能楽鑑賞などなどの記録。  
銕仙会定期公演1月

DSCN4520.JPG

 


     柴田稔
三番叟  野村万之丞
千歳   青木健一
面箱   河野佑紀

 

玉井
前シテ(後ツレ) 谷本健吾
ツレ        安藤貴康
後シテ      観世銕之丞
ワキ        宝生欣哉
ワキツレ     則久英志
          御厨誠吾
アイ        山下浩一郎

 

大鼓       大倉慶乃助
小鼓       曾和正博
           森貴史
           曾和伊喜夫
笛           藤田次郎
太鼓       小寺眞佐人

 

地頭       清水寛二

 

狂言
佐渡狐
シテ   野村万蔵
アド   能村晶人
     野村萬

 


シテ    浅井文義
ツレ    浅見真州
ワキ      森常好
ワキツレ  舘田善博
              森常太郎
              梅村昌功
              野口能弘
              野口琢弘
              高井松男
              吉田祐一
アイ     能村晶人

 

大鼓   亀井忠雄
小鼓   大倉源次郎
笛     松田弘之
太鼓   小寺佐七

 

地頭   野村四郎
 

※2018年1月13日(土) 宝生能楽堂にて。

 

 

というわけで、銕仙会の初会に行ってきました〜!

 

しかし都合により遅れて行き、「翁」は拝見しませんでした。

「玉井」からhaiken.

 

翁つきということで、音取置鼓もついて、おお、やっぱりお能はいいな・・、という感じです。
じゃあ遅れんなよって話ですが。。。

(そして正博が、なんだか時々「あ〜しんど。。。」というお顔をしてましたが・・(笑)。ずっと打ちっぱなしだもんね。)

 

ワキの欣哉が登場。彦火火出見尊、すなわち海幸山幸の山幸彦なのですが、キンキラの装束に透冠と、非常に立派な出で立ちで、正中で雄々しく名乗ります。

 

とはいえ、お兄さんから借りた釣り針を無くして、実は困っているのですよね。謝っても許してくれない・・と、ちょっと悲しげです。そこで釣り針を探して海の底にあるという、海神の都へと赴くことに。

 

ワキたちが舞台の後方へと退くと、後見たちが井戸の作り物と、桂の立木の作り物を運んできます。今回、前シテと後シテを別の役者が演じる、整理された新演出版なのですが、物語の進行に合わせて作り物も登場。舞台は海底の都です。
(通常版を観たのはもう何年も前で、あまり覚えてないのですが・・。)

 

欣哉は、「なんだかスゴイところに来ちゃった・・。とりあえず、この桂の木に隠れていよう!」と、地謡寄りの位置に佇みます。

 

前シテとツレも登場です。脱ぎ下げにして、水桶を手にした二人の美しい女性がやってくる。いわば作業着の姿なのですが、彼女たちは豊玉姫(前シテ)と玉依姫(ツレ)という海神の娘たちなので、「松風」のような嘆きの言葉ありません。つらい労働ではなく、神聖な御勤めのようです。ちなみに海底の都では、海水もなく、山幸彦も普通に呼吸できたらしい。

 

前シテ(健吾)とツレ(貴康)は背格好は似ているものの、ここはシテの健吾のほうが立ち姿も遥かに立派で、なかなかに根性を観せていました(←余計なお世話)。幕離れでも、畏れつつも進む能役者らしい風姿を感じさせて、性根が据わった、という印象です。

 

その豊玉姫が井戸の水を汲もうとすると、桂の木の陰に潜んだ、美丈夫(←欣哉)の姿が映る・・。

 

お互いに「なんて美しい方だ・・」「なんて素敵な殿方・・」みたいなことを言い合い、たちまち打ち解けあった二人は・・・!みたいなお能にはちょっと珍しい、メロドラマが展開されます。もちろん、そこはお能なので、極めてマジメに、概要の説明みたいな感じで、お上品に簡潔に演じられ、シテがワキに向かって、わずかに手を伸べる型が二人のラブシーンなのでした・・・(たぶん)。

 

豊玉姫が早速に、両親に紹介したいと山幸彦を海神の宮殿に招き、場面はさらに変わって、井戸も桂の木も片付けられて一畳台が出て・・と、現在進行形なところが、いささか冗漫ではあるものの面白い。二人のお姫様が山幸彦の話を聞く場面なのだけど、天神七代・・と名乗っていた山幸彦のほうが上座というか、一畳台の上に座っています。

 

かくして三年の月日が流れ・・と、「うそ」の面でしょうか?面を掛けたアイの万蔵が軽妙に語り、場面はさらに後場へと転換されます。欣哉もキンキラから落ち着いた紺の狩衣に装束を変えていて、あのキンキラはもしかして、「いま、服着てません!」という意味だったのかしら・・・。

 

装束を女神の正装に改めた豊玉姫と玉依姫が再び現れ、潮盈瓊、潮涸瓊の宝珠をワキに差し出して舞う。


ちょっと興味深く感じたのは、色使いは違うものの同装の二人が舞っていたとき、豊玉姫に急に「シテ感」とでもいうのでしょうか(笑)、存在に重量感が無くなって(山幸彦との別れを惜しんでもいい場面だったのですが)、脇能に時々唐突に現れて、あたりを祝福しては去っていく、存在感が透明になっていたこと。相舞に気を取られていただけかもしれませんが・・。それが悪いという意味でなく、なるほどこれが位の使い分けか・・と思ったのでした。

 

代わりに、ずしりずしりと、空気を震わせるようにして現れたてっつんの存在感が素晴らしかった。前場では話に出てくるだけっだったのですが、ついに宮殿の奥から姿を現した・・!という雰囲気。大龍戴に、白頭、面は「要石悪尉」とかいうもので、黒ずんだ魁偉な顔貌に、龍神の不気味さ、重厚さが滲み出て、謡も素晴らしい。まさにラスボス。てっつんが、最後に美味しいところを持って行ったカンジです(笑)。

 

そして龍神が山幸彦に手渡したのは、そう、遠くからでもよく観える、でっかい釣針だったのでした・・!

山幸彦はそうしてめでたく海上へと戻り、このあと宝珠を使ってお兄さんに報復し、服従を誓わせるのですけどね・・・。

めでたしめでたし★だったのでした〜。

 

佐渡狐。

 

萬は別格としても、万蔵も晶人も非常に上手くて面白かった。いわゆる「袖の下」を渡す時の、極めてにこやかに、しかしちょっと卑屈さを秘めた万蔵の演技とか、厳格そうな雰囲気で、ダメだダメだと言いながら思わずそれを受け取ってしまう萬の表情とか。

佐渡に狐はいるかどうか・・・の萬の裁定を聞く、二人のお百姓が息を呑んで待つところとか。

 

しかし萬も、お元気だな〜というか、佐渡のお百姓(万蔵)が、とんちんかんなキツネの説明(←狐を見たことがない)をするくだりで、コミカルにズッコケるところとか、素晴らしい機敏さ。とにかくタフというか・・。

 

鷺。

 

この曲は、少年か老年か、とにかく心身が清浄でないとシテを勤めることができない・・とされていて、そのルールのほうが有名。というのが、良くも悪くもお能っぽいな〜と、思う。

 

でもこの日のシテは、橋掛かりに現れて、何を考えているのか分からず、ただぼうっと(?)佇む様子がとてもよかった。「鷺の精」ではなくて、鷺そのものというのがお能には珍しいのカモ?頭にサギを載せて、直面に白一色の装束。立ち姿もすっきりと美しい姿です。

 

そこに、そんなの無理ですと言っているのに、とにかく捕まえてこいやと、お上の無理難題を押し付けられて、そろ〜り、、、と近づくツネ2蔵人。

 

手を伸ばすとぱっと野鳥は逃げるのだけど、「勅諚ぞや」と人間の理屈を理解して戻ってきてくれる。喜んだ帝は、野生の鷺に位階を授け、鷺もまたこれを喜んで、舞を舞う・・・。今は昔の理想郷のお話・・。

 

 

 

 

 

posted by kuriko | 01:21 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
第81回 野村狂言座

nomura.jpg

 

解説 野村萬斎

 

犬山伏
シテ 深田博治
アド 竹山悠樹
   岡聡史
   月崎晴夫

 

文蔵
シテ 石田幸雄
アド 高野和憲

 

素囃子
神舞
大鼓 亀井広忠
小鼓 田邊恭資
笛   松田弘之
太鼓 大川典良

 

庵の梅
シテ 野村万作
アド 野村萬斎
   野村太一郎
   内藤連
   中村修一
   飯田豪
   野村裕基

 

大鼓 亀井広忠
小鼓 田邊恭資
笛   松田弘之
太鼓 大川典良


※2018年1月12日(金) 宝生能楽堂にて。

 

 

というわけで、野村狂言座に行ってきました〜!


・・・。


実は別世界でとてもショックなことがあり、行くかどうか迷っていたのですが、でも万作翁ももう今年で87歳だし(以下は自粛)、やっぱり行こうと、都合により「文蔵」から拝見してきました。

 

文蔵。

 

先日の「鮎」を観ていたとき、ゆっきーは本当にもう、万作家の裏看板だなぁ・・・とかなんとか思ってたのですが、万作とも萬斎さまともまた違う位取りの自在さで、怖いカオをしたご主人役で登場です。

 

無断欠勤(?)した太郎冠者を問いただすと、京都見物に行き、伯父様にも御馳走になったというので、それは饂飩か、●●麦か、羹か・・と根掘り葉掘り聞くご主人サマ。実際のヴィジュアルは現在とはかなり違っていただろうけど、意外と豊富な往時の食生活が垣間見られるようで楽しい。

 

自分でも、一度疑問に思うと突きとめずにはいられないのが悪い癖だ・・とか話していて、狂言の人物像はやっぱり面白いですね。

 

「源平盛衰記」に出てきたものですと太郎冠者が言うと、愛読しているから、そらでも言えると、床几にかかって語り出すゆっきー・・。

 

でもきっと、一度は軍記物を語るということをしてみたかったんだな〜と、それ自体がお能のパロディのようで可笑しい。段々と興奮してくるとペースもあがり、声も甲高くなって、カッコよく語りきれなくなるのもポイントです。気魄の語りを聞かせるご主人の側で、え〜っと、なんだったっけ・・というカオで聴いているたかのんの表情も絶妙でした(笑)。

 

そして、答えはお粥(温糟粥=うんぞう≒ぶんぞう)だったのでした〜。朝に頂いたというのがヒントだったのですかね。

 

庵の梅。

 

お能の三老女に対して、「比丘貞」「枕物狂」「庵の梅」は、狂言の世界では「三老曲」と言われているらしい。・・・と、解説に書いてあった。

 

とはいえ、どれだけ年老いても情念だとか執着だとかを捨てきれない(「姥捨」はちょっと違うけど)能の老女と違って、「庵の梅」のシテは可愛らしく、どこかさわやか。幸せな老後、といった感じです(笑)。

 

紅白の、梅の立木の作り物が舞台の目付のあたりに出され、、シテは黄緑の引き回しを着けた、藁屋の中に入ったまま舞台に出る。能がかりだけど、穏やかな色合いで、舞台の眺めものどかです。

 

この梅の花見に「住吉の里の女たち」がやってくるのですが、萬斎さまの装束が大胆で、すごくおしゃれ。黒地に白の立涌文様に、丸紋ふうのお花の意匠が散らされていて、都会的な洗練を感じさせました。

 

引き回しが降りて、花帽子に縫箔?の万作の装束も、古木の表皮を思わせるような複雑なマーブル模様が印象的で、さすが、お金かけてるな・・という印象(笑)。面は古い「乙」でしょうか、しもぶくれでカワイイのですが、黒ずんだ顔色に年輪を感じさせます。

 

さて、女性ばかりが登場する曲というのも狂言では珍しいようですが、そのためか、女たちで酒宴になり、舞ったり、謡ったりとリラックスして実に楽しそうです。

 

万作演じる老尼の「お寮さま」も、実に優しい。萬斎さまや他の皆にも詠んだ歌を見てくれと言われたり、太一郎が舞って見せたりすると、みんなお上手お上手、と喜ぶばかりの様子が可愛らしい。

 

ただ、今年で87歳のリアル老女なので、起居はしっかり、でも息遣いはちょっとシンドそう。しかも狂言のリアリズムは、ずっと腰を曲げだまま演じるのです。花帽子を着け、面をかけて、あれだけ声も通り、自由に動けるというのも凄いのですが・・。

 

そして皆からリクエストされて、披露した舞でふと観せた構えの、曲線の鋭さ。(矛盾ですが・・。)曲がりくねった梅の古木のようで、彼女はひょっとして羅浮仙だったのか、あるいは昔は遊女だったのかもしれない、と思うのは、お能の観すぎでしょうか。

今回、太一郎も小舞を披露していたのですが、おそらくはあえて直線的に、ちょっとカタめに舞っていたのと対照的でした。

 

しかし「庵の梅」は意外にも短い曲で、老尼の舞も短く、日が暮れるからと帰る女たちに、自ら梅の枝を折り取って与える。(梅の咲いている時期だから、日も短いのか・・。)

 

賑やかだった場所が一転して静まり、賑やかだったために、シテの居る庵は余計にしんとしています。老尼もまた橋掛りを戻っていくのですが、この途中、万作は一瞬立ちどまり、休息を取っていたように観えた。本当に休息していたのかもしれないし、梅の香が引き留めたのかもしれない。旅の途中にふと佇む、それが万作の考える老女だったのか・・。

 

 

 

posted by kuriko | 01:28 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
国立能楽堂特別企画公演 鮎

 

小舞
鵜飼  野村萬斎

 

狂言
宗八
シテ  野村万作
アド  竹山悠樹
    岡聡史

 

一調一管
瀧流延年之舞
小鼓  大倉源次郎
笛    藤田六郎兵衛

 

新作狂言

小吉  野村萬斎
才助  石田幸雄
鮎    深田博治
     月崎晴夫
          高野和憲
          内藤連
          中村修一
          飯田豪


小鼓  大倉源次郎
笛    藤田六郎兵衛

 

作   池澤夏樹
演出・補綴  野村萬斎


※2017年12月22日(金) 国立能楽堂にて。夜の部。

 

 

というわけで、萬斎さまの新作狂言「鮎」を観てきました〜!
これがなかなか、面白くて素晴らしい舞台だったのでした!

 

池澤夏樹というと、彼の作家活動の初期・・、というか人気作家としてバリバリ書いてらした時期のものを、何冊か好んで読んだ記憶がある。「マシアス・ギリの失脚」ぐらいまでだったかな。

 

その後、ちょっと頭でっかちというか(笑)、物語よりも評論優先かのような作風になんとなく興味を失ってしまった・・のかもしれない(以前は小説のほうが好きで、いまでは評論系のほうがどちらかと言うと好みなので、趣味って変わるものである)。

この「鮎」の原作も、読んでいたはず・・・?なのだけど、忘れてしまっていたのかも。それに池澤夏樹が、六世野村万蔵のファンだったことも知らなかった。この日も関係者席に観にいらしていたが、あまりにイメージ通りに年を取っておられて、なんだか感心してしまった。

 

が、しかし。狂言化された「鮎」は大変に面白かった。パンフレットの解説にもあったように、能「邯鄲」と、芥川龍之介の「杜子春」を足して2で割ったような短い物語だったのだけど、狂言らしい軽みとユーモアが、池澤の作風の硬さと批評性を心地よいスパイスとして、あるいは核として程よく料理されていた・・・なんて書くと、言葉がチャラすぎますわね。、

 

「邯鄲」は粟のご飯が炊けるまでの一炊の夢だけど、こちらは串焼きの鮎が焼けるまでの一鮎の夢?といったところ。萬斎さまの演出家としての腕が冴えに冴え渡って、初演とは思えない完成度の高さで、ここは展開がモタついてるな・・というところが、全く無い。

 

それぞれが一尾何役もこなす「鮎たち」と、語り部、シンプルな舞台でのミニマムな仕掛けと、もうbefore breakfastという感じで(←そんな英語はありません)、アピースオブケークでしょうか、国立能楽堂なのに「忖度」だとか、反戦?だとかを匂わせる心意気(笑)。というか、このタイミングでこうした作品を出してくる、萬斎さまの時代を視るバランス感覚なのでしょうね(笑)。もちろん、そうした風刺の精神は、狂言のDNAの1つでもあるわけですが。

 

舞台作りは狂言というより、演劇に狂言的な要素を数多く取り入れた「敦」的な展開。片方の主役・才助は、登場の際に、名前と在所をきちんと名乗り、舞台が清流の傍らであることを告げる。そこに、釣られる側の鮎たちも登場するのだけど、串刺しにされて塩焼きにされることを、むしろ喜んでいるところが可笑しい。

 

そして村長の息子とケンカをした・・・という小吉(萬斎さま)が突然現れ、才助に助けられて、やがて都会に出て出世していったはずが・・という物語。

 

小吉にとって恩義があるはずの才助とその甥が、小吉のもとへとやってきて、この甥が徴兵されることになったが殺生ができない性質なので、後方へと配置されるようにしてくれないか・・と、いわば便宜を図ってほしいと才助が頼んでくる。それを小吉が断ると、今度は質素でよいので、なにか食べさせてくれないか・・と才助がさらに頼み、小吉は俄然ブチ切れ、すると・・・という内容。

 

栄耀栄華(と言っても大きな宿屋の主人になる程度なのだけど)の夢が破れたあとも、主人公の小吉は、「邯鄲」のシテのように世の無常を悟るでもなく、狂言のよくあるトメのように「くっさめ!」とくっさめ留で、ぱっと日常に戻るでもなく、「夢をみたい!」と叫んで終わる。

 

ここはちょっと、能的でも狂言的でもない驚きのエンディングで、「邯鄲」では、宿屋の女主人が扇で叩く音で終わるけど、小吉は、自ら夢を破ったのかもしれない。それでも結局、悟らぬところがいいのだけれど。

 

池澤夏樹はこの物語の構想を南米のとある民話から得た、としているけれど、こうした物語の類型は、人類共通ということなのかしら・・。小吉が夢見ている間も、橋掛かりで、ただ釣り糸を垂らしている才助・・・。

 

以下、蛇足です。

 

今回の公演は、なかなかに現代的な要素が数多くあり、そこも非常に興味深く思ったことでした。

 

萬斎さまはこの作品を問題提起の1つとすることも意図していたらしい(と、パンフレットに書いてあった)。そして作者には「余白を多く」とリクエストしていたとのこと。それはもちろん、狂言として舞台化するにあたっての自由さのことなのだけど、さらに、この曲のエンディングについては、いま現在の日本を思うに、「小吉のどこが悪いのか分からない」「小吉の言ったことも正論」とか言う人も、少なからずいそうだな・・、という意味でも余白があった、と思う。

 

おそらくは、この原作が最初に書かれた20年ほど前であれば、ほとんどの人が、その終末に納得して、そうだそうだ、すっかり心が醜くなった小吉が悪いとなっていたと思うのだけど(たぶん)、その状況はあまりにも変わってしまった。

(←舞台上でも小吉は夢から醒めただけで、別に訓話的に懲らしめられたわけはない。)

 

観る人の感性よりも、品性や価値観を、笑いながらも「あなたはどう思いますか?」「あなたはどれくらい『小吉的』になっていますか?」と問いかける・・ことに、私は成功していたと思うけど、少し笑いへの比重が強すぎたかもしれない。

 

それにあえて言うなら、鮎たちを人間界との対比(?)として登場させるなら、彼らは無私であり無欲であるという表現も多少あったけれど、語り部的な役割の印象が強くて、かなり人間寄りになっていたので、舞台上でももう少し人間に対して対照的に、存在に深みを持たせてもよかったかなぁ、と思う。でもそうすると、お話の趣旨がちょっと変わっちゃうかな?

 

能・狂言は興業の期間も短いのが普通だし、特に能は作劇も特殊なので、なかなか今をときめく人気劇作家に書いてもらった・・というわけにはいかないのだけど、こういう観る人の間口を広げるスペシャル企画もいいよね、と思わせた公演だったのでした。(←と、忖度してみるw。)

 

それにしても、最後に萬斎さまの舞台挨拶がわざわざあったのには驚いた。お話が聴けたのは嬉しかったけれど、これといった話でもなく(笑)、な〜んでだろう・・という気もしたケド・・(笑)。

 

というわけで、まだちょっと、萬斎さまに冷たい私なのでした(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

posted by kuriko | 22:54 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |



観世元伯さんのご冥福をお祈り申し上げます。

posted by kuriko | 00:29 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
片山幽雪三回忌追善能 東京公演 

 

連吟 賀茂

 

仕舞
通盛   観世芳伸
松虫   片山伸吾
野宮   武田志房
蝉丸   山階彌右衛門
天鼓   観世喜正
船辨慶  観世淳夫


海士 二段返 解脱之伝
シテ   観世清和
子方   谷本悠太朗
ワキ   殿田謙吉
ワキツレ大日方寛
      御厨誠吾
アイ    野村万之丞

 

大鼓   亀井広忠
小鼓   大倉源次郎
笛     藤田六郎兵衛
太鼓   小寺佐七 (代演)

 

地頭   観世銕之丞


舞囃子
頼政

     友枝昭世

大鼓   柿原崇志
小鼓   成田達志
笛      藤田六郎兵衛


三輪 白式神神楽
シテ   片山九郎右衛門
ワキ   宝生欣哉
アイ   野村万蔵

 

大鼓   亀井広忠
小鼓   吉阪一郎
笛     杉市和
太鼓   前川光長

 

地頭   梅若玄祥


狂言
隠狸
シテ   野村萬
アド   野村万作

 

仕舞
班女    山本順之
江口     観世銕之丞
融     梅若玄祥
 
舞囃子

三笑

      大槻文藏
            観世喜之
            浅見真州

大鼓   柿原崇志
小鼓   曽和正博
笛     一噌幸弘
太鼓   小寺佐七

 

半能 石橋
シテ   片山清愛
ワキ   宝生欣哉
アイ   野村萬斎

 

大鼓   亀井忠雄
小鼓   大倉源次郎
笛     杉市和
太鼓   前川光長

 

地頭   大槻文藏


※2017年11月19日(日) 国立能楽堂にて

 

 

というわけで、「片山幽雪三回忌追善能」に行ってきました〜!

 

いや〜これが、さすが幽雪、さすが九郎右衛門家というわけで、非常に盛大な催しとなっておりました。

 

・・・・が、もう、先に謝っておきます・・・。

ごめんなさい・・・。

 

実はわたくし今回、遅れていくわ、寝てるわ、途中で帰るわの「ていたらく」で、ございましたの。
ヲ、ヲホホホ。

 

なので途中までチマチマと書いてはいたのですが、自分でもなんだかな・・・と思い、やっぱりアップしないことにしました。

 

まことに申し訳ない!!

 

また何か言いたくなったら(笑)、ちょこちょこ言及する鴨です。


(「夢の無い読書シリーズ」も当分の間、延期します・・。)

 

 

 

 

posted by kuriko | 01:19 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
Search this site