能楽鑑賞などなどの記録。  
銕仙会定期公演7月 (その1)

高野物狂
シテ 観世銕之丞
子方 馬野訓聡
ワキ 森常好
アイ 山本則重

 

小鼓 幸清次郎
大鼓 國川純
笛   一噌庸二
 
地頭 清水寛二


狂言
鶏聟
シテ 山本則孝
アド 山本東次郎
   山本凜太郎
   山本泰太郎


殺生石
シテ 長山桂三
ワキ 野口能弘
アイ 山本則秀

 

小鼓 森澤勇司
大鼓 安福光雄   
笛   槻宅聡
太鼓 桜井均
     
地頭 柴田稔

 

※2017年7月14日(金) 宝生能楽堂にて。

 

 

というわけで、銕仙会に行ってきました〜!

 

この日のお能は、「高野物狂」と「殺生石」。「殺生石」は視覚的にも楽しめる曲で、かなりメジャーな印象ですが、「高野物狂」は稀曲というほどではないけれど、ちょっと遠い曲というイメージがある。実は私も「高野物狂」を観るのは、これで二度目、観世流ではなんと初めてなのです・・。

 

この曲は本来は出家を決意して高野山に行ってしまった若君を、守り役が追いかけて行って、最終的には一緒に出家するという筋立てで、他流ではそうなっているらしい。観世流でのみ一緒に故郷に帰る、というふうにエンディングを改変されているとのこと。改変したのは、そう、もちろん観世元章で、その後は廃曲とされていたのを明治頃に復曲したのだとか。遠い曲となっているのもその辺りが要因でしょうか。

 

一緒に仏門に入るのと、故郷でお家を守りましょうとなるのでは、曲の意味が全く違ってくるし、作者(世阿弥ということになっている)も心外なのではあるまいか・・・と思っていたら、なんと、てっつん、ちょっぴりトホホ?!なエンディングになってしまった今回だったのでした。

 

さて、この曲は、(観世流では)いきなりシテの名乗りで始まるようです。

 

地謡、囃子方が座着き、シテ・高師四郎が静かに登場です。亡くなった主の墓参とのことで、掛絡に裳着胴、長袴の出で立ち。囃子事もなく、ただ静かに橋掛りを進む眺めがいい。てっつんの直面がキリリ・・と引き締まっていて、さらにいいカンジです。

 

主の墓に向かって合掌する様子も、左手の掌は伸ばしたまま、右手は数珠を持って丸めたまましていて、ちょっと抱拳礼みたいになっていて、面白い。

 

そしてそこにアイが、主の子、春満さまが行方知れずになったと知らせにやってくる。大切に守ってきた若君の失踪に、その衝撃を、下居のまま、すざっと微かにアイにいざり寄って表現するてっつん。

 

とにかく残されていた御文を読もうと、春満の健気な決意を読み上げるのですが、これも大変素晴らしかった。春満の置手紙に曰く、一人が出家すれば七世の父母が成仏するというので、自分も仏門に入って孝行しよう思う、とのこと。

あなたとお別れするのは名残惜しいが・・・と、てっつんが情感を込めて、実際には白紙の紙を手に読むのですが、子供が書いた、分かりやすい手紙という設定もなんだか興味深い。三年のうちには必ず行方を知らせるから・・・とあるのも、相手の愛情を信じて疑わない幼い感じがいい。

 

そしてやっぱりてっつん四郎は、これは若君の御後を追わねば・・・!と、すぐさま心を決める。その決意を物語るてっつんのお顔が、さらに澄み切っているようで大変素晴らしかった。

 

さて、シテが退場すると、その春満の登場です。一緒に登場したのは、高野山の僧であるツネ2。ツネ2ちょっと久しぶりですが、子方の訓聡くんが大きくてびっくりコ。もう子方というにはちょっと苦しいくらいです。ツネ2はもちろん僧形ですが、今回の訓聡くんは着付に長袴の稚児の出で立ち。

 

ツネ2が語ったところによると、(お能の)例によって春満は僧になりたいと突然自分を頼ってきた・・とのこと。そしてこれまた例によって、観世流の大成本と、下掛宝生流のツネ2とではかなり詞章が違っていて、(ワキの)次第の謡でも、春満は既に出家したかのような内容だったので(花の袖を墨染に変えたことよ、みたいな)、やはり観世流は異質なのかもしれない。ワキ僧は、春満の気晴らしをさせようと、高野山名物「三鈷の松」(←珍しい三つ葉の松ですね)を一緒に見に行くのでした。

 

ここで、若様を想うあまりに、物狂となったてっつんの再登場です。

 

しかし、装束はちゃんと旅モードになっていて、侍烏帽子に厚板、白大口に茶色の水衣みたいなの、という出で立ち。さらに竹の棒の先に若君の手紙をはさんだものを肩に担ぎ・・・が、狂い笹の代わりで物狂らしさをプラスといった姿です。

花の行方を尋ねつつ、若君の御文を肌身離さず・・・と謡うあたり、ちょっぴりお稚児さん趣味も彩りに・・・といったニュアンスでしょうか。

 

ただ率直なところ、いかにも狂気してます!!という雰囲気ではなく、落ち着いた(?)静かな物狂の雰囲気です。「木賊」ほど狂ってはいない。もっとも佯狂でも、そう思いつく時点でかなり狂気に近いわけですが・・。

 

以前読んだ解説本などには、高野山は女人禁制だったから物狂を男にしたのでは、という解釈もあったけど、そのわりにお能の世界は、たとえば「道成寺」等でも女人禁制はあっさり破られているし、逆に単に男の物狂を出してみたかったのでは、という気もする。

 

さらにここでびっくりしたのは、しばらくして子方がいきなり、「これなる物狂をよくよく見候えば・・」とシテの正体に気づいて話しだしたことで、え、もう、「三鈷の松」の前にいたんかい?!と、ちょっとびっくりでした。(ずっと地謡前にワキと一緒に座っていたので。)

 

しかも訓聡くんはもうかなり大きいので、なんというか、整然としたシッカリとした謡いぶりで、この唐突さが際立って、さらにびっクリ。では名乗り出てはと勧めるワキに、子方はもう少しのあいだ様子を見たい・・・と応える、物狂ものでは定番の展開に。

 

異形は高野山から出て行けと注意するワキとシテの掛け合いになって、さらに「三鈷の松」の謂れを語るサシ、クセ・・・と、こちらも理路整然とシテが(実際には地謡が)謡い、かなり長大なものとなって、ちょっと眠くなったカモ・・。

 

続けてシテは舞に入って、中之舞から昂揚した心持ちを表わすように、男舞に移り変わったような舞いっぷりだったのだけど、舞自体は素晴らしかったけど、今にして思うと、この長さがよくなかったんじゃ〜ないかと思う。

 

舞い終えてからもさすがに興奮冷めやらず、畏れ多いことだとワキに許しを請うシテに、子方が高師四郎ではないかと声をかける。そこで、シテも「や、あれにましますは・・」と、叫ぶようにするのですが、なんとここで、続きの台詞を忘れてしまったてっつん。・・・。

 

何度か後見も着けようとしていたけど、収拾がつかず「御意をばなどか背かんと・・・」と子方に駆け寄り、強引に話を終わらせたてっつんだったのでした。雰囲気から察するに、子方を心変わりさせるに充分な必死さを出したかったようだけど・・。

 

ここでシテが慌てず(?)に、それほど見苦しくはならなかった・・のかな・・は、エラかったと思うけど、春満が決心を翻して、おうちに戻ることにする肝心な台詞が抜けることになってしまい、ちょっと意味不明なエンディングとなったのでした。(子方はもちろん、お家に戻ってますた。。ちなみに謡本では、ここでシテは誰がお家の名字を継ぐのですか、とか言って説得することになっている。)

 

・・・。

 

というわけで全体を観た印象は、とにかく不思議な曲だなぁ・・ということ。狂気でない男物狂というところに、むしろゼアミンの(?)狂気も感じる。いつごろ書かれた曲か知らないけれど、男二人がお家だとか、主従関係だとかのしがらみにあふれた俗世を捨て、仏門に入るという本来のエンディングにも、なかなか興味深いものがある。(往事の仏門には仏門で、しがらみだらけだっただろうケド。。)

 

観世流では観世元章が戯曲をイジったことによって、武家社会に迎合した正反対のエンディングになっているのも、作者の狂気と、戯曲の欠点を逆に強調しているかのようで、面白いといえば面白いのカモ。

 

というわけで、いささか消化不良に終わった「高野物狂」だったのでした・・。しみかんの地謡なんかは、イイ感じだったんだけどな〜。。

 


(その2へとつづく。)

 

 

posted by kuriko | 00:42 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
国立能楽堂7月定例公演  

 

狂言
八幡前
シテ 能村晶人
アド 野村万蔵
   山下浩一郎
   野村万禄

 

善知鳥
シテ 観世清和
ツレ 清水義也
子方 清水義久
ワキ 宝生欣哉
アイ 吉住講

 

大鼓 柿原弘和
小鼓 曽和正博
笛   一噌庸二

 

地頭 角寛次朗

 

※2017年7月5日(水) 国立能楽堂にて。
※狂言は時間の都合により拝見しておりません。

 

 

というわけで、キヨの「善知鳥」を観てきました〜!

イヤ〜、この日のキヨはホントすごかったです!久々の大爆発キヨでした!

 

で、まずは、出し置き的に、子方とツレ(シテ猟師の妻子)が舞台に現れます。彼らの登場はまだ先なので、存在しない態でワキ柱のあたりにそっと座る。子方がまだ小さくて、長袴で転ばないように用心して歩いているのが、よちよち・・という感じで可愛い。

 

続いて、ワキ僧・欣哉の登場。立山見物をしてから、陸奥にも向おうかという諸国一見の僧です。都見物にと地方から上京してくる僧というのは結構いるけれど、陸奥に行こうかという僧は、能では少数派かもしれない。

 

そして欣哉のハコビが大変美しく、地獄の風景にも擬せられる立山の山中で、「地獄に仏」とはまさにこのこと・・・と思わせる風姿です。

 

そこにやっぱり・・・、ということで前シテの登場。のうのう・・とワキ僧に声をかけ、呼び止める不思議な老人です。キヨは焦げ茶の水衣、質素な老人の出で立ちながら、謡の端々に抑えた力のみなぎるところが、只人ではない迫力を感じさせます。
(←ワキもこの後、ツレたちに「そのさま凄まじき老人の・・」と語るのでした。)

 

シテは頼んで曰く、昨年の秋に亡くなった猟師の家を訪ねて、その家にある蓑笠を猟師に手向けるよう伝えてほしい・・とのこと。

ワキ僧も戸惑い、それでは納得してもらえまい、と言うと、ではその猟師が亡くなる時まで着ていた着物の袖を・・と、なんとシテはみずからの着物の袖を、さらり破いて渡すのでした・・。

 

それを舞台から橋掛かりのほうまで、さらさらと歩みを進めて出向き、袖を受け取って、また山を下っていくワキ僧。余計なものがない動きが美しい。それを切なそうに見送るシテ・・。

 

シテが橋掛かりから一歩も出られず立ちつくし、ワキがテクテクと舞台を進み、その舞台の端にツレたちがじっとしている様子は、あの世とこの世の距離感というか、さなさがら地獄ロードマップでもある「立山曼荼羅」の光景を思わせます。ワキが里人のアイに、昨年亡くなった猟師の家はあるかと尋ね、やがて辿り着くその様子も、順序立ててあるところがよりそれらしい。

 

さて、猟師の家には、未だ悲嘆に暮れている妻子の姿があったのでした。ツレはドラマチックというか、ちょっと派手(?)な謡いぶり。いささか大味でしょうか。

 

ワキの話と、証拠にと渡された片袖が、亡き夫のものと気が付き・・・というあたりで、私もすごーく眠くなっていて、ちょっと朦朧・・。ともあれ、ワキが手向けの笠を正先に置き、猟師の弔いを始めるのでした・・。(←欣哉よ、ゴメン。。)

 

そしてここに、本来の姿となったシテの霊が現れる。黒頭に「蛙」の面で、死後もなおやつれ果てたような姿です。

 

ツレも驚きつつも、さぁお父さんよ、というように子方を立ち上がらせて、シテの前へと進ませるのですが、シテの罪障のために、我が子に触れようとすると、逆にその姿が見えなくなってしまうのです。子方はクリコの心配をよそに、上手にツツツっとシテの前から退いていきます。

 

「千代童が髪を掻き撫でて あら懐かしやと言わんとすれば・・」

 

と、ここで、それまで抑えられていたシテの感情が、いきなり爆発する。少なくとも今回は、そのように聴こえるキヨの強い謡いぶり。これはいくらなんでも理不尽なのではあるまいか、と、怒りさえ感じさせるそんな感じに。(ここでクリコも、バチっと目が覚めた。)

 

しかしこれも生前の報いかと、シテはがっくりとうなだれるように下居して、自分だって好きで殺生を営んできたわけではない。士農工商の家にも生まれず、琴碁書画を嗜むような身分にもなれず・・・と語る。

 

善知鳥という鳥は、親鳥が「うとう」と鳴けば、子が「やすかた」と答えるので、その習性を利用して狩りをするのです。こんふうに・・と、シテは「うとう」と呼び掛けるのですが、これが驚くのほどの長い息を使った大音声で、我が子を探して呼ぶようでもあり、地獄を自ら呼びよせているようでもあり。呆気にとられるような大迫力となっていました。

 

ここからはカケリとなって、その善知鳥の雛を狩る有り様を示すのですが、ここでもキヨ本来の強烈なまでの集中を感じさせる。ここか、あそこかと必死の態で探し回り、自分に手向けられたはずの黒笠の影を雛に見立て、エイッ!と捕まえると、前を向いたままシテが背後にビシッと投げ捨てた杖が、そのまま弘和に命中してました・・・。

 

弘和も勿論、平然と打ち続けていましたが(←偉い)、内心「あ〜っ!あ〜っ!びっくりした!御宗家、ひでぇ・・」とか思ってただろうなぁ・・。そんな暇ないか・・。

 

そう、殺生するのはつらい・・と言いつつ、いざ狩りに出てしまうと本能に突き動かされ、ただ目の前に獲物に熱中してしまう・・・という人間の罪深さが、実に端的に描かれる。「三卑賤」に共通したテーマでもあるし、この「善知鳥」という曲、お能の深さを感じさせます。

 

もちろん間接的にせよ(フムフムと、したり顔で観ている私自身も含め)、殺生に関わったことのない人間など、この世にはいないわけだけど。(乳幼児ぐらい?)

 

でも今回、なんともキヨらしい・・、と思わせたのは、シテが熱中すればするほど、むしろ孤独を感じさせて、ちっとも楽しそうではなかったところ。もちろん、シテの猟師はつい夢中になって善知鳥狩りをしているのですが、我を忘れているそんな猟師を、ちょっと醒めた目で見ているキヨ・・も同時に感じさせたのでした。

 

キヨがドライに演じていたという意味ではなく。シテが(おそらくは)物寂しい山奥で、雛鳥を捕まえている光景そのものに哀感があるというか。(おそらくそうでなければ、逆に猟師のあの必死さも表現できないのだと思う。)
 

舞台の進行も、地謡も囃子も激しく、そうとは気づかぬうちに嵐のただ中に、ただ一人立っているシテ、キヨ。を感じました・・・。親鳥は、我が子が捕まえられてしまったのを、血の涙を流しながら見守る。突然の血の雨に、シテは黒笠を頭の上に持ってこれを避けようとする。しかし本当の地獄に落ちてしまうと、その手向けも届かない。

 

キヨが橋掛りから舞台に向けて笠をびゅんと投げると、詞章の通り「かささぎ」の如く、くるるっとカーブを描いて、見事に子方の前に落ちる。

 

「善知鳥やすかたと見えしも 冥途にしては 化鳥となり・・・」、善知鳥が猟師に襲い掛かるのです。シテは銀の扇に持ち替え、キラキラとした光が、怪鳥の姿となった善知鳥の鋼の爪を思わせます。一転して、逃げ回るシテではなく激しく怒る鳥たちに視点が変わったような。そしてシテはただ、助けを求めながら成仏することなく消えていく・・・。なんとも暗いエンディング。

 

殺生そのものと、親子の絆を悪用するような残忍さが、終曲を救いの無いものにしているのかな?それとも殺されてた鳥たちの怒りそのものが、実はこの曲のテーマなのかもしれない・・。

 

 

posted by kuriko | 23:48 | 能・狂言 | comments(4) | trackbacks(0) |
第二回 三人の会

ajisai.jpg

 

仕舞
鞍馬天狗 谷本康介

 

八島
シテ    川口晃平
ツレ    谷本健吾
ワキ    宝生欣哉
ワキツレ 舘田善博
      梅村昌功
アイ    山本則秀

 

大鼓    亀井忠雄
小鼓    大倉源次郎
笛      竹市学

 

地頭    梅若玄祥

 

狂言
貰聟
シテ    山本則重
アド    山本則秀
      山本東次郎

 

一調
班女
     谷本健吾
大鼓    亀井忠雄


仕舞
難波   観世喜正
放下僧 観世銕之丞
定家   梅若玄祥
善界   山階彌右衛門

 

海士
シテ    坂口貴信
子方    谷本悠太朗
ワキ    殿田謙吉
ワキツレ 御厨誠吾
      野口琢弘
アイ    山本則重

 

大鼓    亀井広忠
小鼓    観世新九郎
笛      松田弘之
太鼓    林雄一郎 (代演)

 

地頭    観世銕之丞


※2017年6月10日(土) 観世能楽堂にて。

 

 

というわけで、「三人の会」に行ってきましたぁ〜!

 

新・観世能楽堂が入っている週末の銀座シックスはものすごい人で、1コ上階の食品フロアで、コーヒー1杯飲むのも難しいような混雑ぶり。終演後に真上のエノテカで、さくっと一杯・・というのも、常に満席で無理そうです。まぁ、お酒飲めない私にはカンケーないですが。。

 

観世流のホープ(たぶん・・?!)3名で結成された「三人の会」も満席で、結構な賑わいでした。

・・・でも私が観たのは、貴信キュンの「海士」だけ・・・。

 

「八島」もいちおう観たのですが、遅れていったし、特に何かいうことも無い舞台だったので、省略・・・。ヲホホッ☆

 

ただちょっと気になったのは、新しい観世能楽堂は、他の能楽堂とも比べてかなり照明が均質になるのと、左右の壁が狭いために、観ている側は奥行きもむしろ狭く感じるので、注意して演出を加えないと、『漁師なのにミョーに派手な服を着ているおじいさん(前シテ)』とか、『アイドルの如くやたら全身キラキラな九郎判官』みたいになってしまうみたい。

 

舞台映えするとかしないとか、下手に考えないほうがいいの鴨。ホール能とも違うけど、座敷能ぐらいに考えたほうが上手くいくのかなぁ・・・。

 

以前、能楽を愛好した旧華族の能装束というのを観たときに、刺繍の模様が繊細で細やか過ぎて、逆に舞台で映えないんじゃないかと思ったことがあるけれど、自宅にある舞台用だったので、それで全然問題なかったわけだよね・・・。

 

「海士」以外はお蕎麦食べたりして休憩してました。。。スミマセン。。

 

で、「海士」。

 

房前の大臣がお供を引き連れ、志度の浦にやってきます。超名門・藤原家の跡取りである彼ですが、実は母親が辺境の賤の女であったことに衝撃を受け、わざわざ追善のために訪れたとのこと。

(←余計なお世話だという気もしないでもないですが・・)

 

もちろん、これを喜んだ海女姿の前シテ(実は幽霊)も現れて、そうとは知らずに幻の母子再会・・となるわけであります。房前役の悠太朗くんは黄緑の狩衣(だったっけ?)を着ていて、前シテは深緑の水衣姿で、早くも二人の縁の深さを感じさせる。

 

貴信キュンは、お得意の若く可憐なヒロイン役・・でなく、「曲見」か何か中年女性の面を着けた母親役ということで、『海よりも深く大きな、母の愛を表現したいッ!』と、ちょっと肩に力が入っていた模様(たぶん)。

 

ワキが海辺でシテに、海の中の海藻を刈り取ってくれと話すと、こんな田舎でお坊ちゃまがおなかを空かせて可哀想に・・・と、手にしていたワカメと差し出すのだけど、このあたりも動きの全てを重くして、表現がちょっと大袈裟になってしまっていたカモ。貴信キュン、おおいに奮闘。の様相です。

 

もちろん、海藻を刈り取れと頼んだのは、風流にも海面に映る月をよく見るためだったのでした。貴族と海女の世界との格差を感じさせます。

 

しかしそれをきっかけに、そのむかし淡海公の求めで、一人の海女が海中の龍宮へと赴き・・とシテが話し始めるのだけど、仕方話に再現する玉之段も、あえて身体のキレを抑制させていたような。

 

そこは海中の浮遊感の表現なのだろうけど、覚悟を決めてエイッと飛び込む場面以外は、いつものキレキレでなく、ちょっと物足りない(笑)。

 

むしろ海上へと引き上げられた海女が既に虫の息で、宝珠も女も、両方失ってしまったことよ・・・と嘆く、淡海公としての謡いぶりがしんみりとして、ここが非常によかったです。
(←オマエが龍宮城まで行って明珠を取ってこいって言ったんじゃん、というツッコミもあるケド・・・。)

 

自らの正体を明かしたシテは、自分を弔ってほしいとの手紙を残し、海の中へと消えていきます。自分を跡取りにするために母親が命を落としていたと知り、さらに衝撃を受ける房前の大臣です。
(アイ語りは寝ちゃってました。。ごめんなさい。。)

 

後場、息子の供養のおかげで龍女となって現れた後シテは、龍載にオレンジの地色の舞衣、藤色の大口。こちらは、華美に偏らず、優美さを感じさせる姿でヨイ感じでした。

 

成仏した母親は息子に経巻を手渡し、前場と同じことをするようでいて、実は全く対照的な反転した、「海士」の世界観。

 

後シテの舞も非常に美しかったですが、ただちょっと、貴信キュンが自分自身の理想に縛られている・・というか、もっと平たく言うと、自分自身の表現したいコンセプト(←海よりも深く大きなハハの愛と、龍女の品格を表現したいッ!←たぶん)にこだわり過ぎていたような印象もあり、それが若いということなのかもしれないな〜と思った。といっても、貴信キュンももう中年だけど。。能って難しいんだなぁ〜と、改めて思った(笑)。

 

それに悠太朗くんには、房前大臣の役は、ちょっと荷が重かったかもしれない。。もちろん、終始キチンと、葛桶にしっかり腰かけていたのは偉かったですが、みんながみんな、謡が得意というわけじゃ〜ないですからね・・。特に子方に求められる極端な高音は。。。

 

いやいや、こんなもんでショ。てな感じで、ひたすらガンガン?謡っている(笑)てっつんの地謡がよかったです。

 

 

posted by kuriko | 10:58 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
観世会定期能六月

kinoko.jpg

※毒キノコではありません。

 

熊野 読次之伝 村雨留 墨次之伝 膝行留
シテ  観世清和
ワキ  福王和幸
ツレ  角幸二郎

 

大鼓  國川純
小鼓  飯田清一
笛    杉市和

 

地頭  藤井完治

 

狂言
樋の酒
シテ  野村万作
アド  深田博治
    岡聡史


舞囃子
藤戸  観世喜之
大鼓  國川純
小鼓  観世新九郎
笛    杉市和


仕舞
芦刈   角寛次朗
自然居士 山階彌右衛門
芭蕉   野村四郎
猩々   坂井音重


白頭
シテ  岡久広
ワキ  高井松男
アイ  内藤連

大鼓  安福光雄
小鼓  観世新九郎
笛    杉信太朗
太鼓  小寺真佐人

 

地頭  武田志房

 

※2017年6月4日(日) 観世能楽堂にて。
※「熊野」と「樋の酒」しか拝見しておりません。すみません。。

 

 

というわけで、行ってきましたよ〜!
新・観世能楽堂に!

 

で、これが舞台を除いて全て新しくて(当り前か)、綺麗なホールでよかったのですが、虚心に言って広めなセルリアンタワー能楽堂といった雰囲気だったしょうか。能楽堂へと至るエスカレーターやロビーなどは、むしろセルリアンよりも手狭な印象で、動線がシビアになりそうです。(ていうかシビアだった。)

 

舞台そのものは松濤から移設するという話だったので安心(?)していたのですが、予想以上だったのが橋掛かりの短さ。控えめに言って千駄ヶ谷の半分ぐらいでしょうか。

 

当然、ハコビの寸法や演出上の力点の置き方も変わってくるだろうし、室町の頃から、橋掛かりの位置や角度も徐々に変わってきているのは有名な話ですが、少なくともこれから先、数十年(十数年?)は、この能楽堂が観世流の本拠地となるわけで、こうした現実的な理由で能楽の演出も変遷していくのだな・・と思ったことでした。「昔は橋掛かりっていうのは、もっと長かったんだよ」なんて話が出たりしてね。

 

で、肝心の舞台のほうなのですが、これはこれで(?)なかなかよかった。

 

観ているこちらがまだ慣れない、銀座のデパ地下(?)の能楽堂で、キヨの良い意味での形式主義というか虚無主義と(←良い意味なのか?)、イケメンだけど武張った教条主義を感じさせる和幸の行き方が、不思議と合っていたように思う。

 

何気なく下居しているように観えても、そこは気合いでシャープなプロポーションを作り、油断なく怠りなく、女らしく座っているキヨ。

 

舞台が変わっても勿論、熊野という女性には、なんら変わるところも無い。変わらぬ気品と美貌、そしてなによりいつも一生懸命な熊野っちなのです。

 

熊野は、自分が都を去ってから、平家が滅びる運命にあった・・とは露ほどにも知らなかったと思う。孝女として名高い彼女だけれど、ものすごく強引に現代風に解釈するならば、それなりに想ってくれている恋人のもとで都会で働きつつ暮らすか、田舎に戻って母親と本来の自分らしく(?)生きるかの二者択一のドラマ。

 

今回は小書がいくつもついて、読次之伝では、宗盛も熊野の母親からの手紙と聞いて一緒に読み、二人はそれなりに相思の仲なのだと思わせるし、酒宴の席で甲斐々々しく振る舞う熊野の様子は、遊女というより平家という大企業で働く、気の利くキャリアウーマンかのようです。

 

ひとさし舞え、と言われて舞ってみせた後、熊野はついに別れの歌を短冊にしたためるのだけど、墨次之伝で、熊野は二度も筆に墨をつけ直し、心の乱れを感じさせる・・。

 

それにしても、能の舞はやっぱりいいな〜と思った。熊野にとっても、感情のクライマックスであったと同時に、そこに雨が降りかかってはっと目覚めるものがあったようです。

 

ただちょっと、キヨの足拍子が珍しく乱暴なように聴こえたのが気になった。舞台が乾燥していたのか、みんな起きてヨ!ということなのか。(見所がお昼の直後で寝てたので。。)

 

音響もよくて、囃子の音もよかったのだけど、でもそれほど広いホールでもないので、音の逃げ場がなくて、ちょっと圧迫感があったかな。。


新・観世能楽堂の本当の感想は、おいおい、これから・・。

すみません、久々なので短めに・・。

 

「樋の酒」の安定した舞台ぶりに、ちょっと懐かしささえ感じたような・・。。

 

アイスティ.jpg

比較対象が無いけど、マリアージュ・フレールでむりくりアイスティにしてもらうと、グラスが異常にデカイです・・・。ポット一杯分・・?

 

posted by kuriko | 10:00 | 能・狂言 | comments(2) | trackbacks(0) |
Scrap and...

DSCN3161.JPG

 

今日、人と話していて、***するのを取り止めにした、と言うべきところを、何故か間違えて「取り潰しにした」と言ってしまい、「そうか、東京の街には今頃、浪人どもがあふれているね」と返されて、めっちゃ笑ったことでした。

 

毎日いろんなことがあるけれど、はぁ〜。。毎日が善き哉。。。☆

 

新しい能楽堂のこと、当事者でない人たちはこれから色々言うだろうけど、別にいいと思う。。

 

むしろ、銀座みたいな場所に作れたっていうのが意外だった。
作ったっていうより、テナントとして入ったっていうほうが正確なんだろうけど。。

 

だって、いまの能楽にいったいどれだけの体力が残っているだろうか?って気もするし・・。

 

みんなオリンピック利権になんとか乗っかろうとガンバったり、忙しいアピールだけはしてるけど、近い将来もし興業だけで食べていくことになったら、公演の形態も特殊だし、逆に流儀だのなんだの、人が多すぎる気さえする。少しでも体力が残っているうちに、やれることはやっておいたほうがイイ、と思う。

 

神社(パワースポット)ブームとか、刀剣ブームとか、瞬間風速的なものは今後突然起こるかも、、とは思うけど・・・。

 

 

posted by kuriko | 22:24 | 能・狂言 | comments(2) | trackbacks(0) |
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