能楽鑑賞などなどの記録。  
ついに

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今日は、銀座の新しい観世能楽堂に行ってきました〜!

 

今月から復活しま〜す!

 

(た、たぶん。。)

 

 

 

posted by kuriko | 23:40 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日に思う

 

水は低きに流れる。

 

まだまだこれから、どんどん悪くなってくね。

 

 

posted by kuriko | 23:26 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
時季2

 

復活は来月からかなぁ?

 

 

 

 

 

 

 

posted by kuriko | 02:17 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
時季

 

今日見た時にはもう萎れてしまっていたけど、葉牡丹って、こんな花が咲くんだ。。。

意外性というか。。。

 

 

 

 

 

 

 

posted by kuriko | 22:19 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
村上春樹 「騎士団長殺し」

 

たしかにそれほど上等な比喩ではない。だいいち暗喩ですらなかった。
「それは暗喩じゃなくて、明喩だよ」と私は指摘した。
「すみません。言い直します」と顔ながは額に汗を浮かべなから言った。「彼はあたかも、通勤の人混みの中でオレンジ色のとんがり帽子をかぶるように生きた」
「それじゃ文章の意味が通じない。それにまだきちんとした暗喩になっていない。おまえがメタファーだなんて、どうも信用できないな。殺すしかない」
顔ながの唇は恐怖のためにぶるぶると震えていた。

 

(本文より)


2017年に出版された本です。

 

・・・言うまでもなく・・。

 

全体として、村上版「インサイド・ヘッド」(ピクサーのアニメ映画)みたいというか、「ハルキ、創作のひみつ」みたいな内容で、メタフィクション的と言うとカッコいいけど(?)、あまり面白くなかったな〜。。というのが、正直な感想です。

 

主人公は例によって、パートナーとの理不尽な別れだとかの定番の「消失」が原因となって、ぽっかりと現実に空いた穴に落っこちる。そして、ほとんど無意識下と言っていい世界で冒険活劇を繰り広げ、地上へと生還する。

 

主人公にはこれまで以上に、著者自身の面影があったように思われるし、画家という職業にも、特に商業的な肖像画を専門としていたことにも、ある種の自虐というか、自身の作風に対するエクスキューズも感じさせた。

 

(ただ、売れない画家という設定のわりに、自身の能力と腕前に対する自負心は、ミョ〜に高い・・。そういうものだろうけど。そして著者の実際の暮らしぶりは、主人公よりもむしろ、お金持ちだけれどメイドは使わない「免色さん」に近いんじゃないだろうか。白亜の豪邸に住み、英国車を4台持っている・・)

 

確かにピカソのようなタイプでもない限り、一度完成した画風を極端に変える・・・という画家は少ない、と思う。そして多くの絵画作品では、本来は目に見えない「イデア」がメタファーとして仮の姿形をとって顕れる。

 

作中に「父親」というものが、あるいは血縁そのものが重要なファクターになっているというのも、「海辺のカフカ」のような例もあるけれど、村上作品には珍しいのカモしれない。

 

フロイト的な解釈を、著者は作中で布石を打って否定しているけれど、偉大な父親像や、我が子を目の前にして狼狽える父親、息子に呪いをかける父親、邪悪な父親・・・が主人公の中で顕れては消えていく。もっとも、エディプス的な要素も出てくるけれど、それはやはり要素の一つでしかない。

 

印象的なのは、主人公と疑似的な親子関係ともなる、親友の父親で偉大な日本画家という登場人物で(「雨田具彦」という)、主人公やその友人が30代半ばで、その父親が92歳という設定はいささか不自然だけれど、ハルキが一度書いておきたいと語っていた自身の父親像、なのだろうか。

 

そして避けては通れない、その世代の人物たちが背負っている負の遺産とでもいうべき過去が、この物語のメタファー的な原動力となっている。彼らは最後の最期まで、本当は何があったのかを語ろうとはしない。(それは個人が時代によって、すり潰されていくことの警告でもある。)

 

対して、現実あるいは明喩的には、「免色さん」の我が子(かもしれない)に対する執着が、空洞となった主人公を車輪にして物語を展開していく。

 

そういうところは、変わらず上手いな〜とも思うのだけど、クライマックスというべきところで、主人公の活劇の『比喩』が唐突に抽象画調となってしまい、あまりに前衛で(笑)、そこはちょっと残念だった(笑)。

 

過去の作品群は、無意識は無意識としてまだ機能していたように思うのだけど、もうそんなの面倒くさくなっちゃったのかしら・・?

 

これまでの自分の創作スタイルというか、本人も言うところの小説生産システムの『トリセツ』的な内容でもあり、自分自身の中に深い井戸を掘り、そこを下っていくと、物語の水脈にたどりつくのだ・・と。そういう意味では、やっぱり面白いことを書く人ではる。

 

なんとなく、雨田具彦の人物像ではなく、作風だけのイメージとしては、モデルは安田靫彦かなと思うのだけど、どうだろう??

 

 

 

posted by kuriko | 00:55 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
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