能楽鑑賞などなどの記録。  
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え、あら?

 

「生死の川」のTV放映って、今日だったんだ。。。

 

って、もちろん、録画予約してありましたケド。。

 

やっぱし映像だと、結構印象違うなぁ。。

 

 

 

posted by kuriko | 21:58 | TV(番外) | comments(3) | trackbacks(0) |
コメント

な、なんだか、このblogがバズってるんですけど・・・(^^;)
2016/06/26 23:51 by クリコ
クリコ様

ご無沙汰しています。

一昨日の日曜日に、NHKテレビで放映された能「生死の川――高瀬舟考」(多田富雄作・2016年4月21日(木)、国立能楽堂で公演)を鑑賞いたしました。今、4月29〜30日に記されましたクリコさんの「観能日記」を再読し、この能の素晴らしさを改めて実感したところです。
 クリコさんもおっしゃるように、「能にしかできない表現と、重いテーマが見事にリンク」していて、見応えのある能でした。免疫学という見識の持ち主・多田氏でなければつくり得ない内容だと思います。

――貧しい夫婦の妻が、乳癌の苦しみに耐えかね、剃刀で首を切り、死のうとしたこと。死にきれずにいたのを家に戻ってきた夫が、妻に頼まれその刃を引き抜いて死なせたこと。その夫が罪に問われ、遠島となったこと。――

現代では、安楽死を幇助した行為はそれほどの罪には問われません。しかし、江戸時代ではその行為は、高瀬舟に乗せられ、遠島という重い罪に問われました。とても、現代では考えられないような不条理な罪でした。それ故、夫は死後も納得できずに、罪障に囚われ、地獄で苦しんでいた。

この能の新しさは、そうした「安楽死幇助の罪」があまりにも重罪だった故に、死後も罪障滅除できなかった不条理への怒りを、幽霊として甦った夫が、罪人を運ぶ高瀬舟の船頭にぶつけるという構成にあります。
「南無幽霊成道 罪業消滅・・」と読経する船頭に、「のう、われらは罪人にて候や」「おん弔ひを止め賜へ」と抗議するシテの姿は、あまりにも現代的です。

その後のクセの場面で、末期の乳癌にかかった妻の苦悶の姿を、免疫学者独特の文章でリアルに描写した、多田氏の才能には頭が下がりました。クセの
――いたつき(病)の癒ゆることなき枕辺に、薬草本草をつくせども、かひも涙の深み草、露の間にだに去り得ぬは、肉を断つ苦しみ、骨を砕く痛みは羅刹獄卒の鉄杖もかくやらん。覚えず空をつかむ手はおのが髄をかきむしる、六腑はすなわち火炉となって、百節を焼くとかや。五臓は紅蓮の氷となって、白虫も残絶す。さればこの苦を免れんと刃をのどにあて、死なんとすれど死なれずして、ただ苦しみを深めたり――
テレビ画面に出てくる詞章の凄まじい表現に肝を抜く思いでした。
 
 私はこの能のハイライトは、立ち廻りの後の場面での、シテの次のような詞章、
――されどその妻の末期の面ざしは、いとはれやかにして菩薩薩陀の如くなり。高瀬舟の罪人のその罪咎のありかをば、ただしたまへ舟人――という部分ではなかったかと思います。末期癌に苦しみながら、臨終に向う妻の顔がまさしく菩薩薩陀の如く晴れやかだったという、この夫の確信こそ、この能の唯一の救いのような気がします。
 病理を知り尽くした医学者だからこそ表現できた詞章ではないでしょうか。

 今、改めてクリコさんの観能記を拝見しながら、遅ればせながらテレビではありますが感動を共有することができました。新作能に対しても、いつも感心をもたれ、舞台の感動をお伝えしていただき、ありがたく思っています。
 向暑の折、くれぐれもお身体を大切にお過ごしください。

                           江口老
2016/06/29 11:59 by 江口老
江口老さま

最近なにかと時間が泣く、いえ時間が無く、お返事遅くなりました。
丁寧なコメントありがとうございます。

2016年も半分終わりましたが、とにかく非常に印象的な一番でした。

新作能の面白いところは、案外その一番のポイントは、古典にありがちな「分かる人に分かればよい」では済まないところかもしれませんね・・。
2016/06/30 22:30 by くりこ
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