能楽鑑賞などなどの記録。  
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銕仙会定期公演7月 (その2)

(「鶏聟」は休憩してました・・・。すみません・・・。)

 

そして「殺生石」。後見たちが一畳台と、紫色の「石」の作り物を運んできます。

 

ワキの玄翁和尚と、白い巨大払子を掲げたそのお供(アイ)も登場です。玄翁和尚は高僧だけあって、沙門帽子に大口の立派なお坊さんの出で立ちだったのですが、着けていた掛絡が、「高野物狂」でてっつんが着けていたものと、同じ??だったような??まぁそれだけですが・・・。

 

能弘は独特な、鼻声ふうのクセのある謡い方。でもこういう個人の「癖」を感じさせる若い(?)ヒトって、最近は逆になかなかいないような気がするので、貴重な存在かもしれない。

 

都を目指し二人が那須野を通りかかると、アイが飛ぶ鳥がある石の上で落ちたことに気がつき、ワキはその怪しげな石へと近づきます・・・。

 

それを「のう・・・」と引き留める声がして、シテの登場です。

 

一人の美女が、橋掛かりへと現れる。オレンジと緑青色が大きな段になったような唐織が、綺麗だけれど妖しい雰囲気です。「萬眉」だったらしい面が(解説に書いてあった)、さらに美しい。「萬眉」だけれど、気品を感じさせる顔立ち。

 

とにかくこの日、桂三がとても良く、前シテの魅力をさらに際立たせていました。立ち姿がビシっとして、文字通り筋金が入ったように綺麗です。やや息を含んだような謡声が、かつては内裏にも上がっていたお上品さを伝えています。

 

それは那須野の殺生石だから近づいてはいけない、と話すシテに、ワキはそもそも何故殺生する石なのか、と尋ねる。そこで、シテはかつて宮中にいた傾国の美女・玉藻前、その正体は九尾の狐・・・の話をし、退治された後もその石魂が殺生石として残っていると語る。

 

そして、自分こそがその玉藻前・・・と正体を明かす際に、突如クワっと鬼にでも変じたように謡に凄みが生じます。

 

クルクルっと身を翻して作り物の影に消えていくのですが、この時のキレの良さ、身体の芯のブレなさ加減も素晴らしかった。かつて玉藻前の全身が、明かりの消えた宮中で光って見えた如く、美女の姿のままその本性を表わす、という中入りが、この曲の最大の見せ場かもしれない。

 

アイがシテに問われて、那須野に逃げたこの野干(=玉藻前=キツネ)を犬に追わせたのが、犬追物の起源だとか話している間に、シテはせっせとお着替えです。

 

ワキが払子を振って祈祷をはじめ、やがて石がパッカーンと割れると、後シテ・野干の精の登場。赤頭に「小飛出」の面、前シテの装束の色合いに合わせて、黄緑の法被にオレンジの半切、という出で立ち。しかし、面が「小飛出」だと、やはり男性的というか、オス?の狐に思える。

 

ひらり、と一畳台から飛び降りる身のこなしも素晴らしく、この後は生前(?)の懺悔にと、自分が射られた時の様子など再現するのですが、その技のキレ具合も素晴らしかったです。そして最後に、もう悪いことはしません!と僧に誓って消え失せる。

 

配布の「銕仙」に天野文雄が、「殺生石」について考察を載せていて、シテの玉藻前がワキの玄翁を攻撃せず、むしろ石には近づかないように言ったり、ただ懺悔の様子を自分から見せたりしているだけなのは、実在の僧・玄翁(源翁)の人気の反映なのでは、とあって、なるほどネと思った。

 

たとえば「鵺」みたいな敗者の悲哀・・を感じさせずに、むしろ前シテの美しさ、後シテの技のキレ具合にこの曲の主眼が置かれているのも、この日のシテに合っていたのカモ?カラリと都会的とでもいうのか、ひじょうに技はキレるけど、余計な影みたいなものは残さないのがこのヒトの良さではあり。というか、私がそういう曲でしか観てないのかしら??

 

 

 

 

posted by kuriko | 22:59 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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