能楽鑑賞などなどの記録。  
銕仙会定期公演4月

狂言
魚説法
シテ   野村万作
アド   石田淡朗


賀茂 素働 御田
シテ   清水寛二
前ツレ   北波貴裕
後ツレ   安藤貴康
ワキ   福王和幸
ワキツレ  村瀬提
     村瀬慧
アイ    野村萬斎
     野村裕基

     野村太一郎
     内藤連
     飯田豪

 

大鼓   亀井広忠
小鼓   鵜澤洋太郎
笛    杉信太朗
太鼓   林雄一郎

 

地頭   浅井文義


※2021年4月8日(金) 宝生能楽堂にて
※時間の都合により、狂言は拝見しておりません

 

 

というわけで、久々にお能を観てきました〜!


・・・。。。


し〜ん。。。


いや〜久々の更新です。ほぼ一年ぶりの観能で、なにもかも懐かしくて・・
と、言いたいところだけど、それほどの間が空いていたわけでもないので、まぁ、それほどでもない(笑)。


舞台の上では、(この日の時点では)能楽師たちは特に覆子的なものなどはしておらず、三間四方でソーシャルディスタンスも取りようがなく(笑)、そのほうがいいな。と思った。(きっと、PCR検査などはやっているのでしょうが。)


勿論、最も印象的なのは、舞台の正先あたりの大きな白羽の矢が祀られた立台で、賀茂参詣に訪れたワキたちが、やがて現れた水汲む女たちに、その云われを尋ねると・・・という展開。


「賀茂」は、番組に載っていた解説では金春禅竹作とのこと。縁起絵巻的な構成なのだけど、人々に恩恵をもたらす「水」というものが、どこからやってきて、時宜に応じて姿を変えていく、その不思議を中心に語っていたような気もする。


前シテが曰く、むかし秦の氏女という人は、賀茂神社の清流を下ってきた白羽の矢を持ち帰ったところ、なんと、それだけで妊娠してしまったそうな・・(大変である)。
生まれた子供は、三歳になったときに父親は誰なのかと尋ねられ、この矢が父だと指さしたらしい。するとその矢は、雷となって天空に登り・・云々。


なんで天に登ったのと違う矢が、ここでまたご神体なの?という至極まっとうなワキのギモンには、そこは魚心あれば水心やで的な、水の恩恵はどこでも同じやでと、やや強引な論旨が展開されます。


当然(?)前シテの里女は実は神の化身で、真の姿を現すのは恥ずかしい・・とか言いつつ消える。(しかし後シテの別雷神とは別人格で、どちらかというと後ツレが前シテの本来の姿らしい。)

この日のしみかんは、前シテでは、志向的に内へ、内へと、あらゆる意味で内側に力をため込んでいたような印象。
「はずかしや」の地謡の妙にビブラートした感じが、意に添わぬ妊娠をした女性の、怨嗟の声にも聴こえなくはない。


中入で、しみかんがシテ柱と目付柱の絶妙な間に、ばちこーん!と自分を押し込んで観せて(正面からはそう観えた)、さながら時空を超えるがごとくでカッコよかった。真っ白な足袋の運びの高貴さよ。


今回は替間で、野村萬斎たちによる「御田」。早乙女たちが田植えをし、神職がチャチャを入れたり、鋤を使ったり・・。田植えは神事、豊かな水によってもたらされる豊かな実りというわけで、通常のアイよりも、情景の変化が絵巻物チックで華やかです。またここで、早乙女たちが懸想文をっもらったら・・と、大らかな農耕儀礼の存在もちらりと明かされます。
(それで結局、オリンピックの開会式の演出は、誰がやるんだっけ?)


人間たちが労働に励む一方で、御祖神(後ツレ)も現れて天上から現れて、神代の昔さながら、清流に袖を浸して涼を取る。


さて、その有り難いお水はどこからやって来るのでしょうか・・・?!そう、それは、天からです!というわけで、にわかに調子を変える囃子も素晴らしく、雷雲が巻き起こるさまが目に浮かぶようです。


雲が湧き起こり、雷が鳴り雨が降ると、その雨が流れ下って田畑をうるおす・・。水こそ命の根源なのよ!という曲。


橋掛りに現れた雷神の赤い髪には、輝く金の光り。それも幾つかついていて、「素働」の小書だったので、めっちゃ雷おとします!という大サービスだったのかもしれない。実はシテの役柄がしれっと入れ替わっていたのもお能らしい。


終盤には、雷神の返した袖がひっくりかえってしまい、しみかん、袖!袖!という場面もあったけど、そこは気合と勢いでカバー!ということで、非常に楽しかった一曲だったのでした。

 

 

posted by kuriko | 00:06 | 能・狂言 | comments(0) | - |
近々

 

 

すみません、いま立て込んでまして、感想は近いうちに・・・。

 

 

 

posted by kuriko | 22:49 | 能・狂言 | comments(0) | - |
発見

キヨシよユキオ.JPG

 

皆さ〜ん、こんにちは〜!

 

 

お元気でしたか〜・・!?

 

 

・・・し〜ん・・・

 

(←この、一番大変な時期が過ぎ去ったあとにノコノコ出てくるヒト感)

 

今日は、どこかに私と同じ趣味の方がいる!と思い、嬉しくなって投稿した次第です。

新装版の中公文庫なのですが、三島由紀夫とマニエール・ノワールの長谷川潔って、あまり結びつかないような気がしますよね。

 

ちなみに、旧バージョンの銕仙会のチケットは、今でも読書の「しおり」として時々使っています。

厚紙になっていて、ちょうどいいのです。

 

DSC_0864.JPG

 

お能の会もそろそろ再開でしょうか・・?

 

それでは、また☆彡

 

 

 

 

posted by kuriko | 14:06 | 読書(能・狂言) | comments(0) | - |
銕仙会定期公演3月
狂言
内沙汰 
シテ   野村万作 
アド   野村萬斎

山姥 雪月花之舞 卵胎湿化
シテ   観世銕之丞 
ツレ   谷本健吾 
ワキ   福王和幸 
ワキツレ 村瀬提 
      矢野昌平 
アイ   深田博治

大鼓   亀井広忠
小鼓   観世新九郎
笛     竹市学   
太鼓   小寺真佐人 (代演)

地頭   清水寛二
※2020年3月13日(金) 宝生能楽堂にて

 

 

 

というわけで、遅くなりましたが、銕仙会に行ってきました〜。

 


そういえば、前回のエントリーの内容以外にもう一つコロナ対策として、当日の観客に、緊急連絡先と座席をアンケートに記入して渡すように依頼していましたよ。

狂言は「内沙汰」。大蔵流では「右近左近(おこさこ)」というらしい。
気の弱い旦那さん(万作)と、気の強い奥さん(萬斎)が、おうちで訴訟事のお稽古をしているうちに云々・・といういかにも室町庶民コメディの内容なのですが、これが大人の味わいというか、意外なヒネリ展開が待っていて、なんと右近(万作)の訴訟相手の左近は、実は奥さん(萬斎)の浮気相手だったのですね。

そのことを指摘されると、奥さんは逆ギレして、文字通り旦那さんをシバき倒して行ってしまうのですが、万作が泣き笑いしながら、「左近とわごりょは夫婦じゃわいやい」と呼びかける、なんだか(奥さんの浮気を)許しているような、責めているような、複雑な印象の残るエンディングでした。

奥さんが訴訟を審議する地頭役をやり、旦那さんが最初は左近の役をやると如才なくふるまえるのに、いざ自分の段となると、持ち前の気弱さが出て・・というところにも、なかなか人間心理の描写が深いというか・・。もっとも、あらすじをあらかじめよく知っていればそれも分かるのだけど、ちょっと台詞劇として、現代人には難しいかなぁという感じもしました。

(ちなみに、第二の高橋秀樹・真麻親子爆誕らしいケド・・。これからは一緒に五輪特番に出演とかするのかしらネ。開催できればだけど・・。1年後って、それはそれで混乱しそうだから、2年後がいいと思う・・。)

つづいて、山姥。

この日のてっつんは、めちょんこ気合入っていて、とっても素晴らしかったです。
前シテの衣装からして銀と黒のボーダーみたいなスゴイ着流で、謡いぶりといいロックスターみたいで(笑)、「今夜は飛ばすゼ・・!」みたいな雰囲気でした。

最初に登場するのは、近ごろ都で人気とかいう百萬山姥という遊女とそのお供のご一行です。
山姥が山廻りするとかいう曲舞を大ヒットさせたらしい。しかも若いのに感心なことに、善光寺参りするのに一番キツいルートを選んで、自ら徒歩で行こうという。彼女もけっこういい人みたい(?)。

すると、山道の途中で何故か突然、日が暮れてしまい、みんなで困っていると、

なうなう旅人 お宿参らせうなう

と不思議な声がする。この声からして只者ではない迫力で、現れた前シテは前述のようにギンギンの衣装に力強い足取り、もはやその正体が異形の者であることを隠そうともしていません(たぶん)。

ツレの百萬山姥は、このときはまだシテの正体を知らないとはいえ、山姥をテーマにした曲を謡っているわけで、たとえて言うなら、ビリー・ホリディやマリア・カラスをモチーフにした曲を歌っていたら、当人の霊がやってきてしまった・・・みたいな感じでしょうか。私のおかげで、スターになったんでショ、と。

もちろん最初はみんなそんなことは知らないわけで、一曲聴かせてちょうだいよ、と、都のスターにリクエストするいかにも田舎のオバちゃんに、みんな呆れた様子なのですが、彼女のあまりの迫力に、みんながビビりだします。シテは謡ってくれたら私も姿を見せてあげる・・と言って消えていくのでした。

間狂言は卵胎湿化の小書つきで、「山姥」のいつものアイ語りだと、山姥とは何者か全部ダジャレ落ちで終わってしまうのだけど、ちょっと長めなマジメモードなお話がついてきます。
 
後シテの出の前の、一声の囃子、竹市学のお笛の音色が、改めて六郎兵衛にそっくりなことに驚く。師匠と弟子なのだから、似ていて当然といえば当然なのだけど。感情は奏者ではなく、聴くほうが込めるものなのだなぁと、最近少し分かってきた気がする・・。

後シテは恐ろしくもきらびやかな姿で、白地の唐織を壺折にして、紺地に金の模様の入った半切。着付の金の鱗箔になっていて、白髪まじりのザンバラ髪で、いま流行りのアマビエっぽいと言えなくもないかも。山姥のキャラ的には、私のほうが先でしょうに、と言うだろうけど。面はもちろん「山姥」です。(クチバシはない。)

ともかくこの日のてっつんは本当に素晴らしくて、「山姥」の壮大なスケールの詞章を、シテの気魄に満ちた謡が、さらに引き立てていました。
「山また山 何れの工か青巌の形を削りなせる 水また水 誰が家にか碧潭の色を染め出せる」とかシビれるよね。

それにその世界観も面白くて、「仏あれば衆生あり 衆生あれば山姥あり」とか万物が対等に描かれていて、今ふうに言えば多様性ってカンジでしょうか。
「雪月花之舞」の小書で鹿背杖を扇に持ち替えての中之舞もスゴくて、お能ならではの風姿というか、景色と言っていいものがありました。舞は身体の哲学であり、型は思索である・・なんてキメ台詞の一つも書きたくなります。扇は雲に、杖は木霊に。

なぜ山姥は生まれたのか・・。山姥自身が一番知りたがっているのが、彼女の存在理由でもあるのでしょうか。

そしてそれ以上に、オレたちは、このピンチを切り抜けてみせるゼ・・!そんな役者たちの気合のこもった舞台で、非常に感動したことでした。
posted by kuriko | 01:38 | 能・狂言 | comments(0) | - |
別枠で思えば遠くに

 

実は昨日は、久しぶりに銕仙会にも行ってきました。
感想はまた次回に。

コロナ騒動の中、ひっそりこっそり(?)開催されていたわけですが、入場者は来場時にまず手指の消毒、チケットのもぎりはナシ(!)、配布の番組も手渡しではなく各自でピックアップと、かなりの徹底した対策ぶりでした。

さすがに空席が目立っていましたが、お能の場合、観客は大人しく座ってるだけだし(←大体の人が)、あとは会場内の換気をしっかりとして、開催中止や延期は、経営的に差し支える法人は開催していいのでは、と素人感覚では思う・・。もっともお能の観客は、やはり高齢の方が多いので、難しいところですが。(あとは面の消毒とか?)

まぁそれ以上に言いたかったことは、この公演に野村萬斎も出演していたのですが、東京五輪がもはや進むも地獄、退くも地獄のインパール的展開になっていて、開催したところで、実際的な困難と日本のさらなるイメージ悪化は避けられないし、中止したらしたで、損失(予測)の天文学的数字にもビビるしで、なんだかヒドいことになったな、と。

そいだけ。

 

posted by kuriko | 23:25 | 番外 | comments(0) | - |
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