能楽鑑賞などなどの記録。  
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国立能楽堂三月企画公演 復興と文化后 (その2)

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(承前。。時間が空いてすみません。。)

 

 

揚幕が上がり、シテの登場です。茶系統の色合いでまとめた木樵の出で立ち、柴を背負い、しかし杖を突き、面は「小尉」とかいう名の老人・・・という姿。ワキたちの視野に遠く入ってきた、名もなき山賤の姿です。

 

ここは、パンフレットに掲載されていたシンペー(松岡心平)の解説によると、喜阿弥の「炭焼の能」から世阿弥が転用した、山水画の如き、いきなりの名場面となる・・はずだったのですが・・。

 

元々、特に最近はハコビに奇妙なクセを感じさせるGSなのですが、一歩々々の進み具合に、ヘンな硬さを感じる・・。手にした杖が飾りでなく、本当に杖として機能しているようで、コツコツという音がちょっと大きいような。

 

そしてシテは、一ノ松あたりに立った一声で、「あれなる山人は荷が軽きか家路に急ぐか・・・」と能らしく、自らの立つ情景を、第三者の視野の広大さで語る・・・のですが、ここの謡が音も息も軽く、GSとはちょっと思えないぐらいで、世界の広がりを感じさせない。

 

ちょっとびっくりしているところに、シテは舞台へと進む。もしかしてこれはリアリズム的な表現で、老いた山人が、重荷に耐え忍びつつ歩んでるところなんですよッ!ということかと思ったけど、まぁ絶対にそんなこともなさそう。

 

ツネ2がシテに声をかけるのですが、タカビーな実方の、上から目線な雰囲気がよく出ていて良いカンジ(?)でした(笑)。名高い阿古屋の松はどこかと尋ねられ、「知らない・・・」と答えた老人に、昔のことを知っているかと思って、わざわざ年寄りに訊いたのに・・と言う、感じの悪いワキ(笑)。

 

さらに、阿古屋松は昔はこの国にあったけど、今は出羽の国にある・・と答えたシテに、ワキはお得意のナビかせ笑いです。あざ笑う都人に、ここでシテは、笑うんじゃない、と意外な滑らかさで詰め寄るのですが、どうも今回のGSは『ふぬっ!ここだけは!』という気合いの入っている場面と、そうでなかった場面の起伏が激しかった印象。

 

ただ、木樵の老人の役柄としては、実方の非礼にかなりカッチ〜ン!ときていた・・・という雰囲気でもない。神の化身にふさわしく?静かに高慢なワキを教え諭すような雰囲気です。

 

ここはやはり(GSらしく)葛桶に腰かけて、同じく腰かけていたワキと同じ目線の高さで、静かに向き合います。かつて日本は三十三箇国だったけれど、今は六十六箇国に分かれている。陸奥の国も出羽の国と分かれたから、阿古屋の松は、今は出羽の国にあるんだよ・・・とのこと。
(←六十六という数字に、なにかお目出度い意味でもあるのだろうか?)

 

下々の者だからって、腐すものではない・・と、たしなめられ、さすがに感じ入る実方。樵の老人に案内してもらって、阿古屋の松を見に行くのですが、ワキのほうだけワキ座から大小前へとくるくる歩いて、道行を表現?していたようなのだけど、二人の間に実はそんなに距離があったのかしら・・。。

 

舞台にシテとワキ二人並び、さらに道は遠く、阿古屋の松を尋ねて行きます。これが詞章にも「野くれ山くれ里過ぎて・・・」と、結構な距離感の表現で、往時の東北のイメージというと、そんな感じであろうか。新幹線も無いしね・・。

 

そして念願の立派な松の木を見つけ、ワキたちが喜んでいると、シテは急に塩竈に返ると言いだし、自らの正体も明かして消え失せます。

 

この時シテは、杖をカラン・・と捨てて、急に走り去るようにするのですが、急にすごいペースになって、ここであそこまで走る必用もなかった気も・・。海に出て、波の上に乗って移動していった・・・というカンジなのかな??

 

里人の東次郎が通りかかって、ワキたちに阿古屋松の謂れを教えてくれるのですが、この時、実方も少しは反省していたと見えて、アイへのものの尋ね方が丁寧でした。そしてお互いに下居して、同じ目線で語り合います。

 

アイの語るところによると、阿古屋の松は、老松の精と人間の女との悲しい異種婚姻譚によって生まれた名木らしい。美しい阿古屋姫と、人間に化けた老松の精は夫婦となるのだけど、洪水で流された橋をかけ直すため、老松は伐り倒される。阿古屋姫がその場に呼ばれるまで、老松は伐られることを拒んだそうな・・。阿古屋姫がその跡に、新たな松の木を植え、それが阿古屋松と呼ばれるようになったとか・・・。

 

東次郎、お風邪なのか、お声がちょっと枯れた感じでしたが、端正な聴き取りやすい語り口。理路整然とした(?)展開が、なんだか東次郎らしいな、と思っていたのですが、もとからこうした伝説があったというのにも、ちょっと驚いた。

 

最終的には、自分が伐られる運命にあることを受け入れるというのが、なんとも草木らしいと感じるし、結婚した相手が、実は蛇でした。とか、鰐でした。とか言うより、松の木でした、というほうが、まだ気持ち的には楽かもしれない。(なんとなく。。)
(←橋として再生したと考える人はまさかいないだろうけど、どちらにしても、人間側からみた理屈でしかないのは、言うまでもない。)

 

そして東次郎の、きびきびとした元気のよい仕草が、日頃の鍛錬も感じさせたのでした。

 

さて、いよいよ、出端の囃子で後シテの登場です。

 

初冠を着けた真っ白な髪に、紫がかった色合いの、透けるような白い狩衣、一見、大口かと思うような、裾を拡げて着つけた白地の指貫。面は「腰巻尉」の、上品な美しい出で立ちだったのですが、装束が夏物みたいに薄くて軽く観える。。。まさか化繊ということもないだろうけど、ちょっと変わった質感だったようにも観えました。

 

シテは縷々松の功徳を語り、さらには実方が賀茂の臨時の祭で舞った様子も真似て舞う。・・・のだけれど、後シテの舞は、率直なところカタカタと硬く、実方としての優美な舞なのか、塩釜明神としての舞なのか、ちょっとブレていたように思う。一体どうしたのだろう・・・という感じでした。。

 

しかし「実方の盛りの 花やかに 妙なりし舞姿」のあたりで、シテは実方のナルシストぶりさえも真似て、水鏡に映った自分の姿をうっとりと見つめるのですが、ここは立ったまま、軽く覗き込む。自分に陶酔しているナルシストを、さらに第三者(?)が客観的に真似ている光景かと思うと、ちょっと面白い。

 

そういえば、「西行、阿古屋松、おほかた似たる能なり」と、ゼアミンが書き残している「西行」は、やっぱり「西行桜」のことなんじゃ〜ないのかな?という気がした。「西行桜」のほうは、西行が桜の木に文句を言ったら、桜の木のほうが、それは無いぜと夢の中に出て来る。「阿古屋松」のシテは塩竈明神だけど、結局、松の木と同体と雰囲気もあるし、非情と言われる植物のほうから訴えかけがあるところが似ているような。

 

シテは立ち去る前に、いつものGS節で、じぃっと熱くワキを見つめていく。しかし高慢な都人の実方が、東北の自然に触れた、その交感・・・というには、後シテの舞の様子からは、結局何が言いたいのか、ちょっと分からないカンジもあり。

 

なんとなくクリコの中で、消化不良な舞台となったのでした。。。

 

(おわり。)

 

 

posted by kuriko | 22:27 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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