能楽鑑賞などなどの記録。  
「坂の上の雲」と「失敗の本質」と「切腹」

今年は秋がなくなかった?


とうとう師走ですね!


NHK「坂の上の雲」第三部がいよいよスタート!ということで、一部二部の再放送をBSでじゃんじゃんやっていて、ついつい見ています。明日(?)はいよいよ日露開戦。。。の再放送。


司馬遼太郎も言ってることだけど、「失敗の本質」など読んでいると、明治の頃は闊達で、学習意欲のあった日本(軍)も、その後は・・ということになる。日露戦争での成功体験の影響は計り知れず、なんと太平洋戦争の敗戦に至るまで、秋山真之(←モっくん。)(←死語?)が起草した海軍虎の巻を、改訂しつつもずっと使い続けていたそうな。


でもって今日(昨日)は、同じくBSで放送されていた映画の「切腹」(1962年)も見る。


これが本当にものすごい映画で、仲代達矢が!!凄かった!!凄すぎた!!
若き日の丹波哲郎も三國連太郎もカッコ良かったけど、確かにあの仕打ちはヒドい。。(役柄)


そのとき現場の頂点にいた三國連太郎が一言、「もういい」と言っていれば、引き返しどころがあったのだろうけど、それを考えるということをしなかった。


映画を見ている現代人でさえ、求女(石浜朗)が実際にハラを切ったあとでも、なんだ軟弱なやっちゃな、と、どこかで思っていたのではなかろうか。半四郎(仲代達矢)の口から、事実の深層を聞くまでは・・。
何か1つ確立されたものにしがみついてしまうと、代わりに何かを見失うものであろうか。いやもっと単純に、想像力の欠如ということであろうか。


エビゾー主演でリメイクされているそうなので、ちょっと怖いもの観たさで観てみたいな〜。
日本人て・・と考えさせられて、とにかくオススメであります。「失敗の本質」もね・・。



 

posted by kuriko | 02:26 | 番外 | comments(2) | trackbacks(0) |
狂言劇場 その七 Aプログラム“舞” (1.5回)

ちょうやく!中島敦!


小舞 
七つ子 竹山悠樹 (12月1日)
      深田博治 (12月2日)


    高野和憲 (12月1日)
     月崎晴夫(12月2日)


    野村萬斎


狂言
棒縛
シテ   野村万作
アド   深田博治
      石田幸雄


MANSAI ボレロ
      野村萬斎


※2011年12月1・2日(木・金) 世田谷パブリックシアターにて。



というわけで、恒例の狂言劇場に行ってきました〜!


実は今月は、凶器の、間違えた、『狂気の観能祭りfeat.野村萬斎!』なのですよね。
というわけで、まずは「舞」がテーマのAプロのほうで、萬斎さまの新作舞踊(?)「MANSAI ボレロ」を2回観てきました〜。


今回前半部は、両端に橋掛りのある舞台に、背景に松羽目が設えられていました。
その上に、ワイヤで吊られた注連縄が飾ってあります。


小舞と狂言は、一回しか観ておりませんが。。「鮒」での萬斎さまの跳躍が、鮮やかでした。
万作の「棒縛」のほうは、万作が太郎冠者で、両腕を棒に縛り付けたまま、長編の曲を舞ったり謡ったりの、体力と精神力の強靭さに感嘆。エイ、エイ!と得意げに棒術を披露する所作も素晴らしい切れ味です。


そして主(深田博治)から怒られても縛られても、やっぱり酒を飲もう!とする太郎冠者と次郎冠者の自分への正直さというか、めげないところが、なんだか潔い印象さえしたのでした。


棒縛で舞われる舞は、最初の小舞の「七つの子」「暁」と同じらしいのですよね。もちろん、扇も持てず動きが制限されてしまっているので、全然違うように観えるのです。
何がなんでもと、無理矢理お酒を飲むところも可笑しいのですが、酒宴で盛り上がっているところに主が帰ってきて、「おゆるされませ、おゆるされませ」とイタズラっ子のように逃げていく後ろ姿が可愛いかった。


さて「舞台芸術としての古典」を標榜してきた狂言劇場も、七度目を迎えてついに、新作の登場です。


萬斎さまが「ボレロ」を舞うのです!


そもそもの発端は、ずっと遙か(?)昔、万作がベジャール振り付けでショナ・ミルクが踊る「ボレロ」を観て感動したところにあるらしい。「三番叟」と似ている・・自分も踊りたい、と万作も思ったんだとか(とパンフレットに書いてあった)。


舞台のほうはというと、暗転した、真っ暗な何もない舞台に、やがて一筋の光が差し込むと、萬斎さまの姿がぼんやりと現れる。光が増すにつれて、その姿がはっきりと現れるのだけど、萬斎さまは一日目は白い狩衣に、全て白の柄入り大口、白足袋の姿でした。
アタマには何もつけてませんでしたが、「鮒」のときとはちゃんと髪型を変えてあって、ちょっとお顔も白く塗ってあったのかな?


そして、二日目はなんと、白い狩衣に、赤い大口の姿でした。袖の露もオレンジ色で、中性的というか女性的というか、お能の感覚だと巫女ふうというか、女装の出で立ちと言っていいかもしれない。能の「絵馬」や「三輪」のシテを思い出す。
こちらのほうが、舞っているのは天鈿女であり、天照大神であり、三番叟であり、人間である(?)萬斎さまの意識するものが、よりくっきりと伝わってくるようで(多分)よかったと思う。


萬斎さまは、最初目覚めるようにして顔をあげ、うっとりと天を見上げるような仕草をする。音楽(録音)は、はじめ低く小さく、段々と大きくなっていく。


やがて天地開闢すると、片袖を被き扇で口元を隠す『天の岩戸隠れポーズ』(←?)で、白一色の装束のときは、翁が現れて祝福したように観え、巫女ふうの装束のときは、岩戸に隠れる天照大神自身に観える。


そこに人間が現れて(多分)、お天気の悪さに困っていたり(天候に左右される農耕民族だからだろうか)、三番叟が現れて、大地を踏み鎮めて、恵みがもたらされたり・・・。
しかし人間が、運命と闘うことを覚えると三番叟もその役割を変え・・・、というのはすべてクリコの想像なのだけれど、舞台の背景いっぱいに光が満ちて、ボレロのリズムも響きわたる。やがて人間は、未知の深淵へと、その身を躍らせるのであった!

同時に、ここで暗転。公演予定では15分となっていて、実際それぐらいの長さだったでしょうか。


「ボレロ」というと、クリコ的には映像で観たシルヴィ・ギエムの印象が強い。比べるなというほうが無理である。
さながら大平原の女王の如く、大勢の男どもを従えて踊っていた彼女は本当に圧倒的な存在感で、野性味に満ちてまさに天鈿女的であったかもしれない。


萬斎さまの和風ボレロは、時に力強い跳躍などもありつつも、拡がりよりも深さと繊細さで勝負、能と狂言の歴史を踏まえた物語性を感じさせた。それに恍惚としていた表情は、だんだんと時代が下るにつれ(?)苦悩を帯びていた。


じゃっどん(←「坂の上の雲」)、「翁」であれ「三番叟」であれ、2回も観るとその型がくっきりと観えたぶん、いささかその型にこだわり過ぎていたようにも観えた。「三番叟」の囃子が打つ、リズムの粒々の平均曲線であるメロディ的なるものと、「ボレロ」であってさえ管弦の奏でるリズムとメロディは、全く意味が違うと思う。振り付けとは閃きに尽きるとクリコは思うのだけど、その閃きが「三番叟」の型と、ラヴェルの楽曲との対話に費やされてしまったようにも観えたのだった。そんなの、オレが振付けたんだから分かっちゅう!とか言われそうだケド。。


いや、もちろん、すっごーくカッコよかったからいいのですケド♪

それに初日よりも二日目のほうが萬斎さまとラヴェルの、西と東の激突が感じられるようで、なんだか痛快であったことでした。

posted by kuriko | 01:12 | 能・狂言 | comments(6) | trackbacks(0) |
ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」 第四回公演

旅情じゃなくって、路上。

卒都婆小町
シテ   野村四郎  
ワキ   宝生閑  
ワキツレ 宝生欣哉


大鼓   亀井忠雄
小鼓   大倉源次郎
笛     寺井久八郎


地頭   武田志房
   
文蔵
シテ   山本則俊
アド    善竹十郎


九段
シテ   金剛永謹
ワキ   工藤和哉


大鼓   柿原崇志
小鼓   観世新九郎
笛     杉市和      
太鼓   金春國和


地頭   今井清隆


※2011年12月3日(土) 国立能楽堂にて。



もうすっかり、お馴染み公演となった無形文化遺産公演です〜。
今回も盛況でした。


そして特に「卒都婆小町」が、素晴らしかった!
全編に凍りつくような緊迫感が漲って、四郎が!閑が!忠雄が!源次郎が!スゴかったです!


卒都婆小町。

閑と欣哉の、旅僧二人が登場。高野山から来たという。

省略の小書がついていないので、「それ前仏は既に去り 後仏は未だ世に出でず 夢の中間に生まれきて・・」と、サラリとクリコの好きな全フレーズを謡ってくれて嬉しい。仏道に入り前世を知れば、親も子もなく執着も無いものだと、漂泊と解脱の境地を語る。
(←これらに対し、のちにシテからの猛烈な反撃があったようにも思われた。後述。)


つづいてシテの登場となる。習ノ次第で忠雄と源次郎の気合というか、集中というか、冴え渡る冬の風のような音と掛け声が素晴らしい。


橋掛りを一人歩んで来るシテは、だだっ広い荒野に一人さまよい出るかのようだ。三の松あたりで杖にもたれかかるようにして、ゆっくりと休息を取る。
四郎は分家ふうの型も宗家ふうの型も両方するらしいのだけど、宗家ふう、ということだったのであろうか。

シテはするすると歩みを進める。印象的だったのは、四郎の手がほとんど震えておらず、そのハコビには、いかにも老女らしい弱々しさがなかったことだ。
黒い笠を目深に被り、濃い深緑の水衣で、杖を手にしている姿は老女というより、謎めいた旅の途中といった微かな色香があった。


一の松あたりで、かつては美貌を誇り傲慢だった女が百年生きた、なれの果てが自分だとサシを謡う。
やがてシテは、疲れたことだしコレに休もうと、舞台に入り常座のあたりで葛桶に腰掛ける。ただの朽木と思ったそれが、実は卒塔婆であったのだ。


閑がそれを見咎めて注意するのだけど、このときの閑は勇気凛々、正義感に満ちて・・というふうでなく、議論に応じる四郎も才気芬々とした驕慢さは感じさせない。
二人の問答は、まるで詩作に耽る老友同士が意見を交わしているかのような、静けさと風雅さで、老女物としての品位を感じさせた。


閑が参りましたと降参し、四郎はここで杖にすがりつくようにして立ち上がって、いよいよ舞台の中央に進み、その正体を明かす。
相手を言い負かした得意さはたちまちどこかに失せて、嘆きとはじらいと、ためらいの入り混じった、私こそが小町だと絶叫するような自己の表明だった。彼女にとってもっともつらいのは、自分が今でも小野小町である、ということなのかもしれない。


老いたうえに物乞いとなっている哀れな小町の姿に、時間が持つ残酷さに一同は深く感じ入り、小町は笠で顔を隠すようにして、さらに恥じらいを示すのだった。


そんな四郎の様子が一変して、突如とした狂乱を示す。静かだった四郎の謡が、動揺に激しく乱れるようだ。小町の口を借りて、深草少将が語りだす。物着に向かうシテのハコビが、少将のものになっているかのようで、極めて重かった。


金糸で模様のついた淡い深草色の長絹に、風折烏帽子。小町に会うための晴れ姿だったのかもしれないが、立ち姿はほっそりとして、すでにやつれて痩せ細った少将の姿を彷彿とさせる。少将の狂乱を表したときにだけ、四郎の扇を持つ手が、ぶるぶると震えていた。


深草少将は、自分がいかに必死に小町のもとへと通ったかを語った。
雨の日も風の日も、月夜も闇夜も通いつめ、一夜一夜と数えるうちに、自分は命を落としたのだと、キッと閑たちのほうを見据える。妄執と呼ばれればそれまで、ただ情愛にそこまで身を捧げ尽くして生きた少将にしてみれば、漂泊の旅人気取りで説教をしているお前たちに、何が分かるといわんばかりの激しさだった。


そしてこのとき、小町はまさしく憑き物が落ちたように立ち上がる。小町は乞食となっても生き抜くために、むしろ物狂いとなるために、ずっと心に少将を住まわせていた。小町と少将の心が一つになった、突き抜けた悟りの瞬間だったのではあるまいか。
小町はなおも、私の心に咲く花を御仏に捧げようと言う。百年生きて、容色も何もかも尽き果てた先に、輝くような芳しい境地が待っていた。


卒都婆小町で疲れたので、文蔵はモニターで見る。。。


山本則俊と善竹十郎で、同じ大蔵流とはいえ、ほとんど異流共演の趣。
独特な抑揚でかつ明晰な則俊と、おとぼけワールド全開の十郎のあの口跡の違いが・・・。


乱。


工藤和哉がいくらかノンビリと語ったあとに、赤一色の装束に身を包んだ大柄な猩々が現れる。面も酔っ払ったように赤い顔だったけれど、ちょっと端正な顔付きだ。


さて今回は、九段の小書きがついてさすがに長かった。
「舞金剛」というけれど、波を蹴立てるような所作と爪先立つ流れ足が延々と、ゆったりと続き、むしろ観世流や喜多流のほうが型としては派手に観えたのは気のせいであろうか。


ちなみに、エイキンは千駄ヶ谷の舞台は身体に感覚が染み込んでいないのか、地謡やワキに舞いながらぶつかりそうになる場面が二度ほどあって、観ていてヒヤリとさせられる。


橋掛りまで進んで行って、欄干に足を掛けたりする印象的な部分もあったのだけど、ずっと海面のさざ波を眺めているような気分になったことでした。

 

posted by kuriko | 01:14 | 能・狂言 | comments(3) | trackbacks(0) |
観世会定期能十二月

俊寛    
シテ    観世清和
ツレ     藤波重彦
        野村昌司
ワキ    福王和幸
アイ     高部恭史


大鼓    國川純
小鼓    大倉源次郎  
笛      寺井宏明


地頭    坂井音重
   
狂言
文山賊  
シテ    野村万蔵
アド     野村扇丞


葛城 大和舞     
シテ    梅若玄祥
ワキ    殿田謙吉
アイ     野村扇丞


大鼓    亀井忠雄
小鼓    亀井俊一
笛      一噌庸二
太鼓    金春國和


地頭    角寛次朗


仕舞
和布刈  木原康之
佛原    谷村一太郎
富士太鼓 武田志房
融      観世芳伸
 
熊坂 替之形   
シテ    武田尚浩
ワキ    梅村昌功
アイ     山下浩一郎


大鼓    佃良勝
小鼓    森澤勇司
笛      藤田次郎
太鼓    徳田宗久


地頭   岡久広


※2012年12月4日(日) 観世能楽堂にて。



この日も、びっくりするほどの盛況でした。ロビーは激コミ。
さすがキヨ(と玄祥と尚浩)人気ですな♪


俊寛。


もちろん能楽講座のおかげで、予習はばっちし!(のつもり。)だったのだけど、ワキの赦免使が、美形ワキの福王和幸だったので、アレっと思う。勝手にツネ2かと思っていたので。でも和幸もこういう冷たい役には、ハマリ役でヨイですね。(←どういう意味だ。)それにしてもこのヒト、いわゆる八頭身なのではあるまいか。関係ないところで感心するクリコであった。
ちなみにアイの子が、ばっちり今ドキ風の髪型のまま出演していたのには、ちょっと笑ってしまった。


そんなことはさておき、ワキは鬼界ガ島の流人たちに、中宮御産のため恩赦が出た、という。これから行ってきます!とのこと。実は観客は、この時点で俊寛の運命を知っていたわけやね。


ワキがアイとともに一度引っ込むと、そんなことをまだ知るよしもない康頼(重彦)と成経(昌司)が登場。
二人とも貴族なのに腰蓑を着けたりしていて、苦労のほどがしのばれます。せめて熊野権現を勧請して、熊野参詣に擬して祈ろうとのこと。


と、そこにキヨの登場です!


黒頭に俊寛の専用面を着け(ロビーに掲示があった)、黒っぽい水衣に、海松布の腰蓑をつけている。(←この腰蓑は、乾燥ワカメと同じだから食べられる!とキヨが講座で言っていた。)絶望的な気持ちを語る、渋い声。
でもキヨが演じる役は、いつもどこか若々しく品の良さがある。姿勢がよく、声に力があるからであろうか。


俊寛は参詣ごっこには参加せず、熊野参詣といえば、道迎えでショ?と二人に水桶を差し出します。
この島に酒なんてあるのか、と思わず桶を覗き込んだ康頼が、すぐに「や、これは水なり」と言うのだけど、香りの無さで逆に分かったのかもしれない。(あるいは、日本酒は江戸時代ぐらいまではみんな濁り酒だったという話を、何かの本で読んでような気がするのだけど・・。)
とにかく、仕方なく男三人、わびしく絶海の孤島で水で酒盛りを始めるのでした。


そこに、ついに和幸たちが舟に乗ってやってくる。


恩赦の言葉に、てっきり自分も帰れる!と大喜びの俊寛。「あら、ありがたや候」なんて赦免状を受け取ると、余裕を見せて自分より若輩の康頼に読めなどという。確かにこのほうが、このあとのどんでん返しがよりドラマチックですね。自分の名前が無いことに、愕然とする俊寛。赦免状に穴が開くほど見つめても、無いものは無い。


さては筆者のあやまりか。


俊寛が自分の運命を知るこの見せ場も、怒りと動揺の入り混じった一言に、キヨらしい端正さが残してあって、ちょっと新劇っぽい香りがして大変よかった。


いや、ミスじゃないよ。と、知ったことではないという感じの和幸。茫然とする俊寛。
思わず舟に乗り込む康頼の袖にすがりついて、情けがあるならせめて向こうの陸地に連れて行ってくれと頼み込む。もう恥も外聞もあったものじゃありません。
しかし和幸はさらに冷たく、僧都は乗るなと言い、舟子たちにも追い払われる。憔悴しつつ、今度は艫綱を必死に掴むのだけど、これもなんとワキがビシっと切ってしまう!


・・のだけど、ここはさすがに能楽講座でのキヨとツネ2ほどには、イキもぴったんこ♪とはいかず、和幸が艫綱を切ったうえに、シテに向かって投げつけるという余計なことをしたために(←福王流ではそれがフツウ?なのだろうケド)、キヨは一瞬『エエーッ!和幸ーッ!』と綱を見失いそうになりながらも(注:単なる憶測です)、エイッ!と地謡たちのほうに大きく綱を投げてドラマチックな演出をしてみせたのだった。


舟の上の人々と浜辺の俊寛の気持ちは、まさに天国と地獄ほどの差であろうか。都に戻ったら、よく言っておくから、とかなんとか適当な(?!)ことをみんな言いつつ去っていく。キヨ俊寛は、もう泣くのはやめて波に洗われつつ、いつまでもそれを見送る。端然とした姿が、胸に刺さるように印象深く残るのでした。。。


ちなみに最後に後見の宗和が、舞台に落ちたキヨの腰蓑のカケラを、丁寧に拾い集めていました。
ミルメの腰蓑を使うと、カケラがいっぱい落ちて大変なんですよネ、とキヨがこれも講座で言っていたけど、本当なんだなと思ったことでした。


葛城。


葛城はクリコが最も好む曲の一つで、葛城が出ると冬だなぁという気がする。


今回は大和舞の小書がついていて(大和舞の小書のない葛城というのも、あまり観たことがないカモ)、雪綿を被り、真っ白な引き廻しの作り物が出る。シテの扮装も前シテは雪の積もった笠を被り、玄祥なので白練の壺折ではなく白い水衣(みたいなの)に、柴を背負った白一色の出で立ち。
雪に降り込められて困っているとのケンたち一行に、親切に声をかける玄祥なのであった。


しかし玄祥の声は、体格と同じにふくよかさと深さがあって、たしか「鉢木」のときにも同じようなことを言ったような気がするけど、こうした悩めるシテ系にはあまり向かない気がする。(お能に苦悩していないシテというのも、あまりいないケド。。。)


とにかく大雪の日に暖かな火で客人たちをもてなしつつ、私、悩んでるんですよね・・と打ち明ける。とのケンたちも、これにはびっくりである。実は役の行者の言いつけに逆らったものですから・・とのこと。神さまとはいえ、自分の醜い顔をさらすのがイヤだったとは、お仕事(?)よりも自意識を優先するあたり、なんだか現代人的な気がする。


消えてしまったシテを待ち受けて、待謡を謡うとのケンの声が、本物の僧侶のように品位があって素晴らしい。


と、呑気なことを観客は思うのだけれど、玄祥の巨体が作り物の中でお着替えするわけで、後見は大変だったことでありましょう。ちなみに脇正面から観ていたクリコの知り合いが、「四郎先生の活躍が、すごかった・・」と言っていて、さすが四郎。仕事のデキる男やね。(←野村四郎と寺井栄が後見だった。)


真っ白な引き回しを後見がゆっくりと降ろすと、悩める神がその姿を現した。それでも祈祷のおかげで縛めは解かれ、喜びつつ神楽を舞う。


赤い紅入の表着に深緑色の大口、天冠の蔦紅葉はとってもボリューミーで、遠くから観るとクリスマスツリーっぽく観えなくもない。面は増だろうか。


神楽は、冬の夜だけに感じる特別な温もりに満ちていた。卑近な例で恐縮だけど、雪の日に入る炬燵(←?)のような感じだ。もうちょっと洒落た感じに言うと、暖炉の火だ。ちょっと不安定な感じの囃子が、神寂びた趣に聴こえる。


女神は段々と遠ざかっていく。思わず進み出て、礼拝する山伏たちなのでした。


熊坂。


実は今まで黙っていたけれど(←黙っていたのか?)、武田尚浩って、謡が上手いのでクリコは結構お気に入りである。


前シテは僧形の直面で現れて、謡といい顔立ちといい、遠目だとちょっぴし祥人を思い出した。
ほんのちょっぴりだけど。


この曲の面白いところは、前シテがまるでワキのドッペルゲンガーのように、そっくり同じ姿で現れる点ではあるまいか。舞台にワキの旅僧と二人並んで、一瞬、あれっと混乱させられる。しかも僧が僧に、命日を弔ってくれと頼むのであった。


シテの庵には何故か武具ばかりがあり、このあたりは物騒ですからね、強盗などもいて・・と思わせぶりなことを言う。もしかすると、本当に罪滅ぼしに活躍しているのかもしれない。
しかし気がつけば、ワキは狐にばかされたかのように、野原に佇んでいる。


もちろん後シテの熊坂長範が現れて、最後の戦いの有り様を示すのだけど、死んでなお牛若丸の幻に悩まされているとは、ちょっと可哀想である。一人ぼっちで激しい戦いを続ける長範。


・・・もう眠いので、これでお仕舞い・・・。


そういえば、この日は三番とも地謡が素晴らしかったけれど、とくにこの熊坂には、めいっぱい感があってよかった気がした。。


 

posted by kuriko | 03:07 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
国立能楽堂12月企画公演 −観世文庫創立20周年記念− 世阿弥自筆本による能

定番の富士山。

狂言
宝の笠
シテ   野村萬斎
アド    野村万作
      石田幸雄


復曲能
布留
シテ   観世清和
ツレ    観世芳伸
ワキ   森常好
ワキツレ 舘田善博
      森常太郎
アイ   高野和憲


大鼓   亀井広忠
小鼓   大倉源次郎
笛     藤田六郎兵衛
太鼓   観世元伯


地頭   梅若玄祥


節付・型付・演出 
      山本順之
      観世清和
監修   松岡心平


※2011年12月7日(水) 国立能楽堂にて。


さてもさても、楽しみにしていた世阿弥自筆本シリーズがついに始まったわけですが、記念すべき初回は、さすが気合の豪華メンバーでした。
狂言には万作家、能にはキヨ、ツネ2をはじめとして地頭は玄祥、囃子も最強の布陣で、大小に広忠と源次郎が揃っているのは、ちょっと久しぶりに観る。という気がする。


狂言「宝の笠」は、典型的な田舎人が都会人に騙されて・・物で、萬斎さまの御茶目な太郎冠者ぶりが楽しい。都会のすっぱ(幸雄)に騙されて、ただの笠を姿を消せるマホウの笠だと思い込んで買ってきてしまうのです。
主人の万作にお前もつけてみろと言われて、「やばッ!どうしよ!」と慌てふためく姿がカワイかった。


布留。


囃子方、地謡が座につくと、一畳台と引き廻しのついたお宮の作り物が運ばれてくる。
あれが石上神宮であろうか。


ワキたちの登場です。ツネ2は沙門帽子をつけた山伏の出で立ちで、はるばる九州から奈良にまで巡礼に来たという。季節は初冬である。


そこに二人の女性が現れる。二人とも鬱金色とでもいうか、淡い黄金色のような水衣を着ていて、シテはお洗濯のための布を手にしている。冬の日に川でお洗濯しようとはつらい仕事だが、本人たちはあまり気にしていないらしい。ワキが「さして水仕とも見えざるが・・」と謡う通り、非常にゴージャスな印象である。

キヨはツネ2に奈良の名所を教えたり、布留の社のご神体は剣であることや、その謂れを詳しく語る。川を流れて何もかもなぎ倒してきた剣が、何故か洗っていた布に留まって石上神宮に納められて云々、その剣はスサノオの尊が使った十握の剣で、国家を守る剣なのだ、云々・・。

前シテの力強さはただごとでなく、巫女のイメージというよりこの時点ですでに、ご神体の化身なのだろうか。キヨの渋く端正な声と、明るく綺麗なツネ2の声が対照的に響き合う。囃子も非常に強く、気合が入っていました。


やがてシテは、夢の中で神剣を拝ませたるけんね・・的なことを言って消え失せる。


中入となって、アイの高野和憲がご神体の剣についてあれこれ語る間に、キヨはお宮の作り物の中でお着替えです。


やがてワキたちは舞台の中央に進みでて、霊験を待ち受ける。「げにや末世と申しながら、あらたに奇特を拝む事よ」ツネ2は、実に堂々とした行者っぷりでした。


出端の囃子でゆるゆると引き回しが降ろされて、ついに後シテが現れるのだけど、その姿には、あっと驚いた。


黒い垂髪に、「増髪(ますかみ)」の面(ロビーに面の名前の掲示があった)、白い狩衣に、オレンジがかった赤い半切。タテのような天冠に、神かざりがキラキラと輝いています。もちろん、その手には白布が巻かれた大振りな布留の御神剣が握られている。


この「増髪」という面がなんというか、決して醜いわけではないのだけど、さりとてただの美人というわけでもない。一言で言うとやはり、恐ろしい顔つきで、造作としては対照的なのだけど、「アバター」的な印象といえばイメージが伝わるだろうか。ただならぬエナジーを感じさせて、異様な印象を与える。
全体として、非常に美しいのだけど中性的で、威厳溢れる風姿に観える。なんとなく、キヨが過剰にセクシャルなイメージになることを嫌ったのかもしれない、という気がした。(←気がしただけです。)(←ちなみに前シテは「まゆさし」とかいう面で、スゴイ美人でした。)
パンフレットの解説にも、この能の主人公は「布留の剣」そのものなのだと書いてあって、そう思うとちょっと納得である。


この公演を観るにあたって、事前に詞章やシンペーの文章を読んだりしてクリコなりに予習をしたのだけど、いまイチストーリーが掴みにくい能だなぁ、というのが正直な感想でした。
この布留の能がいつから廃曲になったのか知らないケド、内容として面白く見せ場も用意されているけれど、観念的とでもいうか、つまるところ布留の神剣を紹介する内容に終始している能なのだ。


じゃじゃ〜んと、剣を観せて廻るようなイロエの次は、あれも神舞というのだろうか、てっきり神楽でも舞うのかと思ったら、なんと神舞ばりの速さの舞でびっくりした。復曲とはいえ、驚くことの多い能である。巫女姿で神舞というのは、初めて観たような。
(同じく「布留」の復曲を試みた「橋の会」のアーカイブなどを読んでも、「布留」での舞事は、世阿弥は当時の用語?で指示を残していて、何の舞だったかは不明らしい。様々なアレンジが試みられていて、興味深いことである。)
そして最後には、なんとスサノオの尊となって、八岐大蛇を退治する有り様をみせる。女神であったのがスサノオとなって、勇ましく激しい立ち回り。
やがて、空が白み始めると、うやうやしく剣を戴いた女神が、またお宮の中に戻っていくのでした・・。


松岡心平の解説によると、世阿弥の自筆本に日付のある応永35年(1428年)は、室町幕府にも朝廷にも代替わりがあり、農民たち自身が蜂起した日本で初めての一揆(「正長の大一揆」)があり、謀反の動きがあり、(為政者側にしてみれば)政治的にも治安的にも動揺があった年らしい。
そんな時に、日本にはお国を守る神剣があるぞよ!と、世阿弥はこの曲を書いた(らしい)のであった。

ちなみに千駄ヶ谷の展示室では、「観世文庫展」として世阿弥自筆の「布留」も展示されており(2011/12/7〜2012/1/15)、いわゆる達筆とは全然違う現代人にもフツウに読めてしまうような、世阿弥のチョコチョコとしたカタカナ書きに、これまた何か驚くべきものを感じたことでした。

posted by kuriko | 01:13 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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