能楽鑑賞などなどの記録。  
雙ノ会 (その1)

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特別講座
本日の演目について 三浦裕子

 

狂言
武悪
シテ   石田幸雄
アド   野村万作
     野村萬斎

 

遊行柳
シテ   田崎隆三
ワキ   森常好
ワキツレ舘田善弘
     森常太郎
アイ   石田幸雄

 

大鼓   亀井広忠
小鼓   鵜澤洋太郎
笛     一噌幸弘
太鼓   小寺真佐人

 

地頭   武田孝史

 

※2016年9月25日(日) 宝生能楽堂にて。
※時間の都合により、解説は拝聴しておりません。。

 

 

というわけで、雙ノ会に行ってきました〜!

今回で一時休会とのことでしたが、ファイナル?なのか?に相応しい、非常に充実した素晴らしい公演でしたお!

 

まずは狂言の大曲「武悪」から。

 

武悪にはもちろん幸雄、萬斎さまが太郎冠者で、主に万作という夢の顔合わせだったのですが、いやもうこれがスゴかった。スゴかったね。三人の役者の、ワザと力量を観せつけた重厚な舞台となっておりました。

 

それに同じ「武悪」でも、和泉流(万作家)と大蔵流だとちょっと台本が違っていて、やっぱり和泉流のほうが話がスッキリとしてるな、と思った(笑)。武悪という人物そのものも、かなり違っていた・・と思う。

 

これは最近(?)観た流儀の違う「武悪」で、役者のキャリアも志向性も全然違っていたので、そのせいかもせいれないけど。

 

まず最初に万作が登場します。続けて萬斎太郎冠者。万作は欠勤の続いている武悪に、とうとう堪忍袋の緒が切れた様子。でも万作の「誰そおるかやい」は、感情的になってしまうのをちょっと抑えた感じで、むしろそこに本気の怒りを感じさせました。

 

萬斎さまもやっぱり素晴らしい。主の万作から、同僚であり一緒に育った幼馴染でもある武悪を斬ってこいと命じられてしまい、「ハァ〜!」と何度も応じる声の中に、『やだな〜』だったり、『仕方ない・・・』の諦めだったり、『殺るか!』の覚悟だったり、心境の変化が少しずつ織り込まれているのが伝わってくる。

 

もちろん、そこは狂言なので、万作から預けられた太刀を背中に隠し、『・・・騙し討ちにしよう!』という結論になるのですが。

 

武悪の家を訪ねた萬斎太郎冠者が全体に、淡い色調の装束だったのに対して、姿を現した幸雄武悪は、黒の肩衣に黄色に黒の格子柄の熨斗目、その顔つきにも力強さとキモが座っている雰囲気を漂わせます。

 

当り障りのない会話から始めても、幸雄と萬斎さまの互いに押しては退くような台詞の応酬に、みなぎる緊張感。旦那様のお客に川魚を取ってさしあげたら・・・という太郎冠者の言葉で、武悪もようやく安堵したようです。もっとも太郎冠者は、自分に背中を向けた武悪に、いつ斬りかかろうかと太刀の柄に手をかけているのですが・・。

 

そんなことは露知らず、得意の(?)魚獲りの腕前で御主人様にとりなせるとあって、武悪はちょっと嬉しかったみたい。川に作っておいた生簀に入るとき、ここはちょっとオーバーリアクションかなという気もしたのですが、自分は入らないと言った太郎冠者を置いて、張り切って入る武悪。

 

狂言で、こうしたシリアスな、殺るか殺らないか、の緊迫した場面が続くのは確かに珍しい。萬斎さまが「主命で打ちにきた!」みたいなことを言い放つと、魚を追って背を向けたまま、一瞬、しまった!というように、顔に影が差したような幸雄の演技も非常によかったです。(←実際、照明で影になって観えた。)

 

幸雄と萬斎さまの演技で、いつもなら地味に(?)なりがちな狂言の舞台も、歌舞伎か、シェイクスピアかと思わせる絢爛さです。そして「俺を殺すなら、ご主人様ではなく、お前を恨むぞ」と、手をまっすぐに差し伸ばし、ずばりと刺すように言われは、太郎冠者も動揺を隠せません。

 

川の中で斬られるよりは、せめて尋常に斬られようと居直ったものの、わっと泣き出す武悪に太郎冠者も泣きだし、やはり斬ることができません。このあたりは流石の説得力で、それまでのテンションが高かったぶん、二人の緊張感がお互いにぷつん。と切れてしまったような感じです。

 

なんて言うのだろう、特に今回の「武悪」ではそのテイストとして、三人ともあくまで狂言の様式通りに演じていたのに、伝わってくるリアリティが圧倒的に違っていたと思う。

 

そして、もちろん囃子の入らない曲なのに、役者たちが自分で出していた効果音までが素晴らしかった(笑)。主の言いつけで、お前を斬りに来た!と言われた驚きで、幸雄が舞台で飛び跳ねた音。武悪を斬ってきました、と太郎冠者が報告している時に、万作が感極まって、手で扇を打った時のはっしと響いた音。効果音と言っていい強さと鋭さ、そして湧き出る感情が伝わってくる。

 

「武悪」では、主の役は一度引っこんでもいいのではないか、と思わせるほど長い曲なのですがずっと端然と座って待っていた万作。(武悪は一度、後見座のほうに引っこみます。)

武悪の最期を聞き(もちろん嘘なのですが)、弔ってやろうと東山へ出かけることにします。この辺りの流れも、やはり和泉流のほうが自然かもしれませんね。

 

これと同時に、武悪は武悪で、橋掛りに立ち、命が助かった御礼参りに清水寺へ行こうと話しています。お互いに全く違うところで、それぞれの事情を同時に話し、そしてばったり出会うことになる狂言の(いつもの)この表現は、本当に面白いな・・と思った。

 

そう、運命の悪戯か、もちろん武悪と万作は、ばったり再会するのです。

 

ここで萬斎さまが大慌てで、両腕を拡げて爪先立ちになって、万作の視線の先を遮ったとき、「それがなにか?!」みたいな表情になってるのが、すっごく可笑しくて、なんだかナチュラルに笑ってしまった。

 

一体何をご覧になったのやら・・と、万作の前では平静を装っていた萬斎さまも、武悪が隠れている揚幕の前まで行くともうブチギレです。

 

橋掛りの前で、武悪が「見つかってしまったからには、ここで首を斬ってくれ」みたいなことを言って、再び居直るのですが、太郎冠者も「一度斬りましたと報告したのに、二度も首を差し出せるわけないだろうっ」みたいにツッコミ返す、ここのやり取りが本当にリアリティがあって、台詞廻しも迫真で素晴らしかった。

 

続けて、萬斎さまと幸雄が、そういえばここは鳥辺野だったな・・・と二人であたりを見渡す場面、黄昏時(?)の荒涼とした田野の風景が、一瞬浮かび上がるようでした。ここは狂言ちっくに、オマエは幽霊になれ!ということで、武悪は慌てて拵えに走っていきます。

 

再び出会った万作と幸雄武悪。主人のほうは、斬ってしまったことに罪悪感があったからこそ弔いに来たわけで、当の本人に会ってしまってはビビりまくりです。

 

そしてあの世のお父様からの伝言です・・と、太刀と扇を上手い具合に巻き上げるのですが、今回の「武悪」を観て、多分、初めて、ああ、そういうことなんだな、と思った。主人の命令で殺されそうになっても、幽霊の姿になっても、転んでもタダでは起きないのが武悪という人なんだな、と。


これまで、後半になると空気が一変するコメディタッチに、なんとなく違和感があったのですが、ここは武悪が武悪らしく、しっかりと本領を発揮していた場面でもあったようです。ここでもあまりしつこくならずに、逃げ出した万作を武悪が追いかけて行って終わり。そのかわり、太郎冠者が急に大人しくなってしまうきらいもあるのカモ。

 

しかしとにかく、すごい「武悪」でした。これまでの万作家の様々な試みの、その成果が狂言の形に還ってきていたように思った。武悪という人物像にブレがなく、したたかな人柄がありありと伝わってくるような・・。そう、たとえばリチャード三世のように。あるいはマクベスのように。・・・なんて言ったら、さすがにちょっとオーバーかな?

 

その2へとつづく。

 

 

posted by kuriko | 23:05 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
雨の薪能・・・

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新宿御苑の「森の薪能」、これだけ中止に見舞われているのに、継続していること自体がスゴイな〜とは思う。。。

今年は私もチケット買わなかったんだけど。。。

 

でもさすがに、ちょっと、もしかして予算を消化するためだけにやっているのか・・・?と、思わなくもないカモ?

 

http://www.kanko-shinjuku.jp/takiginoh/-/index.html

 

土地柄を考えると、雨天用の会場を押さえとくのも大変そうだしなぁ〜。。

 

 

posted by kuriko | 22:27 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
KIITSU

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今日は所用でギロッポンに行ったついでに、鈴木其一展へ。

http://www.suntory.co.jp/sma/

 

其一は、江戸後期の人。どれも素晴らしかったですが、何点か展示されていた能絵も面白かった。

 

実際の舞台に取材した画題が多く、能にも造詣が深かった。とのことなのだけど、「道成寺図」では、前シテの白拍子の唐織が、こげ茶の地色に、濃い緑の木賊(に見える)模様。ちょっと意外な感じ。その代りに中の鱗箔が赤で、襟もちょっと変わった?着付けです。(←古態と言われる黒川能みたいな感じなんだけど、ちょっと違うような。。。)

 

下掛り?の舞台だったのかなぁ。鈴木其一は、酒井抱一の弟子で姫路藩の家臣だったそうだから、金剛流だったのかな?前シテの面が微笑んでいるかのようで、「私もついに憧れの道成寺だわ〜」みたいな感じで、めっちゃ楽しそう(笑)だった。

 

「朝顔図屏風」も大変素晴らしかったし、能好きだったのなら、「草木国土悉皆成仏」なんて言葉にも、親しんでいたのではあるまいか。。

 

(※能絵は大名家や豪商からの注文で描いたりもしていたようです。)

 

posted by kuriko | 01:16 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
銕仙会定期公演9月 その2

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小鍛冶。

 

とにかく上からそう言われてるんですよねぇ、と、お役所的というか、大企業的というか、そんな勅使にとにかく剣を打てとねじ込まれ、困り顔のツネ2宗近。

 

この勅使は、あの「道成寺」も建てた橘道成らしいのですが、配布の番組に掲載されていた解説によると、架空の人物とのこと。とにかく因縁深いものの造立に関わってしまう道成卿・・・。何者なのか・・。

 

やむなく氏神の稲荷明神に神頼み行く宗近なのですが、この時の前シテの登場の仕方が面白かった。揚幕の向こうから呼びかけるのではなく、橋掛りまで出てきて、しっかりとワキの願いを聞いている。カミは既にそこまで来て、すぐそばで見守っている・・という感じでしょうか。

 

「黒頭」の小書がついていて、前シテの装束も替わっていたのですが、この時の姿も非常に印象的だった。
色白の「大喝食」の面に、髪はシンプルにスベラカシにして、白に金箔の摺箔、丸尽くしの黒い縫箔の出で立ち。橋掛かりに出て、上体を心持ち突きだすようにして、ワキの様子を見つめている姿が、そう、一瞬、狐のように観えた。

 

面がちょっと変わっていて、遠目に観るとなんだかキツネっぽい顔・・。鼻のあたりに黒い影があるように観える・・。

前シテはその去り際に至るまで、ワキの姿をじぃっと見つめ、何かを伝えようと熱意を示す。インスピレイションだろうか・・。

 

中入りで、注連縄で神聖な結界が張られた祭壇が舞台に運ばれ、ツネ2もオシャレな紫の長絹に着替えて再登場です。

 

そして、「謹上再拝・・」と唱える宗近の祈りを、後シテも橋掛かりまで出て、しっかりと聴いていた。正面から観ていると、その姿は照明と黒頭のために面を覆うように影が差し、不気味な印象となっていて、白く輝くようだった前シテとは対照的。


カミというより、創造の場に現れるとかいう、ユングの言うところの『デーモン』を思わせた。鍛冶場に降り立ったシテは、ひらひら舞うようにしてから宗近を壇の上へと差し招く。シテが宗近の相槌を打つ手の動きが、非常に特徴的で美しかった。出しては退く様子が敏捷な獣のようだ。

 

シテが壇の上で身をよじるようにして、場の密度を高め、さらに力を行き渡らせる。一心に剣を鍛えるツネ2。

 

見事、剣を鍛え上げると、ワキが勅使にその刀を渡すのだけど、脇柱の影に隠れるようにしていたワキツレが唐突に現れて、『あれ、オマエ、そこにずっといたの?!』という感じが、ちょっと可笑しかったデス。

 

というわけで、とっても楽しい一晩でした〜。おしまい。

 

 

 

 

posted by kuriko | 00:01 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
銕仙会定期公演9月 その1

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楊貴妃
シテ     観世清和
ワキ     宝生欣哉
アイ     中村修一
    

大鼓    安福光雄
小鼓    曾和正博 
笛      一噌庸二 (代演)
     
地頭    野村四郎
 

狂言 菊の花
シテ   野村万作
アド   石田幸雄


小鍛冶 黒頭
シテ   片山九郎右衛門
ワキ   森常好
ワキツレ舘田善博
アイ    内藤連

 

大鼓   柿原弘和     
小鼓   幸清次郎
笛     竹市学
太鼓   小寺佐七
 

地頭   柴田稔


※2016年9月9日(金) 宝生能楽堂にて。

 

 

というわけで、銕仙会に行ってきましたぁ〜!
キヨ、九郎右衛門、万作と、充実したとっても素晴らしい会でしたよ!

 

まずはキヨの「楊貴妃」から。

 

これがなんだか意外なことに?!工夫と気迫に満ちた、役者兼演出家としてのキヨ?!を感じさせた、一番だったのですよね。

 

囃子方、地謡が座着き、グレイの引き回しの小宮の作り物が運ばれてきます。中にはもちろん、キヨが入っている・・・はず(←?)。

 

そして玄宗皇帝の使いである、欣哉が早速に登場です。今回、このワキの方士の扱いも、ちょっとしたポイントだったかなぁと思う。馬嵬で亡くなった楊貴妃の霊魂を探し求め、方士はあちこち長い旅をして、蓬莱山にまで赴くと、途中でアイに尋ねたりしつつ、太真殿までついにやってきます。

 

蓬莱島の島民であるアイは中村修一で、ちなみに「小鍛冶」のほうは内藤連と、能の二番とも万作家の若手だったわけですが、なんとなく狂言方の血になってきた・・のを感じさせるというか、能のアイをさせても、違和感なく安心して観ていられる役者ぶりでした(←上から目線)。

 

さて、ワキがその豪華さに驚きつつ、太真殿の中の様子を窺っていると、人の声が聴こえてくる・・。

 

昔は驪山の春の園に 共に眺めし花の色 移れば変る習とて・・・

 

作り物の中から聴こえてくる、キヨの謡。寂しく悲しげな謡というよりは、重厚で気位の高いキヨ節を感じさせて、おやおや・・と思った人も多かったに違いない。というか、私はそう思ったのだけど、抒情的でなく、くっきりとした叙景的な謡には、実はキヨならではの演出があったわけなのだ。そしてそれは、後半に明かされる。

 

続けて引き廻しが降ろされた時、あらっと思わせたのが、鬘帯を小宮の作り物にズラリと着けた、「玉簾」がなかったこと。最近は、「玉簾」の小書がついてなくても、そうなっているのがむしろ普通?かのように思っていたので、これは新鮮だった。小宮の作り物が白い額縁の役割を果たして、シテの姿がくっきりと浮かび上がって観える。

 

渋く錆びたように観える黄金色の唐織に、これも抑えた緋色の大口。天冠の色合いも金ピカでなく、赤銅色にやや褪色して観え、瓔珞が控えめにしてあったので、簪が目立って観えたのが古風な印象です。
面は「曽う(増)」とかで、遠目に観えた範囲では、端正な、気品を感じさせる顔立ちで、色香が漂うような雰囲気ではありません。

 

その姿は全体に、過去の豪奢な雰囲気も残しつつ、かなり抑えた渋い趣に仕上がっていて、仙界に戻ってきてからの楊貴妃の侘しい心境を、そこにくっきりと表わしていたと思う。面は微かにうつむき加減で、憂いに満ちた様子です。

 

とはいえ、方士の呼び掛けに応えるシテの口調は威厳に満ちていて、まったくキヨらしい、強く、女王然とした風格が漂います。

 

一方で、方士が楊貴妃に出会った証が欲しいと求め、シテはワキに鳳凰の簪を与えるのですが、鳳凰の簪なんてどこにでもあるし、もっとこう、お二人だけの秘密とか聞かせてもらえませんかね。と、加齢臭ただよう質問をワキが繰り出してきます。まぁそれもそうだこと、と答えるシテなのですが。

 

シテはどうやら、玄宗皇帝の遣いだと言って突然やってきたこの方士を、全く信用していない・・・ような、固く心を閉ざしているかのように観えました。玉簾がなかった代わりに幾重にも取り巻かれていた、楊貴妃の心の帳が観えるようだった・・・、なんて言ったら、ちょっと気取りすぎでしょうかね。

 

七夕の夜に二人で約束をして・・と、どこか毅然として語っていたシテが、自分は実は仙女だったので、自分の魂は、仙界に戻ってくることになった・・、と小宮の方を振り返ったその時に、彼女の背中がまるで、「求塚」の乙女のように寂しげで、はっとさせられる。豪華な宮殿も、今のシテにとっては荒野のように感じられるに違いない。

 

聞きたいことを聞くと、それでは御暇しましょう、と腰をあげるワキを、さすがにシテが引き留める。かつての夜遊の曲を、貴方にも見せよう・・と。ここまで来て、ようやくシテがワキに心を開き始めたのが感じられるようだった。

 

シテの舞姿は、本当に美しかった。キヨらしい硬質な、完璧さを求める姿で、如何なる瑕疵も認めまいとする様子が、今回は逆にいじらしいというか、人間的な姿に観えたような。この日のキヨは、なんだかカワイイな、と思った(笑)。

 

気位の高かった楊貴妃が、橋掛りで跪き別れの挨拶をする方士に向かい、自らも跪くようにして別れを惜しむ。一場ものの曲だけれど、その中でも、シテの心持ちの大きな変わりようを感じさせた。

 

方士に玄宗の面影を見たということもあるだろうし、この方士もまた、二度と会うことのない運命の相手ということに気づいたのだろうか。互いに敬意を払いつつ、『そうならねばならぬのなら』と離れ行く会者定離の光景です。

 

さるにてもさるにても・・・と、分かっていてもやはり別れはつらい・・と訴えるシテの謡に、激しい感情が滲み出る。

 

ワキを見送ると、シテは再び作り物の中に戻り、憂愁の中に沈み込む。そして再び作り物を出ると、永遠に年を取らない仙女は、その姿を焼きつけるように立ち尽くすのでした・・。

 

というわけで、とっても素晴らしかったです!それに、橋掛りを戻っていく姿も、悲しげな中にも可憐さが漂うようで、さすがキヨ太りん。。と思った。

 

狂言「菊の花」。

 

この日は9月9日で、重陽の節句だったのですよね。万作の小格子の段熨斗目が鮮やかなレモンイエローで、菊の花を思わせます。万作の、身振り手振りの話芸を楽しむ一番。「たぶさ」に菊の花を挿して、得意満面に歩く太郎冠者・・。

 

それにしても、六世万蔵の現存する息子たちは、みんな人間国宝になったわけで。。。恐ろしい一族だ。。

 

しかしこの曲の別名が「茫々頭」というのは、全然雰囲気が違いますな。。最後のオチの「緒太の金剛」というのがつまり、草履のことだと分からないと、あんまり面白さが伝わってこないカモ?

 


その2へとつづく。

 

 

 

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posted by kuriko | 01:22 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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