能楽鑑賞などなどの記録。  
第八十五回 粟谷能の会
安宅 延年之舞 貝立
シテ 粟谷明生
ツレ 狩野了一
    内田成信 
    佐々木多門
    大島輝久
    塩津圭介
    佐藤寛泰
    友枝雄人
子方 友枝雄太郎
ワキ 森常好
アイ 野村萬斎
    深田博治

大鼓 柿原弘和
小鼓 鵜澤洋太郎
笛   松田弘之

地頭 出雲康雅

狂言
横座
シテ 野村万作
アド 野村万之介
    高野和憲

殺生石 女体
シテ 粟谷能夫
ワキ 宝生欣哉
アイ 石田幸雄

大鼓 佃良勝
小鼓 観世新九郎
笛   一噌隆之
太鼓 助川治

地頭 友枝昭世


どびょびょびょ〜ん。反省。。。

いきなり言い訳から始まるのですが、本日は寝不足だったところに、おクスリ(←クシャミ止め)を飲みまして、そうしたらですね、たちまちすぅーっと眠くなってしまいまして・・・。と、まるでどこかの誰かの言い訳みたいですが、今日は眠ってしまったところも多々あり・・。あっくんのおシテを拝見するのは、久しぶりだったのでかなり楽しみにしていたのですが・・。
かなりションボリな展開だったのでした(注:クリコのみ)。
ちなみに、今日も盛会でした。

で、安宅。

喜多流の安宅は、ほとんど観たことがない。
何年か前に友枝昭世の安宅を観たとき、観世流よりもケレン味?みたいなものが、少ないように思った気がする。でも今回は、かなりドラマチックに盛り上がっていたような気がします!(←寝てたくせに・・・。)

ツネツネもちょ〜気合入って、迫力の富樫。
あっくんの弁慶も、非常に重厚な雰囲気。しかもキモの座ったいいお声。
あっくんとツネツネ、ど根性のぶつかり合いです!(そんなときに、クリコはぐぅぐぅ。。。)
勧進帳を読み上げるところも、あっくんの美声にツネツネ富樫も、不信とトキメキ(←意味不明)で、ああ、そんな、どうしよう。といった面持ち。
やっぱりダメだ、闘うしかない!と進み出る若手たちを、待て待て!どうどう!と引き止めるあっくん。
(ここでも、押し出されてずるずる、と滑って行ったりはしないのです。)
あ〜ん!もういいや!とツネ富樫も山伏たちを通すのですが、さぁ強力に変装した義経も関を通過というときに・・・、なんと、義経の笠がぱらりと取れて落ちた。そりゃ〜、気がつかれちゃうよ〜!
後見が慌てて、再度着け直したのだけど、なんとまた落ちる。(・・・これは失敗ですな・・。)
このアクシデントのおかげで、クリコもはっ。と目が醒めたのだけど、勿論そこは無視して(笑)、富樫が、オマエ怪しいな!みたいなことを言う。
雄太郎くんも非常に落ち着いていて(←さすがベテラン?子方。)、笠を後見がまた着け直し、無事に弁慶が義経の頭をベシベシ!と打って、難関を突破です。

みんなでほっとしていると、ツネ富樫が、さっきはゴメン。。みたいな感じで追いかけてくる。最初は強力役の萬斎さまが応対するのだけど、弁慶と言葉を交わすとき、富樫は橋掛りにいて、弁慶は舞台の上に居る。
富樫は弁慶に随分と同情しているみたいなのだけど、この距離感が、二人の立場の違いをはっきり表していて、良いシーンだなぁと思った。

そして酒宴となって、あっくんの男舞は、なんだかすごかったです!
あっくんが試みたとかいう新演出は、実はよくわかっていないのですが(苦笑)、なんだかちょっと、モダーンな感じがしましたですお。喜多流では、延年之舞で、「えい!」と叫んで跳ぶのは一度だけみたい。
富樫に対していわばお礼として舞うわけだけど、富樫のほうには向っていかない。
この場では、富樫の動向が未だに彼らの命運を握っていることに変わりはなく、必死のジェスチャーである。
「オレはこんなに、こーんなに本気なの!別に死んでもいいの!でも今は駄目なの!だから止めないで!」
と言うかのようでした。舞というのは、言葉になる前の「志」だと何かの本で読んだことがある。弁慶の胸には、希望というようなものはなく、ただひたすら心意気、それだけ。
富樫も、嵐のように訪れて、風のように去っていく彼らを、一生忘れなかったに違いない。

最後に、明生弁慶が、萬斎さまにも早く行け!というように、びしっ!と扇を指す。ここの動きの鋭さも、最後まで気を抜かない感じがしてよかったです。

殺生石。

前場でもシテが舞ってましたが、こちらもかなり沈没していたクリコ・・・。すみません。
石がパカリと割れるところで、はっと目が覚め、後シテの凄まじい姿にいきなり度肝を抜かれました。
白頭・泥眼とかの綺麗め(笑)女体なのかと思ったら、ぼさぼさの黒頭に、赤い、なんの面だろう、白鉢巻でよくわからなかったけど(苦笑)すごく怖いカオで、楽器づくしの舞衣に、緋長袴。天冠の上に乗ってるのは、狐の九尾の尻尾だけ??
そんな姿で、犬に追いかけられたり、矢で射られたりの激しいアクションで、ビビったです。いや、もう、かつては宮中に居たということを匂わせつつ、それでいて、もう獣にしか観えない恐ろしさ。長袴で、キックとかしちゃうのです。

なんだか途中ですが、終わります。。。


喜多流の重厚な地謡を枕に眠るのは、すごーく気持ちよかったです。。。



posted by kuriko | 23:53 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
岡野守也 「能と唯識」
美意識について言えば、人生は「假の宿」であり、夢幻のように無常であるからこそ、そのひとときひとときが美しいという、中世的な美意識がこの作品でも語られている。というより、ここには、宗教と芸術が分離していない、きわめて深みのある美の世界が創出されているというべきである。妥当なところとともに浅薄なところもあったというほかない近代的無神論に毒された現代人は、ほとんど「荘厳」や「崇高」といった言葉に対応する実感を失いつつあり、したがってまた、そのヴォキャブラリーをも忘れつつあるようだが、そうした自分のレベルで観阿弥や世阿弥を読むことは、いったいその対象そのものにふさわしいのだろうか。

(本文より)



1994年に出版された本です。とっても面白い本でした。

昨年に感想を書いた、金関猛の「能と精神分析」でも、本書は参考文献として書名が上げられています。
「能と精神分析」がフロイト派だとすると、こっちはちょっとユング派っぽい感じでしょうか。(←かなり違うけど。)

「唯識」とは、本書によると「仏教の深層心理学」とでもいえるもので、人間の心を意識・「マナ識」・「アーラヤ識」・五感による三層・八識構造の重層に捉え、世界(現実)は全て心に映る表象に過ぎない、とした考え方のようである。ものすごく大雑把に譬えると、五感、意識、無意識、さらに集合的無意識(みたいなもの?)といったところだろうか・・。
(←唯識は「唯識三年倶舎八年」といわれるぐらい、難解なものらしいです。適当にぐぐってください。「桃栗三年、柿八年」みたいだけど。。。)
(←ちなみに、玄奘三蔵がわざわざインドまで行って学んで来たのも唯識だったそうです。)

観阿弥・世阿弥の「結崎座」は、奈良・興福寺の傘下として参勤しており、興福寺といえば、かつて『唯識学研究』のメッカだった。なので当然、観阿弥・世阿弥も「唯識」から影響を受け、夢幻能、つまり能楽の内容にも、唯識が大きな存在を占めているであろう、よってそれを検証してみたい、というのが本書の主旨である。(・・・多分。)

著者の指摘通り、「水に映る月」「鏡に映った像」「影」といった実に世阿弥好みのモチーフが、人間の誤れる(?)外界認識の比喩として、興福寺で重用された経典や、当時の文献に現れているということには驚かされる。
「妄執」「執心」といった用語にいたっては、勿論である。
僅かな例だけれど「江口」などには、「唯識」という言葉も登場している。
この世はすべて夢まぼろしだ、という世界観も、そもそも唯心論である「唯識」的なのだそうである。
(←ちなみに、世阿弥自身は「夢幻能」という用語は使っていない。「夢幻能」という言葉自体は、80年ほど前に創造されたものらしい。)

そして当時、エライお坊さんが、唯識があまりに難解なために、初心者や庶民向けに「懺悔」(仏教用語では、「さんげ」と読む)することを推奨していたそうな。
無意識(マナ識)にある執着を、意識化させることによって解放させるというプロセスが、ちょうど(「能と精神分析」と同じく)夢幻能におけるシテとワキの関係にもあてはまると著者は考えており、同時に非常に治療的な関係として捉えていて面白い。

しかし世阿弥は晩年?禅に傾倒したというし、当時、ブームとなっていた禅や念仏の鎌倉新仏教に対して、お学問的な南都六宗は、オールドファッションとなりつつあり、結局は双方からキーワードなどを取り入れて、バランスを取っていたというのが、妥当なところだろうか。
観阿弥・世阿弥の「阿弥号」は、もともと時宗の信者名らしいけれど、これはあまり関係ないらしい。

でもちょっと気になるのは、著者も認めているのだけど、元々は布教劇/勧進劇だった能楽に仏教の影響が強いのは当然としても、あの筆マメだった世阿弥が、能の脚本を書くときに和歌や物語を取り入れなさい、とは言っていても、「唯識」のことには何も触れていないこと。(禅竹などは、お経のお勉強も相当していたらしいケド。)
松岡心平なんかは、「宴の身体」で初期の能楽の原作は、勧進元の別の原作者(宗教者)が書いていたんじゃないか、みたいなことを言っていた。世阿弥は、「そういうのは、プロにきかないとな!」とか、思っていたのかな?

しかしこの本は、かなり面白いです。「求塚」の菟名日少女が何故罪になるのか等、これまで読んだどの本よりも納得のいく説明でした。



posted by kuriko | 22:13 | 読書(能・狂言) | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は集ってきました!
今日は国立能楽堂・大講義室で開催された、「能を知るつどい」(主催:本田光洋後援会)なるものに行ってきましたー。

お目当ては勿論、ゲスト曽和正博の「小鼓方から見た道成寺、乱拍子について実演を交えて解説していただきます」!

お弟子さんを連れて、オシャレ着物で正博登場です!思わず乙女のポーズになるクリコ。
(←本当です。最近なぜか、気がつくと乙女ポーズをしているのです。両掌を合わせて、顎の右斜め下に持っていくのです。)

ご本人もおっしゃるとおり、京都生まれの京都育ち、早口の関西弁で面白かったです♪
正博はお母様が茂山家出身で、千作の甥なんだって。
へー。そうすると、正博は七五三たちの従兄弟なの?
『私は研究者ではございませんので、あくまで伝承の中からお話しさせていただきます』だって。

小鼓の実演は、黒紋付姿だったお弟子さん(←道成寺披き済み)が担当。
「はい、**からやって」
「はい、いいよ」
「はい、座って」
と、正博の指示がなかなか忙しく、お弟子さんも大変(笑)。

盛り沢山だった正博のお話は、1時間ほどであっという間に終わり、次はお洋服姿の本田光洋登場。光洋は、道成寺の上演が多く、三役全ての流儀と演じたことがあるそうです。
へ〜。すごーい。

録音で小鼓それぞれの流儀の乱拍子を、ちょびっとずつ聴かせてもらえたのですが、50年程前の本田秀男と、北村一郎の乱拍子を聴けたのは嬉しかったです。二人ともこれが、「道成寺納め」だったとか。やっぱり心なしか、若き日のおさみゅんに似ていたかしら?
ほかにも、芳樹が来週つける装束など、一部見せてくれました。

は〜。芳樹。来週はがんばってくださ〜い。


posted by kuriko | 23:21 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
第三十九回 桃々会
松涛の梅の木。

俊寛
シテ  関根祥人
ツレ  浅見重好
     坂口貴信
ワキ  森常好
アイ  三宅右矩

大鼓  国川純
小鼓  曽和正博
笛    寺井宏明

地頭  観世清和

狂言
寝音曲
シテ  三宅右近
アド  三宅右矩

半蔀 立花供養
シテ  関根祥六
ワキ  宝生閑
アイ  三宅近成

大鼓  安福建雄
小鼓  大倉源次郎
笛    一噌仙幸

地頭  谷村一太郎

仕舞
笠之段 観世芳伸
網之段 山階彌右衛門
玉之段 観世清和
鵜之段 谷村一太郎

独吟
起請文 野村四郎

車僧
シテ 関根祥丸
ワキ 村瀬純
アイ 高澤祐介

大鼓 亀井広忠
小鼓 観世新九郎
笛   一噌庸二
太鼓 観世元伯

地頭 坂井音重


さてさて、今日は桃々会です!三代能がもうすっかり定着という感じ。

まずは、祥人の俊寛から。
昨日はとてもお茶目だった正博が、真面目に登場して(←当たり前)なんだか可笑しい。昨日のお弟子さんも後見で一緒です。この人の鼓の音は、本当にいつ聴いても安定しているな〜、と思う。

俊寛も祥人らしく、とてもマジメな雰囲気。
(←ヘラヘラしている俊寛というのも、観たことないけど・・。)
流人となった三人が、小さく輪になって水で酒宴を張るところも、いかにも悲哀を託つといった様子。
そこへ、赦免使であるワキのツネツネがやってきて、一堂びっくり。
しかし、赦免状に俊寛の名前が無い!マジメな人らしく激しく動揺し、一度感情が激すると抑えきれない俊寛。
艫綱にしがみつくところでは、祥人がエイッと引っ張ったところで、ツネツネがほいっと艫綱を船から離す。祥人は大きくヨロヨロとよろめき、艫綱の先が地謡前列のほうまで飛んで行き、ここも祥人らしかったです。
『都に着いたらとりなしてあげる』なんて、みんな口々にいうのだけれど、当事者でなければ気楽なものである。
今日は地頭がキヨで、なんとなくキヨ的スパイス?が感じられて面白かったです。

半蔀。

立花供養の小書きつきとかで、勅使河原茜が活けたとかいうお花が正先に出た。
先月の「万作十八選」の時には、まだ本調子じゃないのかな〜?と思った崇志も、今日はすっかり元気な模様。
後場で、蔀屋の作り物が橋掛りの一ノ松あたりに置かれて、座席ビンゴで喜ぶクリコ。
いつもの席だと、時々目付け柱が邪魔なのだよね。。
白い長絹姿の祥六がすーっと現れて、蔓の絡んだ蔀戸の向こうの葛桶に座る。
影の中に、微かに白い面をのぞかせているところが、ただ綺麗だなーと思う。

今日は源次郎、仙幸も大変素晴らしく、そういえば昨日正博が、囃子方が「山の形にならんで座るのは、あれは老松の形を模した風景なのですよ」みたいなことを言っていた。源次郎だけ、ピョコンと飛び出していたけど・・。
地謡も、シテが祥六だからということもないだろうが、とてもよかった。観世流らしいというのだろうか、華麗にして繊細、力強い高揚感がある。
花粉症ジャンキーなので(←言い訳)、全てが気持ちいいと、またまたすぅーっと眠くなってしまう。。。

夕顔の霊?なのだろう多分。というシテは、やがて蔀戸の向こうから現れて、光源氏さまと夕顔の花がご縁でこうして出会って〜と、思い出に浸っているようである。眠いので、意味など考えていられない。
夕顔はこの後、光源氏とデートの最中に、六条御息所かもしれない、という物の怪に襲われて、死んでしまうのではなかったかしら?ずーっと始まりの時間の中に留まっているので、この先のことなんて知らないのかな?
とても綺麗だから、そんなことはどうでもいいのだわ、やっぱし。。。
と、夢うつつでボンヤリしてうるうちに、あっという間に終ったのでした。
ふふふん。憧れを強く想う気持ちがあれば、それでいいのさ!

続いて車僧!

これがですねーっ、祥丸くん、超がんばってました!
車僧に揚幕の向こうから声を掛けるところも、取って喰おうかというほどの力の入りよう。山伏姿で篠懸に兜巾もつけていて、ある意味とてもカワイイのだけど、「かわいい〜!」なんて言ったら、ぶっ飛ばされそうな雰囲気である。
後シテも、直面に赤頭で漫画みたいな可愛らしさなのだけど、彼もいよいよ、始まりの始め、とでも言うべきか、自分自身と格闘しているような、求められる丈に足りない分をいかに埋めていくか、なかなか大変そうである。
勿論、動きはびしびし決まっていて、とてもカッコよく、ワキの車僧は微動だにしないところを、あの手この手と奮闘する太郎坊。ある意味、若者にぴったりの曲かも・・・。
結局負けて去っていくのだけど、そこはやはり頑張った若者が敗れても、爽やかなのでした。


posted by kuriko | 22:57 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
予習中。


わ〜ん!

オイラが悪かったよ〜ぅ!

怒らんといてちょ〜〜!



・・・というのはまぁ、単なる独り言(妄想)です。


今年の春の別会にキヨの「定家」がでるので、式子内親王のことなど、チョコチョコ予習しています(久しぶりに)。

しかし残念なことに(?)、色々読めば読むほど、定家と内親王が恋人同士だったという事実はないみたい・・。

中谷美紀は、じゃなくって白洲正子は、ホントの恋人は誰だったのか、余計な詮索はしないほうがいい、みたいなことを言っている。
なんと、法然上人が式子内親王の片思い?の相手だったという説もあって、びっくりである(by石丸晶子)。

しかしだとすると「定家」はかなり切ない話で、法然さまは、死の床にいる式子内親王に「浄土でお会いしましょう」と書き送っている(らしい)のだ。極楽浄土で、法然さまがおいでおいでと待っておられるのに、定家がジャマをして行くに行けない内親王、ということになる。
式子は法然さまに、定家は式子に、それぞれ片思いだったら面白いな、と思うのはクリコだけであろうか。

ちなみに法然の説く浄土とは、西方十万億土の彼方、つまりずううううううううううううっと西?のほうに行けば、ホントにあるよ。ということになっているそうな。それが庶民にも受けたらしい。
(←唯識の場合は、全てはハートの中にある、というわけ。)

も少し色々と、予習してみようと思います。

つづく。。(←うそ。)


posted by kuriko | 00:06 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
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