能楽鑑賞などなどの記録。  



観世元伯さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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片山幽雪三回忌追善能 東京公演 

 

連吟 賀茂

 

仕舞
通盛   観世芳伸
松虫   片山伸吾
野宮   武田志房
蝉丸   山階彌右衛門
天鼓   観世喜正
船辨慶  観世淳夫


海士 二段返 解脱之伝
シテ   観世清和
子方   谷本悠太朗
ワキ   殿田謙吉
ワキツレ大日方寛
      御厨誠吾
アイ    野村万之丞

 

大鼓   亀井広忠
小鼓   大倉源次郎
笛     藤田六郎兵衛
太鼓   小寺佐七 (代演)

 

地頭   観世銕之丞


舞囃子
頼政

     友枝昭世

大鼓   柿原崇志
小鼓   成田達志
笛      藤田六郎兵衛


三輪 白式神神楽
シテ   片山九郎右衛門
ワキ   宝生欣哉
アイ   野村万蔵

 

大鼓   亀井広忠
小鼓   吉阪一郎
笛     杉市和
太鼓   前川光長

 

地頭   梅若玄祥


狂言
隠狸
シテ   野村萬
アド   野村万作

 

仕舞
班女    山本順之
江口     観世銕之丞
融     梅若玄祥
 
舞囃子

三笑

      大槻文藏
            観世喜之
            浅見真州

大鼓   柿原崇志
小鼓   曽和正博
笛     一噌幸弘
太鼓   小寺佐七

 

半能 石橋
シテ   片山清愛
ワキ   宝生欣哉
アイ   野村萬斎

 

大鼓   亀井忠雄
小鼓   大倉源次郎
笛     杉市和
太鼓   前川光長

 

地頭   大槻文藏


※2017年11月19日(日) 国立能楽堂にて

 

 

というわけで、「片山幽雪三回忌追善能」に行ってきました〜!

 

いや〜これが、さすが幽雪、さすが九郎右衛門家というわけで、非常に盛大な催しとなっておりました。

 

・・・・が、もう、先に謝っておきます・・・。

ごめんなさい・・・。

 

実はわたくし今回、遅れていくわ、寝てるわ、途中で帰るわの「ていたらく」で、ございましたの。
ヲ、ヲホホホ。

 

なので途中までチマチマと書いてはいたのですが、自分でもなんだかな・・・と思い、やっぱりアップしないことにしました。

 

まことに申し訳ない!!

 

また何か言いたくなったら(笑)、ちょこちょこ言及する鴨です。


(「夢の無い読書シリーズ」も当分の間、延期します・・。)

 

 

 

 

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第二十五回 浅見真州の会 (その3)

DSCN3381.JPG

※画像と本文は、関係ありません。

 

承前。

 

さらに今回、ちょっと驚きだったのが、蛇身となったシテを取り囲んで、ワキ僧四人が数珠を揉み、読経しながらぐるぐると廻り始め、さながら結界でも張るようだったこと。「道成寺」の後場のような闘争シーンにはなりません。勿論シテはなんとか窮地を脱しようと、ワキたちを襲おうとするのですが、御仏の力にかなうはずもない(なので、シテは橋掛かりには出ませんでした)。能の舞踊性と祈祷性の両方を感じさせる。

 

加えて、闘争ではない、というのが大事なところだったと思う。「鐘巻」の復曲はとりもなおさず、「道成寺」では全編ヘビ女として描かれ、どこかに忘れ去られたシテ白拍子の内面というか人間性というか、ベタな話ですがそうしたところにスポットを当てる意味もあるわけで、その世界観を壊さず、かといって地味にもならない巧みな演出と表現に感心。

 

そう、今回のヘビ子は、その姿こそ恐ろしげではあるものの、強く、禍々しいわけではなく、我知らずただ執心が爆発している・・・ように観える、それをワキたちが取り囲んで、必死に炎を消そうとしている・・、そんな光景でした。

 

ついに倒れ伏したシテに、ワキが声をかける。
「あら恐ろしの蛇身やな、はや帰れ」
「恨めしやさしも思ひし鐘の音を、撞かさでわれに帰れとや」
きっぱりと言い返すシテ。(←ここの台詞は、たぶん四百番本と同じだったと思う。)

 

シテは前場でもその知性でワキたちを驚かせたりしていて、「鐘巻」のシテは、わりとはっきり自分でものを言う人なのですよね。(お能の主役級の女性って、案外みんなそうですが・・。)

 

それにワキが完全には調伏せずに、帰れ、とだけ言うのもちょっと面白い。そういえば、ワキは伝聞とはいえ「真砂の荘司の娘」がなぜ蛇身になるに至ったのか、よく知っていたのでした・・。

(←でも鐘を撞かせてあげたら、案外満足して、成仏していたかもしれない。)

 

帰ろうとしないシテも、僧たちにさらに(御経で)締め上げられては、諦めるしかありません。橋掛りからなおも鐘のほうを見返して、悲しげに去りかねるシテ・・・。ここの真州の演技も素晴らしかった。勝った勝ったと喜んだりせずに、そのシテをただ静かに見送るだけのワキたちもいい。

 

そして、なんと鐘はそのままに終曲を迎えたのも印象的で、地謡や囃子方がみんな去ってもぽつんと鐘は残されて、余韻を残すエンディングとなったのでした・・。

 

ということで、大変に素晴らしかった舞台でした。

 

戯曲としての流れも澱みなく、シテの表現は勿論のこと、役柄によりそれぞれの立場での人物の描写も巧みで(後見まで含め、笑)、なにより良かったのは、「道成寺」の原曲であるにも関わらず、そこから離れて、むしろ対照をなすような作品として出来上がっていたこと。

 

対照というと、ちょっと語弊があるかもしれない。やっぱり「鐘巻」と「道成寺」はとても遠く離れたところにあって,起きた事象だけを描いているのが「道成寺」で、その真相あるいは深層を描いているのが「鐘巻」なのか・・・。若い頃に披くのは「道成寺」で、トシをとったら「鐘巻」とかもいいカモ(笑)。と、あれこれ思ったことでした。

 


(おわり。)

 

 

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第二十五回 浅見真州の会 (その2)

DSCN3506.JPG

※画像と本文は、関係ありません。

 

承前。

 

そして「道成寺」であれば、能力はただ象徴的に烏帽子を渡すわけですが、こちらでは、アイがシテになんと「水干」そのものを手渡しています。

 

そう、寺の能力たちがいそいそと「これ着て舞ってみせて〜♪」と、自分たちで衣装(水干)まで持ってきて頼むのは、白拍子というのは大体が職業的な男装の麗人で、美しい白拍子が男の格好で舞ってみせる・・ところに、言わば倒錯の美というか、みんなをコーフンさせる(?)要素があったわけなのですね。ジェンダーフリーな現代向けではない話ですが・・。

 

物着は後見座で行われ、シテは縫箔を脱ぎ、後見が水干へと着替えさせています。そして黄金の烏帽子に、腰には立派な太刀も佩く。シテが振り返ると、これがまぁ非常に美しい姿で、なるほど〜これが白拍子か・・・!と納得させるに十分なものだったのでした。水干の白に袴の赤が、非常に映えています。

 

ここからはシテが道成寺の縁起を謡い舞う、いわゆる曲舞となる。親孝行な海女の娘が、海の底で光り輝く仏像を拾い、やがて彼女自身も宮中に召されるという「宮子姫伝説」です。(ちなみに彼女は藤原不比等の養女として入内したと、道成寺には伝わるそうな・・)

 

安珍・キヨ姫、間違えた、安珍・清姫伝説よりもさらに以前の、道成寺にまつわるもう一つの不思議な物語。私はこの曲舞を観ていて感動したのは、釣鐘の前で舞う白拍子がとても美しかったのは勿論、「道成寺」ではごく短く切り詰められてしまった詞章が、実際にはこんなふうであったのか・・、と思われたこと。
(←まぁホントのことを言えば、以前にも読んだり聴いたりしたことはあったけど・・。)

 

それにこの時のシテは宮子姫となっていて、仏像を拾い上げたり、橋掛かりまで出て、能力たちの側まで行って能力たちをびっくりさせる・・・型などあって面白かった。

 

そして乱拍子の原型ともいえる、拍子を踏み、足遣いの芸を観せる白拍子。あるいは、白拍子舞としての乱拍子です。長袴だと足先が観えないな・・なんて思っていたのですが、小鼓の音に合わせて(掛け声はごく短く抑えられており)、高めに上げた足先を遣いひらひらと緋袴が舞うようで、これが非常に美しく魅惑的だったのでした・・。

現在の「道成寺」の乱拍子とは全く別物ですが、その姿の艶やかさ、華麗さは、極端に先鋭化した現在とは違い、舞踊としての楽しささえ感じさせる。長袴であれだけ自由自在に動き回れる真州もすごい。

 

それにしても、「鐘巻」から「道成寺」の乱拍子への変貌ぶりは、時間が経つにつれ角が取れて丸くなっていくのではなく、むしろ鋼鉄のように鍛錬させて行った、というところに能楽らしさがあるのかも。もちろん今回の白拍子舞も、『おそらくはこういうものであっただろう』という域を出るものではないわけですが・・。

 

うっとりと見つめていたワキ、アイたちもその魔力に吸い込まれて、いつしか舞台の上で眠ってしまいます・・・。

 

シテはこの様子を見て、いよいよ鐘を撞こうと、釣鐘へと突き進む。この時の迫力は、現在の「道成寺」を思わせるところがありました。が、しかし「思へばこの鐘恨めしやとて・・・」と、ふと、ためらうように鐘から顔をそむけ、やめてしまう。

 

このときの、恥じらうような真州の女心の表現が、本当に素晴らしいと思った。もう本当に女優、いや女性・・・!の横顔です。しかし、彼女は再び心を決めたらしく、急にばさっと、扇で自らの烏帽子をはたき落とす。

 

ところが舞台というのは恐ろしいもので、おお、ついに鐘入りか、と思ったところで、烏帽子の紐がなんと、白拍子の佩いていた太刀の鍔の部分に引っかかってしまい、落ちない。面を掛けているので、真州はこのとき何が起こっていたのか分からなかったと思う。シテは当然、そのまま舞い続けます。後見をしていたしみかんと健吾が、はっと気づいて一瞬動揺していた様子がなんだかカッコいい。
(←いやぁ〜、私もあの太刀を観た時、鐘入りのとき邪魔になりそうだな〜とか思ってたんだよねぇ〜。byクリコ)

 

鐘入りが迫っていてそのままでは危ないので、しみかんが大小鼓の間から、鐘の下に来たシテにいざり寄って烏帽子を取ろうとするのだけど、シテの動きを止めるわけにはいかず、取れない。ここが思いがけず手に汗握る、もう一つの一瞬のハイライトとなっておりました。

 

鐘は程よい位置に降ろされ、シテは鐘に手を掛け、その傍らに少しの間立ち尽くしたかと思うと、鐘の下にくるりと身を翻して入り、祈るような片膝立てた姿勢で座り、その上に鐘がどすん!と落ちます。

 

・・・恐らくは、清姫はその様子を見てはいない筈だけど、「鐘巻」でも「道成寺」でもシテがこの釣鐘にここまで執着し、そして飛び込んでいくのは、こんなふうに安珍が鐘の中に隠れてしまったからに違いない・・・と思ったことでした。

 

眠りこけていたアイたちもこの物音に目を覚まし、何事かと騒ぎます。しかし鐘が落ちていることに気づいても、ワキへの報告を押し付け合う、という展開にはなりません。これはもちろん、例の白拍子を道成寺の境内に入れたのは、彼らの責任ではないからで、二人は何はともあれご住職にお知らせしようと、すぐにワキに報告しています。
(・・・となると、「道成寺」化したときに、能力が一存で白拍子を境内に入れたように観えるので、気の利いた狂言方が現在のような間狂言を創作したのか・・・。)

 

欣哉は「やっぱりな!」という感じで、例によって道成寺の鐘にまつわる恐ろしい話をするのですが、なんとここは居語りの形式で、落ちた鐘を背にワキが真ん中に座り、ワキツレ、アイが左右に扇型に居並ぶ珍しい形式に。ワキツレたちは、道成寺の釣鐘にまつわる恐ろしい話を知らなかったとのこと。

 

スピードと迫力重視の「道成寺」型と違い、大勢集まってきた道成寺関係者に、ゆっくりとしみじみ(?)語って聞かせる様子です。時々家にやってくる山伏に恋をした娘が、山伏を追いかけ大蛇にまで変身した物語。こちらも語りの面白さがあって非常によかった。『むかし大ヒットしたロックやポップスを、アコースティックバージョンで再び聴いて、こういうのも新鮮でいいなと思う』感じと言えば、ニュアンスが伝わるでしょうか(笑)。アイ狂言が短かった分、ワキ語りの長さで、鐘の中のシテもフォローです。

 

そして、やはりここは皆で祈って再び鐘を上げようと、衆議は一致します。非常にユニークに感じたのが、ワキたち4人がぐるりと鐘を取り囲んで祈り始めたこと。じゃらじゃらじゃら・・・と、ひたすら数珠を揉み、しばらくすると、中から、じゃんじゃんじゃん!と文字通り割れ鐘のようなシンバルの音が・・・!

 

鐘が上がると、蛇体の登場です・・・!般若の面に鱗箔ではない金の摺箔、赤い長袴で、鬘はそのまま。この般若の面が、蒼白でもなく、真っ赤でもなく、肌色にやや近いような濃いめ朱鷺色となっていて、ツノを生やしているものの、人間的な印象を残すものでした。

 

 

(その3へと続く!) (←長くて、ゴメン。。。)

 

 

 

 

posted by kuriko | 23:18 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
第二十五回 浅見真州の会 (その1)

 

仕舞
笠之段   長山桂三
野宮    馬野正基
富士太鼓 北浪貴裕
鵺      谷本健吾

 

猩々乱
シテ   小早川泰輝
ワキ   福王和幸

 

大鼓    國川純
小鼓   幸清次郎
笛     寺井久八郎
太鼓   小寺佐七

 

地頭   浅見慈一


狂言
見物左衛門  花見
シテ   野村萬


鐘巻
シテ   浅見真州
ワキ   宝生欣哉
ワキツレ殿田謙吉
      則久英志
       大日方寛
アイ    野村万蔵
      能村晶人
      野村万禄
      野村万之丞
      河野佑紀
      上杉啓太

 

大鼓   柿原崇志
小鼓   曾和正博
笛     松田弘之
太鼓   三島元太郎

 

地頭   武田志房

 

 

※2017年10月21日(土) 国立能楽堂にて。

 

 

というわけで、浅見真州の会に行ってきました〜!

これが本当に素晴らしい会で、感動しました・・。

 

が、しかし、遅刻していったので仕舞はパス・・・。「猩々乱」から。

 

これが披きだそうですが、泰輝くん・・・とはもう呼べない年齢かな?舞台ぶりにも余裕さえ感じられ、謡などもしっかりとしたものでした。真州の、とにかく若手みんなに機会を与えたい・・という姿勢がいいよね。

 

ワキは和幸で、金襴の入ったザ富貴!とでも言えそうな、キラキラの法被に大口の姿です。孝行息子だったのが、市場でお酒を売るうちにお金持ちになったらしい。

 

そこに夜な夜なやってくる、赤い髪の不思議なお客は、なんと妖精の猩々だったのでした。壺折にした絢爛たる文様の唐織は、絢爛としすぎて茫洋とした雰囲気。そこが猩々の不思議さをかもしだして、赤い髪の下の赤い顔は、笑顔なのだけど、やや不気味な気配も感じさせる。

 

踵を浮かせる「流レ足」や「乱レ足」など特殊な足遣いが舞に入り、波に乗る前の緊張感の表現が、まるでサーフィンでも観ているよう。海に住んでいる猩々たちは、波の上で危うい遊びを楽しんでいるのか・・・。

 

ちなみに、お笛が乱の間(って言えばいいのか)、後見(息子)がずっと唱歌をつけてサポートしていて、気になったといえば(かなり)気になったかも・・・。唱歌って基本なので、別にシテにとっては邪魔になるものではないだろうけど、気にする様子もなったのはエラかったかも。

 

(ちなみに後述しますが、この曲もある意味、技術偏重と言える曲なので、そこから「見物左衛門」や「鐘巻」の境地となるのは、気の遠くなるような長い道のりなのかしらね・・。)

 

見物左衛門。

 

これが非常に素晴らしくてよかった・・。感動しました・・。

 

萬もお年を召されたなぁと、出てきた時に正直思ったのですが、息も強く挙措もしっかりで、あの長丁場の一人芝居を悠々とこなされていました。

 

いやそれ以上に、漱石の則天去私じゃないけれど、地主の桜が満開と言って喜び、誰それさんの舞が上手だと言って褒め、子供たちが川で遊んでいるとそれを見て一緒に楽しむ・・その様子が本当に無邪気に、衒いなく表わされていて、シテの現在の境地のようなものさえ感じられて、素晴らしかったです。それが見所にまで、ふんわり伝わってくる。

 

一人お酒を楽しむ様子も、本当にお顔がほんのり赤くなるかのようです。

 

さらに桜を観て歩こうと、橋掛かりまで出たときに、その背景に本当に野山と満開の桜が観えるかのようで、すごいと思った。そして何気なく歩みを進める様子にさえ、気のせいか、これまでの長い(芸の)道のりさえ感じさせるのでした・・。

 

お友達からもっと遊ぼう、と誘われるのだけど、もう遅いから帰るね、と答える様子がなんだか切ない。「見物左衛門」で観る桜は、毎回いつも、それ一回きりだからなぁ・・。

 

万作の「見物左衛門」も観たけれど、やはりここまで来ると、それぞれに違い、萬のほうが無邪気度が高く、万作のほうがつぶさに見つめる真面目さがあるのかも。

 

そして、いよいよ、「鐘巻」です・・!

 

こちらも本当に素晴らしくて、感動しました・・。前回も書いたけど、「道成寺」が切り捨ててしまった戯曲としての完成度の高さ、真州の女優、いや役者としての演技の素晴らしさ、単に「道成寺」の原曲という次元を超えた、素晴らしい作品になっていたと思う!

 

で、まずは、囃子方や地謡が座着き、ワキたちの登場です。

 

最初からオヨヨ、と思うのは、ワキの装束が「道成寺」と違い、さらには従僧を三人も連れていたこと。ワキが名乗っている間、ワキツレたち、そして能力(アイ)の一人・万蔵もズラリと橋掛りに並びます。

 

ワキである道成寺の住職というと、最上位の装束として紫の水衣に白大口が定番だと思うのだけど、今回は暗めの草色のような水衣で、角帽子も金襴ではありません。それだけに、立派な小刀が目を引きます。(小刀は「道成寺」でも同様。)しかしワキツレの僧が三人もいる・・というのは、ちょっとオドロキ。

 

ちなみに、ついでに言うと、「道成寺」のワキが最上位の「紫水衣」なのは、お寺としての格ではなく、「道成寺」の曲としての格によるもの・・・らしいです。あえてワキの装束を変えているのは、早くも「鐘巻」は「道成寺」とは違う・・というメッセージを感じさせます。ワキツレはみんな薄茶の水衣でした。
(←全く関係ない話ですが、真州と仲良しの興福寺貫主のお出かけ用の衣も、いつもムラサキです。)

 

そして久しく退転してしまっている鐘楼の鐘を、再建することにした・・というのは、いつもの「道成寺」と同じ展開。ワキがアイを呼び出し、鐘を吊るように命じます。

 

そう、実はこの曲は一応観世流と言えると思うのだけど(?)、なんと下掛りふうに、狂言方の扮する装束を着けた大勢の能力たちが、わっせわっせと演出として運んでくるのです。ぶっとい竹に吊るして運んでくるのですが、これが男性4人がかりで運んでいても本当に重そう・・。きちんとドラマの一部として再現されているわけですね。

 

鐘釣りは、綱を天井の環に通すのを一度やり直したりしてましたが、総じてスムーズに。しかし新・万之丞、失敗してたけど意外とイケメン・・・。(←余計なお世話。)鐘を引っ張りあげる作業のほうは、黒紋付きのシテ方の鐘後見たちがいつものようにやっていて、主鐘後見(っていうのかな?)は、慈一がやっていました。

 

さて、アイがワキに鐘を吊ったことを報告し、さらにワキに命じられて鐘の供養の間は、境内は女人禁制と触れて廻るのですが、これはアイも内心は、な〜んでだろう?と思ってるくらいなので、和泉流らしくそれほど重くはなりません。

 

このあと「鐘巻」ならではの再興として、ワキたちの謡が入り、鐘供養の賑わいの様子が表現されます。今回、当日配布の番組(パンフレット)に、真州と一緒に再演のため改訂、演出の見直しにあたった西野春雄によって、その主眼とするところの解説や、「道成寺」とも比較した丁寧な舞台進行も掲載されていて、非常に分かり易かったです。

 

異様なまでに緊張感が突出し、技術偏重の曲となってしまった「道成寺」に対して、「鐘巻」の復曲は、もう一度「舞台的生命」を吹きこむことが目的だったとのこと。

 

話を舞台に戻すと、この後ついにシテの登場となるのですが、いつもならここは囃子は緊張感いっぱいの「習ノ次第」となるところだけど、あえて重くなり過ぎることなく、軽めに奏されていました。今回総じて囃子のほうも過度に突出することなく、しかし効果的に舞台を支えていて、ここも非常にヨイと思った。小鼓が幸流の正博だったのもナイスです(たぶん)。

 

シテの姿は旅姿として違和感のないものに替えられていて、真州らしさを感じる。黒の女笠に、質素な雰囲気の白地の縫箔を壺折ふうにして、しかしその下には、赤い長袴・・!数珠を手にしているところに、遥々、鐘の供養にやってきたことを窺わせます。

 

一ノ松で謡われる「作りし罪も消えぬべし・・・」の次第は、低く呟くような謡。もちろん、のっけからヘビヘビしい雰囲気全開!というわけではありません。ただ忽然と現れた、不思議な女性・・という印象。ただし、「この国の傍らに住む白拍子・・・」としての自己紹介(?)は、長めになっていたようです。

 

笠を外すと、面はなんだったのだろう、前回は写真から見るに小面らしき面だったようだけど、今回は非常に美しい大人びた女性の面です。

 

そして道成寺までやってくると、鐘を拝ませてほしいと頼むのですが、アイ(万蔵)は当然それを断り、二人はやや言い合いに。それを偶々聞きつけたのか、なんと住職であるワキ(欣哉)が何事かと二人を叱りつけるように声をかける。

法楽の舞を舞ってみせるから・・・と、頼むシテに、ワキは必要ない!とプイっと断り、シテはがっくりとして、悄然と橋掛りのほうまで下がっていきます。

 

しかし、これをさらに聞いていたらしい(笑)ワキツレ(謙吉)が、「鐘の再興でうちの若いモンも疲れてますから・・」(実際はもっとお上品に)と、白拍子の舞を見せてやることをワキに提案する。お堅い住職に対して、番頭さん的な僧のほうは現場の気持ちをなかなか分かっているようです。欣哉はしぶしぶ、好きにすればと言い、謙吉が早速アイに、先程の白拍子を呼び戻してこい、という。アイはやったね!という感じです。

 

そう、ここのあたり「道成寺」と違って、「鐘巻」では極めて自然な話の流れとなっているのですよね。「道成寺」ではいきなりアイが一存でシテを境内にいれたかのようになっていますが、道成寺内部にそのような事情があったのか、と(笑)。

 

勿論、「鐘巻」と「道成寺」は今やまったく別物なわけで、「道成寺」ではアイが迂闊にも、その魅力に負けて、勝手に白拍子を招じ入れてしまった・・、という解釈も成り立つわけですが。

 

 

(その2へと続く!)

 

 

posted by kuriko | 00:56 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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