小督 替装束
シテ 観世清和
ツレ 角幸二郎
坂口貴信
ワキ 福王和幸
アイ 山本則重
大鼓 佃良勝
小鼓 鵜澤洋太郎
笛 一噌隆之
地頭 谷村一太郎
狂言
蚊相撲
シテ 山本泰太郎
アド 遠藤博義
山本則秀
松風 戯之舞
シテ 観世恭秀
ツレ 坂井音雅
ワキ 殿田謙吉
アイ 山本則重
大鼓 亀井実
小鼓 曽和正博
笛 一噌庸二
地頭 角寛次朗
仕舞
白楽天 武田志房
知章 岡久広
紅葉狩 高橋弘
碇潜 津田和忠
蝋燭能
鵜飼 空之働
シテ 武田宗和
ワキ 宝生欣哉
アイ 山本則秀
大鼓 安福光雄
小鼓 観世新九郎
笛 杉信太朗
太鼓 観世元伯
地頭 坂井音重
※2013年8月4日(日) 観世能楽堂にて。
というわけで、今月も観世会に行って参りました〜!
外はメチャ暑ですが、定期能は早くも(早過ぎ?)秋の気配の涼しげな番組立てです。そしてそこに四季のみならず、観世会の現在、未来、過去?!が詰まっているかのような、チョット面白い展開となっておりました。しかも夏恒例の蝋燭能のオマケつき☆
そしてど〜でもいいのですが、Bunkamuraのウラぐらいで、ごっついグラサンに丸坊主の、かなりラフな格好の男性とすれ違ったのですが、あれって、AB蔵・・・??そんなまさかね。。紛らわしい人もいるものだわ。。なにげに、すんげーいいガタイしてましたが・・(←どこを見てるのか?)。
そんなわけで(?)、まずはキヨの「小督」から!
ワキの和幸が現れて、失踪してしまった小督局を探すべく、これから仲国の家に向かうところです!とのこと。こういう役柄には和幸もよくハマります。
替装束の小書がついているので、キヨは紺の直垂上下の姿です。そして直面。いやんキヨ、ちょっと久しぶり☆
小督局を探し出してこのお手紙を渡してね!との高倉帝の宣旨を、畏まって受け取る仲国。 しかし手掛かりは、嵯峨の片折戸の家にいるらしい・・というだけ。
ところがキヨ仲国は超前向きな人らしく?!私は小督局の琴の調べをよ〜く存じ上げていますので!きっと分かると思います!と、お馬も賜りガンバルぞ!と勇んで出かけて行くのでした。
所は変り、嵯峨で小督は侘しい借家住まいです。
後見たちが片折戸と、柴垣の作り物を運んで来て、常座付近に並べられます。柴垣は豪華にも(?)五つも出てきていました。
そこに小督局(←幸二郎)たちが現れて、自分で片折戸をよっこいショと開けて入って来る登場の仕方が面白い。後から入る侍女(←貴信)が戸を閉めるのですが、その戸が傾いたままなのも、なんとも頼りない感じです。
大家の女性(アイ)に琴の演奏などリクエストされたりして、あんな身分の低い女の相手をしたり・・とは随分な言い草だけど、とにかく女のコ二人、心細く暮らしているようなのでした。
ここで一声の囃子となるみたいなのだけど、この時後見の孚行が現れて、囃子方三人に何やらそれぞれ耳打ちしていました。何がどう変わったのかは分かりませんが。。(鏡の間は何やら騒がしかったケド。。)
そしてキヨ仲国が再びの登場です!翁烏帽子に茶色の狩衣、水色の指貫で、鞭を手に凛々しく騎馬の態です。
秋の風に乗ってさらりと軽めの風情で、小督の「想夫恋」の琴の音を聞きつけるや、見事、その隠れ家を探し当てるキヨなのでした!
シテがなかなか舞台の真ん中に辿り着けない曲というのは、ちょっと珍しい趣向で、貴信が片折戸を開けるや、それをビシ!と手で押さえ、通してくれるまで帰らないもんねッ!と語るキヨ。動揺のあまり、会おうとしない小督に、戸の前でじっと座り込んで面会を乞います。
それを見かねた侍女貴信が、お会いになっては・・、と勧める。え〜。でもアタシもドキドキでさ・・(←もっと上品な表現で)と小督幸二郎。幸二郎も貴信も、謡も声も素晴らしく、とってもヨイ感じで未来を感じさせます・・☆(まぁ謡のヘタな能楽師というのが居ても困るけど。。)
身なりを整え、すちゃ!と、しっかり扉を開いて上がり込んだ(?)仲国は、ずずずいっと扇に乗せて帝からの大切な文を差し出す。
幸二郎は手元が全然見えないらしく、背中を丸めて、なんだか『近眼の小督』みたいになってその文を受け取ります・・。
小督はそれで感激していたようなのですが、昨今のTVドラマ等。を見慣れてしまった現代人には、なまじ現在物なだけに、このあたりの展開は奥歯に物が挟まったようなカンジというか、それが何?とか言われちゃいそうカモ。。まぁそういう曲なので仕方ないのですが・・。
高倉帝自身が小督を探しに行くというのならカッチョいいのだけど、万事ひ弱な高倉帝は平清盛の威勢を恐れ、人づてに文を送るのがやっとの模様です。これが大河ドラマだったら、5分で処理されてしまいそうなエピソードです。
さすがのキヨ仲国も『オレが口説くわけにもいかねぇし。。』というわけで(←?)、シレっとポーカーフェイスを決め込んでいたのでした☆
とはいえ仲国は、小督局の認めた返書をそっと大切におし戴く。別れ際の酒宴にあたり、男舞も披露です。嵯峨の秋の風情に合わせ、さらりと軽やかな舞いっぷりでした。再び馬上の人となって、キリリとした後ろ姿で戻って行く仲国を、じっと見送る小督なのでした・・。
で、恭秀の「松風」です! (狂言は観てません。。ごめんなさい。。)
これがヒヤヒヤ(失礼)したというか、どきどきしたというか、これぞLive!てな内容で、「松風」って壮大というか、ユニークというか、やっぱり面白い曲なんだナ。と、再認識させられたことでした。
須磨の浜に松の作り物、旅の僧(とのけん)の訪れ・・と、例によって例の如く、いつも同じかのように観える舞台が整えられるのですが、そこに現れる松風村雨の姉妹の霊は、幽霊だけあって(?)いつもいつも、新鮮な気持ちで現れる。その時の気持ちに飽きてしまうようなら、幽霊なぞやっていられないのであります。
シテとツレの同吟では早くも危うい予感・・という印象で、もはや声の出せなくなったシテと出せるツレとで全く調子が合わず、でもあくまでツレはツレだし、村雨の苦悩は深い・・てな感じです。率直な感想として、今回のシテは「松風」の数々の聴かせどころを、全く聴かせてくれなかった。と思う。
しかしその分、シテ(とツレ)が非常に緊張している気配がぴりぴりと伝わってきて、ほっそりとした恭秀らしい繊細さと、時に大胆なまでの表現のアンバランスさが、ちょっと斬新な(?)魅力となった舞台でもありました。
それにシテの代りにと言っては何ですが、今回、地謡がヒジョ〜に素晴らしく、月光は月光として、影は影として、明暗はくっきりと姉妹の足元に波が打ち寄せ、砂浜に二人の影が落ちている情景が目に浮かぶかのようでした。
話は飛ぶのですが、先日NHKのBSでも放映されていましたが、トム・ハンクスの「アポロ13」っていう映画がありますわね。クリコの好きな映画の一つです。そのアポロ13号じゃありませんが、月はただ眺めているだけなら簡単なのですが、実際に行って戻ってこようと思えば、それはそれは大変なことなんですの。
松風村雨がうっとりと月を眺めている。その月の裏側では、ジム・ラヴェル船長たちが地上の支援を受けながら、もはや無傷ではありませんが、地球に(あるいは楽屋に)なんとか生還しようと死闘を繰り広げている。時間軸の混乱の中に、二つのドラマが同時進行していきます。
いつかどこかで破綻したらどうしよう・・と、見所は固唾を呑んで(ちょっと大げさ)その様子を見守る。
そして「松風」の『前場』ともいうべきあたりは、お能の幕開けにはよくある表現とはいえ、視点が天上的というか、巨視的というか、単なる情景の描写を超えたものを感じさせる。それがいわゆる「かなや留」で、ばさっと視点が地上に降りる。生身の僧侶と姉妹の遭遇であります。ちなみに大小の囃子方も床几を降りてくつろぐ。
今回、囃子もちょっとアンバランスな感じでしたが(笑)、正博の音の響きの良さと深みはやっぱりピカイチです。祥六と又三郎がわさわさとシテを常座で物着させているのを、ちろっ。と背後から見つめていました。いつも後ろから能を観ているというのは、どんな感じなのかしらね・・。
さて、行平の形見の狩衣を見つめているうちに、いよいよ物狂おしくなった松風は、狩衣を身に着け、行平と一体となった幻想に酔いしれる。物着によってシテの格がぐっと上がったのが感じられて、やたらほっそりとしていた姿も一気に華やぐのでした。
しかし行平のもとに駆け付けようとする姉を引き留める村雨は、さすがに、年の離れたお姉ちゃんとは(今回)話も合わないみたいで、魂の片割れ・・という一体感を感じさせない。しかし舞い狂っているお姉ちゃんをじ・・っと見守る姿が、こんもりと雪だるま?!みたいでなんだか可愛らしい。
「戯之舞」の小書がついていましたが、短冊を手に取っていたかなぁ?思い出せない。シテが袖を被く時に失敗して、袖が面を覆ってしまい、あああ。と思っていたので(クリコが)忘れてしまったのカモ?松風はその大きな袖で、まるで涙を拭くようにして舞い続けたのでした・・。(前が見えないので。)
さて、この後お仕舞があって、いよいよ蝋燭能の「鵜飼」です。
見所の照明が消され、舞台の明かりも消されます。非常口の誘導灯はさすがに点いたままでしたが・・。
ぼんやりとした暗闇の中、紋付姿の昌司たちが、チャッカマンで白洲に並べられた燭台に、火を点けていきます。
ほの暗い夜の雰囲気の中に、ワキの欣哉の登場です。そういえば、「鵜飼」のワキとアイのやり取りって、「鵺」とほとんど同じなんだなぁ〜。やっぱり「鵺」のほうが先に出来たのかしら?
ワキの欣哉は、ぐっと渋く重い謡いぶりで、人を寄せ付けぬ気難しさを感じさせる。夜な夜な物の怪が出るとかいう御堂に、連れの僧とともに泊まることにするのですが・・。
案の定、不思議な老人が松明を振り振り現れます。闇夜の松明で、本来ならその明かりのイメージが浮かぶところなのですが、今回は蝋燭能なので、シテの全身が柔らかく宵闇に沈み込んでいるかのようです。
「空之働」の小書きがついて、シテはすぐにもワキたちの姿に気が付きます。一方で、松明に照らされたシテの面影に、ワキツレも見覚えがあると気が付くのでした・・。
宗和は特徴的なダミ声で、殺生禁断の地で鵜を使っていたところを、人々に見つかって・・とむしろ抑えた調子で語る。叫べど声が出でばこそ・・と、恐ろしい経験を口にするのでした・・。なんというか卑近な譬えで恐縮ですが、真夏の怪談も明かりを消して聞いたほうが面白く・・、そんな雰囲気です。
後場は言わば早装束で、暗闇の中にさらにぼんやりと、半幕で閻魔大王の姿が観える。
法被に半切のキンキラキンの姿なのですが、そこは蝋燭のみの明かりで、渋く古びた金襴のような雰囲気。小癋見の面も、今回は表情が柔らかく観えるほどです。かつて電気照明のなかった頃は、夜能といえばこんな雰囲気だったのでしょうか。
「鵜飼」の場合、法華経の力と、前世での小さな善行のおかげもあってシテの魂は救われるのですが、それは凡人には容易には想像しがたい世界でもあり。極楽よりも地獄のほうが、近しさを感じさせる蝋燭能だったのでした・・。
おしまい!