能楽鑑賞などなどの記録。  
観世会定期能十一月

七騎落
シテ   野村四郎
ツレ   観世芳伸
     坂井音晴
     武田友志
     木月宣行
     坂口貴信
     岡久広
子方  観世三郎太
ワキ  森常好
アイ   深田博治

大鼓  柿原弘和
小鼓  大倉源次郎
笛    一噌幸弘

地頭   角寛次朗
 
狂言
文蔵
シテ   野村萬斎
アド    野村万之介
 
井筒
シテ   観世清和
ワキ   宝生閑
アイ   石田幸雄

大鼓   亀井忠雄
小鼓   観世新九郎
笛     一噌庸二

地頭   谷村一太郎

仕舞
江野島  関根祥人
俊成忠度 寺井栄
玉鬘    坂井音重
鵜飼    観世恭秀


紅葉狩
シテ        武田尚浩
ツレ    坂井音隆
       武田文志
       野村昌司
ワキ    村瀬純
アイ    高野和憲
       竹山悠樹

大鼓    高野彰
小鼓    幸信吾
笛      藤田次郎
太鼓    桜井均

地頭    坂井音重

 


七騎落。

四郎が情感のあふれ出る大熱演でした!

最初から全員直面で、頼朝主従がぞろぞろと出てくるのですが、若武者ふうから三郎太ちゃん(←遠平役)から、老人ふうまで、年齢層バラバラな感じが、いかにも落ち延びていく敗者の小所帯という雰囲気で、なんだか可笑しい。

船で逃げることになったのですが、八騎というのは不吉だから一人降ろせ、と頼朝が命じます。
困った実平四郎が、一番トシを取っている岡崎義実に降りてと頼んだところ、これが「やなこった」と拒否(笑)。揚句に「だったらオマエんとこの子おろせば。うちの子も死んでんだぞ」(←もっとお上品に)とまで言われ、泣く泣く三郎太ちゃんを降りさせることにするのでした。
三郎太ちゃんも、「イヤだ。頼朝さまのお役に立ちたいから」というのですが、ここで四郎が「親のいうことがきけんのか〜!!」ともの凄い剣幕で怒り、三郎太ちゃんは哀れ一人取り残されるのです。
あふれる思いを断ち切って、討ち死にしてこい、ときっぱりと三郎太に背を向ける四郎。
みんなさすがに可哀想になって、三郎太を船の上から見送るのですが、四郎は一人、我が子を振り返ることすらできません。そして、最後にそーっと陸のほうを振り返るのですが、もちろん直面の演技で、ここで表情を崩すのを観せるような観せないような、ギリギリのドラマティックな表現が素晴らしかった。実平の感情の激しい起伏が、四郎の全身からにじみ出るようでした。

そして、ツネツネ扮する和田義盛がカッコよく登場。
頼朝に加勢するというツネ2を最初は疑ってかかる四郎なのですが、彼の忠義も本物と見定めた頃、なんと切戸口からトコトコと三郎太ちゃんが。ツネツネが助けてくれていたのでした。
(ちなみに、クリコが初めて三郎太ちゃんを見たとき、彼はまだ切戸口サイズよりも小さかったのに、(烏帽子もあったので)頭をかがめて出てきた彼を見て、大きくなったな〜と感心したのでした。お顔が丸々としてすっごーく可愛いの。)

この時も喜びを隠し切れない実平。その後は、酒宴となって歓喜の男舞となります。
四郎が鋭い舞を観せてくれて、大団円なのでした。
ど〜でもいいけど、このお話で結局悪いのは、つまらないジンクスにこだわった頼朝だと思うんだけど。。。ハッピーエンドだったからよいのでしょうか・・。

続いて、萬斎さまの文蔵です!

キリキリとシャープに語る萬斎さまと、万之介のすっとぼけぶりが対照的で面白かったです♪
文蔵も重い語り物だそうですが、奈須与市語のように、語りながら扇をキラリキラリと鋭く扱うのが綺麗。
「源平盛衰記」の中の『石橋山合戦』について語っているそうなので、多分、先の「七騎落」にちなませているのですかね。。(「七騎落」は、頼朝が石橋山の合戦で破れたところから始まるのです。)
最後に万之介が「温糟(うんぞう)粥」と「文蔵」の聞き間違えただけという、ダジャレで終るのですが、ご主人サマがそれほど怒ってなかったのは、自分の博識を自慢できて嬉しかったのかもしれません・・・。
萬斎さまのお声が堪能できました♪

そして〜、井筒です!!

いやはや、これも美しかったです!
そして率直な印象を言って、とにかくキヨ節全開だったな。と、思われたのでした。

閑が例によって、スタスタと、ふらふらと、漂泊の態で現れる。
これから初瀬(長谷寺)へお参りする途中とのこと。もちろん閑が登場する前に、薄の一叢があしらわれた井戸の作り物が正先に出ていて、それを眺めながら閑が語るわけですが、なんとなく随分と寂しい光景だな、と思う。薄は活け花のように美しく、均整をとって立てられていて、それが逆に空虚な背景を際立たせるようでもある。
伊勢物語の中の二人の跡を弔おうというのだから、閑も架空の人物なのか、それとも現世(?)の人物なのか。

そして、井筒の女が現れる。

暁毎の閼伽の水。あかつき毎乃閼伽の水・・と次第を謡うキヨの声が非常に冴え渡っていて、今日の井筒はこれで決まった〜!と思った。
しかし慎み深い(?)お能のシテは、自ら現れても、「私がその紀有常の娘です」なんて容易には語らない。それは何故だかわからないけれど、とても危険なことなのだ。幼馴染の初恋から結ばれた二人が、色々と夫婦の危機も乗り越えたりしつつ、でも結局、彼女はそこで業平を待っている。危険な香りがする・・、と今日のキヨは教えてくれる。

幸雄のアイ語りを、半分うとうとしながら聴いていて、はた。と気がつくと、後シテの登場。
井筒の女が、業平の形見を身にまとって橋掛りを進んでいた。業平乃。形見の直衣。身にふれて恥ずかしや・・なんて自分で言っている。とてもセクシーな表現なのですね。危険な香りがするのは、この辺りかもしれない。
先日もキヨの「松風」を観たけれど、物着をして、さぁ形見を身にまとうのだ、という意識も超えている分、こちらのほうが先鋭的に倒錯(笑)具合が増しているのかも。井筒の女は、業平自身を身に着けて、一体となって出てくるのだから。

もちろん、キヨの舞はすっぱりとクールだった。それが、情念が地獄の炎に炙られてダイヤモンドのように結晶化したクールさではなくて、はじめからそうしたものは捨て去ることによってクールであることを選んだような、鋭利さと美しさである。そこが私がキヨを愛好する理由でもある。キヨはいつも大変で、キヨがこの一番に全力を傾けているのが分かる。でも、シテが井戸の中を覗き込んで、何を見たのだろう?キヨは、とても綺麗に井戸の底を覗き込んでいた。見ればなつかしや。

ただ綺麗に覗くことも大切なんです。・・・と言っているように思ったのは、単なるクリコの妄想です。

今日は忠雄と新九郎も、なんだかとてもよかった。

紅葉狩も面白かったです!

東大薪能では(←ビデオで見た)、キヨは大口を着たりしていましたが、今日は全員着流し。これから紅葉狩をしようというのに、どことなく物寂しげなのが意味深長です。
シテが来合わせた維茂に声をかけるところ、いかにもしっとりと誘惑しているようで、維茂も思わず『イヤ〜綺麗なヒトだな〜っ』と扇ばたばた!させちゃう感じが面白かったです。
シテの中之舞もとても綺麗だったのだけど、彼女が鬼の心を隠し持っているのが分かって、ヒヤリとさせられる。外見とは裏腹な心を表すのが面白いのですね。

やがて寝入ってしまった維茂の、上げたままの左手がぷるぷると震えだしたころ、心配して八幡宮の末社の神が起こしてくれるのでした。

そのあとは〜、オニと維茂の大格闘!もちろん、正義は勝つ!ということで、維茂の勝利で終ります。

はぁ〜、今日もなんだか贅沢な会でしたお〜。
素晴らしかったです。

 

posted by kuriko | 22:44 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
金春信高 「花の翳」

 ミラコーなかんじ?

能の摺り足と言っても、原理は道路をゆく一般歩行者の歩みとなんら変るところはない。だが、一般が無関心にあるく歩みに、能楽師は全生命を打ち込んでいる。檜舞台の板の上を純白の足袋が、静かに、すべるように、摺ってゆく・・・・。左、右と、確実に体重を移しながら進んでゆく・・・。この単調な運動の中に、能楽のすべてがあるのだ。運びの何たるかを会得した能楽師は、やがて動かぬことの重大さを悟る。自分がそこに存在することの、まことの意義を考える。動、不動の因をなすものは、生けるしるしあり、という厳粛な自我であることに思いをいたす時、限りないきびしさが、われとわが身をしめつける。

(本文より)

 


2002年に出版された本です。

著者の還暦の際に出版された本(「動かぬ故に能という」)以降に、「金春月報」や、その他の媒体のために執筆された文章を取り纏めたもののようです。

1つ1つの文章はわりと短いのですが、その分、古風な(?)能楽師の基本的な考え方というか、本音のつぶやきとでもいうか、そうしたものが感じられる本でした。謡いの声と摺り足に、50年以上の歳月を使って精魂を傾けてこられたとのこと。そうして続けてくることの出来た幸せと、たとえば「老女物」の世界に自然と心が開くような、そんな心境も語られています。

著者は「伯母捨」「檜垣」と舞って、次は「関寺小町」となった時も、芸境が熟するのを待って、数年の間隔をあけたらしい(→古希ではなく喜寿にした)。
いくつになっても自分の未熟さを自覚できる厳しさと、時間感覚が、いかにもお能だな。と思う。

また金春流の(前)家元ならではというべきか、沢山の復曲での苦労話や、女流能楽師の考え方(金春流の女流は、発生などでは自然さを重視するらしい?)、「別冊 太陽」のために執筆された「おん祭」での『猿楽の能』や、薪能の歴史など、さすがにマニアックなところもあり、興味深いものでした。

それにしても、現在ではごく普通にメジャー(?)な「大原御幸」や「恋重荷」や「砧」、老女物の「檜垣」「伯母捨」などを、金春流の場合は戦後になって彼が復曲したというのは、ちょっとびっくりさせられる。お能一曲の運命というのも、案外、単なるタイミングやちょっとした理由で変ってくるのだな、と思ったのでした。



posted by kuriko | 22:30 | 読書(能・狂言) | comments(8) | trackbacks(0) |
くりこデカ
 
 今日のお昼はフレンチのはずが



朝夕冷え込むようになって、ああ、もうほんとに秋ねと、ほっこりしていたら



シャンハイ焼きそばになっていました


もうクリスマスツリーが! 早っ!



今日は私が自信満々に

「フフフ。答えは現場にありますよ!」

と言ったら

「クリコさん(仮名)、デカ長って感じ。。。」

ですって。


・・・。


おやつは「くりむし」でした。

仙太郎の栗むし。

posted by kuriko | 22:10 | 番外 | comments(0) | trackbacks(0) |
岩舟と鷺


今日は、ETVで金春安明の「岩舟」と近藤乾之助の「鷺」。そして「鬼瓦」を見ました。お目出度い番組のようです。


・・・ほとんど意識を失っていましたケド。。。


能楽堂だと、そんなに寝ないのにな〜。
恐るべし、能楽映像マジック。スイミン観賞でした。。。

乾之助の真っ白な鷺姿、神々しくて、可愛い・・。

岩舟は観世流だと前場を観ることがないので(←廃止されている)、ちょっと新鮮。。

posted by kuriko | 21:39 | TV(番外) | comments(6) | trackbacks(0) |
「観世家のアーカイブ展」講演会

夜の講堂。


第一回『観世家の伝統』
二十六世観世宗家 観世清和


と、いうわけで、東京大学までキヨのお話を聴いて参りましたのよ〜!!

どきどきしました。


会場は、想像以上の人で埋まっていて、スクリーンにずっと、東大薪能の模様が流されており・・・。

最初に、東京大学の小林康夫の御挨拶などあって・・。


そして〜、いよいよキヨの登場です!

意外にも、スーツ姿でした!
お気に入りの水色ネクタイです!!

ちなみに松岡心平も壇上に登場して、キヨに質問していくというスタイル。

これがですね〜、キヨ、最初こそスゴク緊張している感じだったのですが、話しているうちに段々熱くなってきちゃうタイプみたいで、も〜吼えていました(笑)!面白いっていうか、可笑しい(笑)!そして可愛い!

かなり過激発言もされていたので(笑)、クリコのうろ覚えにもとづき、印象に残った一部のみ順不同にご紹介します。

夜のアーカイブ。

松岡心平の話では、昭和20年代から観世家の伝書類の調査が始まって、30年代に表章らによって、一定の成果があったそうなのですが、室町までの資料に限った六百点ほどが調査されたのみだったとのこと。江戸、明治期については手つかずだったらしい。
近年調査を初めて、六千点(!)の資料があることが分かり、そのうち四千五百点ほどがキヨのご英断によりネット公開されることになったそうです。

キヨの話によると、キヨの子供の頃から貴重な伝書の詰まった「お蔵」は神聖な、コワイ場所だったそうです。お蔵の中で、幽霊を見たことがあるとかないとか(笑)。
ある日、勇気を出して一人でそーっと覗いてみたところ、なんと中に変なおじさんが!びっくりしてお父さまに知らせに走ったところ、それが表章先生だったり(笑)。

観世家ではキヨのお父さまの代から、いわゆる「帝王学」的なものは廃されていたそうで、キヨも中学2年で楽屋入りしたときから、普通の住み込みの書生さんと同じに修行してきたのだとか。おうちのお風呂のお掃除なんかも勿論していて、「私の磨いたフロは、芸術的な美しさでしたよ!」

お蔵にあった特に大切にされていた「花伝 第六花修」なども、お父さまから「お前の命よりも大事だから」と教えられて、何かあったら家族よりもこれを持って逃げろと言われていたのだとか。薄々中身には気がついていたものの、成人した頃にやっと中身を教えてもらったそうです。とても嬉しかったとのこと。(←黄色い風呂敷に包まれていたそうな。)
(ちなみに、現在70代、80代になる直弟子でも、世阿弥の直筆を披見することは許されていなかったため、今回の公開で初めて見た、というお弟子さんもいるそうです。)

昔は「本面」の箪笥を開けるときは、弟子一同が紋付を着て待機し、弟子たちに「息をかけるな!」とお父さまがおっしゃっていて、今でも本面箪笥をあけるときは、手を洗って、思わず息を止めているとのこと。ちなみに、やはり有名な一対の鬼の面が、翁の面よりも上に入っているそうで、言葉にはしないけれど、ご神体として考えているそうです。

これは松岡心平が言っていたのですが、最近、冷泉家のご当主とキヨが対談していて、冷泉家のほうが観世家より歴史は古いのに、当代で25代目で、観世家のほうが26代目。
その時代、時代に権力者に対峙してきた観世大夫はやはり短命(?)で、世阿弥が80歳まで生きたということが奇跡的だということです。代々の観世大夫の平均寿命は40代?
(キヨは今年で50歳なので、60歳で亡くなられたお父さまよりも、親孝行のためにあと10年は長生きしたいとのこと。)
キヨの話だと、冷泉家のご当主も、「奇跡でもなんでもなく、命懸けで守ってきました」と語られていたとか。また、冷泉家でも、お蔵は神聖な、怖いところだ、と言い伝えているそうで、うちと同じだな〜と思ったそうです。

徳川家との繋がりの深さについては、色々と伝承があるそうで、「嘘じゃございません」、「伝承ってそういうものでございます!」お父さまからテレビの大河ドラマを見ながら、「この場面の後で、うちのご先祖が舞ったんだゾ」なんて教えてもらっていたのだそうです(笑)。

世阿弥の伝書は読むだけでなく、今を生きる現代人として、それを体現していきたいとのこと。また伝書類は、専門家の研究に役立ててもらいたい、また一般のヒトには謡、舞だけでなく、学術的な側面も知ってもらいたいとの思いから公開に踏み切ったとのことです。

とにかくお稽古には時間をかける!マニュアル化しちゃだめです!
(↑段々ヒートアップしてきている。)

今流行りの、『KY』って言葉がございますね、空気の読めない役者は絶対にダメ!
(↑キヨも「KY」なんて言葉知ってるんだな〜と、ちょと感心。でも確かに、キヨは空気作りの巧い役者だと思う。東大薪能では、梅若六郎家から借りた真蛇の面をかけて、月はどっちに出てるかな、風はどっちに吹いてるかな、なんて考えてやったそうです。)

一子相伝なんて、大したものじゃございません。もっと日常的なものなんです。
世阿弥も音阿弥もみんな、私の先祖です!大事なのは今の能なんです!
もっともっと面白くしたいと考えています!

・・・とキヨは、「き、きよ、落ち着いて!」(笑)というくらい、熱く熱く語っていました。
「宣伝もしてよろしいですか?」なんてことで、ハッピーアワーチケットのお話や、松涛一丁目の能楽堂にも是非来てくださいとのことでした。

「能楽堂の敷居を、カンナで毎日削っております!」とか、
「お能はステイタスよりも、もっと身近に感じてほしいのです」、とか。

・・・等々。

本当は、もっともっとてんこ盛り(笑)だったのですが、この辺りで。
今日は、何度も大笑いしてしまって、とっても面白かったです♪

でも、キヨって、本当のところは意外と口ベタなのかもしれませんね。
すごーく身振り手振りが出ちゃっていて、カワイイのです。

あ、それから、キヨのメガネ君姿も見てしまいました〜♪(←老眼鏡なんだけど。)

キヨのあまりの熱さに、「イメージと違った・・」と呟きながら帰っているヒトがいて、可笑しかった。

今日は特別に21時まで駒場博物館が開場されていて、世阿弥の直筆本も見てきました!これって達筆なの?という感じだったのですが、書き損じもそのまま黒く塗りつぶしてあったりして、なんていうか、キヨのお話を聴いたあとだと、ちょっとドキドキしました。

posted by kuriko | 00:00 | 能・狂言 | comments(13) | trackbacks(0) |
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