能楽鑑賞などなどの記録。  
近況です。

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久しぶりに、神保町方面に行きました。

 

『古本まつり』開催中だったのだけど、最近は古本自体買わないのと、Amazonでポチってばかりなので、もはや何を買っていいのか分からず(笑)。高山本店にも行かないしね・・。

 

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東京札幌(笑)オリンピックも、ここまで来ると、中の人たちにはお疲れ様です、というしかないカモ。

 

 

 

 

 

posted by kuriko | 23:52 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
『三国志展』

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先日のこと、「三国志展」を観に行ってきました。

 

入場待ちこそなかったものの結構な混雑で、しかも流行りの撮影可展示とあって、なかなかのカオスでした。

 

それに考えてみれば、私、三国志ってどんな話かもよく分かってなかった・・。

 

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でも頑張って撮りました。

 

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川本喜八郎の人形を・・。

 

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話の過程はよく分かってないけど(笑)、それぞれが消耗しているうちに大陸の天下統一を果たしたのは、魏、呉、蜀の三国のいずれでもなかったというところが、なかなか示唆に富んでいるような・・?

 

 

 

 

posted by kuriko | 00:26 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
栗も顔出す

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残暑御見舞申し上げます。

 

私は元気です。

 

しかしながら、自分自身を含め世界はつくづく、偶然と幻想で回っているのだなと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

posted by kuriko | 00:37 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
現実

 

ある意味では、党の世界観の押し付けはそれを理解できない人々の場合にもっとも成功していると言えた。どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け容れさせることができるのだ。かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているのか十分に理解せず、また、現実に何が起こっているのかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持っていないからだ。理解力を欠いていることによって、かれらは正気でいられる。

 

ジョージ・オーウェル「一九八四年」より


この小説に描かれているように、私たち自身もそう遠くないうちに、昔はあんなこともできた、こんなこともできた・・と、懐かしく思いだすことになりそう。

 

何もかも失ってから、ささやかな日常の幸福を知ることになるのかな・・。

そうした言葉も持たなければ、記憶から簡単に消えていくわけだけど・・。

 

皆さん、真面目な話、日曜の投票には行きましょうね。可能であれば、油性インクの筆記具をご持参のうえ、ご使用下さい。

 

 

 

 

posted by kuriko | 22:44 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
第38回 テアトル・ノウ 東京公演

仕舞
鉄輪    味方團
野宮    観世喜正
鞍馬天狗 観世淳夫


一調
起請文
    片山九郎右衛門
大鼓  亀井広忠


定家
シテ   味方玄
ワキ   宝生欣哉
ワキツレ則久英志
      大日方寛
アイ    石田幸雄


大鼓   亀井忠雄
小鼓   成田達志
笛     竹市学


地頭   片山九郎右衛門

 

※2019年7月13日(土) 宝生能楽堂にて。

 

 

というわけで、シズカの「定家」を観てきました〜!


イヤハヤこれが、と〜っても素晴らしかったです!
でも同時に、その解釈(?)がなんだか謎だった(笑)のもシズカらしかったな〜と。


石塔(葛山)の作り物は、萌黄の引き廻しが掛けられていました。秋の曲だけど、季節感を意識したのでしょうか。すっかり定家葛に覆われてしまい、石塔はその姿が見えなくなってしまったかのようです。


北国からやってきたとかいうお坊さん(←欣哉)の一行が、初めての都見物とかで舞台にやってくる。欣哉は全体として、「定家」の品位には合わせつつ、特に策を弄しないような素直な行き方でした(たぶん)。都の景色を眺めるうちに、秋の時雨に降られて由緒のありそうな建物で雨宿りです。


ふと橋掛りのほうに背を向けた欣哉に、「のう、のう・・」と呼びかける声がする。欣哉は歩みつつも、声に気づいて振り返る。


この呼びかけが、いきなり、大変素晴らしく、時空を超えた(?)遠い場所からの私(ワキ)を呼ぶ声がする・・の感があって凄かった。う〜ん、いいネ、いいネ、シズカ!と私も久しぶりのお能に、ちょっとコーフンして聴いたのでした。


そう、基本的にお能の前シテというのは、通りすがりの旅の僧に対しても、何か言いたいことがあって化けて出てくるわけで、「時雨の亭」とご承知でのお立ち寄りなのですか・・と尋ねる様子も、強く出過ぎず、気品と柔らかさを兼ね備えたヨイ雰囲気です。


オヤこれはどなたの御屋敷か・・と、ノンキに尋ねるワキ僧に(遠方から来ているし)、ここは藤原定家卿がお建てになったものなのです・・と、早速に彼の菩提を弔うように勧めています。


とはいえ、前シテは持ち前の美声を聴かせていたものの、定家卿のことを語るにつれて、朗々と謡うというより、その正体である式子内親王の心情を表わして、どことなく苦しげに抑制された、言葉と言葉の間を重く切り、歌人らしく心底から振り絞る・・といった趣き。


今日は特に供養する日なので・・と、ワキを自らの墓石である石塔の前へと案内するのですが、再びここで「のうのう」と、これこそが(本当は私、)式子内親王のお墓なのよと語る言葉の、その前の呼びかけにだけは、言葉にならない強い感情が溢れていました。


地謡も大変素晴らしい。石塔がその姿も分からないほど葛の葉に覆われていることにワキも驚いた様子で、定家葛の謂れを尋ねると、シテ自身がいくらか客観的に、式子内親王と藤原定家の恋物語をすると、むしろ地謡のほうが「あはれ知れ」と、シテの心のポエムとばかりに熱く語る。シテのシズカと、地頭の九郎右衛門のアツイ絆も感じさせます(たぶん)。作り物を背に、サシからクセにかけて、「昔は物を思はざりし 後の心ぞ果てもなき」と、キリリと座るシテの姿の美しさ。


いつしかシテは立ち上がり、我こそが式子内親王だと正体を明かすのですが、この時の横顔というか、正面ではなく、ワキのほうを向いた姿が、装束の色合いも背景となる作り物の萌黄に浮き上るように、半ば溶け込むように計算しつくされていて、ここも素晴らしいと思った。


シテの着流しの唐織が、前から観るとごく淡い橙色と淡黄色の段になっていたのですが、その後ろの身ごろには、強い黒の段も入っていて驚くという仕掛け。


そしてシテがその姿を正面を向ける頃には、望まずに石塔に焼きつけられるというよりは、自然に石塔に溶け込んでいくようにさえ観えたのでした・・。


アイは石田幸雄で端正な語りだったのですが、感心したのはそれよりも(笑)、作り物の中の物着が、極めて静かに行われていたこと。時々マンガか・・というぐらい後ろの作り物自体が動いていたりする舞台もあるのですが、今回はほとんどそれらしい気配も感じさせませんでした。


所の者と何度か言葉を交わすと、旅の僧たちは行き合った縁にも動じず弔いを始める。続けての一声の囃子はやはり際立っていて、口惜しいけれど(←何故?)亀井忠雄はやっぱり凄い。時雨のあとに、山筋にわき立つ霧を思わせるような囃しぶりでした。


夢かとよ・・と、石塔の中から、今度こそシテの心の声が聴こえてくる。


緑の引き廻しがゆっくりと降ろされ、そしてまたも驚いたのは、姿を現したシテが神々しいばかりの姿で現れたこと。水干を思わせるような真っ白な長絹に、小豆色の大口。面は遠目なので分からなかったけれど、増か、端正な泥眼だったろうか。


しかし定家葛の苦しげな縛めを受けてはいて、詞章にもあるけれど、そこは「葛城」の女神のイメージと重なる。あまりに神々しい姿は、定家卿の情念がにじみ出るようだった前場からのいささかの断絶というか、飛躍も感じさせた。式子内親王は、賀茂斎院ではあっても、神ではなかったわけだから。


私の内心の文句は他所に(笑)、後シテはしばしの自由を得て嬉しそうです。なりたつも変わらず素晴らしい。シテが序を踏む時、観ている側のためでなく、しかしシテ自身のためというわけでなく、自ずから舞が舞台に生まれようとしている感がありました。


読経の力によって、たとえわずかな時間でも、互いの妄執から解放された時、シテが本来の自分に立ち戻った時に、そこに待っていたのは、神に仕えていた少女時代の私・・だったのでしょうか。


真っ白路な長絹姿には、清涼さを通り越して、ちょっと無心が過ぎたというか、月光を浴びているのであろう姿は、「姥捨」のシテの如く無私の世界になり過ぎていて、スピードオーバーというか、ちょっと曲としての「定家」を追い越してしまっていたかも・・。


勿論あれほど格調高い式子内親王を、私は他に観たことがないし、圧倒的に美しかったことも言うまでもない。。現代的(なのか?)に、シテが立ち返ったのは、自分自身であり、世界精神だった(?!)という解釈もアリなのかもしれない・・。いや、ただそう観えたというだけなのですケド・・。


そこまでしても、シテがまた戻っていく場所は、やはり石塔の中にしかない。因果というものは、結局その人自身とは関係ないものなのかもしれない。くるくる・・と葛の蔓が這い纏う様を表わして、また右に二回、左に一度・・と作り物を出入りしていたかと思うと、シテは沈み込むように石塔の中に下居して留める・・・。


というわけで、あれやこれや考えさせる点も含めて、終わったあとまで素晴らしかったシズカの「定家」だったのでした〜!

 

 

 

 

posted by kuriko | 00:35 | 能・狂言 | comments(3) | trackbacks(0) |
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