゃと思っていたというあたり、いかにも名家の御曹司らしいなぁと、ちょっと吹き出してしまいました。
立場が人を作るとも言いますが、ものすごく上から目線で言うと、あれこれ失敗したり、苦しんだりした時期が、やっぱり現在のてっつんを作り上げているんだなぁ〜。
観世寿夫や八世(静雪)や、あっつん(淳夫くん)の話も当然沢山出てきているのですが、「通過点」としての自分を強く意識しているところ、非常に能楽師的といはいえ、てっつんはとても謙虚なヒトなんだなぁと思った。一代の芸術家として頑張っていた伯父さんたち(の著述)とは、全然違う感じなんだよね。てっつんの外見や舞台からは想像できませんが、ちょっと女性的な感じさえする。
また「井筒」や「朝長」など、主要な18曲について素晴らしい舞台写真や、てっつん自らの解説や思い入れが収録されていたり。(引用は「当麻」についてです。)
花人の川瀬敏郎と『花』について、ポーランド大使のヤドヴィガ M・ロドヴィッチ(新作能「調律師―ショパンの能」の作者)と『ショパン』とその公演について、坂東三津五郎とは歌舞伎と能、『伝統芸能』について対談したりしています。
三津五郎とてっつんには、やっぱり共通する危機意識みたいなものがあって、舞台上の物語と観客とが共有できる時代感覚も、どんどん薄れてきているという認識もあったり。自分たちの息子も含め、次代にどうやって繋いでいくか?に腐心しているみたいです。
(興行として成立している歌舞伎のほうは、能楽よりずっと楽観できるんじゃないかとクリコは思うケド。)
ちなみに、ロドヴィッチさんはクリコがCDを聴いて感動した、1976年のオルセーでの「砧」もナマで観ていたらしい。「調律師」の完成まで、35年の時間があったそうです。
というわけで、とても読み応えのある本です。
みんな、絶対読もう!いえ、買って読みましょう!
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