講師 観世清和
松岡心平
ゲスト渡辺保
※2011年10月7日(金) 観世能楽堂にて。
※以下の内容は、クリコのうろ覚えにもとづくものであります。
※長いです。
というわけで恒例のお楽しみ、キヨの能楽講座に行ってきました〜!
まずはキヨの御挨拶から始まって、皆さん、「ワークショップオタクにならずに(笑)」11月6日の本公演もぜひ観に来てくださいね、とのこと。
最近はネットなどにも、まるで観て来たような気分になれる情報が溢れているけれど、舞台の生の魅力、役者の息遣いを感じていただきたいのです。と。
(このときキヨは、丁寧に「インターネット」と言ったのだけれど、なんだか「いんたーねっと」と発音したような気がした。)
「花筐」という曲は、シテの格、芸位を要求してくる曲で、型付けや謡本だけでなく、その行間に漂ってくるものが必要な曲なのです。私も(若い頃に)先代にお稽古してもらったときは、「君にはまだ無理だね」と言われた思い出がある、とのこと。
つづいて、松岡心平による曲の解説があり、詳しいあらすじの説明がありました。
武烈天皇が後継者を残さず死去して、越前にいた継体天皇(大迹部皇子)が急遽、皇位を継承することになり、照日の前(シテ)に花カゴとメッセージを置いて、都へと出発する。
と言っても、当時はまだ『奈良の都』はなかったので、古代の大和のどこか(桜井市のあたり)の都だったらしい。シテは物狂となって天皇の後を追っていく。
ちなみに史実(?)では、継体天皇はいわゆる「玉穂の宮」に入るのに20年ぐらいかかっており、このあたりは能の設定とはだいぶ違うとのこと。(そう、継体天皇はものすごく長寿な人だったのだ。)
そして「世阿弥がいた場所」の天野文雄の説も紹介されていました。
(←「花筐」は世阿弥が足利義教の将軍宣下を祝って、継体天皇と照日の前の関係を本人と夫人の物語に当て込んだ作った曲だ。という説。)
「花筐」が制作されたと思しき時期は、確かに将軍も天皇も、直系ではなく傍系の人に代替わりするという事件がおきていて、さすがに、継体天皇と照日の前の関係をそのまま、足利義教とその夫人の関係に当て込むのは行き過ぎと思うけど・・とのことでした。
ちなみにクリコも、57歳にして天皇に臣下から推挙された継体と、家臣の籤引き(!)で僧籍にありながら将軍に決まった足利義教は、境遇として似通ったものを感じる。そういう家系の変わり目のときはよく「継体天皇の先例」が引き合いに出されているそうで、目ざとい世阿弥のこと、すぐそういう話題性に飛びついたのカモね。
そして心平と、日本一の見巧者(と心平が言っていた)渡辺保の対談です。
これが予想に違わず、かなり刺激的な内容でした(笑)。
保自身は「素人の言っている、拡大、持ち出し解釈だから気にしないで」なんて心平に言っていたけれど、渡辺保も「花筐」の曲がかなり好きだそうで、それは次のような2つの魅力があるから・・だそうです。
1つは、このときすでに50過ぎで、「愛人」を捨てて社長(天皇)の縁談を取る出世欲の強い男と、それに泣き寝入りできない女性の気持ちと、関係がよく表れていること。
もう1つは、天皇制というものを批判していること。昭和20年8月15日に、私は10歳だった。
玉音放送を聴いたとき、みんな泣いていたが、吉本隆明に言わせれば天皇と天皇制は別なもので、この曲を観れば、男性原理と女性原理の両方を持っている天皇制の残酷さとメカニズムがよく分かる、ここには右翼の人はいないでしょうね?とのこと(笑)。
花筐を供えて神に祈っていたというが、自分を天皇にしてほしいなんて祈っていると知れたら、普通、殺されてしまう。実際、大迹部皇子の前に第一候補となった人間は、使者を殺して山に逃げている。花筐はカモフラージュだったのではないか?『李夫人の曲舞』も面白いし、なによりドラマとしてよく出来ている、これに対抗できるのは三島の「朱雀家の滅亡」ぐらいだと思う。なんだとか。
(ちなみに心平によると、武烈までは男性原理的な「暴君」で、継体から『空虚な中心』としての、女性原理的天皇モデルが誕生しているらしい。)
それに花カゴという小道具が、二重三重の意味で全体によく利いていて、「オセロー」のハンカチに匹敵する。戯曲家としても上手いと思う、とのこと。(普通、小道具というのは、1回使ったら終わりなんだそうです。)
心平の話では、「花筐」は天皇と芸能者の関係をよく表しているとのことで、「狂う」ことが芸能の始まりで、一セイのところで「御幸に狂ふ囃子しこそ 御先を払ふ袂なれ」とあるが、シテが狂うことによって、行幸を祓い清めているのだそうです。
保はそれに対して、天皇を清めるためにシテが狂うというのはいいが、でもそれは悲しい、結局利用されている、と。自分は照日の前に同情している。彼女は非常に頭のいい女性で、『李夫人の曲舞』で、中国の皇帝は夫人が亡くなってこれだけ悲しんでいる、それなのにあなたは・・と相手の弱みをついている、と言っていた。
『李夫人の曲舞』というのは、観阿弥の作曲とされていて、「花筐」の成立当初は取り入れられていなかったという説もあるらしい。キヨがこの後の鼎談で言っていたのだけど、以前、大阪城の薪能で、時間の関係でクセを抜いてほしいと主催者に頼まれて、やむなく抜いて舞ったら、天野文雄に「よく勉強しておられますね」とホメられたんだとか(笑)。
(そしてこの時、大阪城薪能は夏の日の夕方からやるのだけど、舞台が熱くなっていて大変だった、灼熱の「花筐」だったという思い出があるそうです。笑)
また心平によると、世阿弥は古代の天皇が登場する曲をよく書いていて、「呉服」では、応神天皇の時代の渡来人が登場する。今の(当時の)日本が素晴らしいので、再度やってきたというが、これは絶対に足利義教を意識した内容だと思う!なぜなら足利義教は、石清水八幡宮の神前の籤引きで将軍に決定されていて、石清水八幡宮はすなわち応神天皇だから!とのことでした。
また渡辺保は、能は想像するから面白い、きりつめた構成の背後にある光源を、探し求めるところに面白さがあると言っていた。
友枝喜久夫の「花筐」キリの仕舞のときには、一陣の風が吹いて紅葉が散り、それが血だと感じた・・そうである。
さて、ここまできて、やっとワークショップです!
キヨのお仕舞で、「花筐」のクルイ、クセ(『李夫人の曲舞』)、キリまでを観せてくれました!
キヨもお顔をキリキリっとさせて(シャレではない)登場です。これまた素晴らしかった。
たしかにクセのところはとても特異な印象で、地謡などもメロディだけ聴いていると、まるでお能じゃないみたい。とても綺麗なのだけど、大きな影が動くような(反魂香のせいか?)不思議な雰囲気です。
そして、「ひとり袂を片敷く」でクセを終えて常座で坐るキヨの姿勢が、すっごーく綺麗なの!
実はキヨ自身の解説によると、『李夫人の曲舞』はたしかに集中して、体力を使う、ここからゆっくりとした動作に移るのは逆に疲れるとのことで、どうやら一息入れる箇所でもあるみたい(笑)。「もちろん、どうってことはないんでございますよ」と、強がりを言うキヨ(笑)。普通の序破急の曲とは、論法が違っているのだそうです。
ちなみに小道具の花カゴは、筐之伝の小書が付くときは造花だけれど実際に花を入れ、付かないときは榊の葉っぱだけなんだそうです。
実は見せてくれた花カゴには、見所から観てもよく目立つように洋花も入っていて(笑)、「日本のお花は可憐でございましょ?それで先代が(洋花も)じゃあ入れちゃえよと言うので・・」なんだそうです。
もしかしてキヨPapaは、合理的な実は江戸っ子?気質の方だったのかしら(笑)。
それから安閑留も、先代が詞章が変わるものがあまり好まなかったので、観世流ではほとんどやらないとのこと。
ちなみ昨今は優秀な竹細工の職人さんも減ってきているので、先代がわざわざ人間国宝の先生に頼んでカゴを作ってもらったら、請求書にものすごい金額が来てびっくりした思い出もあるんだとか(笑)。「人間国宝の先生に、お見積もりは?とは聞けなかった・・」そうで、でも確かに素晴らしい出来映えで、今では我が家の家宝にしております♪とか。
ずっと花カゴを持っていると手が震えてくるけれど、これは自分の手だと思えば震える、他人の手だと思えば震えない・・と、相変わらず(?!)論理を超越した秘伝(?)も話していました☆
「花筐」は手数が多くて、カゴを取り扱い、文を読む扱いや連吟も多くて、深い思いを込めてやるのは若い人には難しい。もちろん、ツレとは本番前には連吟の稽古もするけれど、本番のテンションや機微を感じ取ってくれないツレもいる。「燃えているオレに気づいてくれないんです!」等のウラ話も飛び出します(笑)。
また渡辺保の「しどころは?」「仕舞と能の違いは?」の質問には、先代の教えにワキに花筐を渡してから、ワキの姿で遮られていた子方(天皇)の姿がシテに初めて見える。これは、天皇が照日の前を思い出して、輿の御簾を上げて顔を見せたところなんだ・・というのがあって、先代の工夫だと思う、とか、面や装束をつけると自然と役に入っていけるが、仕舞だと自分に言い聞かせてからやる、とキヨは答えていました。
また「花筐」は仕舞では若い人にやらせることもあるが、「江口」や「野宮」といった曲となると、能一曲とは違って仕舞のほうが大変、なんてこともあるのだとか。名人大家は、仕舞や舞囃子を観て違いが分かる・・のだそうな。
とまぁ、他にもいろんなお話あったけれど、こんな感じでお仕舞い。面白かったです!
そして三人は切戸口に先に入るのをやたら譲り合ってから、退場していったのでした。
ちなみにご好評につき!とのことで、来年も能楽講座が開催されるそうで〜す。
お楽しみに!