能楽鑑賞などなどの記録。  
観世会定期能1月

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     観世清和
三番三  山本泰太郎
千歳    観世三郎太
面箱    山本則孝


鶴亀
シテ   木月孚行
ツレ   武田文志
     坂井音晴
ワキ   工藤和哉
アイ   山本東次郎


大鼓   安福光雄
小鼓   曽和正博
      森貴史
      曽和伊喜夫
笛     杉信太朗
太鼓   小寺佐七


地頭   武田宗和

 

狂言
末広
シテ   山本則俊
アド   山本則孝
     若松隆


仕舞
高砂    片山九郎右衛門
屋島    観世芳伸
胡蝶    梅若万三郎
鞍馬天狗 観世恭秀
老松    観世喜之
放下僧    野村四郎
蝉丸    武田宗和 (代演)
国栖    観世銕之丞


東北
シテ  武田志房
ワキ  森常好
アイ  山本泰太郎


大鼓  佃良勝
小鼓  観世新九郎
笛    松田弘之


地頭  角寛次朗

 

※2019年1月6日(水) 観世能楽堂にて
※仕舞と「東北」は時間の都合により拝見しておりません。。ごみんなさい。。

 

 

というわけで、久しぶりに観世会の初会に行ってきましたぁ〜!

 

注連縄の廻らされた能舞台というのも、特別感があって中々いいものです。
揚幕の向こうからは、カチカチと切火の音がしきりと聞こえてきて、演者たちを清めまくっているのが窺えます。


キヨの「おま〜〜〜〜く」と、低く長い声が聴こえてきて幕が上がる。明るい若草色の直垂姿の則孝が面箱を捧げ持って登場し、続いて玉虫色の翁狩衣に白い紋様入りの紫の指貫を着けたキヨ、白い直垂姿の三郎太(千歳)、濃い青の直垂の泰太郎(三番三)・・と、色とりどりの装束を着けた、演者の行列がずらずら〜っと続きます。


キヨが舞台に座ると、翁大夫に面箱が差しだされ、慌ただしく演者も座つく。早速、千歳の三郎太が舞うわけですが、勿論まだまだ発展途上にあるものの、わりと?!上手くなっていてびっくり。型などはまだ子供のようでしたが、やっぱりそれらしい雰囲気が出てきたのかな〜と。。(←何所から目線?)


背が伸びるのも、少しは止まったのかしら。お顔は小さいまま、もはや完全にキヨを追い越すどころか、行列のなかで独りピョコ〜ンと飛び出していました。


キヨの翁は変わらず素晴らしく、謡は朗々としてかつ厳粛、声量も全く衰えるところがありません。祈祷芸(?)なので、そこはウマイヘタの話ではないわけですが・・。


またも袖の露を翁烏帽子に引っ掛けたりしてたケド・・・。これはもう、あの烏帽子の仕様が悪いということで・・。後見の野村四郎がさっと立って、外してあげていました。こういうときの対応も、経験値で決まっているのでしょうね。


三郎太も全く姿勢を揺るがせにせずずっとキチンと座っていて、翁の舞が終わると、キヨ翁と共にしゅたたた。。。という感じで素早く退場していきました。キヨって、三郎太のことちょっと大事にしすぎなんじゃないかしらん、とか思ってたけど、そうでもない(?)ようです。こういう、素早く後を残さないカンジが大切なのでしょうかね。


新年ののキヨ占いでは、顔ばせの覆いが取りづらかったということで、今年は曇りまたは雨が多いでしょう!という感じでしょうか。(←根拠はありません。)

 

三番三は泰太郎で、こちらも大変素晴らしかったです。踏み芸(?)としての三番三の本分を守っていたとでもいうか。お家の芸に徹しようとする姿勢がヨイと思ったです。
(しかし意外と「鈴の段」で使っていた鈴が真新しく小振りな印象で、あれもやはりおうちごとに違うのでしょうか・・)


脇鼓は帰りますが囃子方はそのまま、地謡も地謡座に移って、つづいて、「鶴亀」です。


風流能とも言われている「鶴亀」ですが、翁でのあの行列を再現するかのように、もう一度シテたちが来序で行列してくるのは、「翁」のモドキなのでしょうかね・・??


脇能として重宝される理由は、もちろんその時間の短さなのでしょうケド・・。中国の皇帝に姿を変えてやってくる、というところにも面白さを感じました。


鶴と亀の役は武田文志と坂井音晴だったのですが、家風の違いでもあるのか、二人まったくズラした相舞にしてあって、そこが面白かったです。鶴は紫の長絹、亀は水色の長絹で、天と地の対照も鮮やかです。


孚行もトシをとって、直面という能面がいよいよ出来上がってきたかのようでした。


つづいて狂言の「末広」。こうしておめでたい空気を断つことなく、引き続いて一気にやるのはよい習慣だと思う。演者は大変だろうけど・・。


都のすっぱ役まで、舟形烏帽子に素襖の正装で登場していました。則孝が面箱に引き続いて太郎冠者の役を勤めています。


扇の代わりに何故か傘を買ってきた太郎冠者にプンスカ怒っていたご主人様ですが、楽しい囃子歌にご機嫌を直して仲直り。よ〜っ!と威勢よく終わり・・・。

 

なんだかとっても、おめでたい(ような?)空気を浴びたことでした。

 

 

 

posted by kuriko | 00:26 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
銀座

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あけましておめでとうございます!

 

今日は観世会の初会を観に、銀座に行ってきました〜。

感想は、また次回に。

 

お正月休み最終(?)のせいか、ザギンの街への人出は意外と少なめ。

 

トリコロールでアップルパイも食べました。

コーヒーも美味しかったです。まる。

 

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posted by kuriko | 23:05 | 番外 | comments(2) | trackbacks(0) |
よいお年を

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来年は、もう少し、明るい希望の見える年になるといいですよね。

 

お能のほうも、少しはペースを上げて(笑)拝見したいと思っています。

 

健やかな新年を迎えられることをお祈りしています。

 

 

 

(やっと大掃除が終わった・・。どちらかというと小掃除だけど・・。)

 

 

 

 

posted by kuriko | 11:33 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
渋柿

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もの言えば くちびる寒し秋の風   芭蕉

 

 

・・あれ、芭蕉だったっけ?

 

もう師走ですが・・。

きっとすごい渋柿なのでしょうね。

 

 

(『シン・ゴジラ』にしても、本当はものすごく怖いことを、さらっと言っちゃってる映画だと私は思うのですが・・。ゴジラを核兵器でぶっ飛ばす云々ということだけじゃなくてね。)

 

 

 

posted by kuriko | 23:30 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
青山実験工房 第2回公演 expt.D

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仕舞
西行桜 清水寛二
鵺     味方玄


「LUCIFER」
チェロ ドミトリー・フェイギン
作曲 YUKI MORIMOTO(森本恭正) 委嘱新作世界初演



芭蕉
シテ 清水寛二
ワキ 御厨誠吾
アイ 山本則重


大鼓 原岡一之
小鼓 観世新九郎
笛   松田弘之


地頭 観世銕之丞

 

※2018年12月8日(土) 銕仙会能楽研修所にて。

 

 

というわけで、しみかんがブチ上げ・・じゃない、立ち上げた「青山実験工房」なるものに行ってきました〜!とっても素晴らしかったです!


結局「芭蕉」メイン(?)の回のみ行きましたが、現代音楽や美術と融合した非常に意欲的な試みのようです。ていうか、しみかん4日間出ずっぱりで、元気もりもりの模様。


冒頭には、当初のプログラムにはなかった仕舞が追加され、シズカも登場です。「西行桜」と「鵺」という「芭蕉」と同じく人外が主人公の曲がチョイスされていたようです。(「西行桜」も人外という言い方は風情無さすぎですが・・。)


チェロのソロ曲の「LUCIFER」は、そのものずばり悪魔となった堕天使がテーマの曲とのことでした。(from番組)


橋掛りを通ってチェロを携え現れる独りのチェリスト。青山の舞台でも、特に音響に違和感もありませんでした。
新曲なので、チェロならではの使い方というか、強いリズムとメロディを同時に(?)奏でるようなフレーズが印象的でした・・。


で、さて、「芭蕉」だったのですが、青山でキチンとした能の型式を観るのは久しぶり。
小さく閉じられた空間ならではの親密さ・・だけでは片づけられない新鮮な時間となりました。


「芭蕉」の面白さというのは、異国の地での植物の化生譚なのだけど、何故に変身して現れることができ、また何故に姿を変えて現れたのか・・ということ自体にわりかし(笑)テーマに含まれているところ、、だと思う。


お坊さんがエキゾチックな(たぶん)山中で独り修行に励んでいると、毎夜何者かの気配がするという・・。御厨誠吾は、なかなか凛々しい(?)ワキ僧ぶりでした。


果たして、シテも橋掛りに現れるのですが、これがなんというか、一ノ松あたりに立ちどまったそ姿に、シテの風姿が云々とか幕離れが云々というより、仮面劇としての能面の不気味さ(失礼)、現実世界との時間軸の違いを改めてつくづく感じさせられたことでした。


シテもこの時はまだちょっと、化生の者としてのブキミさを醸し出しているかのようです。面は曲見っぽく観えたけど、何だったのっだろう。秋の草花をあしらった地味な紅無しの唐織、手には数珠と水桶、水桶の中には控えめに白い菊。


仏縁を結びたい・・と、夢とも現ともなく突然現れたシテに、ワキは戸惑いを隠せません。ワキに拒まれ結界があるかの如く、シテは常座から動けない。そこは大らかに、これも他生の縁じゃありませんかと説得にかかるのですが、ワキとの打てば響くような掛け合いに緊張感が漲ります。地謡は、月夜の古寺の物寂しい情景を謡う。現実的にも見所側の時間は刻々と過ぎ行き、能というのは、(今更書くのもちょっとハズイですが)やはり詩であり思索なのだな、と思う。特に禅竹の手によった場合には・・。


もちろん文字通り身体を張って、舞台に立っているシテたちの感覚は全く別ものであることもひしひしと伝わってくる。


シテの熱心さに心打たれてワキも聴聞を許し、シテは喜んでこれに聴き入ります。懐からすらり、と経巻を取り出すワキ。

興味深く思ったのは、庵の内に入り読経を聞いているうちに、(草木成仏の話なども聞き)シテの面の顔つきが、明るく穏やかなものに変わっていったように観えたこと。


シテの演技が素晴らしかったのは勿論のこと、照明なども実はかなり繊細な演出がなされていて、テラス・クモラスだけでない表情の変化も鮮やかで、これは意外な能面の可能性を感じさせたように思いました。シテが月光を浴びて・・という場面では、あるかなきかの淡い月の光の照明が、女の全身を包むかのようでとてもよかった。


ワキ僧と言葉を交わすうち、あまりにシテが仏法に通じているので、ワキが不思議に思って問うと、シテは雪の中の芭蕉のように、偽れる姿にて・・と静かにその姿を消します・・。中入。


同じく読経の聴聞に訪れたアイは、不思議な女の話を聞き、ワキに「雪中芭蕉」の画題の謂れなどを語ります。端正で明瞭なよい語りです。


冬には葉を落とすはずの芭蕉が、絵画の中では存在しているとの同じように、芭蕉が人間の女に化けて現れるのはうそ偽りなのだろうか・・?


後シテは淡い、ごく薄い萌黄色の長絹に草色の大口。芭蕉の姿を思わせる控えめな姿。白い足袋が光るかのようです。


なぜ非情のはずの芭蕉が女性の姿に、と問うワキに、天の恵みを受けるのに有情も非情も関係ないと答えるシテ。みんなただ自ずからの姿なのです・・と、芭蕉葉の破れと同じく袖の綻びを示します。


序之舞は月の光を受けて・・・、万物に公平な恵みを喜んでの舞のような、そうでもないような、でももし草木に手足があったならやはり嬉しくて舞いだしたりもするのだろう。しみかんの芭蕉の精は、余計な色艶の無い水墨画の風情です。


そして、やはり能の舞というのは技がキレがどうこうというより、存在感が大事なんだな・なんていうと、ちょっと違うというか、舞台に満ち満ちる量感みたいなものが大事なのかなぁと思った。


外界はクリスマスのイルミネーションも華やかな表参道なんだけど、こうしてひっそりと(笑)「芭蕉」を観ているというのもリアリティがあるとでもいうか。


物寂しく、どこか凄艶さもある秋の庭で、その片隅でひっそりと月明かりを浴びている芭蕉。シテが留めたとき、これまでの全ての物思いを心に秘めて、ただ一本の草の姿に戻った・・ことが伝わってきた・・。

 

というわけで、とっても素晴らしい芭蕉だったのでした〜。

 

posted by kuriko | 00:28 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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