能楽鑑賞などなどの記録。  
第二回 三人の会

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仕舞
鞍馬天狗 谷本康介

 

八島
シテ    川口晃平
ツレ    谷本健吾
ワキ    宝生欣哉
ワキツレ 舘田善博
      梅村昌功
アイ    山本則秀

 

大鼓    亀井忠雄
小鼓    大倉源次郎
笛      竹市学

 

地頭    梅若玄祥

 

狂言
貰聟
シテ    山本則重
アド    山本則秀
      山本東次郎

 

一調
班女
     谷本健吾
大鼓    亀井忠雄


仕舞
難波   観世喜正
放下僧 観世銕之丞
定家   梅若玄祥
善界   山階彌右衛門

 

海士
シテ    坂口貴信
子方    谷本悠太朗
ワキ    殿田謙吉
ワキツレ 御厨誠吾
      野口琢弘
アイ    山本則重

 

大鼓    亀井広忠
小鼓    観世新九郎
笛      松田弘之
太鼓    林雄一郎 (代演)

 

地頭    観世銕之丞


※2017年6月10日(土) 観世能楽堂にて。

 

 

というわけで、「三人の会」に行ってきましたぁ〜!

 

新・観世能楽堂が入っている週末の銀座シックスはものすごい人で、1コ上階の食品フロアで、コーヒー1杯飲むのも難しいような混雑ぶり。終演後に真上のエノテカで、さくっと一杯・・というのも、常に満席で無理そうです。まぁ、お酒飲めない私にはカンケーないですが。。

 

観世流のホープ(たぶん・・?!)3名で結成された「三人の会」も満席で、結構な賑わいでした。

・・・でも私が観たのは、貴信キュンの「海士」だけ・・・。

 

「八島」もいちおう観たのですが、遅れていったし、特に何かいうことも無い舞台だったので、省略・・・。ヲホホッ☆

 

ただちょっと気になったのは、新しい観世能楽堂は、他の能楽堂とも比べてかなり照明が均質になるのと、左右の壁が狭いために、観ている側は奥行きもむしろ狭く感じるので、注意して演出を加えないと、『漁師なのにミョーに派手な服を着ているおじいさん(前シテ)』とか、『アイドルの如くやたら全身キラキラな九郎判官』みたいになってしまうみたい。

 

舞台映えするとかしないとか、下手に考えないほうがいいの鴨。ホール能とも違うけど、座敷能ぐらいに考えたほうが上手くいくのかなぁ・・・。

 

以前、能楽を愛好した旧華族の能装束というのを観たときに、刺繍の模様が繊細で細やか過ぎて、逆に舞台で映えないんじゃないかと思ったことがあるけれど、自宅にある舞台用だったので、それで全然問題なかったわけだよね・・・。

 

「海士」以外はお蕎麦食べたりして休憩してました。。。スミマセン。。

 

で、「海士」。

 

房前の大臣がお供を引き連れ、志度の浦にやってきます。超名門・藤原家の跡取りである彼ですが、実は母親が辺境の賤の女であったことに衝撃を受け、わざわざ追善のために訪れたとのこと。

(←余計なお世話だという気もしないでもないですが・・)

 

もちろん、これを喜んだ海女姿の前シテ(実は幽霊)も現れて、そうとは知らずに幻の母子再会・・となるわけであります。房前役の悠太朗くんは黄緑の狩衣(だったっけ?)を着ていて、前シテは深緑の水衣姿で、早くも二人の縁の深さを感じさせる。

 

貴信キュンは、お得意の若く可憐なヒロイン役・・でなく、「曲見」か何か中年女性の面を着けた母親役ということで、『海よりも深く大きな、母の愛を表現したいッ!』と、ちょっと肩に力が入っていた模様(たぶん)。

 

ワキが海辺でシテに、海の中の海藻を刈り取ってくれと話すと、こんな田舎でお坊ちゃまがおなかを空かせて可哀想に・・・と、手にしていたワカメと差し出すのだけど、このあたりも動きの全てを重くして、表現がちょっと大袈裟になってしまっていたカモ。貴信キュン、おおいに奮闘。の様相です。

 

もちろん、海藻を刈り取れと頼んだのは、風流にも海面に映る月をよく見るためだったのでした。貴族と海女の世界との格差を感じさせます。

 

しかしそれをきっかけに、そのむかし淡海公の求めで、一人の海女が海中の龍宮へと赴き・・とシテが話し始めるのだけど、仕方話に再現する玉之段も、あえて身体のキレを抑制させていたような。

 

そこは海中の浮遊感の表現なのだろうけど、覚悟を決めてエイッと飛び込む場面以外は、いつものキレキレでなく、ちょっと物足りない(笑)。

 

むしろ海上へと引き上げられた海女が既に虫の息で、宝珠も女も、両方失ってしまったことよ・・・と嘆く、淡海公としての謡いぶりがしんみりとして、ここが非常によかったです。
(←オマエが龍宮城まで行って明珠を取ってこいって言ったんじゃん、というツッコミもあるケド・・・。)

 

自らの正体を明かしたシテは、自分を弔ってほしいとの手紙を残し、海の中へと消えていきます。自分を跡取りにするために母親が命を落としていたと知り、さらに衝撃を受ける房前の大臣です。
(アイ語りは寝ちゃってました。。ごめんなさい。。)

 

後場、息子の供養のおかげで龍女となって現れた後シテは、龍載にオレンジの地色の舞衣、藤色の大口。こちらは、華美に偏らず、優美さを感じさせる姿でヨイ感じでした。

 

成仏した母親は息子に経巻を手渡し、前場と同じことをするようでいて、実は全く対照的な反転した、「海士」の世界観。

 

後シテの舞も非常に美しかったですが、ただちょっと、貴信キュンが自分自身の理想に縛られている・・というか、もっと平たく言うと、自分自身の表現したいコンセプト(←海よりも深く大きなハハの愛と、龍女の品格を表現したいッ!←たぶん)にこだわり過ぎていたような印象もあり、それが若いということなのかもしれないな〜と思った。といっても、貴信キュンももう中年だけど。。能って難しいんだなぁ〜と、改めて思った(笑)。

 

それに悠太朗くんには、房前大臣の役は、ちょっと荷が重かったかもしれない。。もちろん、終始キチンと、葛桶にしっかり腰かけていたのは偉かったですが、みんながみんな、謡が得意というわけじゃ〜ないですからね・・。特に子方に求められる極端な高音は。。。

 

いやいや、こんなもんでショ。てな感じで、ひたすらガンガン?謡っている(笑)てっつんの地謡がよかったです。

 

 

posted by kuriko | 10:58 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
観世会定期能六月

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※毒キノコではありません。

 

熊野 読次之伝 村雨留 墨次之伝 膝行留
シテ  観世清和
ワキ  福王和幸
ツレ  角幸二郎

 

大鼓  國川純
小鼓  飯田清一
笛    杉市和

 

地頭  藤井完治

 

狂言
樋の酒
シテ  野村万作
アド  深田博治
    岡聡史


舞囃子
藤戸  観世喜之
大鼓  國川純
小鼓  観世新九郎
笛    杉市和


仕舞
芦刈   角寛次朗
自然居士 山階彌右衛門
芭蕉   野村四郎
猩々   坂井音重


白頭
シテ  岡久広
ワキ  高井松男
アイ  内藤連

大鼓  安福光雄
小鼓  観世新九郎
笛    杉信太朗
太鼓  小寺真佐人

 

地頭  武田志房

 

※2017年6月4日(日) 観世能楽堂にて。
※「熊野」と「樋の酒」しか拝見しておりません。すみません。。

 

 

というわけで、行ってきましたよ〜!
新・観世能楽堂に!

 

で、これが舞台を除いて全て新しくて(当り前か)、綺麗なホールでよかったのですが、虚心に言って広めなセルリアンタワー能楽堂といった雰囲気だったしょうか。能楽堂へと至るエスカレーターやロビーなどは、むしろセルリアンよりも手狭な印象で、動線がシビアになりそうです。(ていうかシビアだった。)

 

舞台そのものは松濤から移設するという話だったので安心(?)していたのですが、予想以上だったのが橋掛かりの短さ。控えめに言って千駄ヶ谷の半分ぐらいでしょうか。

 

当然、ハコビの寸法や演出上の力点の置き方も変わってくるだろうし、室町の頃から、橋掛かりの位置や角度も徐々に変わってきているのは有名な話ですが、少なくともこれから先、数十年(十数年?)は、この能楽堂が観世流の本拠地となるわけで、こうした現実的な理由で能楽の演出も変遷していくのだな・・と思ったことでした。「昔は橋掛かりっていうのは、もっと長かったんだよ」なんて話が出たりしてね。

 

で、肝心の舞台のほうなのですが、これはこれで(?)なかなかよかった。

 

観ているこちらがまだ慣れない、銀座のデパ地下(?)の能楽堂で、キヨの良い意味での形式主義というか虚無主義と(←良い意味なのか?)、イケメンだけど武張った教条主義を感じさせる和幸の行き方が、不思議と合っていたように思う。

 

何気なく下居しているように観えても、そこは気合いでシャープなプロポーションを作り、油断なく怠りなく、女らしく座っているキヨ。

 

舞台が変わっても勿論、熊野という女性には、なんら変わるところも無い。変わらぬ気品と美貌、そしてなによりいつも一生懸命な熊野っちなのです。

 

熊野は、自分が都を去ってから、平家が滅びる運命にあった・・とは露ほどにも知らなかったと思う。孝女として名高い彼女だけれど、ものすごく強引に現代風に解釈するならば、それなりに想ってくれている恋人のもとで都会で働きつつ暮らすか、田舎に戻って母親と本来の自分らしく(?)生きるかの二者択一のドラマ。

 

今回は小書がいくつもついて、読次之伝では、宗盛も熊野の母親からの手紙と聞いて一緒に読み、二人はそれなりに相思の仲なのだと思わせるし、酒宴の席で甲斐々々しく振る舞う熊野の様子は、遊女というより平家という大企業で働く、気の利くキャリアウーマンかのようです。

 

ひとさし舞え、と言われて舞ってみせた後、熊野はついに別れの歌を短冊にしたためるのだけど、墨次之伝で、熊野は二度も筆に墨をつけ直し、心の乱れを感じさせる・・。

 

それにしても、能の舞はやっぱりいいな〜と思った。熊野にとっても、感情のクライマックスであったと同時に、そこに雨が降りかかってはっと目覚めるものがあったようです。

 

ただちょっと、キヨの足拍子が珍しく乱暴なように聴こえたのが気になった。舞台が乾燥していたのか、みんな起きてヨ!ということなのか。(見所がお昼の直後で寝てたので。。)

 

音響もよくて、囃子の音もよかったのだけど、でもそれほど広いホールでもないので、音の逃げ場がなくて、ちょっと圧迫感があったかな。。


新・観世能楽堂の本当の感想は、おいおい、これから・・。

すみません、久々なので短めに・・。

 

「樋の酒」の安定した舞台ぶりに、ちょっと懐かしささえ感じたような・・。。

 

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比較対象が無いけど、マリアージュ・フレールでむりくりアイスティにしてもらうと、グラスが異常にデカイです・・・。ポット一杯分・・?

 

posted by kuriko | 10:00 | 能・狂言 | comments(2) | trackbacks(0) |
Scrap and...

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今日、人と話していて、***するのを取り止めにした、と言うべきところを、何故か間違えて「取り潰しにした」と言ってしまい、「そうか、東京の街には今頃、浪人どもがあふれているね」と返されて、めっちゃ笑ったことでした。

 

毎日いろんなことがあるけれど、はぁ〜。。毎日が善き哉。。。☆

 

新しい能楽堂のこと、当事者でない人たちはこれから色々言うだろうけど、別にいいと思う。。

 

むしろ、銀座みたいな場所に作れたっていうのが意外だった。
作ったっていうより、テナントとして入ったっていうほうが正確なんだろうけど。。

 

だって、いまの能楽にいったいどれだけの体力が残っているだろうか?って気もするし・・。

 

みんなオリンピック利権になんとか乗っかろうとガンバったり、忙しいアピールだけはしてるけど、近い将来もし興業だけで食べていくことになったら、公演の形態も特殊だし、逆に流儀だのなんだの、人が多すぎる気さえする。少しでも体力が残っているうちに、やれることはやっておいたほうがイイ、と思う。

 

神社(パワースポット)ブームとか、刀剣ブームとか、瞬間風速的なものは今後突然起こるかも、、とは思うけど・・・。

 

 

posted by kuriko | 22:24 | 能・狂言 | comments(2) | trackbacks(0) |
狂言ござる乃座 55th

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附子
シテ 野村裕基
アド 野村遼太
   野村太一郎

 

清水座頭
シテ 野村万作
アド 野村萬斎

 

弓矢太郎
シテ 野村萬斎
アド 石田幸雄
   月崎晴夫
   高野和憲
   竹山悠樹
   深田博治
   内藤連
   中村修一
   飯田豪
   岡聡史


※2017年3月30日(木) 国立能楽堂にて。

 

 

というわけで、萬斎さまの「ござる乃座」に行ってきました〜!
久々の本狂言の公演。とっても面白かったです!


附子。

 

裕基、遼太に比べると、主人役という役柄もあってか、太一郎は断然お兄さんで、完成度が全然違ってました。破られてしまった掛軸や、割られてしまった茶碗に目を遣る場面など非常にウマかったです。(←上から目線。)

 

すっかり狂言方らしくなった遼太(相変わらずおカオが小さい!)に比べると、一番年少の裕基が一番ヘタっぴだったけど(笑)、それでも安心して観ていられたのは、やっぱり厳しいお稽古の賜物でしょうか。

 

遼太、裕基、太一郎と並ぶと背丈のバランスも山型になるところもイイ。泉下の万蔵たち(複数)も、さぞかし・・と、ありがちな感想がつい漏れます(笑)。

 

清水座頭。

 

お能の番組立てが意識されているような今回のプログラムで、この一曲が本当に素晴らしく、ちょっと、かなり、感動してしまいました。。。万作も萬斎さまも、やっぱり特別というか、凄いというか、改めてこの二人の存在の大きさに気づかされるというか・・・。

 

それに、物語もしゃれた外国の(笑)恋愛映画みたいで、伏線張りや、ちょっとしたどんでん返しまであって楽しい。作者の非凡を感じました。この作者が現代アメリカにでも生まれていたら、ハリウッドかブロードウェイあたりでウデを振るっていたのではあるまいか。

 

舞台には、まず女性の美男鬘をつけた、女姿の萬斎さまが登場です。思い詰めたような、きゅっと固くうつむいた顔立ちが綺麗。クリーム色の控えめな文様の入った縫箔も、品があって御洒落です。

 

彼女は杖をついている「瞽女」なのだけど、本人の話すところによれば、最近になって病により失明したいわゆる中途失明者らしい。おかげで結婚も仕事(奉公)もままならない・・と、かなり苦労している様子です。この日は清水の観音様に、祈願したいことがあってやってきたとのこと。
(←この物語では、「瞽女」という名乗りに女性芸能者という意味は、あまり強くなさそうだった。後半で小歌を披露したりしてたけど。)

 

つづいて、同じく「座頭」である万作の登場。

 

そしてこれが何というか、万作の「座頭」としての演技、特に目の不自由な人の運行の再現というか、橋掛かりの出にはとにかく際立ったものがある。本当のことを言って、この登場シーンには観ていて鳥肌が立った。

 

こつこつと静かに杖をつき、片手で周囲を探るようにして橋掛りを進むのだけど、登場のその瞬間から、彼が暗闇の中にある、その運命を文字通り手さぐりで歩んでいるのが伝わってくる。シテ方やワキ方とはまた違う、リアリティとその緊張感。そして根底にある、異形の者としてガラリと辺りの空気を変える存在感。ほんとにすごかった・・・。

 

万作も同じように清水寺に参詣に来て、こちらの願い事はなんと、『申妻』(縁結び)とのこと。結婚して子供も欲しいんです・・みたいな。ところが、先に祈願していた瞽女(萬斎さま)とぶつかってしまい、萬斎さまが俄然、ブチギレと言っていいくらい非常に怒る。


「あなたも私をからかおうと言うのね!」みたいな台詞の彼女の怒り方、だけどどことなく気弱な、相手に対して強く主張しきることもできないその様子。萬斎さまもパンフレットの御挨拶に書いているのだけど、狂言らしい「わわしい女」とは全く違っていて、光を失ってからの様々な事に彼女が深く傷つき、自分のことを弱者と思っている、そんな気配が伝わってきて、こちらも素晴らしい。

 

やがて二人のやり取りから、お互いが盲目であることを知る・・・という、繊細な機微のある物語。

 

しかし万作のほうは、台詞から察するに生来の盲目であるらしく、萬斎さまに比べると大らかで余裕がある。お酒を持ってきてるので、一杯やりませんか?と、にこやかに話しかける。

 

この時、萬斎さまのほうは『ああ、また失敗してしまった・・・』と落ち込みながら、ぎゅっと全身を固くするように座っていて、女心の伝わってくる萬斎さまの女優ぶり。そして、万作から一杯だけお酒をもらうと、ちょっとほっとしたようなリラックスした雰囲気に変わります。

 

一曲謡いましょうと、万作は「平家」を披露し(ちょっと息が苦しそうでしたが)、萬斎さまは小歌「地主の桜」でのいいお声は変わらず。場面が急に華やいで、二人で楽しそうです。お互いに盲目の二人にとって、心と声の美しさは超大切、な筈。

 

二人とも観音様のお告げを授かろうと、やがて眠ってしまうのですが、萬斎さまのほうが先に目覚めて、観音様のお告げがあった!と、喜んで先に出て行ってしまいます。

 

続けて万作も目覚め、観音様のお告げで、妻となる人と出会おうと西門のほうへと向かう・・・。

 

二人は目が見えないので、見所のほうが二人はちゃんと再会できるのだろうか・・と、ドキドキしながら見守る。万作が橋掛かりに佇んでいる萬斎さまを、そうと知らずに探し当て、お互いの杖が当たって、カチリ、と音がする瞬間がなんともロマンチック・・・。

 

そう、瞽女の願いもまた、生涯の伴侶を得ることだったわけです。「もしかして、君も独身・・・?」みたいな台詞に続けて、一緒に謡いながら心を開き合っている様子も、微笑ましく、美しく、まさしく「室町のミュージカル」でした・・!

 

やがて万作が萬斎さまの手を引いて、二人で一本の杖で歩むのですが、このときすっかり小さくなった万作に寄り添うようにして、萬斎さまが背中を曲げて小さくなっていたところが可愛かった・・。本当に素晴らしかった一番でした。

 

弓矢太郎。

 

こちらはもう、萬斎さまのカワイイ節が炸裂した鉄板の舞台。本当は臆病なのに、雄々しい扮装で強がってみせる、なんとも狂言らしい人間の世界です。面白かった。

 

途中、萬斎さまが、ずらりと居並んだ万作家の若手(?)たちの名前を挙げて行くシーンがあったのですが、万作家の弟子たちも増えて、ここで萬斎さまが「えっと、おまえ誰だっけ・・」とか言ったら面白いな、とか思ってたのですが、そんなこともなかったです(笑)。

 

壮大な(?)仕掛けで始まるのだけど、エンディングが案外あっさりしているのも狂言らしいような。

 

非常に楽しく、行ってよかったと思える公演でした。

 

 

posted by kuriko | 11:57 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
国立能楽堂三月企画公演 復興と文化后 (その2)

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(承前。。時間が空いてすみません。。)

 

 

揚幕が上がり、シテの登場です。茶系統の色合いでまとめた木樵の出で立ち、柴を背負い、しかし杖を突き、面は「小尉」とかいう名の老人・・・という姿。ワキたちの視野に遠く入ってきた、名もなき山賤の姿です。

 

ここは、パンフレットに掲載されていたシンペー(松岡心平)の解説によると、喜阿弥の「炭焼の能」から世阿弥が転用した、山水画の如き、いきなりの名場面となる・・はずだったのですが・・。

 

元々、特に最近はハコビに奇妙なクセを感じさせるGSなのですが、一歩々々の進み具合に、ヘンな硬さを感じる・・。手にした杖が飾りでなく、本当に杖として機能しているようで、コツコツという音がちょっと大きいような。

 

そしてシテは、一ノ松あたりに立った一声で、「あれなる山人は荷が軽きか家路に急ぐか・・・」と能らしく、自らの立つ情景を、第三者の視野の広大さで語る・・・のですが、ここの謡が音も息も軽く、GSとはちょっと思えないぐらいで、世界の広がりを感じさせない。

 

ちょっとびっくりしているところに、シテは舞台へと進む。もしかしてこれはリアリズム的な表現で、老いた山人が、重荷に耐え忍びつつ歩んでるところなんですよッ!ということかと思ったけど、まぁ絶対にそんなこともなさそう。

 

ツネ2がシテに声をかけるのですが、タカビーな実方の、上から目線な雰囲気がよく出ていて良いカンジ(?)でした(笑)。名高い阿古屋の松はどこかと尋ねられ、「知らない・・・」と答えた老人に、昔のことを知っているかと思って、わざわざ年寄りに訊いたのに・・と言う、感じの悪いワキ(笑)。

 

さらに、阿古屋松は昔はこの国にあったけど、今は出羽の国にある・・と答えたシテに、ワキはお得意のナビかせ笑いです。あざ笑う都人に、ここでシテは、笑うんじゃない、と意外な滑らかさで詰め寄るのですが、どうも今回のGSは『ふぬっ!ここだけは!』という気合いの入っている場面と、そうでなかった場面の起伏が激しかった印象。

 

ただ、木樵の老人の役柄としては、実方の非礼にかなりカッチ〜ン!ときていた・・・という雰囲気でもない。神の化身にふさわしく?静かに高慢なワキを教え諭すような雰囲気です。

 

ここはやはり(GSらしく)葛桶に腰かけて、同じく腰かけていたワキと同じ目線の高さで、静かに向き合います。かつて日本は三十三箇国だったけれど、今は六十六箇国に分かれている。陸奥の国も出羽の国と分かれたから、阿古屋の松は、今は出羽の国にあるんだよ・・・とのこと。
(←六十六という数字に、なにかお目出度い意味でもあるのだろうか?)

 

下々の者だからって、腐すものではない・・と、たしなめられ、さすがに感じ入る実方。樵の老人に案内してもらって、阿古屋の松を見に行くのですが、ワキのほうだけワキ座から大小前へとくるくる歩いて、道行を表現?していたようなのだけど、二人の間に実はそんなに距離があったのかしら・・。。

 

舞台にシテとワキ二人並び、さらに道は遠く、阿古屋の松を尋ねて行きます。これが詞章にも「野くれ山くれ里過ぎて・・・」と、結構な距離感の表現で、往時の東北のイメージというと、そんな感じであろうか。新幹線も無いしね・・。

 

そして念願の立派な松の木を見つけ、ワキたちが喜んでいると、シテは急に塩竈に返ると言いだし、自らの正体も明かして消え失せます。

 

この時シテは、杖をカラン・・と捨てて、急に走り去るようにするのですが、急にすごいペースになって、ここであそこまで走る必用もなかった気も・・。海に出て、波の上に乗って移動していった・・・というカンジなのかな??

 

里人の東次郎が通りかかって、ワキたちに阿古屋松の謂れを教えてくれるのですが、この時、実方も少しは反省していたと見えて、アイへのものの尋ね方が丁寧でした。そしてお互いに下居して、同じ目線で語り合います。

 

アイの語るところによると、阿古屋の松は、老松の精と人間の女との悲しい異種婚姻譚によって生まれた名木らしい。美しい阿古屋姫と、人間に化けた老松の精は夫婦となるのだけど、洪水で流された橋をかけ直すため、老松は伐り倒される。阿古屋姫がその場に呼ばれるまで、老松は伐られることを拒んだそうな・・。阿古屋姫がその跡に、新たな松の木を植え、それが阿古屋松と呼ばれるようになったとか・・・。

 

東次郎、お風邪なのか、お声がちょっと枯れた感じでしたが、端正な聴き取りやすい語り口。理路整然とした(?)展開が、なんだか東次郎らしいな、と思っていたのですが、もとからこうした伝説があったというのにも、ちょっと驚いた。

 

最終的には、自分が伐られる運命にあることを受け入れるというのが、なんとも草木らしいと感じるし、結婚した相手が、実は蛇でした。とか、鰐でした。とか言うより、松の木でした、というほうが、まだ気持ち的には楽かもしれない。(なんとなく。。)
(←橋として再生したと考える人はまさかいないだろうけど、どちらにしても、人間側からみた理屈でしかないのは、言うまでもない。)

 

そして東次郎の、きびきびとした元気のよい仕草が、日頃の鍛錬も感じさせたのでした。

 

さて、いよいよ、出端の囃子で後シテの登場です。

 

初冠を着けた真っ白な髪に、紫がかった色合いの、透けるような白い狩衣、一見、大口かと思うような、裾を拡げて着つけた白地の指貫。面は「腰巻尉」の、上品な美しい出で立ちだったのですが、装束が夏物みたいに薄くて軽く観える。。。まさか化繊ということもないだろうけど、ちょっと変わった質感だったようにも観えました。

 

シテは縷々松の功徳を語り、さらには実方が賀茂の臨時の祭で舞った様子も真似て舞う。・・・のだけれど、後シテの舞は、率直なところカタカタと硬く、実方としての優美な舞なのか、塩釜明神としての舞なのか、ちょっとブレていたように思う。一体どうしたのだろう・・・という感じでした。。

 

しかし「実方の盛りの 花やかに 妙なりし舞姿」のあたりで、シテは実方のナルシストぶりさえも真似て、水鏡に映った自分の姿をうっとりと見つめるのですが、ここは立ったまま、軽く覗き込む。自分に陶酔しているナルシストを、さらに第三者(?)が客観的に真似ている光景かと思うと、ちょっと面白い。

 

そういえば、「西行、阿古屋松、おほかた似たる能なり」と、ゼアミンが書き残している「西行」は、やっぱり「西行桜」のことなんじゃ〜ないのかな?という気がした。「西行桜」のほうは、西行が桜の木に文句を言ったら、桜の木のほうが、それは無いぜと夢の中に出て来る。「阿古屋松」のシテは塩竈明神だけど、結局、松の木と同体と雰囲気もあるし、非情と言われる植物のほうから訴えかけがあるところが似ているような。

 

シテは立ち去る前に、いつものGS節で、じぃっと熱くワキを見つめていく。しかし高慢な都人の実方が、東北の自然に触れた、その交感・・・というには、後シテの舞の様子からは、結局何が言いたいのか、ちょっと分からないカンジもあり。

 

なんとなくクリコの中で、消化不良な舞台となったのでした。。。

 

(おわり。)

 

 

posted by kuriko | 22:27 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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