能楽鑑賞などなどの記録。  
<< 平成25年度第5回観世会能楽講座 「野宮」 | TOP | MANSAI◎解体新書 その弐拾参 特別編「萬斎」 「舞」  (一日目) >>
第2回 世阿弥シンポジウム2013 〜世阿弥の老い〜


講演
「<老い>から見た世阿弥」
講師  松岡心平

ワークショップ
「世阿弥の能『姨捨』を読む」
講師 観世清和
    小林康夫

ディスカッション
司会 横山太郎
   観世清和
   小林康夫
   松岡心平
   土屋恵一郎
   石光泰夫

※2013年10月23日(水) 東京大学駒場キャンパスにて。
※文責:クリコ。


そしていよいよ世阿弥シンポジウムです!補助席まで一いっぱい出している大盛況でびっくりでした!

今回のテーマは世阿弥の「老い」ということで、タイミング的にキヨの「姨捨」公演が話題の中心となっていたのですが、これが、かなりバトル・ロワイヤルな(笑)展開となっていて面白かったです。

まずはシンペーのキイノートスピーチからで、世阿弥(作品)における「老い」の特徴について。(手書きのペーパーの配布がありました。)

世阿弥の場合は、大きな3つの「枠」があるとかで、まず仏教枠。仏教の「生老病死」、そして無常観という土台があるということなのですが、二条良基から習った連歌の世界観も大きく影響しているのでは、とのこと。

連歌とは、「筑波問答」にあるように「前念後念をつがず」というものなんだそうな。和歌はその「世界」に執心していくものだが、連歌は解脱していく。作っては壊して続いていくのが連歌であり、『「無常」の状態を人工的に現出させる、死と裏腹の解脱の快感』がその精神なのだとか。これが茶道の云う「一期一会」にもつながっていくとのこと。

次は「翁枠」。これはもう、『能の世界に構造的にインプットされている』とのことで、記録上、最も早い「翁」の出現は1283年の「春日臨時祭礼記」なのだそうですが、特徴的なのは、翁と若者の「老・若」のペアで登場している、ということらしい。「老・若」=「死・生」を神の姿とすることによって、精神的に深いものを規定しているのでは・・とか。「今昔物語集」に出てくる行者の断食による臨死体験でも、翁と童子が現れたりしているそうな。基本的に、能には、市川團十郎的な「壮年の強さ」は存在しない・・とか。

そして3つ目が「世阿弥の特異性」ということで、世阿弥は観阿弥等と比べても、老人を主役とした能をよく作っている。子供の頃から、老いた(と言ってもこの時40代くらい)役者・喜阿弥の渋い謡声に感動する感性があったり、また「風姿花伝」にも、有限である人間存在の死を前提にして、「年齢別カリキュラム」を組んでいる・・というような話だったのですが、この日はクリコが寝不足だったため、このあたりでチョット寝てしまいました。。。ゴメン。。シンペー。。

つづいてキヨと康夫のワークショップというか、対談+実演ということになったのですが、キヨは紋付、康夫も和服姿です。キヨはまたまたちょっぴし不機嫌モードで(笑)、ハイデッガーまで引用していたシンペーの話に「難し過ぎるのはいけません」とのこと(笑)。

まず、もうすぐ「姨捨」ですねという話になったのですが、ここでキヨが二十四世左近が「姨捨」を初演した時の話を例に引き、シャキーン!とまるで刀でも抜くかのように、袂からあのいつものメガネを取り出し、すちゃっと装着します!その所作が、ミョーにキレキレでカッコよかったです。。

その左近(キヨのおじいさんのほう)の談話によると、老女物というのは本来、腰をかがめたり、声を小さくしたりして、「老婆」としての安易な写実を行うものではない。ということらしい。

キヨの話だと、前シテは「山姥」の前シテの如くやれという心得もあるそうで、いわゆる「楢山節考」的なものと、能の「姨捨」は別物なのだそうです。キヨの考えでは、前シテは月光菩薩が仮に里の女として現じた姿で、後シテは、月と同化した姿だと思う・・のだとか。月を見ている老女ではなく、月が照らしている老女を観せたい・・・とのこと。

康夫のほうは、「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」の一首がやっぱりすべての中核で、「更級(さらしな)」の響きに、月光に晒されつつ、消えていく、月光菩薩になりつつある情景が出ている。だけど、最後にごくわずかな「なぐさめかねつ」があって、お経を聴いて、成仏しかかっている雰囲気だと思う、とか。「秋よ」「友よ」と、まるでアルチュール・ランボーのような詞章が素晴らしい。姨捨山の月は、人生の紆余曲折を経て、結局誰もが見ることになる。世阿弥のすごいところは、ユングのいうところのアニマ・アニムスの両方を能に描いているところ、なんだとか(笑)。

ちなみにキヨ的には、もう身体が「姨捨モード」に入っているので、そういう色んな意見は、ホントは聞きたくないんです(笑)!とのこと(笑)。また「檜垣」と「姨捨」は、系列的に違っていて、「卒都婆小町」を披いたあと、人によって進むルートは異なるが最終的に、能楽師は「姨捨」を目指すものらしい。

終曲の部分では、泣く型と泣かない型があって、キヨは泣かないほう、なんだとか。だって、山になってるなら泣かないでしょ。泣いてたら、捨てられたおばあちゃんになっちゃう・・とのこと。

で、ここでキヨの実演です。東大キャンパスで「姨捨」をやるなんて、最初で最後だとか言ってました(笑)。

地謡4名も登場して、仕舞形式の実演は、なんとクセの「さるほどに・・」からきっちりトメのとこまででした。ステージには、キヨのPapaがデザインした白い(姨捨用の)長絹だとか、ススキだとかが飾られていましたが、ごくフツーの講演用ホールで舞うのは、ちょっとシュールな感じ・・。
(ススキはキヨの話によると、化学肥料や農薬の普及のせいで、今は良いものが全然取れないのだとか・・。)

キヨらしいカッチリとした端正な老女だったのですが、本当だったら序之舞が入るところをカットして、すーっと常座(にあたる部分)へ移動する時の、「無」の感じがすごくよかった。。。

実演の後は、二十四世、二十五世も「姨捨」に使ったとかいう福来の「姥」の面の紹介や、装束の説明等もありました。キヨも披きの時は、気落ちを落ち着かせるために、この「姥」面の裏を思わずぺろっと舐めた・・そうな(!!)。

次の「姨捨」公演は大阪なので、装束もどうするか迷っているそうで、大阪はやはり派手な(笑)ものが好まれるとか。面も造作がハッキリしたものを選んだりするそうです。それから、今回使っていた二十四世の形見の扇を見せてくれたりとか。「槍雲(?)」とかいう文様で、元々はこちらが観世流のキマリ模様だったとか(元滋が現在の模様を好んだらしい)。現在ではもう作れない技術のあるもので(職人さんが最後の一人とか)、最後の100本をキヨと三郎太の分だけ作ってもらったとか、なんとか。バファリンの成分の半分がやさしさなら、能楽の半分は親バカのようですわね。。fromクリコ

この後はいよいよ、タローが司会で、土屋恵一郎、石光泰夫も参加しての「ディスカッション」となりました。

これがなかなか波乱含みな感じで(笑)、最初に石光泰夫が、橋岡久太郎の「姨捨」の舞囃子についての観世寿夫の一文を取り上げ、ここにある「無文」の志向、対象に関わらない形を作る前の状態とは・・・と語り出したところで、う、う〜む、これは***・・!と既に危険な香りが・・(笑)。
(←観世寿夫の「心より心に伝ふる花」の「せぬひま」をお読みください。)
(←この寿夫の一件では、同じ週に「MANNSAI◎解体新書」を観に行って、偶然にもちょっと面白い話の続きがあったのですが、それはまた次回。。)

ちなみにキヨも言っていましたが、「檜垣」と「姨捨」は全くタイプの違うもので、「檜垣」が有文なら、「姨捨」は無文だとか。先日の「檜垣」(の蘭拍子)は小鼓がうるさ過ぎたのでは、なんて意見も出ていました(笑)。あれだけ掛け声が長いと、「せぬひま」が無くなってしまうとのこと。

次に土屋恵一郎の意見表明があって、老女物というのは、基本的に三番目ものである、ということでした。老人が舞うから老体なのではなくて、きちんと背筋を伸ばした三番目としての面白さがほしい。本当の老人は、むしろ「熊野」などをやるといい。能楽師の「老い」と老女物はまた別なものの筈、とのことでした。
(←う〜ん、でも、キヨみたいな立場の人でもない限り、ほとんどの能楽師は早くても壮年期の終わり頃に三老女の1つを披くぐらいがやっとなわけで、そう思わせてる風潮が能楽界自体にもあると思うケド。。ちなみにキヨの「姨捨」披きは忠雄の還暦記念の会で、42歳ぐらいとのこと。←この時は幽雪に稽古をみてもらったそうで、しっかり大きな声を出したほうがいいとアドバイスされたとか。)

またシンペーによると、世阿弥は50歳を過ぎてガンバリだしたそうで、「せぬならでは手立てあるまじ」なんて言っていたのに、義持の時代に禅が人気になり、水墨画に余白の美を見出し始めたのもこの頃で、一種の価値転換があったとのこと。そこで世阿弥も、「動かない」という方向性を見出したのかも・・とか。
また晩年の世阿弥は、人格が解体して木になったり、山になったりするキアスム(≒相互浸透)とでもいうべき境地を狙っているらしい。

恵一郎的には、詞章にある「夜遊の袖」にはかつての秋の日の思い出も込められている、だからこそ、それが妄執になっている。

そこに、一人の女がいることを忘れないでほしい。 by土屋恵一郎

ということで☆、それを忘れるとただの老女物になってしまい、月だけ見てるなんて冷酷だ、そうです。

シンペーはこの言葉に「橋の会」時代を思い出したそうで、シンペーが抽象的なことを言いだすと、恵一郎はいつも「女を、女を見なきゃいけない」と言ってたそうで、一人で懐かしがってました。(そして恵一郎は照れていました。)
で、康夫が、でも世阿弥も、シテはワキじゃなくって月に対して恥ずかしがってるって言ってるじゃない。とか突っ込んだりして、(他にも色々あったのですが)こうして第2回世阿弥シンポジウムも楽しく終わったのでした?!

第三回は、「謡い」がテーマで11月28日@観世能楽堂で〜す♪


 
posted by kuriko | 22:49 | 講座(能・狂言) | comments(2) | trackbacks(0) |
コメント
管理者の承認待ちコメントです。
2013/10/31 11:56 by -
↑さん♪

すみません、どうもありがとうございました(^^;)

なんだか、『自分カレンダー』が全部狂っている嫌なよかんが・・(^^;)

2013/10/31 22:10 by くりこ
コメントする










この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
トラックバック
Search this site