賀茂 素働 御田
シテ 清水寛二
前ツレ 北波貴裕
後ツレ 安藤貴康
ワキ 福王和幸
ワキツレ 村瀬提
村瀬慧
アイ 野村萬斎
野村裕基
野村太一郎
内藤連
飯田豪
大鼓 亀井広忠
小鼓 鵜澤洋太郎
笛 杉信太朗
太鼓 林雄一郎
地頭 浅井文義
※2021年4月8日(金) 宝生能楽堂にて
※時間の都合により、狂言は拝見しておりません
というわけで、久々にお能を観てきました〜!
・・・。。。
し〜ん。。。
いや〜久々の更新です。ほぼ一年ぶりの観能で、なにもかも懐かしくて・・
と、言いたいところだけど、それほどの間が空いていたわけでもないので、まぁ、それほどでもない(笑)。
舞台の上では、(この日の時点では)能楽師たちは特に覆子的なものなどはしておらず、三間四方でソーシャルディスタンスも取りようがなく(笑)、そのほうがいいな。と思った。(きっと、PCR検査などはやっているのでしょうが。)
勿論、最も印象的なのは、舞台の正先あたりの大きな白羽の矢が祀られた立台で、賀茂参詣に訪れたワキたちが、やがて現れた水汲む女たちに、その云われを尋ねると・・・という展開。
「賀茂」は、番組に載っていた解説では金春禅竹作とのこと。縁起絵巻的な構成なのだけど、人々に恩恵をもたらす「水」というものが、どこからやってきて、時宜に応じて姿を変えていく、その不思議を中心に語っていたような気もする。
前シテが曰く、むかし秦の氏女という人は、賀茂神社の清流を下ってきた白羽の矢を持ち帰ったところ、なんと、それだけで妊娠してしまったそうな・・(大変である)。
生まれた子供は、三歳になったときに父親は誰なのかと尋ねられ、この矢が父だと指さしたらしい。するとその矢は、雷となって天空に登り・・云々。
なんで天に登ったのと違う矢が、ここでまたご神体なの?という至極まっとうなワキのギモンには、そこは魚心あれば水心やで的な、水の恩恵はどこでも同じやでと、やや強引な論旨が展開されます。
当然(?)前シテの里女は実は神の化身で、真の姿を現すのは恥ずかしい・・とか言いつつ消える。(しかし後シテの別雷神とは別人格で、どちらかというと後ツレが前シテの本来の姿らしい。)
この日のしみかんは、前シテでは、志向的に内へ、内へと、あらゆる意味で内側に力をため込んでいたような印象。
「はずかしや」の地謡の妙にビブラートした感じが、意に添わぬ妊娠をした女性の、怨嗟の声にも聴こえなくはない。
中入で、しみかんがシテ柱と目付柱の絶妙な間に、ばちこーん!と自分を押し込んで観せて(正面からはそう観えた)、さながら時空を超えるがごとくでカッコよかった。真っ白な足袋の運びの高貴さよ。
今回は替間で、野村萬斎たちによる「御田」。早乙女たちが田植えをし、神職がチャチャを入れたり、鋤を使ったり・・。田植えは神事、豊かな水によってもたらされる豊かな実りというわけで、通常のアイよりも、情景の変化が絵巻物チックで華やかです。またここで、早乙女たちが懸想文をっもらったら・・と、大らかな農耕儀礼の存在もちらりと明かされます。
(それで結局、オリンピックの開会式の演出は、誰がやるんだっけ?)
人間たちが労働に励む一方で、御祖神(後ツレ)も現れて天上から現れて、神代の昔さながら、清流に袖を浸して涼を取る。
さて、その有り難いお水はどこからやって来るのでしょうか・・・?!そう、それは、天からです!というわけで、にわかに調子を変える囃子も素晴らしく、雷雲が巻き起こるさまが目に浮かぶようです。
雲が湧き起こり、雷が鳴り雨が降ると、その雨が流れ下って田畑をうるおす・・。水こそ命の根源なのよ!という曲。
橋掛りに現れた雷神の赤い髪には、輝く金の光り。それも幾つかついていて、「素働」の小書だったので、めっちゃ雷おとします!という大サービスだったのかもしれない。実はシテの役柄がしれっと入れ替わっていたのもお能らしい。
終盤には、雷神の返した袖がひっくりかえってしまい、しみかん、袖!袖!という場面もあったけど、そこは気合と勢いでカバー!ということで、非常に楽しかった一曲だったのでした。
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すみません、いま立て込んでまして、感想は近いうちに・・・。
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皆さ〜ん、こんにちは〜!
お元気でしたか〜・・!?
・・・し〜ん・・・
(←この、一番大変な時期が過ぎ去ったあとにノコノコ出てくるヒト感)
今日は、どこかに私と同じ趣味の方がいる!と思い、嬉しくなって投稿した次第です。
新装版の中公文庫なのですが、三島由紀夫とマニエール・ノワールの長谷川潔って、あまり結びつかないような気がしますよね。
ちなみに、旧バージョンの銕仙会のチケットは、今でも読書の「しおり」として時々使っています。
厚紙になっていて、ちょうどいいのです。
お能の会もそろそろ再開でしょうか・・?
それでは、また☆彡
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久しぶりに、神保町方面に行きました。
『古本まつり』開催中だったのだけど、最近は古本自体買わないのと、Amazonでポチってばかりなので、もはや何を買っていいのか分からず(笑)。高山本店にも行かないしね・・。
東京札幌(笑)オリンピックも、ここまで来ると、中の人たちにはお疲れ様です、というしかないカモ。
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先日のこと、「三国志展」を観に行ってきました。
入場待ちこそなかったものの結構な混雑で、しかも流行りの撮影可展示とあって、なかなかのカオスでした。
それに考えてみれば、私、三国志ってどんな話かもよく分かってなかった・・。
でも頑張って撮りました。
川本喜八郎の人形を・・。
話の過程はよく分かってないけど(笑)、それぞれが消耗しているうちに大陸の天下統一を果たしたのは、魏、呉、蜀の三国のいずれでもなかったというところが、なかなか示唆に富んでいるような・・?
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残暑御見舞申し上げます。
私は元気です。
しかしながら、自分自身を含め世界はつくづく、偶然と幻想で回っているのだなと思う今日この頃です。
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ある意味では、党の世界観の押し付けはそれを理解できない人々の場合にもっとも成功していると言えた。どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け容れさせることができるのだ。かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているのか十分に理解せず、また、現実に何が起こっているのかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持っていないからだ。理解力を欠いていることによって、かれらは正気でいられる。
ジョージ・オーウェル「一九八四年」より
この小説に描かれているように、私たち自身もそう遠くないうちに、昔はあんなこともできた、こんなこともできた・・と、懐かしく思いだすことになりそう。
何もかも失ってから、ささやかな日常の幸福を知ることになるのかな・・。
そうした言葉も持たなければ、記憶から簡単に消えていくわけだけど・・。
皆さん、真面目な話、日曜の投票には行きましょうね。可能であれば、油性インクの筆記具をご持参のうえ、ご使用下さい。
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一調
起請文
片山九郎右衛門
大鼓 亀井広忠
定家
シテ 味方玄
ワキ 宝生欣哉
ワキツレ則久英志
大日方寛
アイ 石田幸雄
大鼓 亀井忠雄
小鼓 成田達志
笛 竹市学
地頭 片山九郎右衛門
※2019年7月13日(土) 宝生能楽堂にて。
というわけで、シズカの「定家」を観てきました〜!
イヤハヤこれが、と〜っても素晴らしかったです!
でも同時に、その解釈(?)がなんだか謎だった(笑)のもシズカらしかったな〜と。
石塔(葛山)の作り物は、萌黄の引き廻しが掛けられていました。秋の曲だけど、季節感を意識したのでしょうか。すっかり定家葛に覆われてしまい、石塔はその姿が見えなくなってしまったかのようです。
北国からやってきたとかいうお坊さん(←欣哉)の一行が、初めての都見物とかで舞台にやってくる。欣哉は全体として、「定家」の品位には合わせつつ、特に策を弄しないような素直な行き方でした(たぶん)。都の景色を眺めるうちに、秋の時雨に降られて由緒のありそうな建物で雨宿りです。
ふと橋掛りのほうに背を向けた欣哉に、「のう、のう・・」と呼びかける声がする。欣哉は歩みつつも、声に気づいて振り返る。
この呼びかけが、いきなり、大変素晴らしく、時空を超えた(?)遠い場所からの私(ワキ)を呼ぶ声がする・・の感があって凄かった。う〜ん、いいネ、いいネ、シズカ!と私も久しぶりのお能に、ちょっとコーフンして聴いたのでした。
そう、基本的にお能の前シテというのは、通りすがりの旅の僧に対しても、何か言いたいことがあって化けて出てくるわけで、「時雨の亭」とご承知でのお立ち寄りなのですか・・と尋ねる様子も、強く出過ぎず、気品と柔らかさを兼ね備えたヨイ雰囲気です。
オヤこれはどなたの御屋敷か・・と、ノンキに尋ねるワキ僧に(遠方から来ているし)、ここは藤原定家卿がお建てになったものなのです・・と、早速に彼の菩提を弔うように勧めています。
とはいえ、前シテは持ち前の美声を聴かせていたものの、定家卿のことを語るにつれて、朗々と謡うというより、その正体である式子内親王の心情を表わして、どことなく苦しげに抑制された、言葉と言葉の間を重く切り、歌人らしく心底から振り絞る・・といった趣き。
今日は特に供養する日なので・・と、ワキを自らの墓石である石塔の前へと案内するのですが、再びここで「のうのう」と、これこそが(本当は私、)式子内親王のお墓なのよと語る言葉の、その前の呼びかけにだけは、言葉にならない強い感情が溢れていました。
地謡も大変素晴らしい。石塔がその姿も分からないほど葛の葉に覆われていることにワキも驚いた様子で、定家葛の謂れを尋ねると、シテ自身がいくらか客観的に、式子内親王と藤原定家の恋物語をすると、むしろ地謡のほうが「あはれ知れ」と、シテの心のポエムとばかりに熱く語る。シテのシズカと、地頭の九郎右衛門のアツイ絆も感じさせます(たぶん)。作り物を背に、サシからクセにかけて、「昔は物を思はざりし 後の心ぞ果てもなき」と、キリリと座るシテの姿の美しさ。
いつしかシテは立ち上がり、我こそが式子内親王だと正体を明かすのですが、この時の横顔というか、正面ではなく、ワキのほうを向いた姿が、装束の色合いも背景となる作り物の萌黄に浮き上るように、半ば溶け込むように計算しつくされていて、ここも素晴らしいと思った。
シテの着流しの唐織が、前から観るとごく淡い橙色と淡黄色の段になっていたのですが、その後ろの身ごろには、強い黒の段も入っていて驚くという仕掛け。
そしてシテがその姿を正面を向ける頃には、望まずに石塔に焼きつけられるというよりは、自然に石塔に溶け込んでいくようにさえ観えたのでした・・。
アイは石田幸雄で端正な語りだったのですが、感心したのはそれよりも(笑)、作り物の中の物着が、極めて静かに行われていたこと。時々マンガか・・というぐらい後ろの作り物自体が動いていたりする舞台もあるのですが、今回はほとんどそれらしい気配も感じさせませんでした。
所の者と何度か言葉を交わすと、旅の僧たちは行き合った縁にも動じず弔いを始める。続けての一声の囃子はやはり際立っていて、口惜しいけれど(←何故?)亀井忠雄はやっぱり凄い。時雨のあとに、山筋にわき立つ霧を思わせるような囃しぶりでした。
夢かとよ・・と、石塔の中から、今度こそシテの心の声が聴こえてくる。
緑の引き廻しがゆっくりと降ろされ、そしてまたも驚いたのは、姿を現したシテが神々しいばかりの姿で現れたこと。水干を思わせるような真っ白な長絹に、小豆色の大口。面は遠目なので分からなかったけれど、増か、端正な泥眼だったろうか。
しかし定家葛の苦しげな縛めを受けてはいて、詞章にもあるけれど、そこは「葛城」の女神のイメージと重なる。あまりに神々しい姿は、定家卿の情念がにじみ出るようだった前場からのいささかの断絶というか、飛躍も感じさせた。式子内親王は、賀茂斎院ではあっても、神ではなかったわけだから。
私の内心の文句は他所に(笑)、後シテはしばしの自由を得て嬉しそうです。なりたつも変わらず素晴らしい。シテが序を踏む時、観ている側のためでなく、しかしシテ自身のためというわけでなく、自ずから舞が舞台に生まれようとしている感がありました。
読経の力によって、たとえわずかな時間でも、互いの妄執から解放された時、シテが本来の自分に立ち戻った時に、そこに待っていたのは、神に仕えていた少女時代の私・・だったのでしょうか。
真っ白路な長絹姿には、清涼さを通り越して、ちょっと無心が過ぎたというか、月光を浴びているのであろう姿は、「姥捨」のシテの如く無私の世界になり過ぎていて、スピードオーバーというか、ちょっと曲としての「定家」を追い越してしまっていたかも・・。
勿論あれほど格調高い式子内親王を、私は他に観たことがないし、圧倒的に美しかったことも言うまでもない。。現代的(なのか?)に、シテが立ち返ったのは、自分自身であり、世界精神だった(?!)という解釈もアリなのかもしれない・・。いや、ただそう観えたというだけなのですケド・・。
そこまでしても、シテがまた戻っていく場所は、やはり石塔の中にしかない。因果というものは、結局その人自身とは関係ないものなのかもしれない。くるくる・・と葛の蔓が這い纏う様を表わして、また右に二回、左に一度・・と作り物を出入りしていたかと思うと、シテは沈み込むように石塔の中に下居して留める・・・。
というわけで、あれやこれや考えさせる点も含めて、終わったあとまで素晴らしかったシズカの「定家」だったのでした〜!
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今日は久しぶりに!シズカの「定家」を観てきました〜!
と〜っても素晴らしかったデス!(←キャラが変わっている。)
でもちょっと、なんなのその解釈(?)・・と、なったのもシズカらしかったカモ・・・(笑)。
感想は、また次回に。
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鶴岡で震度6・・・。
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今日は東京ステーションギャラリーまで、フィンランドの『セラミック・アーティスト』ルート・ブリュック展を観に行ってきました〜。(https://rutbryk.jp/about/)
ステーションギャラリーには久しぶりに行きましたが、東京駅の改修に合わせてリニューアルして、すっかり美術館と言っていい広さと設備になっていたみたい・・。
もっとも東京では会期の終わりが迫っているとあって、会場は大変な混雑でした。
そして作品はどれも素敵なものばかりだったのですが、それ以上に興味深かったのは、今回の展覧会は、東京ステーションギャラリーではもともとは太っ腹なことに全作品が撮影可とされていたようですが、「カメラのシャッター音に対する苦情が著しく多いため」、撮影可のフロアを制限することにした、とのこと・・。
私自身もスマホでパシャパシャ撮っていたのですが、自分のスマホに限らず確かにシャッター音は気になるな・・と。
そして撮影のために、無駄に(?)混雑が増長されていたかのような・・。
おそらくはクレームを寄せたのは、心静かに作品を鑑賞したいと思っていた人たちなのでしょうが、もしそれが『自分が撮るんだったらいいけど、他人が撮っているのは気になる』・・という現象だったとしたら、SNS地獄的になっている日本ぽいな・・と思ったことでした。
(3階だったので、撮影可・・。)
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ここでこんな話をするのは場違いのような気もするのだけど(笑)、すこし前に映画館で(つまりネトフリのPC画面でなく)『ROMA』を観た。
確かに映画通が喜びそうな、役者の演技や台詞よりも情景全体で心情を語らせる、素晴らしくすごい映画だった。
後半からの、あらゆる意味での此岸と彼岸の錯綜具合(洋画に仏教用語?使うのもなんですが)、そして主人公の女性も、ああ彼女もあの黒い波にさらわれてしまうかもしれない・・と観る者を震えさせるような、映像の美しさ。
私はわりと映画の話をするので、時々映画好きだと誤解されるのだけど(笑)、実はそれほど観ない。むしろ、たまにしか観ないので、逆に印象に残って話に出るのかも・・。
これからは、そんな路線で行こうかな〜と(笑)。
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大鼓 國川純
小鼓 曽和正博
笛 松田弘之
地頭 浅井文義
狂言
横座
シテ 石田幸雄
アド 野村万作
石田淡朗
春日龍神
シテ 安藤貴康
ワキ 大日方寛
ワキツレ御厨誠吾
野口能弘
アイ 飯田豪
大鼓 柿原光博
小鼓 鳥山直也
笛 栗林祐輔
太鼓 桜井均
地頭 柴田稔
※2019年5月10日(金) 宝生能楽堂にて。
というわけで、銕仙会定期公演に行ってきました〜!
今回、なかなか、彼らが意図し、あるいは意図せざるところでも示唆に富んだ舞台になっていて、非常に興味深い内容となっていた・・と思ったです。
で、まずは「草子洗小町」。
ベテランの真州らしく、非常に素晴らしく面白かった。それにしても改元ははじめから知っていたにしても、今月の公演に「草子洗小町」を持ってきちゃうとは、なんてタイムリーな番組。
万葉集、改竄といったキーワードもバッチリ(?)で、当代を言祝ぎつつ、で結局赦しちゃうというあたり、いろんな意味で(苦笑)現代的な内容だったかもしれません。
悪役の和幸(大伴黒主)は、宮中での歌合になんとか勝利しようと、対戦相手の小野小町の家に忍び込み、歌作を盗み聞きした挙句、万葉集を書き加えちゃうという無双ぶり(現代用語)。
観世流なので、舞台のほうから橋掛かりのほうに身体を傾けて、めちゃ分かりやすく盗み聞きする姿も大胆です。
和幸って端正な顔立ちのイケメンなのですが、こういう、やってることは実はセコイ、、みたいな役柄に逆にリアリティが出て可笑しい。
一方で、橋掛りに姿を現わして詠唱する小町の姿は、大変に美しく高雅な印象で、能楽の曲には珍しく絶世の美女としての小野小町の風姿が伝わってきます。(いつもは何故か、その美貌を失ってからの小町・・ばかりだもんね。)
さて、その翌日・・というわけで、歌合の場面となるのですが、華やかな宮中絵巻の趣で、帝(子方)を先頭に、を殿上人たちがずらずらずらーりと居並びます。
シテの小町も唐織を壺折にして大口を着ける衣装に改め、腹黒役の黒主は緑がかった暗い蝋色のような狩衣なのに対して、紀貫之は涼しげなペールブルーの狩衣です。貫之役のしみかんも、今回は歌道レジェンドにして貴公子の役柄に相応しくいつもより柔らかな息遣い。
早速ミカドの言葉によって、歌合は催され第一番に小町の作が詠まれると、帝もさすがは小町、とお褒めの言葉も出たのですが・・・。
ここで、ちょっと待ったぁ〜!!と、黒主が割って入り、彼の虚偽の申し立てによると、なんと小町の歌は、万葉集に載っている古歌とのこと。これには小町自身もビックリです。
当然、小町と黒主は万葉集を廻って激しく言い争うことになるのですが、真州ももうおじいちゃんなので(失礼)、自然とこの何十年後かに起こるであろう「卒都婆小町」や「鸚鵡小町」の場面を思い起こさせます。
そして、これが証拠ですッ!と黒主が文字通り小町の前に叩きつけたのは、なんと黒主が改竄した万葉集の草子だったのでした・・。ここまでくると、小町の側に座っていた「官女」たちもすすーっと離れていきます。
この時の、もの言わぬ真州のもの言わぬ演技が素晴らしかった。ただ座っているだけなのですが、心底まで落胆している気配が伝わってきます。衆目を一身に集めつつ、そして「恨めしや・・」と思わず漏れた本音の強さに、これまた後の老女ものでの小町の片鱗も窺わせたのでした・・。
ところが、黒主が叩きつけた草子をよくよく見ると、新たに書き加えられた行は乱れていて、墨の色も違う・・(昨日の今日なので、まぁ当然ですね)、と黒主の改竄に気が付く小町だったのでした。
これに対して、『やっぱり!』よりも『恥かしい』と小町が反応するのは、曲中でも繰り返し言われているように、和歌は神聖なもの・・という感覚なのでしょうね。
しかし流石に、清流から汲んだ水でこの草子を洗いたいと言いだした小町に、あの紀貫之も意外と常識的に、いやそんな上手くいくわけないじゃん。。的な反応。しかし、泣きながら思わず立ち去ろうとする小町に、キムタクの「ちょ、待てよ・・!」ふうに呼び止める貫之しみかん。(←発想が古い。)(←実際の舞台では勿論そんなノリではありませんでした。)
貫之の奏聞にミニ帝は明快に、ならば洗ってみよと英断を下します。
ここでシテ小町は大胆にも唐織を脱ぎ捨てて、裳着胴姿になってみせるのだけど、それからあれこれと和歌の徳を語っていて、あの、もう、早く洗ったほうがいいのでは・・と言えないもないけど・・。
勿論、扇で小町が清き流れを万葉集に注ぐと、あら不思議、黒主が書き加えた筆跡は見事に洗い流されて行ったのでした・・。
この事態に、黙って座っていた黒主も「もうオレ死ぬから」と席を立つのですが、心優しい小町は、「これも一生懸命さの表れですこと、おほほ」とか言って許しちゃうのですね。加えて帝も、黒主もそこまで熱意があるのはいいことだよ、とか言って座に戻るように促します。
帝に言われちゃ〜しょうがないよね!と黒主も、そこは妙に立派に居直るのでした・・。結局『まぁいいんじゃないの?』と有耶無耶に終わってしまうあたり、日本古来の伝統を感じさせなくもない(笑)。
さらには、これにて大団円ということで、小町は長絹を身に着けると、優美に舞を舞って、御代を言祝ぐのでした〜。。。
と言っても、小町は本音ではやはり黒主を許していなかったのかもしれません。シテが常座のあたりでターンを華麗にキメた時、小町の紫色の袖が、ぺちっと黒主の顔面をヒットしていたことでした・・。
続いて、狂言「横座」。
この「横座」では、な、な〜んと石田淡朗が「牛」になって登場です。牛から修行しなおすことにしたのでしょうか。
賢徳の面に黒頭を着けた、あの独特な狂言としての「牛」スタイルだったので、ホントにタンロー・イシダだったのかは分からないのですが・・。
ともあれこの曲は、シテ(幸雄)が、赤ちゃんの頃から大切に可愛がっていた牛が何者かに盗まれてしまい、これを取り戻すという物語(和泉流だとちょっと短いようですが)。
その牛は座敷に上げて大切に育てたために、「横座」とその名を呼べば返事するとのこと。
昔の主を忘れてしまったのか、二度までは呼び掛けられても返事をしなかった『横座』くんですが、幸雄が念入りに因果を含めると、見事に「んんもぉぉぉ〜っ」と返事を返していました。
これにはシテも嬉しかったことでしょう。帰っていく二人に、牛を見つけたと言っていた万作も、慌てて轡だけでも返せと追いかけていくのでした〜。めでたしめでたし(?)。
で、さて、「春日龍神」。
ワキの明恵上人は声も姿もよくて、明恵上人の品位が伝わってきて素晴らしかったのですが、緊張していたのか肝心のシテに、謡に妙なクセがあり、棒読みというか棒謡というかどうも中身がアタマに入ってきませんでした・・。
シテはまだ新人とでも呼べるようなヒトで、やはり「それらしく観せる」ということだけでも大変なことなのだなぁと、別な納得感があったことです。
動きの激しい後シテの龍神よりも、前シテの老翁(神職)姿の時のほうが、動きが静かなだけに演じていて難しそうだったのも興味深く思ったことでした。
曲の粗筋的には、春日明神が海外留学を決心した明恵上人を、必要ないよ、日本がいいよと引き留めるというもので、そのがんばりに免じて・・というところでしょうか、ワキもついに入唐渡天の夢は捨て、この地に留まることを誓います。
なんとなく、スレた目で観ると、ホントにいいのかなそれで・・・となる終曲二曲が揃った(笑)この日の銕仙会だったのでした〜。。。
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(承前)
さて、お坊さん二人組がその御堂で休んでいると、どこからともなく(でもないけど)、陰鬱な雰囲気の囃子が流れ・・、揚幕が上がり、松明を手に、水衣、腰蓑と労働者スタイルのおじいさんがやってきます。
おじいさんは松明の火を振りながら、すーっと物憂く橋掛りを進むと、殺生を生業とするのはつらいが、生きていくためには仕方がない・・と嘆きの言葉を口にする。鵜使いなので、殿上人が喜ぶ明るい月夜よりも、闇夜のほうが都合がいいとのこと。
しかしこのシテは貴信キュンなので、持ち前の明るい声がいくらか邪魔をして(?)、怪しげな影のある老人というには、いささか端正過ぎた感もあり・・(余計なお世話ですね)。
シテが御堂に上がってくると、先に上がっていた僧たちと勿論鉢合わせです。そこで早速、また尊大なワキ僧が(笑)現れた不思議な老人が鵜使いと聞くと、若い者ならともかく、そんな年なのに殺生なんてやめてはどうかと諭し、シテはごもっともだけど、ずっとこれで暮らしてきたので今更やめることはできない・・と応じる。
ここで、ワキツレの寛が、はた。と、そういえば、2、3年前にもこの男に会ったことがあると言いだす。2、3年前にも偶然出会い、その時も同じように殺生を戒めたところ、その男は感じ入って自宅でもてなしをしてくれた、とのこと。
実はこのエピソードが後場でもちゃんと生きてくる伏線となるのですが、お能にしてはちょっとヒネリのある感じです。
しかも、その男は殺生禁断の場所で鵜を使っていたために、なんと殺されてしまったのだとシテ自ら語る・・。そして自分こそがその幽霊なのだと凄みをもって、すっぱりと打ち明けるのでした。ちょっと気取った言い方をすると(笑)、文字通り懐に隠し持った刃(ドス)が、ひやりと煌めくようです。
(ここ2、3年の間にシテは死に、幽霊となり、生前出会っていたお坊さんと再会するというのは、お能にしては(現在物は除く)わりと時間感覚が短いような気がする。)
ワキもなんと前場のうちに、では懺悔のために自分のその殺生の業をお見せなさいな、弔ったげるから。と、勧める。
鵜之段は面白い場面なのだけど、狩猟本能につき動かされて・・というより、現在では観光資源にもなっているような、情景の面白さが先なのですかね。
能舞台では扇が、ある時は刀に、ある時は盃にとなんにでもなるけれど、この場合はなんと川面に放たれる鵜にもなり「この川波にばつと放せば」と、銀の扇がキラリと開かれる・・。
やがて鵜使いの有様をやり尽くすと、前シテはあの世へと帰り、アイの泰太郎が再びやってきて、ここで実は・・とアイ語りになるのですが、大体のアイ語りでは『詳しくは知らないのですが・・』とか言って昔語りになるところが今回は泰太郎が「実は私も一緒に殺りました」的なことを言っていて、オマエも殺ったんかい?!という感じでちょっと可笑しい。しかも大竹を割って簀巻きにして・・と、さすが(?)当事者なので殺害方法まで具体的に説明してますた。。
(最初にアイが、村の掟で旅人は泊めないことになっている・・みたいなことを言ったのも、その辺がホントの理由だったりして・・)
川の石に御経を一文字ずつ書いて供養するワキたちの前に現れたのは、変わり果てた姿の後シテ・・ではなく、なんと別人の異形の鬼のようでした。ただ地獄のオニ・・・とだけ本人は名乗っていたのですが、赤頭に唐冠をつけ、小ベシミに法被(だったかな?)を着た、ヒラの鬼というにはかなり立派な出で立ちで、雰囲気(?)的には閻魔大王のようです。
しかもこの鬼が語って曰く、この者(前シテ)は若年から漁ばかり行い、罪状を記した鉄札は数多く、金紙には書くこともない・・けれど、一度お坊さんを供養しているので、許す・・とのこと。前場でのワキツレの話が、伏線として活きている感じです。
「鵜飼」は榎並の左衛門五郎(?)が書いた曲を世阿弥が改作したとかで、結果として偶々そうなっただけかもしれないケド。お能の演出って、わりと「結果としてたまたまそうなった」パターンが多そうな気がする・・。
しかも法華経songなので、法華経ならどんな身分の人でも救われるのですよ、ということらしい。ただの川辺の石であっても、有り難い御経を書き込めば、投げ込まれた水中で一文字ずつが仏となって・・と、そんな光景が目に浮かぶようです(井上靖ふう)。
もともと、かなり暗かった話をこうして、ちょっと明るめに洗練させるというのが、やっぱり世阿弥らしいなと思ったことでした。
おわり。
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仕舞
箙 藤波重孝
夕顔 ?梨良一
解説 関根知孝
鵜飼
シテ 坂口貴信
ワキ 殿田謙吉
ワキツレ大日方寛
アイ 山本泰太郎
大鼓 大倉栄太郎
小鼓 幸信吾
笛 八反田智子
太鼓 大川典良
地頭 関根知孝
※2019年4月13日(土) セルリアンタワー能楽堂にて
というわけで、久しぶりに(笑)、セルリアンタワーでお能など拝見してきました。
なかなか面白かったです。「鵜飼」は一応、エンディングに救いというか、明るさのある曲なのですよね。
「箙」「夕顔」と仕舞があって、知孝の解説です。
このヒトの解説は初めて聴いた気がするけど、メガネをかけて、ちょっとキンチョー気味に(笑)話す知孝は、能の舞台で観るのと全然違う雰囲気でした。
今回はお狂言の上演がなく、真面目でシリアスな能だけになって、ちょっとカタイほうに偏った番組になってしまった。とか・・、
モーツァルトも今では古典だが、生きていた当時はマジメさがないと批判されたりもした。お能もモーツァルトより古い時代に成立していて、マジメな時代だったのですね(笑)。
お能は真面目な芸で人間性を追求し、狂言は同じ舞台で滑稽や笑いを担当して、分化、分業してきたのです。鶏は、雄、雌で「つがい」で売られたりしていますが、「番」は蝶番と同じ字を書きます。お能もお狂言と一番いで、これを「番組」と呼ぶようになったとのことです。本日の「鵜飼」でも、アイとして狂言は出てきますが、別にふざけたことはしません(笑)。
「鵜飼」は甲斐の国、山梨県の石和川が舞台で、ワキの旅の僧は、日蓮上人と思われますが、はっきりとは名乗りません。「現在七面」や「身延」では、日蓮上人として出てきます。日蓮上人としてしまうと、説教をさせたり、扱いを変えなければならないからでしょうか・・。
・・と、ここからはしばらく「鵜飼」の粗筋の解説で、それからお能の感想は、一言「面白かった」で充分です、とのこと。思いもよらぬことに出会った、心を引き寄せられて心を開く、それが「面白い」です、と。
「鵜飼」にもオニが後場に登場しますが、お能の鬼には2種類あります。血統書の無い(笑)鬼は、もともと人間だったのです。愛していた人、尊敬していた人などに裏切られると、想いがツノって人は鬼になります。
これに対して先祖代々、もとからの鬼は人情がなく、ただ正義のために働きます。死後の閻魔大王の審判で、「鵜飼」の前シテは、殺生を生業としていたために、生前の善行を書く「金紙」に書くことが何もなく、悪行を書く「鉄札」は何枚にもなった。しかし、(死ぬ)2、3年前にお坊さんにもてなしをした唯一の善行で極楽浄土に行けることになったのです。
鬼が法華経の思想で亡者を浮かめることが出来た、そうした曲です。同じく『三卑賤』の「善知鳥」「阿漕」は死後の苦しみを観せるのですが、「鵜飼」では後シテが法華経の教えにより、鬼が堂々と救うのです。こうした鬼を描く曲を面白く観せることができたら、「岩に花が咲く」と言ってたいしたものなのです・・等々、話してました。
「当時はお宿をネット予約なんで出来ませんから(笑)」とか「EUのBrexitで水産資源でもモメていますが・・」と、時事?ネタも時折混ぜ込んだお話ぶり。切戸口に引っこんだ後に、ピンマイクのスイッチをoffにするのを忘れて「あ〜時間が丁度でよかった・・」とか話しているのが、一瞬?見所に丸聞こえになったのはご愛嬌でした(笑)。
で、さて、「鵜飼」。
囃子、地謡が登場すると旅のワキ僧が登場するわけですが、ワキは『とのけん』で、だいぶ痩せてたけど、声は細ることもなく、お元気になられたようでよかった。
しかしこの「日蓮上人を思わせるワキ僧」は、高僧だけに態度がわりと尊大で(笑)、石和の里人に宿を求めて断られると、「あっそ、じゃあいい」とぷいっと背を向けてしまったり、「あの御堂に泊まるといいよ、お化けでるけど」と教えられても、「自分は法力高いからオッケー」みたいなこと言ってて、ちょっと個性がある感じでした(笑)。
つづく。
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あたら桜の とがには有りける
今年の桜も、もうすぐ見納めです。
って、その木はずっとそこにあるんだけどね・・。
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Japanオリジナルということにしたかったけど、元ネタは中国だった・・というあたり、日本文化の成り立ちに想いを馳せるよい事案だったのでは・・。
お能の詞章でも「カッコいい詞章だなぁ〜」と思っていると、漢詩の引用だったりとかフツウですしね。
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最近、さすがに貯まりに貯まった番組やパンフレット類を捨て、、じゃなくって少しずつ整理しているのですが、、
・・・。
・・・。
いわゆる、ちょっと、エモいです・・。
・・・。
出会ったこ〜ろ〜はぁ〜♪
こ〜んな日がぁ〜♪
(↑でも、わりとノリノリ・・?)
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小袖曽我
シテ 観世清和
ツレ 観世三郎太
観世芳伸
角幸二郎
関根祥丸
アイ 野村萬斎
大鼓 亀井広忠
小鼓 鵜澤洋太郎
笛 一噌庸二
地頭 岡久広
狂言
入間川
シテ 野村太一郎
アド 高野和憲
深田博治
仕舞
白楽天 武田宗和
兼平 浅見重好
網之段 関根知孝
昭君 藤波重彦
葵上 梓之出 空之祈
シテ 山階彌右衛門
ツレ 坂井音隆
ワキ 宝生欣哉
アイ 内藤連
大鼓 佃良勝
小鼓 幸正昭
笛 藤田次郎
太鼓 桜井均
地頭 武田志房
※2019年3月3日(日) 観世能楽堂にて。
※お仕舞と「葵上」は時間の都合により拝見しておりません。・・サーセン。。
・・というわけで、キヨと三郎太の「小袖曽我」を観てきましたぁ〜!
なかなか面白かったです!
曽我兄弟の母親役の芳伸が、乳母役(アイ)の萬斎さまも連れて座着くと、早くも舞台は整い兄弟のほうも早速登場です。
シテとツレは侍烏帽子に、あれは掛直垂とでもいうのですかね、下には大口を着け弓矢も携えた凛々しい姿での登場です。キヨは22歳というにはちょっと貫録ありすぎ(笑)だけど、三郎太は色白で、顔立ちもなかなか綺麗。
素袍姿の団三郎(幸二郎)と鬼王(祥丸キュン)は、最初のほうに兄弟のお供でちょこっとついてきただけで、「小袖曽我」はわりとすぐに引っこんでしまいます。
曽我兄弟は、鎌倉殿こと源頼朝が行う富士の巻狩に乗じて父の仇討を果たそうと、母親に暇乞いと、親の許しも無く箱根権現を抜け出したために、勘当となった五郎の許しの得るためにやってきたのでした。
最初に十郎(キヨ)が母親を訪ねると、アイ(その呼び名も「春日局」)も気持ちよく応対して、和やかに歓談となります。
シテは正中に居て、その様子を揚幕の前で寂しげに見つめる五郎(三郎太)。そこはお能なので、特にカオで演技するようなことはしないのですが・・。
興味深く思ったのは、通常の演出では登場しない「小袖」を、『いろいろの御もてなし 御祝ごとの御盃』のあたりで後見(貴信キュン)が切戸口から運んできて、笛柱のあたりまで下がってきたアイに渡し、アイがさらにツレ(母親)に渡すと、これがシテ(キヨ)に与えられていたこと。
実際には、きらきらと黄金色に輝く狩衣?か何かだったでしょうか。シテは正中から見所に向かって、これご覧ぜよと、誇らしげに示します。(そのあと後見座にまた戻す。)
原作の曽我物語では、死を覚悟していた兄弟が母親に父の形見の品を求めて、与えられたものらしい。
その小袖が輝くように綺麗だったことが印象的で、当時であればもう大人の年齢でも、現代の感覚では青年としてもまだ若い曽我兄弟の青春なのか親孝行なのか、でもとにかく、そうしたかつて美しかったもの、を観せたいんだろうなキヨは・・と思ったことでした。
やがて十郎は母親の元を一度辞すと、橋掛で待っていた五郎に、「今ならママも機嫌いいし、オマエも行ってこいよ」(←現代語訳)みたいな感じで勧める。
ためらいつつも、意を決して五郎も舞台へと進みます。「時致が参りたる由それそれ申し候へ」とアイに取り次ぎを頼むのですが、この時の三郎太は巧すぎず、下手すぎず、堂々としてよいカンジでした。
しかし乳母であるはずのアイは、これを完全に無視(笑)。ツレの隣に座ったまま動きません。乳母にまで見放されるとは・・と、五郎もガックリです。
勿論、ツレのほうにも五郎の声は聞こえていたのか、あら、箱王とかいうニセ者かしら・・と冷たく言い放つ。重ねて落ち込む五郎に、どうだった?と扇で差し招く十郎の姿が可笑しくも観えなくもない。
「やっぱり勘当だって・・」とシオる五郎に(しかし、直面の登場人物がこれほどよく泣く曲も珍しい)、十郎はオレに任せろと、再び弟を引き連れ、母親のもとに戻るのでした。
五郎のことを言うなら十郎も勘当だと厳しく言う母に、五郎は毎日、法華経を母上のために読誦し、念仏を六万遍父上のために唱えていたのですよと、諄々と五郎の孝心を説く十郎。今回、地謡も繊細に響き、まだ初々しい兄弟の心のうちを伝えてきます。
しかし残念だったのは、泣く泣く去ろうとする兄弟に堪りかねて母親が「ゆるすぞ、ゆるすぞと」と立ち上がって追いかけるところで、ツレの足が相当シビれていたらしく(ずっと座っていたし無理もないけど)、仮面の裏の感情が溢れ出る場面のはずがツレの声が弱く、動きも鈍くなっていたこと(さすがにキチンと立ち上がっていましたが)。
それまで落ち着いた、気品と気骨を兼ね備えた女性の雰囲気があってよかったのですが・・。あれでは、ちょっと分かりづらかったカモ・・。
代わりに(?)三郎太と一緒に戻ってきたキヨが、これまでの年月のことをお話しせよと五郎に向かって強めに言って、場面を盛り上げてますた。。
親子で和解したあとは、そこでまた酒宴となった模様で、キヨが母親にお酌に立ったあとは、眼目の相舞です。
こちらもキヨが三郎太をかなり特訓したらしく、よく揃っていたうえに、三郎太にひ弱さみたいなブレを全く感じさせません。・・ていうか三郎太って、かなり小さい頃から(実際はどう思ってるか知りませんが)、見るからにアガったりとか、固くなったりとかが全然ない子なんだよね・・。やっぱり慣れなのか、このあたりは舞台向きでしょうか。
あなたは今ぼくが、どんなに大変な思いをしてるか知らないから、そんな気楽なことが言えるの。という感じかしらね・・。
勇んで狩場へと旅立っていく、祐成と時致の兄弟。この兄弟が史実通りに(?)死んで、それから富士の裾野を旅する僧の前に現れたりしたら、それはまた別の曲だけど、こうして生きている一場面だけ切り取る戯曲というのも、面白いといえば面白いのかな・・。平家の公達は霊となって現れるパターンが多いけど、こちらのほうが原作により忠実なのか(笑)。
たしかゼアミンも、『能の曲書くときは、原作もののほうがええで』みたいなことを言ってたと思うんだけど、こうした場面を忠実に描くような、粗筋の面白さで観せる曲というのもありなんだなぁと思ったことでした。
「入間川」。太一郎が間の抜けたお大名役だったのですが、ちょっとおまぬけな、でもお大名らしい風采のある芝居ぶり。なんだか、三宅右近が万作家に客演しているかのような雰囲気になっていて、そこも面白いな〜と思ったです。
おわり。
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「白の美術館」今日見たけど、三郎太って19歳にしてはオトナっぽいな〜。
サラリーマン4年目くらいに見える(笑)。髪型のせいかしら・・。
「小袖曽我」の感想は、また次回。
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ドナルド・キーンさんのご冥福をお祈りします・・。
先日のTV放送でも、お姿を拝見できないのを残念に思ったけれど・・。
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実際に中身を仕切ってるのは、ぜんぶ電通なんだろうけど・・。
オリンピックの開閉会式費用が130億円ですってよ、奥さん。
虚しいことです。
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(承前)
孝一の話では、「曽我物語」はまず鎌倉時代に成立し、漢字で書かれていて「真名本曽我物語」と呼ばれる。室町時代に発展して、より読みやすい「仮名本曽我物語」ができる。真名本のほうは東国で書かれたらしく、地名なども正確だが、仮名本は都で書かれていて、脚色が強い。真実に近いのは真名本と思われるが、意外にも能の「小袖曽我」は、詞章や場面なども真名本に近いとのこと。
シンペーは、曽我物語は能以外の幸若舞の舞曲などにも発展しており、どうやって伝承されてきたのか。十郎祐成の愛人だった大磯の虎、虎御前が語ったともいうが、折口信夫の言うように女性の語り、修験比丘尼のような女性たちが、武士たちの荒々しい魂を慰める、鎮魂の語りだったのは・・と言ってました。孝一によると、自分は大磯の虎御前だと名乗る女性の芸能人が居たとのこと。一方で、平家物語は琵琶法師、つまり男性が語っており、曽我物語は女性が語る・・。
(シンペー:)同じ仇討ちものの能「望月」でも、仇討ちの場面で奥方が「盲御前」になって、曽我物語を語る。不動明王の『ふどう』と工藤祐経の『くどう』を幼い兄弟の弟が間違え、兄に諭されて小さな手を二人して合せる場面。ここで「望月」では、幼い子方が「いざ討とう」いきり立ってしまう場面になる。能の中にそういう女語りが仕組まれている。
(孝一:)当時、目の見えない女語りとしでの曽我物語は一般化していた。曽我物語では母親が大事な役割を果たし、真名本でも母親が度々登場し、父親的な役目を果たしている。これは女物語りだったからではと思う。本来は勘当するなんていうのは、(当時は)母親の一存ではできないし、(箱根権現を抜け出した)五郎が許しを請いに行くのも、母親のところに行っている。
真名本の中から「小袖曽我」の詞章は取られていて「箱王とは誰そ」と母親がいう場面や、五郎は橋掛かりに控えていて、十郎が情に訴えて母親を説得する、同じ進行になっている。これが仮名本だと、五郎のほうが中心にいて威張ったりしている(笑)。
孝一もシンペーも、真名本のほうが仮名本よりも、純粋、素朴で「そくそくと」訴えてくるものがあって文学性が高い。仮名本は物語のそれぞれの場面の盛り上げに力があって、歌舞伎的というか、本来無かったものがどんどん入ってくる(笑)と言っていました。
ちなみに「小袖」そのものは詞章にも出てこないのに、なぜ「小袖曽我」なのかというと、孝一の話によると、真名本では、涙ながらに五郎を許した母親に、五郎が兄弟の父の形見である小袖を乞う。母親は、二人が死ぬ覚悟をしていると知らずに、この形見を与えると、(事件の後)今度は二人の形見としてこの小袖が戻ってくる・・。真名本では、戻ってきた小袖を抱きしめて母親が号泣する場面があり、悲劇の象徴となっている。
シンペーの話でも、大磯の虎と十郎の別れの場面でも小袖を交換しているそうです。鎌倉時代までは「小袖」はまだ『下着』の感覚で、これは形見の品としての交換の意識が強い、とのこと。
孝一は真名本の進行に沿って「小袖曽我」は進行しているので、(往時に)観ている人はその後どうなるかを分かっていて観ていたと思う。母親が二人が死ぬと分かっていたとは思わないが、観ているほうには分かった、と。
(シンペー:)「小袖曽我」のクセの部分は、世阿弥の時代より後にできたもの。相舞は、どちらが上手いか芸力が分かってしまう能楽師にとって怖いものだが、安土桃山時代の型付だと、十郎一人で舞っている。江戸時代になると兄弟で舞っている。(喜多七太夫が母親役で、息子たちに相舞をさせたという記録なども残っている。)
中国の「二十四孝」などを見ても、中国では親孝行に親の仇討ちは出てこない。ところが、日本では親の仇討ちという話が出てくる。父親が殺された時、一萬と箱王は五歳、三歳だったわけで、こうした「教育」を実はしていたことになる。「仇討ち」というものがいかに日本人の情動を操ってきたのか、歌舞伎でも『困ったときの忠臣蔵』とか。これって何なのでしょうね(笑)。日本人のメンタリティとして考えていくべき問題だと思う。
ここで孝一が待ってましたという感じで言っていたのは、シンペーはこれまで「かたき討ち」と「あだ討ち」の両方で言っていたのだけど、孝一は一貫して「かたきうち」と言っていて、すなわち「敵討ち」の意味で言っていたとのこと。中世ではあくまで「敵討ち」なのだそうです。これが江戸時代になると「仇(あだ)討ち」になる。
孝一によると、江戸時代は270年泰平の世が続いた、むしろ変わった時代だったそうです。実際には禁じられていたのに、儒教的な「仇(あだ)をうつ」考えが教育されていた時代・・とのこと。
・・・とかなんとか、対談はこのあたりで終了。10分休憩の後、キヨの実演です。
「如何に時致近う参りて この年月の御物語申し候へさるにても」の辺りから。
笛柱前に地謡が座る舞囃子的な形式で、囃子方は出てこず公威がハリセン(笑)を打ち、祥丸キュンが唱歌というちょっとレアなカンジです。
ま〜。。祥丸キュン、いいお声だわ〜。。。力むとお顔が真っ赤になるところも祥人そっくり☆
キヨは祥丸キュンの唱歌に乗って、水面を滑るような感じで舞っています。
・・・。
観ていて思ったのは、こうした舞囃子の型式がいつの頃から発生したのか知りませんが、いま座っている豪華な能楽堂も、美々しい装束も無い時代であっても、実演するものとして能楽が愛好されてきた理由が分かったような気がした・・ということ。
演者がわりと気軽(?)にセルフで楽しめるというか、男の子(?)たちが集まって「一曲やろうぜ」なんつって、しかも「小袖曽我」の場合は、ヒーローとして死んだ主人公たちの『ごっこ遊び』的な要素も含まれているわけで・・なんて、ちょっと思ったのでした。
キヨは「小袖曽我」は、言葉も節も素朴だが味わい深くていい曲、と言っていました。ついでにキヨによると、この日は三郎太は学校の行事のために抜けてこられなかったので、「お父さま、頑張ってやってきて下さい」(by三郎太)とのこと。
シンペーは和歌の教養も入っているし、コンパクトに上手くできた曲と思うとか。キヨによると、能のほうは弟の五郎役はぶっきらぼうにやれ、と言われる。兄の十郎のほうは、それを受けとめる役で、強く出てはダメと言われている・・とか。
そして「小袖曽我」はコンパクトでいいよね的な話になり、キヨは2時間を越える能というのは、演者は気が入っていても、観ているお客様も生身の人間なのだから許容範囲を超えると思う。能は歌舞劇であって、いわゆる演劇ではないと思う。下手ほど(笑)長くやる・・と持論を話してました(笑)。
ちなみに孝一は大鼓を瀬尾乃武に習っていたそうで、キヨも気さくな先生でお昼をおごってもらった・・なんて思い出話をしてました。
シンペーは日本の国が変わっているのは、武士が支配している国ということもある。韓国でシンポジウムをした時も、「士農工商」というが、日本の「士」には武士しかおらず、「士太夫」がいないので、違うんじゃないのと言われたことがある。武士のメンタリティというのは、実は農民とそう変わらないのに、権力を握ることになり、そこが中間層を育てることになったのかなと思う。武士道という倫理観、エートスは能にも大きな影響を与えたと思うとのこと。
孝一は、能は武士が実際に命を懸けて戦っていた時代に成立している。江戸時代の泰平の世だと、違う武士となって、違う美意識も出来たきたと思うと話して、実際に演じている側のお気持ちは・・とキヨに質問すると、キヨによれば、初めて「小袖曽我」を演じたのは子供の頃で、まだ芸道上の修行の一環だったとのこと。無心で足数の注意ばかりされていた(笑)。「夜討曽我」の十番斬りは華やかな美しい世界ですね・・とかなんとか話してました。友枝喜久夫先生の「舞のかざし・・」はとても柔らかく、美しかった。これから仇討ちに行くようには観えなかった・・と。
シンペーが(友枝喜久夫は)狂女の役のときは、揚幕から出てきただけで狂女と分かった。最後の名人ですね。最後なんて言ってはいけないか(笑)・・とか言うと、キヨが「私は迷うほうの迷人です☆」とか昭和的なダジャレを言って、講座はおしまい。
最後にキヨからの宣伝タイムで、POLA提供のTV番組「白の美術館」https://www.pola.co.jp/special/shirobi/にキヨが出演するらしい。「初心忘るべからず」の書の前で舞って、一日がかりの収録だったとのこと。放送日の話もあったのですが、ご興味ある方はサイトでご確認下さい・・(byクリコ)。
それからキヨは5月21日(←誕生日)で60歳とのことで、6月の正門別会で、47年ぶりに「鷺」を舞うとのこと。「王」役は三郎太。「安宅」は山階ヤエモン、祥丸キュンが「乱」。
4月14日は(キヨが)桃々会で喜多流から頂いた「竹生島 女体」をやるけれど、自分はこれで打ち止めにしようと思ってるとのこと。見た目よりシンドイので、ですって。そして祥丸キュンが「葵上」(!)をやるそうです。
それから「荒磯能」の話とか(「芦刈」のシテは貴信キュン)、「春休み親子教室」を今年もやります、とか。「大変なのです。能楽堂を経営するというのは」と、本音も出てました(笑)。
(←クリコの素人感覚では、導線は今イチだけど場所柄もいいし、レンタルスペースとしてバンバン貸し出せばい〜んじゃないの?とか思うけど、まぁそういうわけにもいかないのでしょうね。。)
ちなみにこの日は、講座前にアメリカCBSの取材が入っていて、講座ではなく(笑)GINZASIX全体の取材だったとかで、放送日は分かりません、とのことでした〜(笑)。
お〜しまい!
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講 師 観世清和
松岡心平
ゲスト 坂井孝一
※2019年2月5日(火) 観世能楽堂にて
※以下の内容は、クリコのうろ覚えに基づくものであります。
というわけで、観世会の能楽講座に行ってきました〜。
今回のテーマは、3月にキヨと三郎太が共演する「小袖曽我」でっす。
例によって、まずはキヨの御挨拶から。
観世会の能楽講座は今年からリニューアルしたとかで、能楽講座の半券を提示すると、定期能のチケット代を割引してもらえるサービスがついてくるそうで、これについてキヨが色々話してたのだけど、まぁそのあたりは割愛(笑)。皆様、チラシやサイトをご確認ください。
続いて、今回のテーマは「小袖曽我」で、3月に自分は十郎、三郎太は五郎で、久しぶりにやります、とのこと。
兄弟や血縁、同期同士でよくやる曲だけれど、自分もかつて関根祥人とよくやりました。ああ、あいつ、ここで足数間違えたな、とか(笑)。青春の苦い味を思い出す曲です。それに「舞のかざしのその隙に」、喜多流の友枝喜久夫先生は実に柔らかく、悲壮感なく舞っておられたのも思い出します、とか。
今回、三郎太と親子でやるのだけれど、親子共演というのは例がなく、息子(←キヨ)と一緒に舞うというのは先代の家元の夢だったのだそうです。キヨ曰く「生意気にも」やりましょうよと言ったら、(舞台で思うように)もう動けないから、恥をかきたくないから考えておく・・とおっしゃってるうちに亡くなられてしまったのだとか。
キヨも今年60歳(←!!)だそうで、父の亡くなった年だけれど、老骨に鞭打って(笑)、子供に負けないように演じます!
「小袖曽我」や「夜討曽我」のような曽我ものは後世に語り継がれてきた逸話、伝承の世界だけれど、自分たちはそれを演じる側なので、曽我兄弟への思い入れがあるのです・・のだとか。
この週末は、名古屋、大阪、神戸の観世会で初会があり、3日連続で能を演じます。神戸では久しぶりに「望月」をやりますが、その「望月」のクセが曽我の仇討ちものなのです。
今日は東京芸大で9時半から講義をやっていました。本当は10時からなのですが30分繰り上げてやってます。細かいところまで出来るようにして帰すのが私の主義なので、時間がかかっちゃうのです。ちなみに芸大は先代のときからもう40年、椅子に西洋音楽の譜面台の形式でやってます。若い人は正座ができない人が多いので、集中力がもたない、と先代の英断です。
かつて教授をしておられた宝生九郎先生も朝がお早くて、まだ東京音楽学校だった頃、朝、正門が閉まっていたので、着流しの裾を端折って、塀を乗り越えて学校に入った・・なんて逸話もあるそうです(笑)。
芸大も少子化で受験する人も減っているので、学科を統合して、教授は別の邦楽の先生で、能楽は非常勤の形で教えに行っています。60歳になったので、あと少しで2年休んで、65歳で(芸大は)定年です。
65歳になったら好きなこと、いろんなことをしたい。70歳までは本舞台で張り切ってやって、あとはサヨウナラのつもり(笑)、あとは息子に任せて、ハワイにでも行きたいねなんて家内とも話してます(笑)。まぁそうはならないんでしょうけど・・・とかなんとか、いつもより長めに話してたキヨだったのでした。
(←ていうか、なんなのその、今でもラブラブです☆アピール。。。)
(←ていうか、キヨ自身も言ってたけど、キヨは絶対さっさと引退なんてしないと思う・・笑)
つづいて、シンペーと今回のゲスト・坂井孝一さんの登場です。シンペーの紹介によると、このヒトは、大ベストセラー!中公新書のほうの「承久の乱」の著者なのだそうです。「承久の乱」って、今ブームなの・・?
そして、ここ20年ほどやっている貞成親王の日記を読み解く研究会「看聞日記の会」(←。。。さすがというか。。)での御仲間なのだそうです。学生時代は東大の観世会で、初役で「小袖曽我」の素謡をやったりしたのだとか。石井進の愛弟子で、中世武士や曽我物語の研究が御専門とのこと。ちなみにシンペーは『曽我もの』はあまり得意でないと、本人が言っていました。そう言われると、そんなイメージだわね。
孝一は学生時代、東大の観世会に所属して素謡で「小袖曽我」をやったり、4年の時は「羽衣」でシテをやったりしました。松濤のほうの能楽堂で曽我ものを何度も観たが、観るたびに感動する。歴史学の立場で曽我物語を研究してみたくなり、続けている・・というような自己紹介をしていました。
シンペーによると、曽我物語の研究というと、折口信夫をはじめとする民俗学のテーマとして、『女ものがたり』としての研究はあっても、歴史(史実)と突き合わせた研究というのはなかなか無いのだそうです。
孝一によると、戦前は『物語』は歴史資料としては相応しくないと、資料と見なされてこなかったが、近年は平家物語や源氏物語も、当時の通俗や心の持ちようが分かる資料として研究されている。(例えば源氏物語はフィクションだが、藤原道長の時代の日本人の心理や生活行事が分かる。)
曽我ものは文学だが、虚構を削除しつつ事件の資料として研究している・・のだとか。
その事件というのは、もちろん曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟が、父の仇として工藤祐経を討った事件で、殺された父親は、河津三郎祐泰といって、伊東すなわち伊豆の所領争いが原因で殺されている。人間関係も複雑で、曽我兄弟もそもそも何故五郎のほうが弟で、世阿弥のところもそうだけれど、なぜ十郎のほうが兄なのかしら?と、今回はシンペーが質問役です。
孝一によると、発端は東伊豆にいた伊東祐親という人と工藤祐経の所領争いで、この二人は血縁だったが、都にいた工藤祐経の土地を祐親が取ってしまった相続争いとのこと。武士なので「自力救済」として、自分のものは自分で取り返そうとして、その際に工藤祐経が河津三郎を殺してしまう。その息子が一萬(のちの祐成)と箱王(のちの時致)で、父親の死後、母親のほうは二人を連れて、相模の国の小さな所領の領主だった曽我祐信と再婚。2人は曽我の里で育てられ、兄のほうはやがて成人して十郎祐成と名乗った。
なぜ十郎なのかというと、これは曽我祐信にも亡くなった前妻がいて、そちらにも何人か子供がいたため、十郎と呼ばれ、祐信の祐の一字を与えて、十郎祐成と名乗らせたらしい。
箱王のほうは、箱根神社(当時は神仏習合で「箱根権現」という寺だった)で僧侶としての修行をさせられて、箱王の「箱」は、箱根からきている。11、12歳になった頃、祐信の命令で寺に入り、当時は稚児としてまだ垂れ髪だった。
父親が工藤祐経に殺されたというのは人に知られた話で、仇討ちもしないで・・という世間の雰囲気もあったろうし、何故自分が寺に・・と思っていたのかもしれない。17歳で(箱根権現を)抜け出してくる・・。
このあたりで、シンペーが「稚児」というwordにビビっと反応して、お稚児さんで17、8歳というと、もう潮時というか、ギリギリですね、とか言ってました。
(←心の中では「世阿弥はすっごい美少年で、なかなか元服しなかったんですよぉ〜」とか、言いたいのかな・・と、クリコは心の中で思った。)
孝一はこのあたりはわりとスルーして、そうなんです、という感じで、そしてあの北条政子の父、北条時政のところに行って、烏帽子親になってもらおうとする。当時の大人の(武士の)髪型はまだ総髪で、江戸時代のようには頭頂部を剃らず、垂髪をオールバックにして、「もとどり」を結っていた。これに烏帽子を被せて、『烏帽子子(えぼしご)』に名前をつける。幼名から大人の名前になります。烏帽子親というのは世間的に後見人になるということです。
しかも(「五郎時致」と)北条家の通字である、「時」の一字を与えたのだからすごい。北条家は伊豆の国で非常に大きな力を持っており、工藤祐経もまた有力な御家人だった。十郎祐成は祐信の十番目の子供としての名前です。『仮名(けみょう)』と言って、十郎、五郎と呼び合うための呼び名です。『実名(じつみょう)』のほうは魂がこもっているから、そうおいそれとは呼べないのです。
後に執権となる北条義時は四郎だったので、その弟扱いとして「五郎」をもらったのではないか。他にも五郎時房という人もいたが、「五郎時致」の名をわざわざもらったのです。
このあたりでシンペーが、箱王が仇討をしようとして実家に帰って元服するというのは無理だったわけで、これが「元服曽我」だと自分一人で元服しちゃう。富士の裾野で頼朝が行った『富士の巻狩り』の夜に起こった事件。この土地の守護は北条時政で、セッティングしたのも時政のはず。(曽我兄弟は)武士の勢力争いに利用されたのかも・・、頼朝も殺されそうになったのでしたっけ?みたいに水を向けます。
この事件が起こったのは、今では学校で教えられていない1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府の年、の翌年なのです。1193年に起こっている。1192年は、頼朝が征夷大将軍になった年なんですね。と、孝一。
この年(1193年)、彼は色んなイベントをやっている。狩りは軍事演習を兼ねているものです。富士の裾野あたりの守護は時政、臨時の館も設営されて、その責任者も時政です。仇討ちといえば、現代でいうテロみたいなもので、沢山の御家人が死傷しています。その時、時政はどんな役割を果たしていたのか・・?
このとき曽我兄弟は22歳と20歳で、実戦経験も無いのです。源平の合戦を生き抜いた「つわもの」が沢山いる中で、仇討ちというのは不可能に近い。手引きした者がいたと思うが、そのために罰せられた者はいない。時政が手引きしたのでは?と思う。状況証拠的なものは色々あるのですが・・。とのこと。
(←な〜るへそ〜。。曽我兄弟は結局2人とも死んでしまうし、『鉄砲玉』として使われた感がアリアリやわね。。と、クリコは思った。)
シンペーによると、工藤祐経は都で出世した「変わった御家人」だったそうで、静御前が鶴岡八幡宮で「しづやしづ・・」と舞った時に、鼓を打っていたのは祐経で、能「千手」にも登場する平重衡のことも、鼓を打って慰めたりしているんだとか。頼朝に大変重用されており、幼い頃は都で育ち、頼朝にも都人としての感覚があったので気が合ったらしい。
しかし時政や東国の御家人は都を知らないので、工藤祐経とはソリが合わず、彼が討たれても同情されなかった・・、とのこと。
(その2へと続く。)
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(※この画像はサイズ以外は私が加工したわけじゃなくて、ポスターの貼られ方が湾曲していたので、こんなふうに写っちゃったのです。あしからず・・。)
今日は観世会の能楽講座に行ってきました〜!テーマは3月の定期能に出る「小袖曽我」。
わたくし、ホントは、『曽我もの』ってあまりスキじゃ〜ないのですが(笑)、でも色々濃ゆいお話が聴けて楽しかったです。
レポートは、また次回に・・。
それにしても、裕基くんよりもむしろムスメちゃんのほうが、若い頃にそっくりというのが面白いよね・・。
やっててよかった、公文式。
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今日は節分ですね。
王祇祭(黒川能)では、開催の時季的に毎年狂言の「節分」が出ます。
たしか、上座のほうだったかな?
曜日の並びがいい年は、行きたみも高まります・・。
懐かしいことです。
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そういえば、わりと以前のこと、諸事情もあって(笑)生まれてこのかた一度も会ったことのない遠縁の女性が、YouTubeに出演?しているというので、興味本位で見てみたことがある。
するとなんと!、顔立ちとか話し方の雰囲気とか(←感じが悪いw)、けっこう自分に似ていて、『なにこれ〜っ!気持ち悪〜い・・』(笑)と思ったことですた・・。
血縁というのは、案外侮れないものだなと。まぁだからと言って、持って生まれたものでしかないのですが・・。
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翁
観世清和
三番三 山本泰太郎
千歳 観世三郎太
面箱 山本則孝
鶴亀
シテ 木月孚行
ツレ 武田文志
坂井音晴
ワキ 工藤和哉
アイ 山本東次郎
大鼓 安福光雄
小鼓 曽和正博
森貴史
曽和伊喜夫
笛 杉信太朗
太鼓 小寺佐七
地頭 武田宗和
狂言
末広
シテ 山本則俊
アド 山本則孝
若松隆
仕舞
高砂 片山九郎右衛門
屋島 観世芳伸
胡蝶 梅若万三郎
鞍馬天狗 観世恭秀
老松 観世喜之
放下僧 野村四郎
蝉丸 武田宗和 (代演)
国栖 観世銕之丞
東北
シテ 武田志房
ワキ 森常好
アイ 山本泰太郎
大鼓 佃良勝
小鼓 観世新九郎
笛 松田弘之
地頭 角寛次朗
※2019年1月6日(水) 観世能楽堂にて
※仕舞と「東北」は時間の都合により拝見しておりません。。ごみんなさい。。
というわけで、久しぶりに観世会の初会に行ってきましたぁ〜!
注連縄の廻らされた能舞台というのも、特別感があって中々いいものです。
揚幕の向こうからは、カチカチと切火の音がしきりと聞こえてきて、演者たちを清めまくっているのが窺えます。
キヨの「おま〜〜〜〜く」と、低く長い声が聴こえてきて幕が上がる。明るい若草色の直垂姿の則孝が面箱を捧げ持って登場し、続いて玉虫色の翁狩衣に白い紋様入りの紫の指貫を着けたキヨ、白い直垂姿の三郎太(千歳)、濃い青の直垂の泰太郎(三番三)・・と、色とりどりの装束を着けた、演者の行列がずらずら〜っと続きます。
キヨが舞台に座ると、翁大夫に面箱が差しだされ、慌ただしく演者も座つく。早速、千歳の三郎太が舞うわけですが、勿論まだまだ発展途上にあるものの、わりと?!上手くなっていてびっくり。型などはまだ子供のようでしたが、やっぱりそれらしい雰囲気が出てきたのかな〜と。。(←何所から目線?)
背が伸びるのも、少しは止まったのかしら。お顔は小さいまま、もはや完全にキヨを追い越すどころか、行列のなかで独りピョコ〜ンと飛び出していました。
キヨの翁は変わらず素晴らしく、謡は朗々としてかつ厳粛、声量も全く衰えるところがありません。祈祷芸(?)なので、そこはウマイヘタの話ではないわけですが・・。
またも袖の露を翁烏帽子に引っ掛けたりしてたケド・・・。これはもう、あの烏帽子の仕様が悪いということで・・。後見の野村四郎がさっと立って、外してあげていました。こういうときの対応も、経験値で決まっているのでしょうね。
三郎太も全く姿勢を揺るがせにせずずっとキチンと座っていて、翁の舞が終わると、キヨ翁と共にしゅたたた。。。という感じで素早く退場していきました。キヨって、三郎太のことちょっと大事にしすぎなんじゃないかしらん、とか思ってたけど、そうでもない(?)ようです。こういう、素早く後を残さないカンジが大切なのでしょうかね。
新年ののキヨ占いでは、顔ばせの覆いが取りづらかったということで、今年は曇りまたは雨が多いでしょう!という感じでしょうか。(←根拠はありません。)
三番三は泰太郎で、こちらも大変素晴らしかったです。踏み芸(?)としての三番三の本分を守っていたとでもいうか。お家の芸に徹しようとする姿勢がヨイと思ったです。
(しかし意外と「鈴の段」で使っていた鈴が真新しく小振りな印象で、あれもやはりおうちごとに違うのでしょうか・・)
脇鼓は帰りますが囃子方はそのまま、地謡も地謡座に移って、つづいて、「鶴亀」です。
風流能とも言われている「鶴亀」ですが、翁でのあの行列を再現するかのように、もう一度シテたちが来序で行列してくるのは、「翁」のモドキなのでしょうかね・・??
脇能として重宝される理由は、もちろんその時間の短さなのでしょうケド・・。中国の皇帝に姿を変えてやってくる、というところにも面白さを感じました。
鶴と亀の役は武田文志と坂井音晴だったのですが、家風の違いでもあるのか、二人まったくズラした相舞にしてあって、そこが面白かったです。鶴は紫の長絹、亀は水色の長絹で、天と地の対照も鮮やかです。
孚行もトシをとって、直面という能面がいよいよ出来上がってきたかのようでした。
つづいて狂言の「末広」。こうしておめでたい空気を断つことなく、引き続いて一気にやるのはよい習慣だと思う。演者は大変だろうけど・・。
都のすっぱ役まで、舟形烏帽子に素襖の正装で登場していました。則孝が面箱に引き続いて太郎冠者の役を勤めています。
扇の代わりに何故か傘を買ってきた太郎冠者にプンスカ怒っていたご主人様ですが、楽しい囃子歌にご機嫌を直して仲直り。よ〜っ!と威勢よく終わり・・・。
なんだかとっても、おめでたい(ような?)空気を浴びたことでした。
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あけましておめでとうございます!
今日は観世会の初会を観に、銀座に行ってきました〜。
感想は、また次回に。
お正月休み最終(?)のせいか、ザギンの街への人出は意外と少なめ。
トリコロールでアップルパイも食べました。
コーヒーも美味しかったです。まる。
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来年は、もう少し、明るい希望の見える年になるといいですよね。
お能のほうも、少しはペースを上げて(笑)拝見したいと思っています。
健やかな新年を迎えられることをお祈りしています。
(やっと大掃除が終わった・・。どちらかというと小掃除だけど・・。)
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もの言えば くちびる寒し秋の風 芭蕉
・・あれ、芭蕉だったっけ?
もう師走ですが・・。
きっとすごい渋柿なのでしょうね。
(『シン・ゴジラ』にしても、本当はものすごく怖いことを、さらっと言っちゃってる映画だと私は思うのですが・・。ゴジラを核兵器でぶっ飛ばす云々ということだけじゃなくてね。)
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仕舞
西行桜 清水寛二
鵺 味方玄
「LUCIFER」
チェロ ドミトリー・フェイギン
作曲 YUKI MORIMOTO(森本恭正) 委嘱新作世界初演
能
芭蕉
シテ 清水寛二
ワキ 御厨誠吾
アイ 山本則重
大鼓 原岡一之
小鼓 観世新九郎
笛 松田弘之
地頭 観世銕之丞
※2018年12月8日(土) 銕仙会能楽研修所にて。
というわけで、しみかんがブチ上げ・・じゃない、立ち上げた「青山実験工房」なるものに行ってきました〜!とっても素晴らしかったです!
結局「芭蕉」メイン(?)の回のみ行きましたが、現代音楽や美術と融合した非常に意欲的な試みのようです。ていうか、しみかん4日間出ずっぱりで、元気もりもりの模様。
冒頭には、当初のプログラムにはなかった仕舞が追加され、シズカも登場です。「西行桜」と「鵺」という「芭蕉」と同じく人外が主人公の曲がチョイスされていたようです。(「西行桜」も人外という言い方は風情無さすぎですが・・。)
チェロのソロ曲の「LUCIFER」は、そのものずばり悪魔となった堕天使がテーマの曲とのことでした。(from番組)
橋掛りを通ってチェロを携え現れる独りのチェリスト。青山の舞台でも、特に音響に違和感もありませんでした。
新曲なので、チェロならではの使い方というか、強いリズムとメロディを同時に(?)奏でるようなフレーズが印象的でした・・。
で、さて、「芭蕉」だったのですが、青山でキチンとした能の型式を観るのは久しぶり。
小さく閉じられた空間ならではの親密さ・・だけでは片づけられない新鮮な時間となりました。
「芭蕉」の面白さというのは、異国の地での植物の化生譚なのだけど、何故に変身して現れることができ、また何故に姿を変えて現れたのか・・ということ自体にわりかし(笑)テーマに含まれているところ、、だと思う。
お坊さんがエキゾチックな(たぶん)山中で独り修行に励んでいると、毎夜何者かの気配がするという・・。御厨誠吾は、なかなか凛々しい(?)ワキ僧ぶりでした。
果たして、シテも橋掛りに現れるのですが、これがなんというか、一ノ松あたりに立ちどまったそ姿に、シテの風姿が云々とか幕離れが云々というより、仮面劇としての能面の不気味さ(失礼)、現実世界との時間軸の違いを改めてつくづく感じさせられたことでした。
シテもこの時はまだちょっと、化生の者としてのブキミさを醸し出しているかのようです。面は曲見っぽく観えたけど、何だったのっだろう。秋の草花をあしらった地味な紅無しの唐織、手には数珠と水桶、水桶の中には控えめに白い菊。
仏縁を結びたい・・と、夢とも現ともなく突然現れたシテに、ワキは戸惑いを隠せません。ワキに拒まれ結界があるかの如く、シテは常座から動けない。そこは大らかに、これも他生の縁じゃありませんかと説得にかかるのですが、ワキとの打てば響くような掛け合いに緊張感が漲ります。地謡は、月夜の古寺の物寂しい情景を謡う。現実的にも見所側の時間は刻々と過ぎ行き、能というのは、(今更書くのもちょっとハズイですが)やはり詩であり思索なのだな、と思う。特に禅竹の手によった場合には・・。
もちろん文字通り身体を張って、舞台に立っているシテたちの感覚は全く別ものであることもひしひしと伝わってくる。
シテの熱心さに心打たれてワキも聴聞を許し、シテは喜んでこれに聴き入ります。懐からすらり、と経巻を取り出すワキ。
興味深く思ったのは、庵の内に入り読経を聞いているうちに、(草木成仏の話なども聞き)シテの面の顔つきが、明るく穏やかなものに変わっていったように観えたこと。
シテの演技が素晴らしかったのは勿論のこと、照明なども実はかなり繊細な演出がなされていて、テラス・クモラスだけでない表情の変化も鮮やかで、これは意外な能面の可能性を感じさせたように思いました。シテが月光を浴びて・・という場面では、あるかなきかの淡い月の光の照明が、女の全身を包むかのようでとてもよかった。
ワキ僧と言葉を交わすうち、あまりにシテが仏法に通じているので、ワキが不思議に思って問うと、シテは雪の中の芭蕉のように、偽れる姿にて・・と静かにその姿を消します・・。中入。
同じく読経の聴聞に訪れたアイは、不思議な女の話を聞き、ワキに「雪中芭蕉」の画題の謂れなどを語ります。端正で明瞭なよい語りです。
冬には葉を落とすはずの芭蕉が、絵画の中では存在しているとの同じように、芭蕉が人間の女に化けて現れるのはうそ偽りなのだろうか・・?
後シテは淡い、ごく薄い萌黄色の長絹に草色の大口。芭蕉の姿を思わせる控えめな姿。白い足袋が光るかのようです。
なぜ非情のはずの芭蕉が女性の姿に、と問うワキに、天の恵みを受けるのに有情も非情も関係ないと答えるシテ。みんなただ自ずからの姿なのです・・と、芭蕉葉の破れと同じく袖の綻びを示します。
序之舞は月の光を受けて・・・、万物に公平な恵みを喜んでの舞のような、そうでもないような、でももし草木に手足があったならやはり嬉しくて舞いだしたりもするのだろう。しみかんの芭蕉の精は、余計な色艶の無い水墨画の風情です。
そして、やはり能の舞というのは技がキレがどうこうというより、存在感が大事なんだな・なんていうと、ちょっと違うというか、舞台に満ち満ちる量感みたいなものが大事なのかなぁと思った。
外界はクリスマスのイルミネーションも華やかな表参道なんだけど、こうしてひっそりと(笑)「芭蕉」を観ているというのもリアリティがあるとでもいうか。
物寂しく、どこか凄艶さもある秋の庭で、その片隅でひっそりと月明かりを浴びている芭蕉。シテが留めたとき、これまでの全ての物思いを心に秘めて、ただ一本の草の姿に戻った・・ことが伝わってきた・・。
というわけで、とっても素晴らしい芭蕉だったのでした〜。
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というわけで、土曜日に久しぶりに青山に行ってきました。
隣に座っていた女性は、熱心なしみかんファン。
開演前にお話しして、しみかん愛を拝聴。
(舞台の)感想は近いうちに・・。
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日本のディストピア化が、さすがにすごい・・。
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小舞
道明寺 野村遼太
狂言
宗論
シテ 中村修一
アド 内藤連
竹山悠樹
新作狂言
法螺侍
出演
野村万作
野村萬斎
深田博治
石田幸雄
高野和憲
月崎晴夫
太鼓 桜井均
笛 松田弘之
原作 W・シェイクスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」より
作 高橋康也
演出 野村万作
※2018年11月25日(日) 国立能楽堂にて
※時間の都合により小舞と「宗論」は拝見しておりません。
というわけで、「万作を観る会」に行って来ました〜!
今回もとっても素晴らしかったです。
「 この世は、すべて狂言ぢや
人は、いづれも道化ぢやぞ 」
狂言というより、悪い冗談が続くかのような現在ですが、いろんな意味でかなり体力を使いそうなこの曲を、舞台にかけようと思った万作翁の心身の強靭さに脱帽です。今年87歳だそうですが、スケベ親父(笑)な役柄を難なく(?)軽やかにこなし、キレのあるコミカルな動きもお手のものでした。
冒頭に太郎冠者、次郎冠者を従えて登場するときに、舞台に入る前に突然、ふらっとよろめいてみせるところも心憎い演出です。そう、「洞田助右衛門(フォルスタッフ)」は、相変わらずお酒に酔っぱらっていたのでした。
ヒロイン(?)の二人は、看板女優ともいえる石田幸雄と高のんで、太郎冠者に萬斎さま、次郎冠者には深田博治。初演が27年前ともなると、萬斎さまもまだちょっと『抑えた』役柄で、そこもよかったカモ(笑)。(主役が強烈すぎるのか・・。)
第一幕(?)では、狂言の様々な場面が描かれた古そうな屏風が笛柱から後見座の前あたりまで、ややナナメに拡げられ、本舞台から橋掛かりの一ノ松のあたりまで、横長舞台を作り出したかのような面白い光景が出来上がっていました。屏風が舞台の「袖」の役目を果たして、複雑な登場人物の出入りもスムーズに。ワキ柱のほうに太鼓とお笛が着座しています。
意外にも能舞台での公演は、今回が初めてと解説に書かれていましたが、さすがに手慣れたものでした。助右衛門が洗濯籠から川に放り込まれる時は、万作が本当に正面の階にまで降りたりとか。
「お松」と助右衛門の逢引きは、なんと鏡板の老松の根元で・・という設定です。鏡板の老松って、神聖なものじゃなかったっけ・・(笑)?
シェイクスピアらしい洒落た警句も散りばめられ、万作らしい歌舞の楽しさ、美しさも映える舞台づくりとなっていました。
女二人を騙そうとしたホラ吹き男の助右衛門を、二度に渡って皆して懲らしめるのですが、二度目の時にそれぞれが脅かすために「武悪」や「うそ吹き」などの狂言面を掛けていて、この光景がとてもよかった。
戸井田道三ふうに言うと今は落魄した神々が、天狗の面をかけ、お腹がぱんぱんになるまで欲望で膨れた人間を懲らしめていた・・ように観えなくもない。
もちろん、そこは喜劇なのでことさら深刻ぶることもなく、笑って、謡って、そして許す。そんなエンディングだったのでした〜。
シェイクスピアを狂言として翻案するとなると、もちろんそれなりの工夫と苦労があったことは想像に難くないですが、今回は『笑い』にすることで人間の善悪両面を肯定するような喜劇だったので、東西古典の世界観のすり合わせ、みたいなものが不要だったように観えて、「狂言の技法を取り入れる」こともさらに活きていたように思えたことでした。・・と言って、「ウィンザーの〜」の実際の上演を観たことはありませんが・・。
シテが川に落っこちてびしょ濡れになり、第一幕が「くっさめ!」留めになっても、極めて自然だったりとか(笑)。
同じ新作狂言の「濯ぎ川」では、実際に「洗濯もの」が小道具として登場するのに対して、こちらは洗濯ものは実際には出さず、ただ「あるもの」として扱われていたのも印象的でした。(そう処理しないと、かなり面倒になる、というのもあるだろうケド。。)
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実は先日、上野の森美術館にフェルメール展を観に行ってきました。 https://www.vermeer.jp/
フェルメールも、結構好き。
日本では珍しい試みとかいう入場日時指定のチケットで、夕方からの時間にしたのでそれほど並ばずには済んだのですが・・。みんな同じ時間に入館しようと集中して、結局混雑していたという・・・。ていうかあの狭い会場で、同じ時間帯にあれだけの人数分を販売していたら、それほど意味がないのではという感じでした。
フェルメール自体は、数少ない作品の本物(たぶん)が観られて満足。
イヤホンガイドもいつも使わないのですが、今回はチケット代金にセットでついてきて、何故か石原さとみに耳元でささやかれながら鑑賞。別にいいのですが・・。
定番のグッズも購入。
最後にこれ↓は、メトロポリタン美術館のパブリックドメイン(CC0)になっているものを持ってきてみました〜。
(一度やってみたかった。)「リュートを調弦する女」です。
・・・。
大きなニュースが世の中を騒がせている時は、その陰でこっそり行われていることにご用心・・とは、お約束ですわね。
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あれは何だろう。あのときたしかに美が歩み出したのだ。浜千鳥のように、飛翔には馴れても歩行は覚束ない、白い足袋の爪先を、わずかにわれらのいる現世のほうへさし出したのだ。
しかしその美は厳密に一回性を持っていた。人は忽ちこれを記憶にとらえて、思い出の中で反芻する他はない。又、その美は高貴な無効性と、無目的性を保っていた。・・・・
三島由紀夫「奔馬」より
・・・ちなみに、本多繁邦が、野口兼資の「松風」を観に行ったときの場面です。
お能の美というのは、確かにそれ自体が目的であるのかもしれませんね。三島は戯曲や著作の端々からも、本当にお能が好きだったんだななぁと思う事しばしばですが、美そのものが人を救うことはあっても、高すぎる美意識は当人を苦しめるだけなのかも・・。
お能マニア(の一部)がいわゆるコラボに否定的なのも、美意識の高さ(狭さ?)故でしょうか。
え?書くことが無いんだろう?
やだなぁ、そんなことはありませんよ・・。
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先日、久しぶりに神戸のほうに行きましたが、ポートアイランドの荒廃ぶりに栄枯盛衰を感じてしまいました・・。
もちろん、全部が全部そうだったというわけではないですが。
なんだか色んな物が落ちてるし。。。
・・真実に報いる者たちよ・・・。
ていうか、この気持の悪いモニュメント(?)は何なのかしら・・。
なぜ蝸牛なの・・。
あ、小旅行自体は、超楽しかったです☆
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仕舞
弱法師 柴田稔
遊行柳 清水寛二
龍虎 西村高夫
観世淳夫
富士松
シテ 野村萬
アド 野村万蔵
三輪 誓納
シテ 浅見真州
ワキ 宝生欣哉
アイ 石田幸雄
大鼓 柿原崇志
小鼓 曽和正博
笛 杉市和
太鼓 三島元太郎
地頭 観世銕之丞
※2018年10月23日(火) 国立能楽堂にて。
というわけで、今度は真州の「三輪 誓納」を観てきましたぁ〜!
こちらも素晴らしかったです!
そして曲も小書も同じなのに、先日のキヨ版とは全く違う物語を観ているかのようで、びっクリコ。キヨと真州の行き方、生き方の違いさえ感じられました・・(たぶん)。
冒頭の仕舞は、今や銕仙会の中核となっている一代能楽師たち(←あっつんも居たけど)。みんな素晴らしい。自ら望んで志し、新しい血を受け入れていくことの大切さ・・。
あっつんも、キリリとして落ち着いた表情。さすがに舞台慣れを感じさせました。
でも彼らがこうして輝いて観えるのは、まさしく「型にはまっている」からこそなのかしら・・。そこが難しく、面白いところです。
つづいて、萬と万蔵の「富士松」。
主人役の万蔵の傍に控える萬が、にこーっと微笑みを浮かべている様子は、まるでお地蔵様か布袋様のよう。萬もいよいよ人間離れの域でしょうか。
ところがこの太郎冠者は、主に無断で富士参詣をしたとかで、主も難癖をつけてくるのですよね。せっかく持って帰ってきた富士松を、自分の庭によこせとのこと。太郎冠者がこれを断ると、最初はあれこれ好条件を話していた万蔵も、次は連歌の付けあい合戦をしようと言う。自分がこれに勝ったら松をよこせというわけで、先日の「萩大名」とは、全く逆パターンです。
しかもこの付けあい合戦がなかなか大変で、膨大な量の連歌が連綿と続く。狂言もまた、「美術」のない世界なので、コトバ中心の舞台となるのも珍しくないですが、ちょっと驚く量でした。
これだけの台詞をスラスラ話す萬もすごいな〜と・・。丁々発止と句を付け返す太郎冠者に、ご主人様もついに根負けだったのでした・・。
そして、ついに真州の「三輪 誓納」です。
例によって囃子方は長裃、地謡たちも長裃の姿で登場。濃い紫の引廻し、杉玉を付けた作り物も運ばれてきました。今回は「誓納」の小書の定石通り、いわゆる笛座の範囲の前寄りのあたり、中正面のほうに作り物の正面を向けての設置です。
すぐにも正博が床几に掛り、杉市和(正面からだと、この時は作り物で姿が観えない)との音取置鼓となっていました。が、これが聞きなれた(?)新九郎、隆之のものと全く違っていて、ちょっと衝撃・・。久しぶりに、『なっ、なんだあれは・・?!』という感覚を味わいました(笑)。杉家って、ほんとに独特だなぁ〜(?)・・。神寂びた風情よりも、摩訶不思議感が漂っていました。
やがて欣哉扮する玄賓僧都も姿を現わします。高雅さを強調していたツネ2に対し、こちらはいかにも山住まいの、ちょっと気難しそうなお坊さんといった雰囲気。しかしどこか、高潔さと気品をも感じさせます。彼もまた、そうとは知らずに三輪明神の訪れを待ち受けているのでした。
重い次第の囃子で、幕が上がってからも充分に間を置き、ゆっくり、ゆっくりとシテは歩を進めます。渋い銀とこげ茶色を基調にした唐織、面もかなり年嵩の雰囲気で、いかにも里女らしい出立です。手には数珠、水桶。
自ら選んだとはいえ、山住まいの寂しさを語っている玄賓のもとに、そっ・・と木戸を通ってやってきます。
この登場のあたりは殊更な緊張感を出すのではなく、ワキに向かって合掌する様子など純粋な信心を感じさせる。玄賓の居室にいても亀の甲より年の功でしょうか、艶めかしい雰囲気は感じさせません。
それだけに「下樋の水音も苔に聞こえて静かなる・・」と、シテが外の様子を見渡す姿には、物寂しげな山里の晩秋の気配がありました。地謡も超重厚で素晴らしい。
シテが秋の夜寒なので・・と、一重の衣を求めると、欣哉がおだやかに応じて『はい、あげる』みたいな様子で差し出していました。
この衣の工夫が今回もちょっと面白く、渋い深緑色の僧衣(水衣?)のようだったのですが、折れないように反物みたいに固く折り畳まれていて、そのまま差し出してもワキがシテに触れることなく手渡される。
(しかしこのあと後見が作り物にこの衣を掛ける時に非常に苦労していて、厚手の生地のために綺麗には掛からず難しいものです。)
ここまでは穏やかな雰囲気だったのですが、去ろうとするシテに、欣哉が「暫く」と声をかけ、何者なのかと問いただすと、振り返ったシテが「ご不審なら、杉立てる門をお訪ねください・・」と話すあたり、急にシテにただならぬ威厳が漂います。
そしてシテは一度大小前のほうをぐるりと廻るようにして、作り物の中へと消えていくのでした・・。
一方、大神神社では・・というわけで、石田幸雄扮する三輪の里人の登場です。
三輪参詣していた彼は、神杉に掛かっている例の衣を見つけるのですが、時間調節のためか、この話し方がとってもスローリー。いやそれが悪いというわけではないのですけど、今回は全体として重厚でカッチリ、真州のほうが一世一代感が強かったかも。一目で、あの衣は玄賓僧都様の・・と分かる僧衣であることも、彼らしいこだわりを感じさせます。もちろん、比べてどちらが、なんて話ではないですケド。
さて、里人からこの話を聞いた玄賓僧都は、三輪山へと出かけていきます。そして自分の衣が神杉に掛かっているのを見つめていると・・。
「ちはやぶる 神も願ひのある故に・・」と声がする。
引き廻しがぱらり・・と落とされると、いよいよ三輪明神(あるいは明神がとりついた巫女)の登場です・・!
光沢の強い白い狩衣、赤い差貫。スベラカシの鬘は、後でみると、後ろに束ねた髪が非常に長いものでした。輝くばかりのその姿・・。思わずひざまずき、女神に向かって礼拝するワキ。
作り物の正面の角度とシテの座っている角度が微妙にズラしてあって、シテの姿が立体的な額縁に収まっているかの如く、正面からでもよく観える。能舞台の構造そのものにこだわり、視覚効果に長けた真州らしい工夫だと思う。
三輪の神婚説話が語られ、夜にしか現れない旦那様を不審に思い、あとをつけていくと、そこには・・と、作り物をそっと抜け出していくシテ。やがて序が踏まれて神楽となると、夜な々々繰り返されているような神々の饗宴の世界です。神楽の囃子は前半はゆっくりと慎重に奏でられ、テンポが徐々に早まっていきます。
手にしている榊は比較的小振りな印象で、そっと風を起こすように振られていました。「三つ頭」と呼ばれるあの囃子事も、先日のキヨの時とはまた違っていた印象。
シテは神楽の途中で、下居して榊の枝を振る。そこから清らかな何かが振りまかれるのを信じていて、あくまで神話世界の住人として祈っていたようだった。
一度恭しく捧げ持った榊を、立ち上がり、再び天に向けて祈りを捧げる。敬虔さの感じられる、神自身もまた、救済を信じて祈るその姿・・。
その一方で、シテの面の色香さえ漂う美しさが非常に目を引いて、地味な印象だった前場とはまったく対照的でした。神楽もいよいよ盛り上がり、舞台も白熱するかのようです。
神楽の中で繰り返される、片袖を被くあの翁の型。天岩戸に閉じこもっていたアマテラスは、外の世界があまりに騒がしいので思わず岩戸をかすかに開いてしまう・・・。それが良かったのか悪かったのか、今となっては分かりませんが、日蝕でなくとも、三輪山の山頂で密かに夜ごと神楽は奏でられ、こうした朝を迎えているのかもしれません・・。
今回の公演のチラシにも使われていた三輪山の写真、パンフレットの挨拶文にも、真州自身もとても気に入っていると書かれてありました。大神神社は三輪山そのものが御神体で、神と崇められる。私には、やはり何か大きな秘密が隠されているように見えるし、「自然」という言葉では片づけられない情趣を感じさせる。不思議な何かが今も住んでいる・・。
そう思わせた、真州の素晴らしい「三輪 誓納」だったのでした。
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(※ただイマちょっと時間がなく、なんだか雑になってしまいすみません・・。)
地謡が三輪の神婚説話を謡う間、シテは四手のついた大振りな榊の枝を抱え、じっと作り物の中に座っています。
やがて神話の中の女がそうしたように、シテも作り物から外に出ると、旦那様の裳裾につけた糸の行先は、あの神杉だった・・ことを発見するのですよね。
そして榊を手にしたまま神楽に入るのだけど、いつしか囃子も地謡もぴたりと沈黙し、シテがシテ柱のあたりで左右に榊を振り始め、作り物もさらに清めるかのように榊の枝が触れる。
続いて正中で下居して、榊を左右左に振るあの印象的な、眼目とも言える所作が出る。榊の葉擦れの音が、見所にもハッキリと聴こえてきた。とても密やかな、微かな衣擦れの音のようだ・・。
さらにシテは片膝を立て、天井に向け榊を突き上げるようにして両手で捧げ持ち、白い両袖がシテの顔ばせを覆う。
枝先が尖り気味になるように綺麗に形を整えられた榊が、ちょうど巨大な蛇の頭のように観えて、はっと息を呑むような瞬間だった。そこに白い大蛇が突如として出現したかのようで、三輪明神の真の姿を観た・・・気がした。
このわずかな時間は、明らかに「能」からは逸脱して、キヨは完全に神事だとよく言っていたような気がするけれど、ドグマ的とでもいうか、「型」というにはシテ自身の激烈なまでの信念が勝っているようで、でも逸脱しているところが逆に能らしくもある、不思議な光景だったと思う・・。
それをオブラートで包んでいた天岩戸神話の中に、翁もまた姿を顕している重層的な世界観というか、はたまた神々が輻輳してその姿を現していたとでもいうか・・。
シテが両方の袖を頭に被いて、自らの姿を隠すような印象的な姿もあり、自らの暗闇の中、女神が天の岩戸の中に戻っていく・・。
大昔、袖に魂が宿ると日本の人々は考えていたらしいけど、動物の尻尾?!と一緒で、そこに感情があり、信号があり、秘密が隠されているのかもね・・。
終曲では意外なほどあっさりと、シテは橋掛りを去って行く。絢爛たる神話世界というよりは、ドロリと蛇のヌメりも感じさせる古代の息吹とでもいうのでしょうかね・・。そんなものを感じさせた「三輪 誓納」だったのでした〜。
萩大名。
青葡萄の模様の入った、しゃれた葡萄色の素襖を着けた万作の萩大名。もちろん愛すべき無邪気キャラが活き々々として笑いを誘います。それにしても、万作の息一つ乱れない舞台ぶりは本当に驚異的です・・。
太郎冠者がフォローしてもしきれない、シテの現代ふうで言うところを『おばかキャラ』をみんなでくすくす笑って観るわけだけど、なんだろね、結局、人間誰しもどこか似たようなところがあるというか・・。狂言の磨き抜かれた笑いの本質というのは、畢竟、人間の本質なのでしょうかね・・。
続いて仕舞が何番か出て梅若実や野村四郎も登場していたのですが、実はあの美声はそのままに、身体の衰えは隠せず、杖をついての舞となっていました。
舞うには不自由な身体で、杖をついて舞台を廻り、時折ただそれらしく袖を返す。杖をつく舞の小書というのは、たぶんこうしたシテのためにあるのだろうなぁと思っていたのだけど、同時にあれほどの技術を誇っていた彼が、また新たな次元に立っているのか・・と思ったのでした。
正尊。
こちらも非常に楽しい(?)舞台でした。ワキ弁慶にはとのけんに代わって、欣哉が扮していました。
山伏姿で登場した欣哉弁慶が、頼朝が差し向けてきた土佐正尊の宿を訪ねると、ともに僧形の二人が相対する面白い光景が出現します。シテは白い沙門帽子に白い水衣姿でした。
尚浩はもともと美声なのですが、少しヒネったようなキモの太さを感じさせる発声で、ふてぶてしい存在感を発揮していて素晴らしかったです。もちろん、流儀やワキ方とシテ方の違いはあるわけですが、澄んだ謡声を聞かせていた初番でのツネ2との高僧ぶりとは全く対照的でした。無理矢理に正尊を引っ張り出し、やいのやいのと早口に責め立てる弁慶に対しても、オマエらがそんなんだからと平然と言葉を返している様子も面白かった。
起請文の読み上げも堂々として、尚浩のその口ぶりにも確固としたものであるのに、真実神仏に誓った清澄さに欠けていたところが逆にイイ(笑)。カワイイ静が余興に舞っても、しれーっと無表情です。
能では直面も面の一種だとかいいますが、このシテの徹底的な無表情ぶりが特に印象的で、義経の屋敷を辞したあとに、一ノ松あたりで振り返って、じ・・っとその屋敷のほうを見つめる。爬虫類的な?!不気味さに満ちて、殺気が漂っていました。
勿論、起請文の言葉を素直に信じるほど義経、弁慶も甘くはありません。禿(アイ)を放って正尊の様子を探らせると、ワキの弁慶も後見座で物着していよいよ武装の体です。なんだかスゴイ形の頭巾をつけ、ゴツイ法被?を肩上ふうに着て、グレードアップ!という感じ。「正尊」本来の、ワキ方にとっての大曲の程も窺わせます。
いよいよ襲ってきた正尊は、引き連れてきた郎党の人数が多すぎ、銀座の能楽堂の短い橋掛かりには並びきれないほど。ここからはいよいよ楽しい斬組タイムで、ちゃんかちゃんかと義経の郎党と刃を交えるのでした。
しかし正尊の郎党は、みんなコロリン☆という感じで前転しつつ次々と斬られていきます。そんな光景でさえ、泰然と見つめているシテの姿。仏倒れもバンバン(?)飛び出して、久しぶりに観てちょっと感動・・(笑)。
最後に正尊と弁慶がいよいよ対決し、むんずと組むとさすがに弁慶が正尊を組み伏せる。正尊は生け捕られ、引っ立てられて行くのでした〜。
というわけで、とっても楽しい会だったのでした!
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三輪 誓納
シテ 観世清和
ワキ 森常好
アイ 野村萬斎
大鼓 亀井広忠
小鼓 観世新九郎
笛 一噌隆之
太鼓 小寺佐七
地頭 梅若実
萩大名
シテ 野村万作
アド 高野和憲
石田幸雄
仕舞
遊行柳 梅若実
難波 武田志房
松虫 木月孚行
井筒 野村四郎
女郎花 山階彌右衛門
正尊 起請文 翔入
シテ 武田尚浩
ツレ 藤波重彦
野村昌司
坂井音雅
子方 清水義久
ワキ 宝生欣哉 (代勤)
アイ 高野和憲
立衆 坂口貴信
武田宗典
関根祥丸
岡庭祥大
佐川勝貴
坂井音隆
金子聡哉
井上裕之真
木月宣行
高梨万里
田口亮二
坂井音晴
大鼓 國川純
小鼓 鵜澤洋太郎
笛 藤田朝太郎
太鼓 小寺真佐人
地頭 角寛次朗
※2018年10月7日(日) 観世能楽堂にて
「本多は神秘というものが、こちらの意志にかかわりなく、たちまち理不尽に襲ってきて居座るさまは、この中有の遣口によく似ていると思った。」 (三島由紀夫「豊穣の海 奔馬」)
・・というわけで、観世会の秋の別会に行って来ましたぁ〜!
今回もとっても素晴らしかったです!
目玉としてキヨの「三輪 誓納」が出たわけですが、キヨは「誓納」も、はや幾度目とかで、新しい銀座の能楽堂に合わせた工夫もありつつ、「誓納」に相応しい緊張感にも満ちた舞台で、非常によかったです。
まずは長裃姿の囃子方と地謡が座つき、杉玉と引き廻しのついた作り物が運ばれてくる。ちょっと驚いたことにこの作り物は、大小前は据え置かれていました。
「三輪」で「誓納」のような小書がつく時は、笛座の前に、目付柱のほうに正面を向けて作り物を置くことが多いと思うのだけど、今回はこのようなアレンジのようです。
率直なところ、銀座の観世能楽堂は見所も縦長の典型的なシアター形式で、中正面側のほうには空間的な拡がりも無いので、この後の展開を観ていても賢明な処置だったと思う。
舞台の上はピリリとした緊張感があって、音取置鼓で新九郎だけが床几にかかり、隆之がお笛を吹き始めると、早速に清涼な空気が漂うかのようでした。(もっとも、私が座っていた俗界の見所は、いろいろと、阿鼻叫喚?!の有様でしたが・・)
ワキの玄賓僧都・ツネ2も登場です。
名宣りから早速、高僧に相応しい品位も高く澄んだ謡声で、ツネ2得意の坊イソプラノ(←違う)が炸裂です。そのワキが語るには、毎日閼伽の水を持ってきてくれる不思議な女性がいるので、今日こそはどこの誰だか訊いてみよう・・・とのこと。
ワキがワキ座へと進み、広忠と新九郎の真ノ次第も素晴らしい。独特なテンポが、何者かの到来を告げています・・。
シテは幕が上がってもすぐには姿を現さず、ああきっと、いま山道を下ってくるのだな、という待ち時間がありました。
ようやく観せたその姿は、お山の紅葉を思わせる絢爛たる色合いの唐織に、水桶、数珠を手にしています。迷いなく橋掛りを進むのですが、一の松で立ち止まり「三輪の山もと道もなし・・」と見所に背を向け、いわくありげに三遍返しで謡う。
そして見所に向き直ると、自分は為すべき事もなくいたずらに年月を過ごしている女だが、今日も玄賓様のもとに樒閼伽の水をお持ちしよう・・と語る。
一方で、草庵の中にいるワキは「山頭には夜孤輪の月を戴き・・」と、独特なナビかせ謡も織り交ぜ、孤高の心情を吐露しています。
未だ途上にいるシテと、清澄な世界にいるワキと、そうとは知らずに心がクロスオーバーしている光景が端的に出現していて、この場面も非常に素晴らしかったです。
やがてシテが舞台へと進み、三輪の麓の山住まいの様子が謡われつつ、シテはワキとついに対面です。
そしてやはり、シテは玄賓僧都に秋の夜寒なので・・と、衣を一重乞うのですよね。ツネ2はこれに「勿論、いいとも」みたいな感じで、優しげな口調で応じ、白い衣を取り出すのですが、ここで面白い工夫がありました。
シテがワキ座のほうににじり寄り、なんと衣を一度舞台の床に置き、ワキがシテに触れないように衣の受け渡していたのです。しかしワキとシテは同時に衣に触れていて、一枚の衣を通じて、何かしら心に伝え合うものがある・・。これがなかなか、自然かつ印象的な場面が出現していました。
シテは大切そうに衣を抱え、それではとワキの前から去ろうとします。ワキが「暫く」と呼び止め、あなたはどこのどなたなの・・と尋ねると、シテは私は三輪のお山の麓に住んでいて・・御不審ならお訪ねくださいませ・・と言うのですが、ひときわ高く強く謡って、来てね来てね、ぜったい来てね!と本音がダダ漏れなのが可愛らしい。そうしてシテは、大小前の作り物の中に消えていきます・・。
中入でアイである萬斎リーフェ××・・じゃなかった、萬斎里人の登場です。萬斎さまが名乗っている間にも、作り物には玄賓がシテに与えた白い衣が掛けられています。
この人は何事か宿願あって大神神社に参詣するうちに、実は杉の枝にかかっていたこの衣を発見するのですよね。玄賓僧都の元にも通っていたらしく、早速ワキにこの発見を報告します。アイに勧められ、この不思議を確かめに行こうと立ち上がる玄賓・・。
与えたはずの衣が神域の森にあり、その衣には「三つの輪は清く浄きぞ・・」と金文字で歌が浮き出ていたのだとか・・。
どこからともなくシテの声が聴こえてくると、やがて作り物の引き廻しが降ろされ、三輪明神がその姿を現わします・・!
床几に腰かけ、白い装束姿で榊をぎゅっ・・と抱きしめるようにしている姿が、閉じられた心を感じさせて、何事か祈っているようでもあり、恥じらう乙女かのようです。
シテは、狩衣の裾に襴をつけた白い直衣、赤い指貫、スベラカシの鬘の出で立ち。こうして真正面から、作り物の中にいる「三輪 誓納」の後シテを観ることがあるとは思っていなかったので、非常に新鮮な光景でした。
(その2へと、つづく)
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先日、山種美術館に行ってきました〜。
小林古径の「清姫」が修復されたとかで、全点展示されてます。(11月11日まで。)
「道成寺」伝説に着想を得た連作で、簡素な表現なのだけど、それだけに古径の線描の凄さが伝わってくる・・。
古径がスキなので、出てるとつい観に行っちゃう。
今回はいつもの和菓子はなし・・。
段々と、主菓子をいただくのがツラくなったきました・・。
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自分の仕事と世の中とのつながりについては、私は割りに気楽な考え方をしている。私は来世とか霊魂の不滅は信じないが、一人の人間のこの世でした精神活動はその人の死と共に直ちに消え失せるものではなく、期間の長短は様々であろうが、あとに伝わり、ある働きをするものだということを信じている。簡単な一例として、私は四十五年前に亡くなった祖父を憶う時、私の心の中に祖父の精神の蘇るのを感ずる。・・・
志賀直哉「閑人妄語 ―『世界』の「私の信条」のために― 」より
先日のキヨの「柏崎」で、我が子と再会した時のシテの「喜びの型」(いわゆる両ユウケン)が印象的だったのですが、そういえば以前読んだ志賀直哉の随筆でも似たようなことが書かれていたなぁと、思い出したのでした。(←「馬と木賊」)
1921年(大正10年)ぐらい(?)に、厩橋の能楽堂で当時の梅若六郎の「木賊」(文中では「木賊刈」)を観た時に、シテが同じように我が子と再会したときに、この型を何度か繰り返したらしい。人間の通常の感情表現にはない仕草なのに、「木賊」の老翁の気持ちが伝わってきて、自然と涙が出たとのこと。
志賀直哉は歌舞伎や映画など、わりに演劇全般を好んだようだけれど、もしここで彼がさらりと型を型として認識していたら、その一文はどんなふうに変わっていたのかとも思う。
そして、随筆集に収録されていた別の文章で、文豪はさすがいいこと言うなと思った一節があったので。でも同時に、滅びゆくものは無理に存続させることなく、自然のままにしておくのもいいのでは、と書いてありました。
皆さま、こんな日は無理せず読書など致しましょうね。
いや、いま風が凄すぎてそれどころではありませんが・・・。
(ていうかもう寝よう。おやすみなさい。)
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さらには善光寺で居合わせた人々にも、一緒に極楽に行こうと念仏に誘うシテなのですが、ここでヒネリが出てくるのは、亡き夫の形見の品を阿弥陀様へ寄進したいとシテが言いだすのです。
前場で花若が小太郎を通じて送ってきた形見が、ここで伏線として利いてきた模様。本堂の何処かから騒ぎを見つめていた花若も、シテが取り出した品を見て、『あの烏帽子直垂は・・』と気づいたのではあるまいか。
シテは正中で物着して形見の品々を身に着け、「井筒」と同じく亡き人を偲ぶ移り舞の態です。黒い烏帽子に、淡い御納戸色のような長絹。
シテは情感に浸っていて、私のダンナ様は何でも器用にこなす人で、弓矢も連歌も得意、宴席でもみんなの盛り上げ上手で・・と聞かれてもないことを切々と語っています。(しかしリアリティも出る。)
このあたりは単なる便宜的・・というより、子ゆえだけの物狂いでないシテの本音が語られる部分で、プレーンな色使い物狂いの姿から、艶めかしくもある男装をして大伽藍で舞う姿は、法悦系狂女といった雰囲気でした。
そして詞章の内容が、深いというかややこしいというか、彼女は失った旦那様と愛息のことを思って悲しみに沈んでいるのだけど、その悲しみが深い分、煩悩の闇を晴らして見えてくる浄土の光景の美しさが際立つような描写で、そのコントラストが鮮やかに浮かび上がる。すぐそばにいるはずの、阿弥陀如来の足元で繰り広げられる、地上の人間ドラマの世界です。
しかしそこはお能なのでシテの舞は巫女的な印象もあって、悲劇を通して何かしらの真理に到る、そんな崇高ささえ感じさせました。地謡の盛り上げに、シテが見事にサーフしている印象。
でもシテは幽霊じゃないので、まだ成仏するわけじゃあない。そんな姿をじっと見ていたワキツレが、子方を立たせるとあなたの息子さんはここに居ますよと、母親に向かって差し出すように子方の背中を押します。(子方に台詞はありません。)
最初は唖然とするように、じっ・・と子方を見つめ、次に鳥が翼を羽ばたかせるように、袖を拡げて再会の喜びを表わすシテ。親鳥と雛鳥というか、シテと子方の装束の色合いが同じ緑の系統になっていて親子を感じさせます。
これも阿弥陀様が下界をじっと覗き込んで、巻き起こっている人間界の有様なのでしょうかね・・。「蜘蛛の糸」はお釈迦様か・・。
お能の演目の面白さって、こうして後からあとからの演者たちによって重みづけ意味づけされていって、作者も想像していなかったような「アンセム」化していったことにもあるのカモ、と思ったことでした。
鱸包丁。
嘘つきの甥をこらしめようと、伯父さんがさらに上等な嘘で仕返しする話。
買ってこいと言った鯉を、まだ買ってきていないのを適当な嘘で誤魔化すアドに、シテが身振り手振りの包丁さばきまで披露してお説教するのだけど、東次郎の品の良さが、お説教にもにじみ出ていた印象です。
謡うような印象の東次郎家の語りは、和泉流や他のお家とも全然違うわけだけど、ちゃんとアドにとって耳の痛い内容は、くどくどと切り刻むようなテンポになってて可笑しい。
トメの後でも、東次郎がアドに背中を向けて舞台を去る前に、ぺっ!と長袴の裾を払う仕草にも甥に対して「分かったか!」とでも言っているのが伝わってくるようで素晴らしかった。
それにしても東次郎、見た目が全部白くなってきて、ますますお上品になってきた。。
枕慈童。
他流の同名異曲との関係が、いつもややこしいこの曲。大藁屋の作り物など出て、見た目は大がかりなのですが、かなり小品の印象でした。しかし意外と(?)面白かったというか・・。
薬の水が出たというので勅使が見に行くと、ぱらりっと早速引き廻しが降ろされるのですが、そこに現れたのは、深山に住まう美少年・・というより、妖怪?!(失礼)の趣きでした。背後に並んでいる菊の花々が、さらに美しくも妖しい雰囲気(笑)。
こう言ってはなんですが、シテにミョ〜な貫禄があり過ぎて、「いらっしゃ〜い(ダミ声)」と、ぼったくり居酒屋の大将がこんなところに?!みたいな雰囲気です。ワキたちが驚くのも無理もない(←違)。
自分は数百年の昔、帝の枕を踏んでしまったので(どんな状況だったのだろう?)、この山中に配流となったが、頂いた枕の妙文のおかげで、川の水も薬の水となり神通力も得て、生き永らえているのだ・・とのこと。さらに勅使たちに舞まで披露してくれる。
楽を舞ったあとは、薬の水を壺に詰め、気前よく勅使に手渡しています。この壺が、面をかけたシテでも持ちやすいように両側の取っ手が妙に大きくなっていて、ハクション大魔王(さすがにリアルタイムじゃありません)のツボみたいで妙にカワイイ。。。
楽の音楽も面白く、水墨画の世界がそのまま飛び出してきたような内容で楽しかったです。
ということで非常に充実していた銕仙会だったのでした〜。
(おわり)
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大鼓 亀井広忠
小鼓 観世新九郎
笛 一噌庸二
地頭 観世銕之丞
狂言
鱸包丁
シテ 山本東次郎
アド 山本則孝
枕慈童 盤渉
シテ 柴田稔
ワキ 村瀬提
ワキツレ福王和幸
矢野昌平
大鼓 亀井実
小鼓 曽和正博
笛 寺井宏明
太鼓 小寺真佐人
地頭 浅見慈一
※2018年9月14日(金) 宝生能楽堂にて
※出演者が当初予定から一部変更になっています
というわけで、銕仙会の定期公演に行ってきましたぁ〜!
今回も素晴らしかったです!
当然お目当てはキヨの「柏崎」だったのですが、「柏崎」というと、たしか何年も前に観たきりで、なんだかややこしい狂女ものだったなぁ・・というイメージしかなかったのです・・。が、今回観ていて自分でも意外なほど感動してしまいました・・。
榎並左衛門五郎作だったのを世阿弥が改変を加えて云々・・というけれど、そのせいか(結果的に)シテの感情の変化も目まぐるしく、構成にもヒネリがあって単なる狂女物というワクを越えた、壮大な物語が能舞台に立ち上がっていた・・と思ったのは私だけ?難曲と言われているのも納得の展開でした。
シテが運命に翻弄されている姿もひしひしと伝わってきて、さらにそこに善光寺の阿弥陀如来的視点(?!)が加わって、ギリシャ悲劇的だったような気さえした・・。
人間の人格や性格というものは、もとから自然と備わっているだけではなくて、その人の運命の形によっても、造形されていくものなんだなぁ〜、と考えさせられたことでした。
さて、舞台はというと、囃子方、地謡が座着くと、揚幕がぱっとあがりシテの柏崎夫人が姿を現します。観世流の「柏崎」では、シテが先に出し置き的に登場するのですよね。
しかしキヨは老女物かという程、ゆっくり、ゆっくりと長い橋掛りを進んでいきます。囃子方たちが登場した時からお能は始まっているわけですが、このシテの登場によって、物語は既に始まっているようです。紅無とはいえ、白地に華やかな黄金も入った唐織姿でしたが、ギュウっと緊張感を漂わせた様子に、ああ、この女性はなにやら心に不安や悲しみがあるのだなぁ。と、思わせるに十分な姿だったのでした。
シテが舞台に入ってくるのと同時に、後見の野村四郎が葛桶を持って切戸口からすいっと現れる。シテは葛桶に腰かけ、何事かの訪れをじっ・・と待つ。
そこに、黒い笠に掛素襖の旅姿のツネ2が登場です。笠を目深に被り、我が身を隠すようにゆっくり進むワキの姿にも、何事かドラマを感じさせます。その間、葛桶に腰かけわずかに俯き加減に、微動だにせず待っているキヨ。
一の松あたりで笠を取ったワキが名乗り、ドラマの背景を明かしたところによると、自分は越後の柏崎殿に仕える小太郎という者だが、訴訟のために鎌倉滞在中に柏崎殿が亡くなり、子息の花若もこれを嘆いて何処かに出奔してしまったとのこと。そしてそれをこれから、冬の時雨降る道を行き、柏崎殿のお宅に知らせに行くところだ・・と。
小太郎の訪れに「なに小太郎とは」と強い声を出し、それまでじっとしていたのに、ぱっと大きく驚きを表わすキヨ。便り待ちわびていた様子が窺えます。
それにおそらくは領主クラスの奥方とはいえ、葛桶に座っている姿になんとなく違和感があったのだけど、柏崎邸を訪れたツネ2(下宝)の台詞に、お屋敷が荒れている・・的な台詞があったので、これはシテが自ら立って何事か用事をしていたことを表わしていたのかもしれません(?)。
小太郎はシテにすぐに目通りするのですが、この辺りは「清経」の前場にも似た場面で、やや早口にさては殿の御帰りかと尋ねるシテに、短い間だったけれどワキが「・・・」と答えに詰まる様子に、ツネ2の上手さが光ります。
そしてまず息子の花若が遁世したと聞かされ、驚くシテ。さては殿に叱られたのかと問えば、形見の品々をお届けに参りました・・と答えるワキに、夫の死に気づく奥方だったのでした。
涙を流して悲しむシテにワキが手紙を手渡し、シテが目を走らせると(面を掛けていても、ホントに走らせているのがよく分かるキヨの演技)、花若は父上が死んだ悲しさから仏道修行を思い立ったので、三年のうちには帰りますから・・とのこと。
シテの奥方もこれにはブチ切れ気味で、修行よりもまず母親に顔を見せろやと、その怒りももっともで、思わず床几から降りて、小太郎に怒りをぶつけ気味に、強く迫るシテだったのでした・・・。
ここでシテとワキは退場し、前場は終了。そしてなんとアイは登場せず、舞台は越後の柏崎から信濃の善光寺へと移り、ワキツレの善光寺の僧と花若本人が登場します。花若役の康介くんは、まだちっちゃくて可愛い。明るい若草色の水衣を着た、ミニミニお坊さん姿です。ワキツレは、この少年が突然やってきて頼むので、弟子として一緒に修行をしているところです・・と明かします。
さらにここに、騒がしげな様子で、物狂いの姿となったシテが善光寺へと向かっていたのでした。薄いグレイの水衣に狂い笹を手にした姿で、水衣の下には白い着付、狂女ファッションとはいえ、意外にプレーンな印象です。
そして夫と死に別れ、我が子とも生き別れ、自分の心は乱れに乱れている・・と、キヨらしい上品なカケリ。といっても実際には(?)人目を引く大騒ぎをして、さらに善光寺の内陣に進もうとするシテに、地謡前に控えていたワキツレが声をかけます。内陣は女人禁制だぞ、と。
シテはこれに対して、スラスラと唯心の浄土に男女差別なんてないでしょうと、仏の教えで反論するのですが、キヨは「この善光寺の如来堂の内陣こそは」の、「内陣」で本当に珍しく絶句していました。
わたくし、これでもわりと長期に渡って、観世清和研究家として頑張って(?)きたつもりですが、キヨの絶句って初めて見た気がする・・。ここはすかさず四郎が詞章をつけて、シテも勿論調子を崩すことはなかったのですが、とにかくこの「柏崎」のシテは、謡も、演技自体の量も非常に多くて、無理もない、、という感じ(←贔屓目)。キヨはこれまで、どんだけスゴイハードスケジュールでも、トチったりとか全然しないヒトだったので(←贔屓目?)。
それはさておき、松羽目以外にセットらしいセットも何もない能舞台で、そうか、シテはいま善光寺本堂の内陣のあたりにいるのだな・・・と思ったところで、ひときわ高く張った地謡が、「これぞ西方極楽の上品上生の内陣にいざや参らん・・」と力強く謡って、その大伽藍を音声で荘厳するが如くで大変素晴らしかった。
名所de物狂いといえば、お能の定番と言えなくもないですが、なるほどここでは、はっきりと生身の阿弥陀如来の御前での出来事なのだな・・という気がしたのですよね。
・・と言って実は私、長野の善光寺って行ったことがないのですケド・・。
(その2へと続く)
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今日は銕仙会に行ってきました〜。素晴らしかったです!
キヨ太郎の「柏崎」、自分でもちょっと予想していなかった方向性で感動があって、新鮮でした。
(←どんな方向性だ・・)
感想は、また次回!
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(※「その1」で思い違いがあったところを、ちょっと修正しています。)
そしてこの辺りで、シンペーが「そういえば、昨日か一昨日(笑)、新説を考えたんですけど」みたいなことを言い出し、「三輪」の初出は寛正六年、1465年ぐらいで、この頃に「野宮」「善知鳥」「杜若」「春日龍神」などの曲も登場している。
この年、足利義政が南都下向を行っており、随行した音阿弥と禅竹も共演したりして、禅竹は「小塩」の原曲である「小原野花見」を演じている。この時期(能作者として)脂の乗っていた禅竹が音阿弥たちにも作品を供給していたのかも・・と、昨日思った。のだそうです。
恵一郎は、「三輪」は禅竹作かもしれない・・と、ちょっと譲歩して(?)上演している時は関係ないが、神道系の能は難しい。日本の神様は人間に近く、仏教は遠い存在だった。鎌倉仏教が現れて、人間に近くなったのだと思う。能では人間に近い神の苦しみが描かれているのが面白い。
南方熊楠が批判していたように、国家神道の出現によって里にいた身近な神々が追放され、そのことがやがて太平洋戦争にも繋がっていった。国家が神々を追放した不幸な時代だった。「三輪」の神は、神々が身近に居た時代を感じさせるという意味で、そこがいいと思う・・と話してました。
シンペーが「大変よい結論が出たところで、前半を終わります(^^)」と、にっこり笑って第一部終了。
続いて、休憩を挟んで第二部です。
キヨ太郎が「三輪」のクセ(「されどもこの人 夜は来れども昼見えず・・」から)を仕舞形式で舞ってくれたのですが、シンペーからちょっと説明があり、この部分は三輪の神婚説話のところで「俊頼髄脳」的な変形も入っているが、ほぼ古代神話の世界です、とのこと。地謡には、若手たちがなんと8人並んでました。
仕舞の後に、シンペーがさかんに「柔らかい」「いい感じ」みたいなことを言ってましたが、久しぶりに観たキヨは、ちょっとアクが抜けていたような気する・・。能楽師としては脂ノリノリのお年頃だと思うけど、脂は脂でも身体にいい脂(青魚系?)みたいな・・。
それからキヨ・恵・心の鼎談となり、まずキヨから「誓納」について説明がありました。
まず作り物についてで、引き回しをつけた青竹の作り物に、御幣と杉玉を前の(青竹)2本につけます。今回は観世新九郎流の小鼓なので、ワキの登場楽には見掛ノ置鼓もやります、とのこと。
前場は常と変らないが、作り物の中では「神体」を持ち、(作り物を)出ると巫女の心をもってやらねばならない。「増」の面にスベラカシ、緋の指貫、白地の直衣を着ます。いわば顔は女神でも、男装をする。手には木綿四手をつけた榊。
クセのあとに「誓納」の神楽があり、「誓納」の序も踏む。いずれも重い習い事で、その後、神楽も常と違ってしっかりめにやり、カカリ、初段目、二段目の終わりに「誓納」の舞があり、囃子もぐっと締まって、翁の型をやります。榊で神道儀礼的に三拝または二拝します。かげの間、と言って、囃子も全部とめ、天岩戸からアマテラスがちょっと覗いた場面がありそこから急調な神楽となって、真っ暗闇の中を一周して作り物の中に戻ります。いずれも口伝があります。
作り物の中に入って、それからキリの舞に繋がります。キリは常の舞とは違い、替えではあるが「翁」的ではない。「誓納」の中にだけ、翁があります。暗闇の中を女神がトボトボ帰る感じ、「心もち肝要なり」なんて伝書にはあります。漆黒の闇の中で歩く気持ちが大事です。
自分は「誓納」は四度目だが、観世流太鼓とよく申し合わせができている。金春流の太鼓は明治から「誓納」を勤めていて、観世流太鼓は三拝するが、金春とだと二拝になります、とのこと。
「白式神神楽」は、片山家が京都のお公家さんに頼まれて宗家の「誓納」に遠慮して作ったとも言われている。あちらはバラエティに富んで華やかだが、「誓納」はどちらかというと地味で、古態を残していると思う。「観念して心に誓納という」なんて、意味不明なんだけど(キヨ笑)、「翁」も入ってきて宗教儀礼的になっている。「翁」が入ってくるのは、「三輪 誓納」と「江口 平調返」で、家元としての芸に繋がる。・・とか。
ここでシンペーが、「平調返」も「序」が長い。普通の舞では「序」が縮んでしまっているが、「平調返」は「序」を見せる重い習いとなっている。置鼓は乱拍子と実は同じというが、囃子も非常に古いもので出来ているのでは?と質問すると、キヨによると、鼓は古いものほど「粒」を全部打つ。今の幽玄の能とは違い、言い方は悪いが大陸の猿回し的なところがある。「粒」を減らして洗練させてきたが、乱拍子とか置鼓では粒を全部打っちゃいます、とのこと。太鼓も「誓納」にしかない「手」があり、「粒」を全部打つ。とても難しく気を抜くところが1つもない。そこも呪術的な古態を残しているのかも。
現代人に「誓納」を理解してもらうのは難しい。「翁」が入ってくるのは宗教的な意味だし、神楽は舞うほうも狂乱してくるが、情感を燃やすのとは違う。何事もなく巫女が神楽を舞い、そこに翁が入ってくるのは、気持ちをもっていくのも難しいかも。柔らかいクセの恋物語の世界とはギャップがある。・・とか。
恵一郎の話では、クセは男女のメロドラマを純化させている。天岩戸のお祭り騒ぎにブレーキをかけて、能の原始的な姿を表わしていると思う。三輪と伊勢が一体化、というよりも、三輪と能が一体化していると思う。調子がよくいい能だが、そこにブレーキをかけるのが能楽師の生理なのかもしれない。
中沢新一さんと話したときに、お祭りは延々と伸ばしてそこに神様が降りてくると言っていた。「平調返」や「誓納」も伸ばすことによって、別の面を出したかったのかも、とのこと。
シンペーは、「三輪清浄」、女は玄賓に衣を乞うが、玄賓と女と施物の無欲の世界にある。六輪一露を出したとき、非日常の世界を出すのが三輪の世界。「機前」といって、エネルギーが充満している。それは清らかさ、清浄な機前のエネルギー。禅竹はそうした宇宙感覚を持っていて、「三の輪」にそういうエネルギー体を表わしたのかもしれない・・とか、いよいよ超シンペー的なことを話してました。
すると恵一郎もさらにノッてきたのか(←「三輪」を観るとテンション上るって言ってたし)、、「誓納」と「平調返」は、その瞬間に能楽師の「自分」が出ていると思う、と言うと、シンペーが乱拍子もそうかもしれない、乱拍子は金春が曲に入れてきたが、音取置鼓も昔はすべての曲で奏されていた。とても古い、古態の音楽を残し、出そうとしているのかも、とのこと。
恵一郎は(乱拍子的な?)全休符、全休止で能楽師(の存在)が出てくる、能の歴史の中、音楽の中で孤独に「翁」として立っている瞬間があると思う・・と、いかにも恵一郎的なことを言っていました。
キヨは、前シテに対して(ワキからの)衣の受け渡しがあるが、シテの左袖にワキが掛けると一瞬でもシテに触ってしまうので、(誓納では?)シテは神体なので触ることができないので、近世ではワキが衣を投げたりもしていた。
イロエで暗闇の中をトボトボと戻って、扇子と榊を取り換えるが、これもシテには(後見が)直接触れないように、床に榊を置いて、その上に中啓(扇子)を置いてシテが取り上げるようにしている。これは誓納だけです、とのこと。
そして最後にキヨからちょっと宣伝があり、10月7日、お待ちしておりますので、是非お越しになってね!とか、親子教室や「はじめて能」もやってます。「はじめて能」は、能のダイジェスト版をやりながら、演技を途中で止めて解説したりしています。うちの若手が、いろいろ一生懸命考えて企画してますので是非観てやってくださいね、とか。
ということで、非常に面白く充実した能楽講座だったのでした〜。
(おわり)
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ゲスト
土屋恵一郎
※2018年8月28日(火) 観世能楽堂にて
※以下の内容は、クリコのうろ覚えに基づくものであります。
というわけで、久しぶりに(しつこい)観世会の能楽講座に行ってきました〜!
今回のテーマは、秋の別会で出る「三輪 誓納」でっす。
まずはキヨの御挨拶から。
音阿弥生誕620年記念や観・世・音の観世三代をテーマにした2つのシンポジウムに参加したことなど。そこで武家式楽などのお話もあったが、最近は楽屋でのお行儀が悪くなってきているのが気になる。自分も日々怒鳴り続けているが、人間として最低限のマナー、心が無いからそうなると思う。そういうのは舞台に出るし、自分も先代の家元からそうした小言を言われてきた。
昨夜の大雨の時には、ちょうど近々「賀茂」の素働をやるため稽古していたので、神様もお喜びなのかと思った(笑)。うちの愛犬は雷が鳴るなか熟睡していて・・みたいなことを話してました。
観世三代のシンポジウムの時には、白の帷子を着て舞囃子を舞ったが、これは江戸入府の際の、徳川家康への敬意を表していて云々・・。
今回のワークショップでは、「誓納」は秘事、口伝なのでやりません、切符をお買い求めになってご覧下さい、とのこと。
続いて、シンペーと恵一郎の対談で、まずシンペーから、「三輪」は言葉で語るのが難しい能です・・と言いつつ、概略の説明です。
(←三輪山の近くに住んでいる、興福寺のお坊さんだった玄賓僧都のもとに、女の人が訪ねてきて衣をくれと言い、あげたその衣が三輪(大神)神社の神杉にかかっていた。前シテは女性で、三輪明神は大物主の神で男神の筈なのに、後シテも女神として現れ神婚説話となる。そして天照大神と三輪明神は一体だと語り、天岩戸神事になる・・・というもの。)
(←シンペーはメガネが無くなってました。も、もしかして、レーシック?)
恵一郎は「三輪」という曲がとても好きだそうで、謡っていると気持ちがよくなってくる。「山田守る僧都の身こそ悲しけれ・・」と玄賓僧都の歌など引用したワキの謡もいい、とのこと。
昔『ソノシート』に観世流と喜多流の百番集があって、観世流では、シテは観世静夫さんで、観世寿夫さんがワキの謡を謡っていた。寿夫さんは、玄賓僧都の存在が分かるようにしっかり謡っていて感動したのを覚えている。
(←恵一郎の心の中には、今でも寿夫が住んでいるのね。。と、クリコは思った。)
しかし神道の知識がないと、全体が分からない。作者は禅竹と言われているが、禅竹は著作(「六輪一露秘注?」)で、三輪明神の言葉を引用し、「三輪清浄」と盛んに言っている。シテとワキが無欲なままの関係であること、能の基本は無欲であることが大事だと。だが「三輪」は観ていると楽しく興奮するが、読んでいるとバラバラで、本当に禅竹の作品なのか?素人が作ったのではと思えてくる・・とか。
これに対して心平は、自分は禅竹の作品だと思う。世阿弥の作品は構成がハッキリしていて抽出しやすいが、禅竹の作品は言葉はいいが、無茶苦茶さもある。でも能にしてみると、とてもいい、と。
玄賓僧都は、天皇の病気治療なども行うとても位の高い僧だった。「山田守る・・」とあるように、案山子も玄賓の発明と言われている。しかし人々と交わるのを嫌うフーテンの寅さんみたいなところがあり、あの道鏡と同じ弓削氏の出身で、ああいうふうにはなりたくない、と思っていたのかも。
「山頭には夜孤輪の月を戴き・・」の漢詩は、「断腸集之抜書」といって世阿弥から禅竹、禅鳳と伝わった金春家の蔵書に載っており、これを使うのは禅竹だと思う。「山影門に入って・・」「秋寒き窓のうち・・」も断腸集にある。上ゲ歌の「下樋の水音も、苔に聞こえて静かなる・・」なんて禅竹じゃないと書けないと思う!ワキだけで前場を作ってしまうのも珍しいし・・と、シンペーは禅竹愛を語っていました。
恵一郎が、玄賓の先輩は行基などの、社会の中での活動に熱心だったお坊さんがだが、玄賓のもとに女性が来て、寒くなってきたので衣を一枚くれなどと言うのは、やはりなまめかしい印象で、そこは無欲の世界(三輪清浄)とかいうけど、三輪明神が訪ねてくるのっておかしくない?と煽ると、「受衣」、仏法を伝授するという意味かもとのこと。
三輪流神道では、真言の陰陽を男女(の修行者)で伝授しあった灌頂も行われており、禅竹もこれを知っていたのかもしれない。仏教と神道の融合では、仏教のほうが圧倒的に優位で、アマテラスの本地は大日如来で、三輪明神はよく分からない。仏は聖のみだが、神は俗にも交わる。神のほうが衆生の救済の最前線にいるが、イコールパートナーではない。江戸の国学者たちがこれを口惜しがって、明治の廃仏毀釈なども起こった。神は受苦的存在であり、三輪明神が中世で女神となっていくのも、女性蔑視とその救済に関わっているのかもしれない。・・とか。
恵一郎もこれには同意で、「葛城」や世阿弥が作った能などでも、神様を救うために坊さんが出てくる。神のほうが人に近いところにいて、同じレベルで苦しみを味わっている。神道的な意味で取り上げているわけではない。でもなんで天岩戸が出て来るの?なんで三輪と伊勢が一体なの?そこがまとまってないと思う、と、見所側に寄り添った(笑)質問を繰り出します。
心平によると、三輪流神道は鎌倉時代に成立したと言われているが、室町かもしれない。社会活動に熱心だったのは律宗の僧侶たちで、三輪山の近くに複数のお寺を建立しており、玄賓は象徴的な存在だった。天岩戸伝説を重視したのは三輪流神道で、中世には仏教的世界が伊勢などの神道的世界が入ってきて、その刺激を受けて教理化された伊勢神道が現れ、天照大神は大日如来であると主張したりしている。他の神社でも、そうした差別化を図ろうとして、アマテラスと一体と言い出したのかも、とのこと。
恵一郎はこれに対して、神楽を見せたかっただけじゃないの?と。観る喜びはあるけど、玄賓も関係ないし、無理があり過ぎる。作品として締まりがない、部分的によくて、ブルックナーみたい。世阿弥はベートーベンで構成がはっりしてる。とか。
シンペーがこの辺りで、「ブルックナーを好きな女性っていないですよね」とチャチャをいれると、「いや、いるよ。いるんだけどさ」と恵一郎は反論してました。
ここでシンペーが、土屋さんは三輪山に登ったことありますか?と訊き、許可が必要とかで、無い。と恵一郎が答えると、三島由紀夫の「豊穣の海」の「奔馬」は、三輪神社での剣道場の試合の場面から始まり、三輪山頂の巨石の描写も出てくる。三島は三輪山に登っていると思う。禅竹も巨石の存在を知っていたのでは?禅竹は「明宿集」で、筑波では岩の面に翁が顕れると言っている。磐座と天岩戸がつながっているのでは、と思う、とか。
(←な〜るへそ〜!(←古い)とクリコは思った。)
しかし恵一郎は納得いかないようで、現在のアイは言わないが、三輪明神と天照大神が親子と言っている例もある。全部出し過ぎというか、こんな色んなことを言っている能は、いい能ではないと思う。世阿弥は観客を分かっていたので抑えて書いていた。観客を考えていない。全部の神道を分かっていないと理解できない。世阿弥は凡人だから誰もが分かることを言う。禅竹は分からないことを言う・・。
これに対してのシンペーの「三輪」擁護論では、自分は30年、禅竹とつきあってきた。(←おつき合いなさってたのね。。)
禅竹の宗教理解の深さと広さはすごい。確かに禅竹は書き込み過ぎて、時々「ジャンプ」しているが、そこが面白い。「誓納」では、翁舞が出て来るが、翁の本質を知っている吉田神道と関わりがあるかもしれない。観世家に切紙伝授を行っていて、これがないと「翁」を舞えなかった。「誓納」(の小書)が始めからあったかどうかは定かではないが、中世から「翁大事」と言って、天岩戸の前で翁が舞われていたらしい・・・等々。
(その2へと続く)
今日(昨日)は久しぶりに、観世会の能楽講座に行ってきました〜!
新鮮で非常に面白かったです。
な〜るほどね〜!という感じで。
いや〜、シンペーはやっぱりスゴイ!(←今更感)
レポートは近いうちに・・・!!
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残暑お見舞い申し上げます。
立秋も過ぎ、そろそろ秋に向けてチケットのお手配でも致しましょうかね、と思っていたら、大どころはけっこう売り切れ。
トホホ。。。
キリギリスは、やはり必ずその報いを受けるようです(笑)。
自宅の断捨離というかミニシャリしていたら、むかしお能観たあとに書いたノートとか沢山出てきて、『真面目か・・』と、ちょっと自分で苦笑してしまいました。
そいだけ。
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もう何年も前からチームで準備していたし・・。
自●隊員に打ち水させて、萬斎さまが三番叟踏んで、「これで地、固まるだッ」みたいな感じかな〜?
・・・。
萬斎さまが、第二のリーフェンシュタールとならないことを祈ります。
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花火して、
虹がでて、
・・牛をも喰らう。
別にどうということのない、夏休みで、ございます。
暑いから能楽堂行きたくない、、、なんて言ったら怒られるかな・・(笑)。
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先日のこと、「ゲッベルスと私」という、一人のドイツ人女性にインタビューしたドキュメンタリー映画を見てきました。
https://www.sunny-film.com/a-german-life
ブルンヒルデ・ポムゼルは、1911年生まれで撮影当時103歳(!)。
あのナチスの宣伝大臣ゲッベルスの秘書だった人物で、撮影後106歳で亡くなったらしいが、言葉も記憶も驚く程しっかりしていて、その顔に深く刻まれた無数の皺と、左手首に大盤の時計を着けている姿が印象的だった。
折り重なった記憶の果て、まさしく歴史の生き証人である彼女から、ナチスの深層部に迫るどんな新証言が飛び出すのか・・・。と、思いきや・・・。
不況のさなか、私は仕事を得て働いただけ。
(給料もよかった)(ただの下っ端のタイピストだった)
(新たな職を得るためにナチス党員になり、その際の「入会金」が高かった。)
強制収容所で何が起こっていたかは知らなかった。
私はただ、与えられた仕事をこなしていただけだった。
(深く考えることもなかった。)
彼女の証言の圧倒的な平凡さというか、凡庸さに身につまされる。
この種の証言は、ナチスに関わる話だけでなく、ごく最近にでも頻繁に見聞きするものだ。
彼女の話は、(映画としての出来映えとは別に)聴いている途中でうんざりしてくるほど退屈なものなのだけど、それこそが本質なのかもしれない。現代の人々は、自分ならあの体制から逃れられたと言うが、誰であってもあの体制から逃れることはできなかったと、彼女は言う。
結果として、彼女の身近にいたユダヤ系の友人も強制収容所に送られて死に、ゲッベルスは妻子を道連れに敗戦時に自殺した。
そして映画の終盤に映し出される、痩せ細った死体、死体、死体の山・・・。
(小さなお子さんや、この種の映像が苦手な方の鑑賞はおすすめしません。)
ただし、この有り様を記録した映画のナレーションでは、映像でこの様子を見た者は幸いだとのこと。その臭いを、かがずに済んだのだから、と。
何かを知っていたにせよ、彼女がこれらの蛮行に対して何か積極的に、能動的に何か関与したということも(おそらく)無い。
彼女自身は、終戦間近の頃には死の恐怖もなくなっていたのに、ゲッベルスや直近の責任者や、身近で自分たちに対して指示してくれる人間がいなくなったことに動揺した、と話している。
そしてソ連によって逮捕・抑留され(これは不当だと本人は言っていた)、同じ「強制収容所を使った収容所」で5年間を過ごしたとのことだった。
・・・。
1921年にパリで生まれて、24才で強制収容所で亡くなったエレーヌ・ベールが「彼らは考えないのだ」と、日記に綴っていたのを思い出す・・・。
ブルンヒルデ・ポムゼルは、神様はいないけど、悪魔はいるのよと言い切っていた。そこだけが、唯一キラリと光る(?)真実の言葉だったのかもしれない。
例えば自分が勤めている企業がなんらかの不正をしていたり、トップがファシズムを礼賛したりしていても、その「恩恵」が大きければ大きい程、じゃあそこを辞めるという決断のできる人が、現代でもはたしてどれだけいるだろうか・・。
8月3日までです。ご興味のある方は是非。
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天下ハ破レバ破レヨ、世間ハ滅ビバ滅ビヨ
人ハトモアレ我身サヘ富貴ナラバ
他ヨリ一段瑩羹様ニ振舞ント成行ケリ
from 応仁記
わりと伝統的な価値観なのカモ☆
(あくまで、一部の人のお話です。)
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で、「野宮」のあとはお腹が空いていたのでカレーライスを食べに行き(ごみんなサイ。。)、続いて「邯鄲」です。
引立大宮のついた一畳台も、地謡前に登場。「野宮」も「邯鄲」も、お能って大体そうですが、作り物が単なる「セット」以上の役割を果たす曲なのですね。狂言口開で登場する宿屋の女主人役の、派手な色合いが中国っぽく、問題の赤いマクラが紹介されています。
そして、盧生が邯鄲の町にやってくるのですが、冒頭の仕舞でも思ったのですが、どうもこの親子は気合が入ると、謡がちょっと早口になるような癖があるみたい。
もっとも、キラキラと派手な装束姿で、何かしら人生の答えを求め自分はこれから羊飛山へ行く・・と、ニート的というよりは、探究心あふれる若者らしさが出ていたかも。
立ち寄った宿屋の女主人に、これで眠れば悟りが開けるという仙人の枕の話を聞くのですが、アイの則秀がなんだか熱演で、活力あふれる女将さんぶりを観せていました。
面白いのは、シテがそれでは一休みしてみるか・・と、寝台に横になるかならないかのうちに、夢の国からのお迎えたちが姿を現すのですよね。眠気を催した時には、夢のほうからすぐそばに来ているのでしょうか。
ワキ(また欣哉)が寝台を叩いて、盧生が目を覚ますと、・・・私もこの辺りで眠くなっていたのですが(笑)、盧生は夢の中で王様になっていたのでした。その治世も五十年が瞬く間に過ぎ、本当にあっという間です(笑)。
シテは一畳台の上での危うい楽も無難にこなし、空降りもカッコよく決まっています。本当は狭い一畳台が、夢の中では壮大な御殿に・・というのが見せ場なのだけど、シニカルな目で見ると、実は狭く小さな世界を行ったり来たりしていることに、本人が気づいていない・・というふうに観えなくもない。
シテは一畳台を飛び出して行き、栄華も極まってくると、いよいよその終わりも観えてきます。橋掛りの端に佇む姿はどこか寂しげです。
シテの気が緩んだような一瞬に、キヨ(←地頭)もめちゃめちゃ頑張って、夢から覚める瞬間は超ハイスピード。子方を先頭に廷臣たちは切戸口へと去り、シテは御殿の片隅から宿屋の寝台へと我知らず大急ぎで戻っていきます。
飛び込みはなく、コロリっと寝台に横になる行き方でした。目覚めれば、宿屋の女主人が寝台を叩いて盧生を起こしています。全ては粟ご飯が炊ける間の、一炊の夢だったのでした・・。
今回の盧生は、呆然としつつも何やら『はっ・・』と目覚めた様子で、トメの悟りましたの型(?)も力強い。
・・・ところがこの時、脇正面?のあたりで、突然に奇声を発した人がいて、能楽版「ブラボーおじさん」の出現か?!とビックリしたことです・・。シテが無反応だったのは偉かったですが、折角カッコよくキメていたのに、ちょっと(かなり)残念だったことでした。
どんな趣味の世界でもそうですが、能楽ファンには、我こそは・・という人が多いからなぁ。。
なんだか中途半端ですが、見所からは以上です・・。
(おわり)
仕舞
屋島 谷本悠太朗
野宮
シテ 坂口貴信
ワキ 宝生欣哉
アイ 山本則重
大鼓 亀井忠雄
小鼓 飯田清一
笛 松田弘之
地頭 観世銕之丞
舞囃子
藤戸
川口晃平
大鼓 亀井広忠
小鼓 飯田清一
笛 杉信太朗
狂言
梟
シテ 山本則秀
アド 山本則重
山本凜太郎
仕舞
笠之段 梅若紀彰
班女 観世銕之丞
鉄輪 観世清和
邯鄲
シテ 谷本健吾
子方 谷本康介
ワキ 宝生欣哉
ワキツレ梅村昌功
吉田祐一
大日方寛
舘田善博
野口能弘
アイ 山本則秀
大鼓 亀井広忠
小鼓 観世新九郎
笛 杉信太朗
太鼓 小寺真佐人
地頭 観世清和
※2018年6月30日(土) 観世能楽堂にて。
というわけで、「三人の会」に行ってきました〜!
今回は貴信キュンの「野宮」健吾の「邯鄲」と、大注目の番組だったわけですが、全体としてすごく良かった、すご〜くよかったんだけど〜、なんだかこう、言いたいことがある!みたいな会でした(笑)。でもそれだけ充実してたな〜ってことなんだと思う。
・・と言って、私も途中でカレーライス食べに行ったり、そのせいで眠くなったりしてたのですが・・。オ、オホホホ。。
で、さて、貴信キュンの「野宮」から。
囃子も地謡も座着くと、後見の宗一郎が小柴垣のついた鳥居の作り物を運んできます。この日は大曲だけに三役も非常に素晴らしく、囃子は物寂しくも格調高く、地謡は堅牢かつ情趣を感じさせるもので、てっつんも流石の地頭ぶり。
そして自分でも意外なことに(笑)、なぜか一番感動したのは忠雄の大鼓で、少し観ない間になんだか痩せて、ちょっとちっちゃくなったな〜、、なんて思っていたのですが、鼓のほうはやはり貫録です。
「野宮」であってさえ平常心で淡々と打っているのに、その掛け声はまるで、月夜に吠える老いた狼のよう・・。私は小さな山小屋で、あの狼がもし近くまで降りてくるようなら、この猟銃で追い払うか撃ち殺すかしなければ・・・(←殺すのか)と震えつつ聴いている・・、そんな感じでした。あの虚心というか恬淡というか、気負いの無いなにげなさが、あれが芸境というものかや・・と思ったことです。
欣哉の旅僧も渋くよい雰囲気。諸国一見の僧が野宮の跡地を訪れ、その場に佇んでいると、美しい一人の女がやってきます・・。
いつもは明るく華やかな謡いぶりの貴信キュンですが、今回は心の奥の陰りを感じさせるような、少しヒネった工夫を凝らした謡い方。黒の差し色も鮮やかな唐織姿が、そのニュアンスを伝えています。
突然現れた美女に、あなたはどなたと話しかけてきたワキ僧に、「お前こそ誰なの」と只の里女とはとても思えない、手厳しい返答をする前シテです。と言っても、今日は年に一度のご神事をする大事な日なのっ!と話してしまうのですけどネ。
それにしても貴信キュン、非常に美しかったですが、彼はもしかすると非常に、その心根もまた綺麗な人なのではあるまいか(笑)。ちょっと気負いが先立っていたというか、今も火焚屋の幽かなる・・のところも、目に映る風景と心のうちの景色が渾然となって、暗闇に淡い光を見る様子・・よりも演者としての緊張感が溢れて、ちょっと体育会ぽいというか、ハリキリ(?)感のある御息所となっていました。
しかし六条御息所の身の上話をするうちに、段々とその役柄に入ってきたのか、都時に赴きし心こそ憾みなりけれ・・と、キッとワキ僧のほうを睨む姿には風格を感じさせました。
先の東宮と死に別れ、光源氏とも仲お途絶えがちになると、彼女に最後に残っていた、絶対的な絆というのは、斎宮との親子の愛情だけだったのかもね。ただならぬ様子にワキ僧がその名を尋ねると、シテは恥じらって鳥居の間に消えていきます・・。
中入。アイの則重の格調高い語りも、分かりやすくて大変よかったです。
後シテは、紫がかって観える濃い紺色の長絹に、華やかな黄金色の藤の花、裾のあたりに水玉(?)模様も入っていて、「野宮」にぴったり。目にも鮮やかな赤の大口も印象的で、貴信キュンの御息所は、やっぱり若くて、強い御息所だな〜と。
と言っても、その心に最大の傷痕を残した、車争いの破れ車に乗ってこの世に舞い戻ってきてしまうのですが・・。車の前後にばっと寄りて・・と、袖を捲いて表現する車争いの思いがけない強さに、御息所の怒りのほどが窺えます。怒りのあまり袖がもどらず、捲いたままの袖でシオる御息所・・。
その心の傷のために遥か遠くまで彷徨い出て、一度は越えようとして越えられなかった鳥居を、二度目では柱をぐっと握りしめて踏み越えるシテ・・。六条御息所はもちろん架空の存在だけど、それをここまで、シテと本人の生死を掛けた輪廻として表現しきる能楽の強さを感じる。
でもなんとなく、今後の貴信キュンに必要なもの、それは色気と自惚れなのではあるまいか・・(笑)。と、「野宮」のシテの役柄とはまた関係なく、思ったことでした(笑)。御息所は人柄的にどうこうとかいう、次元の人じゃ〜ないわけだし・・。
光源氏(実は従者のほうなのだったっけ?)が小柴垣の露を払う場面は、貴信キュンのイケメンの本性が出て、少し神経質なくらいに丁寧に辺りを払って、ああ、面倒くさいけど来てしまったな・・と、そんな物憂い雰囲気でよかったです(笑)。
貴信キュンは観世流の期待の星だし、なんつ〜か、もっと高みを目指してほしいのネ・・。(←余計なお世話)
(その2へとつづく)
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