能楽鑑賞などなどの記録。  
音阿弥生誕六百二十年 観世会 秋の別会 (その1)

ブルーボトル.jpg

 

三輪 誓納
シテ  観世清和
ワキ  森常好
アイ  野村萬斎

 

大鼓  亀井広忠
小鼓  観世新九郎
笛    一噌隆之
太鼓  小寺佐七

 

地頭  梅若実

 

萩大名
シテ  野村万作
アド  高野和憲
    石田幸雄

 

仕舞
遊行柳 梅若実
難波   武田志房
松虫   木月孚行
井筒   野村四郎
女郎花 山階彌右衛門


正尊 起請文 翔入
シテ  武田尚浩
ツレ  藤波重彦
    野村昌司

    坂井音雅
子方  清水義久
ワキ  宝生欣哉 (代勤)
アイ  高野和憲
立衆  坂口貴信
    武田宗典
    関根祥丸
    岡庭祥大
    佐川勝貴
    坂井音隆
    金子聡哉
    井上裕之真
    木月宣行
    高梨万里
    田口亮二
    坂井音晴

 

大鼓  國川純
小鼓  鵜澤洋太郎
笛    藤田朝太郎
太鼓  小寺真佐人

 

地頭  角寛次朗


※2018年10月7日(日)  観世能楽堂にて

 

 

 

「本多は神秘というものが、こちらの意志にかかわりなく、たちまち理不尽に襲ってきて居座るさまは、この中有の遣口によく似ていると思った。」  (三島由紀夫「豊穣の海 奔馬」)

 

 

・・というわけで、観世会の秋の別会に行って来ましたぁ〜!
今回もとっても素晴らしかったです!


目玉としてキヨの「三輪 誓納」が出たわけですが、キヨは「誓納」も、はや幾度目とかで、新しい銀座の能楽堂に合わせた工夫もありつつ、「誓納」に相応しい緊張感にも満ちた舞台で、非常によかったです。


まずは長裃姿の囃子方と地謡が座つき、杉玉と引き廻しのついた作り物が運ばれてくる。ちょっと驚いたことにこの作り物は、大小前は据え置かれていました。


「三輪」で「誓納」のような小書がつく時は、笛座の前に、目付柱のほうに正面を向けて作り物を置くことが多いと思うのだけど、今回はこのようなアレンジのようです。


率直なところ、銀座の観世能楽堂は見所も縦長の典型的なシアター形式で、中正面側のほうには空間的な拡がりも無いので、この後の展開を観ていても賢明な処置だったと思う。


舞台の上はピリリとした緊張感があって、音取置鼓で新九郎だけが床几にかかり、隆之がお笛を吹き始めると、早速に清涼な空気が漂うかのようでした。(もっとも、私が座っていた俗界の見所は、いろいろと、阿鼻叫喚?!の有様でしたが・・)


ワキの玄賓僧都・ツネ2も登場です。


名宣りから早速、高僧に相応しい品位も高く澄んだ謡声で、ツネ2得意の坊イソプラノ(←違う)が炸裂です。そのワキが語るには、毎日閼伽の水を持ってきてくれる不思議な女性がいるので、今日こそはどこの誰だか訊いてみよう・・・とのこと。


ワキがワキ座へと進み、広忠と新九郎の真ノ次第も素晴らしい。独特なテンポが、何者かの到来を告げています・・。


シテは幕が上がってもすぐには姿を現さず、ああきっと、いま山道を下ってくるのだな、という待ち時間がありました。


ようやく観せたその姿は、お山の紅葉を思わせる絢爛たる色合いの唐織に、水桶、数珠を手にしています。迷いなく橋掛りを進むのですが、一の松で立ち止まり「三輪の山もと道もなし・・」と見所に背を向け、いわくありげに三遍返しで謡う。

そして見所に向き直ると、自分は為すべき事もなくいたずらに年月を過ごしている女だが、今日も玄賓様のもとに樒閼伽の水をお持ちしよう・・と語る。


一方で、草庵の中にいるワキは「山頭には夜孤輪の月を戴き・・」と、独特なナビかせ謡も織り交ぜ、孤高の心情を吐露しています。


未だ途上にいるシテと、清澄な世界にいるワキと、そうとは知らずに心がクロスオーバーしている光景が端的に出現していて、この場面も非常に素晴らしかったです。


やがてシテが舞台へと進み、三輪の麓の山住まいの様子が謡われつつ、シテはワキとついに対面です。


そしてやはり、シテは玄賓僧都に秋の夜寒なので・・と、衣を一重乞うのですよね。ツネ2はこれに「勿論、いいとも」みたいな感じで、優しげな口調で応じ、白い衣を取り出すのですが、ここで面白い工夫がありました。


シテがワキ座のほうににじり寄り、なんと衣を一度舞台の床に置き、ワキがシテに触れないように衣の受け渡していたのです。しかしワキとシテは同時に衣に触れていて、一枚の衣を通じて、何かしら心に伝え合うものがある・・。これがなかなか、自然かつ印象的な場面が出現していました。

 

シテは大切そうに衣を抱え、それではとワキの前から去ろうとします。ワキが「暫く」と呼び止め、あなたはどこのどなたなの・・と尋ねると、シテは私は三輪のお山の麓に住んでいて・・御不審ならお訪ねくださいませ・・と言うのですが、ひときわ高く強く謡って、来てね来てね、ぜったい来てね!と本音がダダ漏れなのが可愛らしい。そうしてシテは、大小前の作り物の中に消えていきます・・。


中入でアイである萬斎リーフェ××・・じゃなかった、萬斎里人の登場です。萬斎さまが名乗っている間にも、作り物には玄賓がシテに与えた白い衣が掛けられています。


この人は何事か宿願あって大神神社に参詣するうちに、実は杉の枝にかかっていたこの衣を発見するのですよね。玄賓僧都の元にも通っていたらしく、早速ワキにこの発見を報告します。アイに勧められ、この不思議を確かめに行こうと立ち上がる玄賓・・。


与えたはずの衣が神域の森にあり、その衣には「三つの輪は清く浄きぞ・・」と金文字で歌が浮き出ていたのだとか・・。


どこからともなくシテの声が聴こえてくると、やがて作り物の引き廻しが降ろされ、三輪明神がその姿を現わします・・!


床几に腰かけ、白い装束姿で榊をぎゅっ・・と抱きしめるようにしている姿が、閉じられた心を感じさせて、何事か祈っているようでもあり、恥じらう乙女かのようです。


シテは、狩衣の裾に襴をつけた白い直衣、赤い指貫、スベラカシの鬘の出で立ち。こうして真正面から、作り物の中にいる「三輪 誓納」の後シテを観ることがあるとは思っていなかったので、非常に新鮮な光景でした。

 


(その2へと、つづく)

 

 

posted by kuriko | 00:17 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
キヨ姫

DSCN5606.JPG

 

先日、山種美術館に行ってきました〜。

 

小林古径の「清姫」が修復されたとかで、全点展示されてます。(11月11日まで。)

「道成寺」伝説に着想を得た連作で、簡素な表現なのだけど、それだけに古径の線描の凄さが伝わってくる・・。

古径がスキなので、出てるとつい観に行っちゃう。

 

今回はいつもの和菓子はなし・・。

段々と、主菓子をいただくのがツラくなったきました・・。

 

 

 

 

posted by kuriko | 10:25 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
さすが文豪はいいことを言うことなど

 自分の仕事と世の中とのつながりについては、私は割りに気楽な考え方をしている。私は来世とか霊魂の不滅は信じないが、一人の人間のこの世でした精神活動はその人の死と共に直ちに消え失せるものではなく、期間の長短は様々であろうが、あとに伝わり、ある働きをするものだということを信じている。簡単な一例として、私は四十五年前に亡くなった祖父を憶う時、私の心の中に祖父の精神の蘇るのを感ずる。・・・

 

志賀直哉「閑人妄語 ―『世界』の「私の信条」のために― 」より

 

先日のキヨの「柏崎」で、我が子と再会した時のシテの「喜びの型」(いわゆる両ユウケン)が印象的だったのですが、そういえば以前読んだ志賀直哉の随筆でも似たようなことが書かれていたなぁと、思い出したのでした。(←「馬と木賊」)

 

1921年(大正10年)ぐらい(?)に、厩橋の能楽堂で当時の梅若六郎の「木賊」(文中では「木賊刈」)を観た時に、シテが同じように我が子と再会したときに、この型を何度か繰り返したらしい。人間の通常の感情表現にはない仕草なのに、「木賊」の老翁の気持ちが伝わってきて、自然と涙が出たとのこと。

 

志賀直哉は歌舞伎や映画など、わりに演劇全般を好んだようだけれど、もしここで彼がさらりと型を型として認識していたら、その一文はどんなふうに変わっていたのかとも思う。

 

そして、随筆集に収録されていた別の文章で、文豪はさすがいいこと言うなと思った一節があったので。でも同時に、滅びゆくものは無理に存続させることなく、自然のままにしておくのもいいのでは、と書いてありました。

 

皆さま、こんな日は無理せず読書など致しましょうね。

 

いや、いま風が凄すぎてそれどころではありませんが・・・。

(ていうかもう寝よう。おやすみなさい。)

 

 

 

posted by kuriko | 01:04 | 読書(能・狂言) | comments(0) | trackbacks(0) |
銕仙会9月定期公演 (その2)

(承前)

 

さらには善光寺で居合わせた人々にも、一緒に極楽に行こうと念仏に誘うシテなのですが、ここでヒネリが出てくるのは、亡き夫の形見の品を阿弥陀様へ寄進したいとシテが言いだすのです。

 

前場で花若が小太郎を通じて送ってきた形見が、ここで伏線として利いてきた模様。本堂の何処かから騒ぎを見つめていた花若も、シテが取り出した品を見て、『あの烏帽子直垂は・・』と気づいたのではあるまいか。

 

シテは正中で物着して形見の品々を身に着け、「井筒」と同じく亡き人を偲ぶ移り舞の態です。黒い烏帽子に、淡い御納戸色のような長絹。

 

シテは情感に浸っていて、私のダンナ様は何でも器用にこなす人で、弓矢も連歌も得意、宴席でもみんなの盛り上げ上手で・・と聞かれてもないことを切々と語っています。(しかしリアリティも出る。)


このあたりは単なる便宜的・・というより、子ゆえだけの物狂いでないシテの本音が語られる部分で、プレーンな色使い物狂いの姿から、艶めかしくもある男装をして大伽藍で舞う姿は、法悦系狂女といった雰囲気でした。

 

そして詞章の内容が、深いというかややこしいというか、彼女は失った旦那様と愛息のことを思って悲しみに沈んでいるのだけど、その悲しみが深い分、煩悩の闇を晴らして見えてくる浄土の光景の美しさが際立つような描写で、そのコントラストが鮮やかに浮かび上がる。すぐそばにいるはずの、阿弥陀如来の足元で繰り広げられる、地上の人間ドラマの世界です。

 

しかしそこはお能なのでシテの舞は巫女的な印象もあって、悲劇を通して何かしらの真理に到る、そんな崇高ささえ感じさせました。地謡の盛り上げに、シテが見事にサーフしている印象。


でもシテは幽霊じゃないので、まだ成仏するわけじゃあない。そんな姿をじっと見ていたワキツレが、子方を立たせるとあなたの息子さんはここに居ますよと、母親に向かって差し出すように子方の背中を押します。(子方に台詞はありません。)


最初は唖然とするように、じっ・・と子方を見つめ、次に鳥が翼を羽ばたかせるように、袖を拡げて再会の喜びを表わすシテ。親鳥と雛鳥というか、シテと子方の装束の色合いが同じ緑の系統になっていて親子を感じさせます。


これも阿弥陀様が下界をじっと覗き込んで、巻き起こっている人間界の有様なのでしょうかね・・。「蜘蛛の糸」はお釈迦様か・・。


お能の演目の面白さって、こうして後からあとからの演者たちによって重みづけ意味づけされていって、作者も想像していなかったような「アンセム」化していったことにもあるのカモ、と思ったことでした。


鱸包丁。


嘘つきの甥をこらしめようと、伯父さんがさらに上等な嘘で仕返しする話。


買ってこいと言った鯉を、まだ買ってきていないのを適当な嘘で誤魔化すアドに、シテが身振り手振りの包丁さばきまで披露してお説教するのだけど、東次郎の品の良さが、お説教にもにじみ出ていた印象です。


謡うような印象の東次郎家の語りは、和泉流や他のお家とも全然違うわけだけど、ちゃんとアドにとって耳の痛い内容は、くどくどと切り刻むようなテンポになってて可笑しい。


トメの後でも、東次郎がアドに背中を向けて舞台を去る前に、ぺっ!と長袴の裾を払う仕草にも甥に対して「分かったか!」とでも言っているのが伝わってくるようで素晴らしかった。


それにしても東次郎、見た目が全部白くなってきて、ますますお上品になってきた。。


枕慈童。

 

他流の同名異曲との関係が、いつもややこしいこの曲。大藁屋の作り物など出て、見た目は大がかりなのですが、かなり小品の印象でした。しかし意外と(?)面白かったというか・・。


薬の水が出たというので勅使が見に行くと、ぱらりっと早速引き廻しが降ろされるのですが、そこに現れたのは、深山に住まう美少年・・というより、妖怪?!(失礼)の趣きでした。背後に並んでいる菊の花々が、さらに美しくも妖しい雰囲気(笑)。


こう言ってはなんですが、シテにミョ〜な貫禄があり過ぎて、「いらっしゃ〜い(ダミ声)」と、ぼったくり居酒屋の大将がこんなところに?!みたいな雰囲気です。ワキたちが驚くのも無理もない(←違)。


自分は数百年の昔、帝の枕を踏んでしまったので(どんな状況だったのだろう?)、この山中に配流となったが、頂いた枕の妙文のおかげで、川の水も薬の水となり神通力も得て、生き永らえているのだ・・とのこと。さらに勅使たちに舞まで披露してくれる。


楽を舞ったあとは、薬の水を壺に詰め、気前よく勅使に手渡しています。この壺が、面をかけたシテでも持ちやすいように両側の取っ手が妙に大きくなっていて、ハクション大魔王(さすがにリアルタイムじゃありません)のツボみたいで妙にカワイイ。。。


楽の音楽も面白く、水墨画の世界がそのまま飛び出してきたような内容で楽しかったです。


ということで非常に充実していた銕仙会だったのでした〜。

 

 

(おわり)

posted by kuriko | 00:18 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
銕仙会9月定期公演 (その1)

柏崎
シテ   観世清和
ワキ   森常好
ワキツレ舘田善博
子方   谷本康介


大鼓   亀井広忠
小鼓   観世新九郎
笛     一噌庸二


地頭   観世銕之丞


狂言
鱸包丁
シテ   山本東次郎
アド   山本則孝


枕慈童 盤渉
シテ   柴田稔
ワキ   村瀬提
ワキツレ福王和幸
      矢野昌平


大鼓   亀井実
小鼓   曽和正博
笛     寺井宏明
太鼓   小寺真佐人


地頭   浅見慈一

 

※2018年9月14日(金) 宝生能楽堂にて
※出演者が当初予定から一部変更になっています

 

 

というわけで、銕仙会の定期公演に行ってきましたぁ〜!
今回も素晴らしかったです!


当然お目当てはキヨの「柏崎」だったのですが、「柏崎」というと、たしか何年も前に観たきりで、なんだかややこしい狂女ものだったなぁ・・というイメージしかなかったのです・・。が、今回観ていて自分でも意外なほど感動してしまいました・・。


榎並左衛門五郎作だったのを世阿弥が改変を加えて云々・・というけれど、そのせいか(結果的に)シテの感情の変化も目まぐるしく、構成にもヒネリがあって単なる狂女物というワクを越えた、壮大な物語が能舞台に立ち上がっていた・・と思ったのは私だけ?難曲と言われているのも納得の展開でした。

 

シテが運命に翻弄されている姿もひしひしと伝わってきて、さらにそこに善光寺の阿弥陀如来的視点(?!)が加わって、ギリシャ悲劇的だったような気さえした・・。

 

人間の人格や性格というものは、もとから自然と備わっているだけではなくて、その人の運命の形によっても、造形されていくものなんだなぁ〜、と考えさせられたことでした。

 

さて、舞台はというと、囃子方、地謡が座着くと、揚幕がぱっとあがりシテの柏崎夫人が姿を現します。観世流の「柏崎」では、シテが先に出し置き的に登場するのですよね。


しかしキヨは老女物かという程、ゆっくり、ゆっくりと長い橋掛りを進んでいきます。囃子方たちが登場した時からお能は始まっているわけですが、このシテの登場によって、物語は既に始まっているようです。紅無とはいえ、白地に華やかな黄金も入った唐織姿でしたが、ギュウっと緊張感を漂わせた様子に、ああ、この女性はなにやら心に不安や悲しみがあるのだなぁ。と、思わせるに十分な姿だったのでした。

 

シテが舞台に入ってくるのと同時に、後見の野村四郎が葛桶を持って切戸口からすいっと現れる。シテは葛桶に腰かけ、何事かの訪れをじっ・・と待つ。


そこに、黒い笠に掛素襖の旅姿のツネ2が登場です。笠を目深に被り、我が身を隠すようにゆっくり進むワキの姿にも、何事かドラマを感じさせます。その間、葛桶に腰かけわずかに俯き加減に、微動だにせず待っているキヨ。


一の松あたりで笠を取ったワキが名乗り、ドラマの背景を明かしたところによると、自分は越後の柏崎殿に仕える小太郎という者だが、訴訟のために鎌倉滞在中に柏崎殿が亡くなり、子息の花若もこれを嘆いて何処かに出奔してしまったとのこと。そしてそれをこれから、冬の時雨降る道を行き、柏崎殿のお宅に知らせに行くところだ・・と。

 

小太郎の訪れに「なに小太郎とは」と強い声を出し、それまでじっとしていたのに、ぱっと大きく驚きを表わすキヨ。便り待ちわびていた様子が窺えます。


それにおそらくは領主クラスの奥方とはいえ、葛桶に座っている姿になんとなく違和感があったのだけど、柏崎邸を訪れたツネ2(下宝)の台詞に、お屋敷が荒れている・・的な台詞があったので、これはシテが自ら立って何事か用事をしていたことを表わしていたのかもしれません(?)。


小太郎はシテにすぐに目通りするのですが、この辺りは「清経」の前場にも似た場面で、やや早口にさては殿の御帰りかと尋ねるシテに、短い間だったけれどワキが「・・・」と答えに詰まる様子に、ツネ2の上手さが光ります。


そしてまず息子の花若が遁世したと聞かされ、驚くシテ。さては殿に叱られたのかと問えば、形見の品々をお届けに参りました・・と答えるワキに、夫の死に気づく奥方だったのでした。

 

涙を流して悲しむシテにワキが手紙を手渡し、シテが目を走らせると(面を掛けていても、ホントに走らせているのがよく分かるキヨの演技)、花若は父上が死んだ悲しさから仏道修行を思い立ったので、三年のうちには帰りますから・・とのこと。

 

シテの奥方もこれにはブチ切れ気味で、修行よりもまず母親に顔を見せろやと、その怒りももっともで、思わず床几から降りて、小太郎に怒りをぶつけ気味に、強く迫るシテだったのでした・・・。

 

ここでシテとワキは退場し、前場は終了。そしてなんとアイは登場せず、舞台は越後の柏崎から信濃の善光寺へと移り、ワキツレの善光寺の僧と花若本人が登場します。花若役の康介くんは、まだちっちゃくて可愛い。明るい若草色の水衣を着た、ミニミニお坊さん姿です。ワキツレは、この少年が突然やってきて頼むので、弟子として一緒に修行をしているところです・・と明かします。

 

さらにここに、騒がしげな様子で、物狂いの姿となったシテが善光寺へと向かっていたのでした。薄いグレイの水衣に狂い笹を手にした姿で、水衣の下には白い着付、狂女ファッションとはいえ、意外にプレーンな印象です。


そして夫と死に別れ、我が子とも生き別れ、自分の心は乱れに乱れている・・と、キヨらしい上品なカケリ。といっても実際には(?)人目を引く大騒ぎをして、さらに善光寺の内陣に進もうとするシテに、地謡前に控えていたワキツレが声をかけます。内陣は女人禁制だぞ、と。


シテはこれに対して、スラスラと唯心の浄土に男女差別なんてないでしょうと、仏の教えで反論するのですが、キヨは「この善光寺の如来堂の内陣こそは」の、「内陣」で本当に珍しく絶句していました。

わたくし、これでもわりと長期に渡って、観世清和研究家として頑張って(?)きたつもりですが、キヨの絶句って初めて見た気がする・・。ここはすかさず四郎が詞章をつけて、シテも勿論調子を崩すことはなかったのですが、とにかくこの「柏崎」のシテは、謡も、演技自体の量も非常に多くて、無理もない、、という感じ(←贔屓目)。キヨはこれまで、どんだけスゴイハードスケジュールでも、トチったりとか全然しないヒトだったので(←贔屓目?)。


それはさておき、松羽目以外にセットらしいセットも何もない能舞台で、そうか、シテはいま善光寺本堂の内陣のあたりにいるのだな・・・と思ったところで、ひときわ高く張った地謡が、「これぞ西方極楽の上品上生の内陣にいざや参らん・・」と力強く謡って、その大伽藍を音声で荘厳するが如くで大変素晴らしかった。


名所de物狂いといえば、お能の定番と言えなくもないですが、なるほどここでは、はっきりと生身の阿弥陀如来の御前での出来事なのだな・・という気がしたのですよね。


・・と言って実は私、長野の善光寺って行ったことがないのですケド・・。


(その2へと続く)

 

 

posted by kuriko | 00:38 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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