鼎談 馬場あき子
梅若玄祥
天野文雄
申楽談儀による
卒都婆小町
シテ 大槻文藏
ツレ 赤松裕一
ワキ 福王茂十郎
ワキツレ 福王和幸
大鼓 亀井忠雄
小鼓 大倉源次郎
笛 藤田六郎兵衛
地頭 梅若玄祥
監修 天野文雄
梅若玄祥
福王茂十郎
※2013年2月28日(木) 国立能楽堂にて。
イヤハヤこれが、物凄い「卒都婆小町」でした〜!
なんだかもう、びっくりというか、全然違う曲みたいだったです。。。
今回の「卒都婆小町」は、世阿弥以後の時代に改変される前の、観阿弥オリジナルの全景を(できる限り)再現してみよう。という試みだったのでした。
最大のポイントとしては、観阿弥時代にはなかったハズの、シテが深草少将に扮する「物着」をやめる、そして観阿弥時代には登場していた、玉津島明神の『御先』としての「烏」を登場させ、キリの唐突感をなくす、というものだったようです(fromパンフレット)。(←申楽談儀に、かつての演出としてのカラス云々と書いてあるのだ。)
まずは上演に先立って、監修を行った天野文雄、GS、馬場あき子による鼎談がありました。三人、舞台の上に毛氈を敷いて、椅子に腰かけての鼎談です。
時間の都合でほとんど最後の部分しか聞いていたのですが、「卒都婆小町」のあのやや唐突な終わり方が話題になっていて、キリに玉津島明神の遣いであるカラスが登場することによって、小町の改心の唐突さがなくなったという話になっていたのですが、このカラスが一体何なのか、詞章では何の説明も無いので、この鼎談を聴いた人か、パンフレットの解説を読んだ人でなければ分からないのだとか(笑)。
GSは病床のお父様から「卒都婆小町」のシテとワキの問答のコツを教わったそうです。お祖父様もお好きでよく演じていたそうなのですが、自分は観ていない、とのこと。ただ、父と祖父では全然違ったふうだったらしい、とか。
あき子(呼び捨て)は、現行の「卒都婆〜」は「卒都婆〜」として、能とはそういうものだと納得して観ていたけれど、現代人は知識として仏教を分かっていても、心で分かっていない。だから、「葵上」のエンディングのように、鬼の顔をしていても心から仏になる。ということが分からないのだ・・みたいなことを言っていました。それに、現在の能は「俗」を切り捨てすぎて、カブキにやられちゃってるのだ、だとか(笑)。
ま、そんな感じで(どんな感じだ)、いよいよ上演です!
まずは、高野山からやってきたワキ僧の茂十郎と和幸が登場。高野山といえば、お家騒動のほうはは大丈夫でしょうか・・というのは余計なお世話で、ワキたちは行雲流水の心意気を謡う(フルバージョン)。
それ前仏はすでに去り 後仏はいまだ世に出でず 夢の中間に生まれ来て・・
と、クリコの好きな謡です。しかし随分と節回しが複雑な印象で、ちょっとびっくり。
ワキがワキ座に移るあたりで、後見が葛桶を運んできて、大小前あたりに置く。そして後見はなんとそのまま、切戸口のほうへまた引っ込みます。
シテが現れる前に今度は「習ノ次第」となるわけですが、これが忠雄と源次郎(と六郎兵衛)が本当に素晴らしくて、極めて繊細に、静かに、針の穴に糸を通すような緊張感です。しかし全くたゆみなく、音色は刻まれ続けて、時間の流れを感じさせる。
揚幕が上がっても、シテは容易には現れない。
かすかに観えている装束の袖の端が段々と大きくなって、ようやく老いた小町の登場です。かと思うと、橋掛かりに現れてすぐに、杖を手に休息する小町・・。
黒い笠に淡い緑の縷水衣、その下の摺箔でしょうか、袖のあたりがちょうど黄金色に光って観えます。
抑制された渋い謡い出しで、文蔵のあの特徴のあるすっぽ抜けたような声も、老婆の役柄にはむしろふさわしくて違和感がありません。例によって百歳になった小町は、ああ、こんなに年をとって・・と嘆きながら、よろよろと(しかし美しく)やってくる。
ちなみに文雄の解説によると、小町はこのとき都を出て、和歌の神である玉津島明神に参詣に行こうとしていたのではないか、とのこと。またこの曲の舞台も「阿倍野」にハッキリと設定されているようです(シテの台詞に、下掛りの謡にある着き台詞を追加してみた、と)。
笠を取ると、見事に年老いた女の顔が現れる。疲れ果てた小町は路傍の朽木に、どっこいしょ・・。とゆっくり腰かけます。
しかし実はかなりの力の見せ所で、文蔵は杖の先をカチリと葛桶にあてると、まったく後見不在のまま、一人だけで葛桶に腰かけてみせた。
そこに、ワキ僧たちが行き会うわけですな。
んん?!と驚くワキ僧。みすぼらしい老女が朽ちているとはいえ、なんと卒塔婆に腰かけているではないか!ということで、どれお説教してやろう、とシテに声をかける。茂十郎と和幸の武張った強い口調が、こうした場面にはぴたりとハマる。
ここでシテとワキの仏教用語の応酬となるのだけど、解説でも言われていたけどこの部分は、「善悪不二」とか「邪正一如」とかの禅の思想の現れなのですよ、と前もって教えらているとナルホドそうなのか、とも思えるけれど、そうでないと、ただ小町が「ああ言えばこう言う」式に、飄々とはぐらかしているようにも観える。
しかし論破されたワキは潔く敗北を認めて、小町に三度までアタマを下げます。「我はこの時力を得・・」と、シテの声は本当に嬉しそうでした。
だけどワキに「あなたは何者か。名乗りたまえ」と言われると、シテはピタリと沈黙します。今回の舞台では、この沈黙が沈黙として、波風の無い深い湖のようにズシリと効果を上げていて、演者たちの緊張感がひしひしと伝わってくる。
そしてついに、自分は小野小町のなれの果てなのだ・・と、告白する小町。
かつて美女として名高かった小町の変貌ぶりに、ワキも驚愕です。その姿にも俄然興味が湧いたらしく、その袋の中身は何?何?と質問攻めです。このあたりは本来、ワキの台詞なので、と、地謡と一緒にワキも謡ってました。(・・・地謡なので、さしたる効果はなかったように思ったケド。。)
その質問に、1つ1つ心を震わすようにして答えていた小町なのですが・・。
この辺りで「なう物賜べなう・・」と、突如として様子がおかしくなってくる。深草少将の霊が憑依したらしい。詞章に声も変わったとあるので、ワキたちにも何者かが小町にとり憑いたとわかったらしく、何者かと尋ねています。今度は深草少将だと自ら名乗り、そして今も彷徨う少将の霊が、百夜通いの有様を再現する・・。
監修者たちの前言の通り、物着は行われず、シテ柱のあたりで、水衣の肩を下げるだけ。
物着をなくしたことによって、確かに一場ものとしての緊密度がぐっと上るというか、切れ目がないというか・・。それに老女の姿でありながら、さらに深草少将の長絹を来て烏帽子をつけて・・という、どこか「哀れさ」が無い分、老女ものとしての品位が上がったような気さえする。
率直なところをいうと、百夜通いの有様を語っているのは、深草少将というより小野小町が自分自身の懺悔として内なる地獄を語っている・・ようにも感じられた。観せないことによって、存在が内面的に深まる・・とでもいうか。
あと一夜というところで死んでしまった可哀そうな少将の霊が、こうして自分を狂わせるのだと、地謡に乗せて叫ぶようにする小町。
激情が極まって、小町が絶叫したそのときに、突如舞台が静止する。
地謡は完全に沈黙し、囃子も道具を構えたまま何も奏でず、シテもワキも凍りついたように動かない。
しん・・と静まり返った中に、揚幕だけが音もなく上って、黒ずくめの装束姿の烏が一羽、飛来します。
黒垂をつけた、直面の裕一くんです。その頭上には、カラスが一羽・・。あのカラスは玉津島明神の「御先」なのです。
すーっと橋掛かりを進むと、小町の背後から手にしていた榊を左右に振り、最後に小町の肩にそっと触れる。奇跡の瞬間だ。
すると悪い魔法が解けるみたいに、少将の霊は小町から離れ、小町は我が心を取りもどすと、たちまち平静になり解脱の境地に到達する。
そしてシテは詞章の通り、黄金の膚こまやかに、花を仏に手向けつつ・・と、小町は立ち上がり、静かに静かに去っていきます。
この場面はまさに劇的で、もしこれが映画のような映像作品だったら、怪物の姿をしていた主人公が、一瞬で元の人間の姿に戻るがごとくです。ワキたち(と見所)は、神による救済ともいえる光景を目撃したことになる。より宗教劇的な意味合いが、深まったようにも思われた。
深草少将は、小町が若き日に知らずに犯していた罪の象徴だけれど、その罪を知ることによって、それまで闇夜で苦しんでいたシテの世界が反転した起死回生とでもいうか。神の御手が直接触れた、キリスト教的な回心のようにも感じる。
烏役の裕一くんは一言の謡もなく、まだ子供の顔をしていて、神秘的な無表情が素晴らしくよかった。
(裕一くんは、今月文蔵の芸養子になるんだとか。文蔵にも頼もしい後継者が出来て、大変おめでたいことです。)
しかし今度は、あのカラスが意味通りのデウス・エクス・マキナ (Deus ex machina)になったわけで、小町が仏道に目覚める唐突さが解消されたというより、唐突さの理由(意味)が判明したというか・・。(当時は神仏習合だったので、神の導きによって仏道に入るというのも、ごく自然なことだったのだ。)
このエンディングはとても強烈で、それまでただ老いた小町の物語りだったこの曲が、信仰告白の曲に転調でもしたかのようだった。
実はこれまでの「卒都婆小町」の終曲の度に、あのカラスは訪れていたのに、凡人である我々にはそれが観えていなかったのカモね。。。
というわけで、とっても素晴らしい公演だったのでした〜!