能楽鑑賞などなどの記録。  
平成26年度第5回観世会能楽講座 その1
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講師  観世清河寿
      松岡心平
ゲスト 高桑いづみ


※2014年10月1日(木) 観世能楽堂にて。
※文責:クリコ。


というわけで、観世会の能楽講座に行ってきました〜!
今回のテーマは「井筒」、そしてゲストは高桑いづみです!

さすがに現役の能楽研究者がゲストだと、話が演能に関して具体的かつ実際的、キヨも心なしか話しやすそうでした(笑)。ちなみに、いづみん(←誰?)には、四季祝言の小謡を復曲した際にも協力してもらったそうです。

で、まずはキヨの御挨拶から。

舞台の上には、いつもの書見台と鬘桶のセットと、「井筒」の井戸とススキの作り物があらかじめ出されていました。

キヨの話だと、これはいつもお願いしている「山本フラワー」の御主人が、わざわざ山まで行って取ってきてくれたもので、冷凍して(!)運んできたものなんだとか。それでも穂先がすぐに開いてくるので、形よく保つのが大変なんです。とのこと。

7月26日の大三島での薪能でも「井筒」だったそうなのですが、とにかく大変な暑さで、ふと楽屋の温度計が目に入ってしまったので、内弟子に「いま何度?」と聞いたら、39度?!だったとか・・・!

おワキは宝生閑先生で、閑先生も「必死で座るよ」とおっしゃってました・・と。気温の暑さに加えて、篝火の熱風で(笑)とにかく大変だったそうです。お能の公演は季節に準じてやるのが基本だけれど、しかし春の能は意外に少なく、秋の能がやはり多いんですよね、とか。

また今年の夏は、ワーグナーの曾孫にご招待されたとかで、バイロイト音楽祭にも行ってきたそうです。実はキヨは、「隠れワグネリアンなんです♪」とのこと!(←そ〜なんだ!メモメモ。byクリコ)

本当は「ニーベルングの指環」が観たかったけど(←キヨはここで、ワグネリアンらしくちょっと気取って「”リング”が本当は観たかったんですけど・・」と言ってました☆)、日程の都合で「さまよえるオランダ人」を鑑賞してきたそうで、お客様の自主的なマナーの良さに感銘を受けたんだとか。でも音楽はよかったけれど、近年のドイツ流の『斬新で、前衛的な』演出には、ちょっと「?」だったみたいです。
(←船長はサラリーマン姿で、船員はゾンビ(?)姿で。。だったのですって。)

さて、この後はシンペーといづみんの対談で、シンペーによるといづみんは、横道萬里雄先生の学問を最もよく受け継いでいる人・・とのこと。

まず最初に、いづみんから「井筒」についての話がちょっとありました。

世阿弥の能というと、まず「幽玄」という言葉が想起されるが、観阿弥作品の改作も多く、実は世阿弥作(完全オリジナル)の女性の能はそれほど多くない。最初からオリジナルで作ったのは、「井筒」「檜垣」ぐらいと思われる。しかも「井筒」について世阿弥がコメントしているのは「申楽談儀」になってからで、「砧」と並んで晩年の作ではないだろうか。

「申楽談儀」には、この時期の世阿弥は「ちと年寄りしくある面」を愛用していたとあり、「井筒」で使用した面もそうだったとも考えられる。「井筒」のシテのずっと待っていた長い時間は、若い女面、小面では表現できないのではないだろうか。

現在の「深井」では、装束は紅無になるので(実際の演能は)難しいと思うが、世阿弥の想定はある程度年をとった女性だったと思う。若い女性で登場するのは、「これ」というものが無い(笑)。

実際、観世流では江戸時代の始めまで「若女」の面は無く、「井筒」も「深井」でやって良いということになっている。若い頃の恋をしみじみと「なつかしや」と語る中年女性・・と「井筒」のシテを考えると、また分かってくるものがあるのではないだろうか、とのこと。

シンペーの話は、自分もこれは面白かったという「井筒」にあまり出会えていない。名作とは思うが、演者にとっては難しいのではないだろうか。能楽の歴史の中で、女性の面は一番遅く成立してきており、赤鶴の「小ベシミ」であれば世阿弥の時代から掛けていたことが分かるが、若く美しい女性の面はいつからあったのか。

観世寿夫は、美しい女面から幽玄の能が成立したと自論を持っていて、自分も若い頃これに「乗っかって」話をしていたら、女面の成立について指摘をされて弱ったことがある・・と。

いづみんによると、古い能では、女性の深い内面を表わすものが少なく、女性と分かればよい。程度だったのかもしれない。「井筒」の女はずっと待っていたが、「砧」の女は待てなかった。「松風」のシテは、ちょっと田舎の女の子で(笑)ただ「恋しい、恋しい、大好き大好き」と言っていればよく、表現したいレベルが違う(笑)。

「小面」ではまだ恋愛当事者で、「なつかしい」という感覚は、「ちと年寄ししくある」ものだと思う。それにシテはクセで自分は紀有常の娘だと2回言っている。世阿弥はすごく言葉を選ぶ人だ。大人しいけれど自己主張したい女性、若くはない女性像がそこにあるのでは。とのこと。

これに対してシンペーは「松風派」だそうで(笑)、好きだ好きだと言っている女性の内面と、待っている女性の内面は確かに違うかも。「井筒」は伊勢物語の二十三段(「筒井筒」が原典になっていて、幼馴染の二人が結婚し、やがて業平が浮気をするようになっても健気に見送る美談が出てくるが、「大和物語」では同じ話でも、見送った後に「金椀」の水が沸騰したとの描写がある。「物着」の演出で形見の装束を着て出てくるのも、脱皮して自己主張している感じがする。

たしかに「なつかしい」という感情は、過去のものとして愛おしむもので、「松風」は現在進行形として恋慕の感情を松(行平)にぶつけている。他の能とは違う新しい感覚があるのかも、だとか。

いづみんによると「物着」の演出は、業平の霊がのりうつる「移舞」としての要素が強く、能楽師たちの間には、こちらが本来だという言い伝えがある。また「物着」では登場の「一声」が特殊で、「越」は打たず(現在では省略されることもあるが、通常は打つ)、霊を呼び出すとされる「ヒシギ」を吹かない笛の流儀もある。もともと、「一声」ではなかったのではないか。そうすると、シテの面も前後で変えなかった、ということになる。らしい。

シンペーは、「井筒」でシテが覗き込む井戸の水の深さが、過去の深さ、時間を表わしているのかもしれないと触れて、バシュラールの「水と夢」の一節を紹介して「我々の魂の過去は深い水なのである」、世阿弥は600年前にすでにこれを表現している。と。

いづみんの話では、井戸の作り物は、懐かしい思い出とともに、業平のお墓としても登場する。「井筒」の初同では、「一叢ず↑すき」と高い音で強調されて息の具合を工夫して、シテが薄をすーっと見て、舞台を一周する。「まことなるかな いにしへの」で、終りから二句目に小鼓が「ヲドル手」を打つ。味方健説では、この終わりから二句目というのは、特に大事な言葉を言っている。とされる。(←ただし現在では、重すぎて打たないこともあるとのこと。)
また「草 茫々として」も、地拍子(リズム)が工夫されており、大事なところで世阿弥は地拍子を工夫する。これはもう他の人にはできない境地だと思う。

井戸(実は井桁)の作り物をわざわざ先に出してもらったのは、シンペーのリクエストだそうで、『井筒』の作り物は能の作り物の中でもピカイチと思う。前場では、この『井筒』は業平のお墓であり、『一叢薄』が、井筒の女を招くように揺れて、シテと業平の心の通い合いを表現している。多様な機能があって、かつシンプルで素晴らしい、とのこと。

在原寺に業平の墓があるという伝承は、鎌倉時代からあり、柿本人麻呂の墓と対になっているとされ、院政期には名だたる文人たちが参詣に訪れていた。人麻呂、業平は「歌聖」として扱われ廃墟どころか、江戸時代までも大きな寺院として存続していた。しかし世阿弥の「井筒」では、廃墟であるかのような言い方をしている。過去のものとして、廃墟であるがゆえに、時間を操作できる、過去の記憶が立ち上ってくる装置として描かれている。

『井筒』の作り物を考え出したのは、実は誰なのか分からないが、「見ればなつかしや」とあるからには、世阿弥は井桁のある井戸をイメージしていたと思う。実は、幼い二人が互いに水鏡で影を見合ったというのは、世阿弥が付け加えたエピソードで、伊勢物語にはない。「玉井」では彦火々出見尊が桂の木に隠れていると、その姿が水鏡に映り、豊玉姫に見つけられる。神と水辺の巫女とが結婚する神話だが、そのイメージが「井筒」にも残っている。水の女、水鏡、古代性と近代性の両方が「井筒」にはある。と・・・

その2へとつづく。



 
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平成26年度第5回観世会能楽講座 その2
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さて、休憩をはさんで、いよいよ実演コーナーです!

今回は岡久広の「名ばかりは・・」から初同部分の独吟と、キヨの「筒井筒・・」からキリまでの仕舞。

しかしこのいわゆる「初同」については、それまで研究者二人がずっと前半でアレコレ語っていたわけで、これはやりづらいシチュエーションです(笑)。

久広の謡は、全体としてしっとり・・としていながら、同時に在原寺の寂れた光景も浮かび上がってくるナカナカのものでした。シンペーも「いや〜在原寺の廃墟が浮かび上がってくるような謡でしたね!」とご機嫌です。

続いてキヨの仕舞。普通は仕舞には作り物は出ないのですが、なんと今回は特別に作り物アリverです!
そしてこれがマ〜、ものごっつく綺麗でした!!やっぱしキヨの綺麗さって、ちょっと特別だな〜と思う。なんだかこう、全身に行き届いた神経の細やかさが違うというか。

あとでシンペーが解説していたのですが、「物着」の小書つきの時は丈の低い井筒で、かがみこんで井桁に手をかけて井戸を覗き、通常は立ったまま手でススキを除けて井戸を覗くそうな。(←そ〜なんだ、全然気がついてなかった!byクリコ。)

見ればなつかしや・・と、キヨが特別に紋付姿で、井桁に手をかけ井戸を覗き込みます。心なしか、薄の葉(茎?)が、この講座の間だけでも拡がってきた観が。キヨって仕舞の時は、お顔つきまで綺麗になるのよね。

で、続いてキヨ、いづみん、シンペーの鼎談。いづみんが何故かインタビュアーの如く、てきぱきとキヨに質問しています(笑)。

11月の定期能では「井筒」は「物着」で上演されるわけですが、なぜ「物着」かという質問に対しては、キヨは、やっぱり物着が本来という感覚はあるし、ワキの待謡は省かれるが、後場で「徒なりと」と出てくる時の前場とのつながりが、より強く保たれると思う。とのこと。

若いころ研鑽の会で「井筒」の舞囃子という珍しいものをやったが、安福春雄先生にこの「徒なりと」の出について、囃子との掛け合いでどこで出るのかシテがしっかり工夫するように、心して謡えと厳しく言われたことがある。

また装束も日蔭之糸を垂らし、真ノ太刀を佩くが、この太刀を序之舞でぐらぐらさせないのが心得。装束が変ることで効果は上るが、苦労もあります。とのこと。

後シテの姿は両性具有というか、本体は女性で、男の出で立ちをする。それだけにより硬質に内面の強さを匂わせて、男が女性を演じていることを感じさせていい世界だと思う。だそうです。

いづみんは、後シテの業平と有常の娘の気持ちが入れ替わるところ、いわゆる「男博士(おばかせ)」、「女博士(めばかせ)」が激しく入り乱れる、そこが「井筒」の面白く、難しいところと言っていました。

キヨの話では、序之舞の「序」の部分で、太鼓入りの時は左足から、大小のみの時は右足から踏む。男博士は左足からという伝承もあるとかで、いづみんによると、そういう部分は小さなことに観えるかもしれないが、右か左かだけでもそこで全体の気落ちが変ってくる大事なところ。男博士か女博士かで、囃子的にもちょっと変わる、音ではなく、間、コミが変ってくる。のだそうです。

またキヨといづみんの会話では、井戸を覗く時までは気持ちが詰まっていて、「見れば」で、それまでmaxに高まった気持ちがふっと引くような感じ。自然とそうなるんだとか。

また「十寸髪」の面で、カケリを舞う伝承もあるが、室町末期のもので、世阿弥の時代からそうだったのかは議論がある。おそらく世阿弥の発想ではないだろう。ただ、そうした『カケリ的な』気持ちもあって、あれもこれもあって、そして「なつかしや」となるのが「井筒」。byいづみん。

キヨによると、若い人には当たって砕けろ的な課題曲で、老練な役者にとっても、面をいろいろ選んでみたりと難しい曲。
「暁(あかつき)ごとの閼伽(あか)の水・・」で「か」の音が続くだけでも工夫しろと先代から言われた。「カラスが鳴いてんじゃない」と言って(笑)。そして「アクア(aqua)だよ」と。「檜垣」も水の女だし、世阿弥はやっぱり水に惹かれていたと思う。

(世阿弥の居グセの発明もすごいという話になって)居グセでは、地謡を聴いているというわけでもない。遠くに微かに聴いている感じ。心の中で一緒に謡ったりとかもしない。そうすると、心が乱れるし、「オレだったらこう謡う」とか出てきちゃう(笑)。とにかく稽古の積み重ねで、微動だにしない不動の構え、体幹、芯の強さが大事。人から休んでるように観えたら、それは休んでいるこということなんです。とのこと。

また昔はシテ、ワキも(ミュージカル的に)地謡に同吟していたというが、「泰山木」でキリの部分で試みたこともあるが全然違う。体力的には可能だが、型のキレや力の入り方が違ってきて、ムリ。だそうです。(いづみんも、それは能の一曲がもっと短かった時代のことでしょうね。と言ってました。)

(他にも黒雪が「井筒」を舞った時に、柳生但馬守が云々・・という話もあったのですが、これはもう割愛。笑)

そして最後に、シンペーに11月の公演に向けて意気込みをどうぞと言われると、何故かキヨは急にもじもじモード?!になり、平常心で臨むつもりです・・と。

最近の世の中は騒がしいけれど、だからこそこうした静かな曲を観てほしい。眠くなることもあるかもしれないが、それは健康な証拠です(笑)。

お能は、自由に想像力を働かせて観てください。もっと色々な形で自由に触れてください。能楽はデジタルでなくアナログな世界。もっと深いところを、理屈抜きで観てください。

銀座に移転するので、この能楽堂とも来年3月でお別れです。舞台はこのまま持っていきます。急に前衛的になったり?!何か変わるということはありません。

・・とのことでした〜。なんだか急に、キヨらしくなく?!もじもじモードになっててカワイかったです♪

そ〜いえば、能楽講座ももう無くなっちゃうのかなぁ?キヨとクリコ(とシンペー?)の心の絆を深める貴重な場だった(←注:単なるファンの妄想です)ので、無くなっちゃうのは寂しいワ・・と思ったクリコだったのでした〜☆

おしまい。

(10月4日の「観世会企画公演」の感想は、また次回。。)



 
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観阿弥生誕六百八十年 世阿弥生誕六百五十年 観世会企画公演 その1
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千手 重衣之舞
シテ 観世清河寿
ツレ 宝生和英
ワキ 森常好

大鼓 亀井広忠
小鼓 観世新九郎
笛   一噌隆之

地頭 野村四郎

狂言
柿山伏
シテ 野村萬斎
アド 破石晋照

土蜘蛛 黒頭 ささかに
シテ 観世清河寿
ツレ 山階彌右衛門
   清水義也
   角幸二郎
ワキ 殿田謙吉
アイ 竹山悠樹
   破石晋照

大鼓 柿原弘和
小鼓 鵜澤洋太郎
笛   杉信太朗
太鼓 観世元伯

地頭 角寛次朗

※2014年10月4日(土) 観世能楽堂にて。
※画像は三越(本店)のライオンさんです。


というわけで、観世会企画公演に行って来ました〜!

これがヒジョ〜に面白かったです!そしてなにげにキヨがシテ二番で、お腹いっぱい大満足でした♪
おほほほ。

で、まずは「千手」から。観世・宝生宗家が夢の(?)初共演です!

出し置きの和英(もちろん重衡)と、ワキのツネ2(狩野介宗茂)が登場。

宝生和英って、まじまじとお顔を拝見するのは数年ぶりな気がするので、アレ、こんなお顔してたっけという感じ。平家の貴公子にしては、日焼けしてるのがちょっと気になりましたが(最近の能楽師はみんな日焼けしてますね)、マ、重衡だってこの頃には戦場を駆け巡っていたということなのでしょう。

囚われ人の重衡としての緊張と、和英本人の緊張がない交ぜになったような、いずれにしても非常に張りつめた面持ち。それに出家希望の重衡は、掛絡を着けた姿で現れますが、宝生流と観世流では着け方がちょっと違うような。

重衡が床几に腰かけると、立派な直垂姿のツネ2が自分の名宣りと共に、現在の重衡の状況を説明します。いつもと内容的には同じなのかもしれないけど、ここは丁寧に、ツネ2がいつもの美声で聴かせてくれました。重衡が平家一門の中でも特に愛されていた貴公子であったこと、囚われた重衡の無聊を慰めるために頼朝が千手を遣わしたこと・・が、とっても分かりやすく、お話の中にすっと入っていける効果がありました。

今回、全体としてヒジョ〜によかったのですが、新小書「重衣之舞」としての演出を改善してどうこうというより、単純に、キヨ、ツネ、和英の役者3人の出来がスンバラシかった!ということに尽きると思う(笑)。そして和英も特にガンバッテいて、憂いに沈む都の貴公子・・を熱演していました!

ワキの名宣リに続いて、すぐにツレが現在の我が身を嘆くサシ謡となるのですが、この謡が素晴らしく、抑制された中に深い憂いを感じさせ、繊細な息遣いが『宝生の謡』を感じさせます(た、たぶん。。)。フフフ。坊ちゃん、なかなかやるな。という感じです。(←何様なんだ、オマエは。。)

その謡の中を、キヨ千手が登場です。橋掛りの一の松付近で立ちどまって、重衡の居室のほうをじ・・っと見つめる姿に、早くも『重衡さま・・・』と王子様に恋しちゃってる様子が見てとれます。

そしてここでキヨが、それまで重衡の世界だった暗い流れを、ずばーっと断ち切るように千手自身の来訪を告げる。気のせいかもしれないけど、やっぱし観世流の謡は明るい発散系がキホンなのかもしれない。「妻戸をきりりと押し開く・・」と、千手が重衡のいる部屋に入っていく。ここは本当は関東の田舎娘である千手のほうが、貴公子におめもじできるとトキメク場面なのですが、さすがシテの存在感が舞台の雰囲気をキヨ色に(どんな色だ)に変えていました。

そしてこの日のキヨも、ほんっと〜に素晴らしかったです!も〜キヨ、ノリノリ。気合い入りまくり。謡の声の鮮やかさ、気品あふれる所作の美しさ。明るい紅白段の唐織は、生地が格子状に観えるコリコリなもので、面は「節木増」とかで(あの面は、遠目ではずっと「若女」だと思ってますた。。)千手の美貌と優しさを感じさせます。

ま、ここはいつも強気なキヨのこと、他流の若き家元相手に「この度は宝生御宗家の御出演を賜り・・」(←挨拶文)なんて言いつつ、実は『フフフ。和キュン、今日はオイラの至芸をとくとご覧アレ!』なんて思ってたのかもしれない。(←嘘です。クリコの妄想です。)

また、和英重衡が千手に会わないと言ったり、出家の望みは叶わないと聴いて落ち込んだりするのを、ワキがあれこれ取り持つわけですが、ここでのツネ2の振る舞い方が極めて上品に抑制されて、重衡に対する同情を表わしつつ、家元共演の曲の品位をさらに高めていたと思う。

羅綺の重衣たる 情けなき事を機婦に妬む・・と、キヨがひときわ高らかに謡うのを、葛桶から降りた重衡が、目をきゅっとつむって聴き入ります。

そしてここで「只今詠じ給ふ朗詠は・・」と、シテ、ツレ、ワキが同吟して合掌します。ここは美声の三人が、観世、下宝、宝生の重厚にして絢爛な謡の世界を織りなし、さながら、新・三大テノール夢の共演です・・!(←古いな私も。。)

ここでシテのクセに入るわけですが、ここも非常によかった。キヨが美しかったのも勿論ですが、重衡が千手が舞っている姿を見上げるようにして、じ・・っと見つめている姿が、お能らしい無表情ながら重衡の懐旧の気持ち、そして千手と重衡が儚いながらも『世界を共有した』感覚を表していました。

続いて序之舞。ここは千手が悲しみをこらえつつ舞う姿が強調されて、舞う途中で橋掛りで涙を流します。

でもここはちょっと本音を言うと、大小は素晴らしかったですが、お笛は盤渉だったみたいだけど、お笛にもうちょっと違う表現があってもヨカッタかな・・と思う。千手の心情を余すところなく伝えた・・とはいえなかったのではあるまいか。もしシテが幽霊だったら、あれでよかったのかもしれないケド。

やがて重衡はゆっくりと、まるで武士が刀を置くが如く端正な気構えで、手にしていた数珠を舞台に置くと扇を開き、自らも琵琶を弾じる態です。極めて静かに。美しく。千手とも向かい合って互いに心を開き合う様子で、いつの間にか二人とも眠りに落ちるのでした・・。

やがて朝が来ると重衡のほうが先に目を覚まし、しみじみと朝日を見上げるかのように、くっきりと顔を上にあげています。(・・!・・。ねぇねぇそれって宝生流ではフツーなの??)

重衡は再び数珠をきっちりと端正に手に取り、都へと護送されていきます(ツネ2に)。この時さすが家元共演は品格重視らしく、千手と重衡は袖を触れ合わせることもなく、十分に互いの距離を取りつつ、ただすれ違っていきます。千手はもはや、どうすることもできません。
(←ちなみにキヨも、この日は『寝起きでセクスィー路線』は控えめ☆です。)

配布された番組にあった村上湛の解説によると、小書名の「重衣之舞」は、もちろん「後朝(きぬぎぬ)」にかけていたようですが、ま、ま、そこは分かってることなので・・ということのようです。

千手は重衡の後ろ姿をじいっと見送ると、舞台に泣き崩れるのですが、ここはもちろん過度に情感に溺れることなく、規矩正しく見事な(?)シオリを観せるキヨだったのでした〜!!

つづいて「柿山伏」です!

てゆうか、この日の萬斎さまは、二日間で広島(←「宮島狂言」)と東京の間をトンボ往復。。だったみたい。お疲れ様です。。。

次第の囃子は省略されていましたが、萬斎さまも先の「千手」に刺激を受けたのか(笑)、いきなり全開で次第を謡って、美声を披露です☆

萬斎山伏がノドが乾いたからと、他所の柿の実を取って食べようとするのですが・・。柿の木の主に見つかってしまい、慌てて隠れたもののイヌか、猿か、トビかとか言われて・・という展開。イヌの真似ではちゃんと『びょうびょう』と啼いていました(笑)。

それにしても「柿山伏」って、いつ頃作られた曲なのだろう?(途中で改版されている可能性もあるけど。)アドがはっきり「鉄砲を持ってこい」(!)と言っていたような。それに山伏がすっかり験力を失っていて、柿の実を取るのにも、自分で木に登ったり(そこが一番面白いところなんだけど)、アドが一度、山伏の験力にわざわざ掛かったふりをして(橋掛かりを進もうとして引き戻される[ふりの]演技が面白い)「そんなわけないだろ!」と言ってスタスタ行っちゃうし。。近世的な香りがする(笑)。

「茸」や「蝸牛」では、トンチンカンな方向ながらも、も〜ちょっとは山伏に超能力があるんだけど・・(笑)。

Myfriend能楽大事典には、1601年に大阪城で演じられているとあるから、その頃の新作であろうか。ちなみに関ヶ原の戦いが1600年で、大阪城の落城(豊臣家の滅亡)が1615年です。。

山伏が隠れていた柿の木から落っこちる時、萬斎さまが葛桶からぴょーんと飛ぶ、跳躍がお見事でした。

その2へと続く。


 
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観阿弥生誕六百八十年 世阿弥生誕六百五十年 観世会企画公演 その2
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つづいて、「土蜘蛛」で〜す!

地謡、囃子方が座着くと、病臥している(という設定の)頼光の寝台(一畳台)が運ばれて来る。

このとき貴信キュン、祥丸キュンのキュン2コンビで持ってきたわけですが、けっこう速足で運んでいて、祥丸キュンのほうが下っ端なので後ろ向きなんだけど、橋掛りから舞台、ワキ座辺へと迷わずスタスタ運んでいて、うう〜む、さすが祥丸キュン。。『能舞台で真に自由に振る舞えるのは・・』(←意味が違う)と、変なところで感心する。

そしてその一畳台の上に何か光る緑色の物体が載っていたので、なんだろう、お布団かしら?と思っていたら貴信と祥丸キュンが、引立て大宮の要領で組み立てていました!一畳台の四隅に柱を立てて、上のほうをぐるりと黄緑の布で囲んであり、なんと今回の頼光の寝台は、天蓋つきだったのです!(ただし屋根の部分はナイ。)

確かに平安時代の貴族の御寝台には、帳で覆った天蓋があったみたいだけど・・、というわけで意外と乙女チックな寝台を使っている頼光(ヤエモン)が、太刀持ちのトモ(義也)を連れて登場です。

寝台に腰かけると、いつものように葛桶をセットしてお布団代わりの衣を片腕に被るのですが、非常に鮮やかな赤い色合いだったのが印象的です。

そこに胡蝶がお薬を持って、お見舞いにやってきます。

若松模様の明るい赤の唐織で、可愛らしくて元気溌剌(?)、なんだかおきゃん(死語)な雰囲気です。今回印象的だったのは、この前場がハイテンポというか、ヒジョ〜にスピーディに進められたことで、とにかく時間のムダがありません。な、なんだかみんな、ちょっと早口でないかい??

胡蝶とトモが引っこむと、そこに前シテ・僧形のキヨ土蜘蛛が直面でやってきます!

「いかに頼光・・」とドスの利いた声で、ぎろーりと頼光を見据える。怪しさ抜群で、とても先程まで『千手』やってた人と同一人物とは思えません(笑)!

ぶぁさ〜っとドラマチックに掛衣を跳ね除け、急に元気に戦う頼光。一応(?!)兄弟だけあって、イキの合った戦いっぷりだったのですが、しかし、寝台の天蓋がジャマそうでした(笑)。蜘蛛の糸がもっと綺麗に天蓋に引っかかってれば、それなりの効果もあったのかもしれませんが、今回は烏帽子や沙門帽子を着けた演者のただジャマになってただけカモ(笑)。気のせいかもしれないけど、蜘蛛の糸もなんだかいつもより短かかったような。。エコロジー仕様でしょうか?時間の短縮かな?

頼光の太刀を浴び、謎の僧は早鼓の中、退散します。このとき駆け付けた独武者(とのけん)と橋掛かりでばったり!お互いしばしキッと睨み合い、キヨがすれ違いざまにぶぁさ〜と蜘蛛の巣を投げつけると、今回とのけんが一番蜘蛛の巣だらけになってました!全身蜘蛛の糸まみれで、何事ですかと頼光に尋ねるとのけんなのでした〜。

中入りは「ささかに」で、指さしポーズの蟹の精2匹が登場してカワイイ。「ちょっきんちょっきん」言いながら登場して、もうすぐ土蜘蛛退治が始まるらしいよ・・なんて話しています。

蟹の精たちの楽しい掛け合いの後は、またまた貴信と祥丸キュンがスタスタと寝台を片付け、入れ替わりに今度は後見がキヨ入りの塚の作り物を運んできます。

そこにとのけん独武者たちも、凛々しいハチマキ姿でやってきました!ずずいっ!と効果音のしそうな雰囲気で舞台に入り、えいやえいやと塚を崩すと、そこに蜘蛛の巣が張り巡らされています!しかし親玉の蜘蛛の精は、容易には姿を現しません。なにやら蠢いているような妖しい気配です・・!

ついに自ら蜘蛛の巣をべりべりっと破ると、後シテの登場です!

面は「黒ベシミ」。な、なんかすごい野性的な顔でした。。これに意外や黒髪ストレートヘアなので、確かになんかこう・・よりクモクモしいとでもいうか、生々しい雰囲気です。いつもの「顰」の面に赤頭スタイルだと、荒神っぽいというか、歌舞伎の荒事チックなのに対して、こちらの蜘蛛の精は土着的な香りがするとでもいうか・・。蜘蛛の精というより、『蜘蛛民族』みたいな感じ。

お囃子もノリノリで信太朗のお笛が、カッコよく言うと空気を切り裂き、別のコトバで言うと耳をつんざきます(笑)!すごい怨霊、間違えた、音量です。若いっていいなぁ。(←そういう問題?)

わっしわっしと千筋の糸を投げつけて、土蜘蛛は激しく抵抗するのですが、やはり国家権力には逆らえず(笑)。哀れ土蜘蛛は首を斬り落とされるのですが、ここはシテがささっと再び塚の作り物に入って、姿を消します。

そして再び蜘蛛の巣まみれになったとのけんが、キメポーズをして大団円(?)なのでした〜!

ついでに言うと、最後の付祝言まで超ハイペースだったのでした(笑)。

ちなみに、この日は12時開演で能二番、狂言一番、休憩30分(キヨが独演二番だったし)で15時(!)には終わってました。これなら遠方の人や主婦の人にも来やすいし(たぶん?)、ちょっとお茶して帰りましょうかとかも言いやすいし、こ〜いう楽しいエッセンスを凝縮した公演もい〜んじゃないでしょうか!

おしまい!

 
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銕仙会定期公演10月
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狂言
泣尼
シテ   野村万作
アド   高野和憲
     石田幸雄

実盛
シテ   観世銕之丞
ワキ   森常好
ワキツレ舘田善博
     森常太郎
アイ   深田博治

大鼓   安福建雄
小鼓   曽和正博
笛     一噌仙幸
太鼓   観世元伯

地頭   浅見真州

※2014年10月10日(金) 宝生能楽堂にて。


というわけで、またまた銕仙会に行ってきました〜!

時間の都合で「泣尼」には間に合いませんでしたが(泣!)、今回はてっつんの「実盛」です!

「実盛」といえば言うまでもなく、三修羅の一つに数えられる大曲なのですが!

いや〜これが!すごかった!すごかったね!

も〜今回は、シテは「てっつん」じゃありません、「てっきゅん」です!(←昇格?)

さて、まずはツネ2扮する遊行上人と従僧たちがやってきて、ツネ2は葛桶に腰かけ、ワキツレは下居します。

そしてアイが出てきて、これから遊行上人の説法が始まるよと告げる。「実盛」は意外にも狂言口開で始まる曲なのですね。和泉流のセリフは、あっさりと短めです。・・・ていうか「実盛」って、こうしてちゃんと観るのは何年ぶりだろう・・。「実盛」って「朝長」と同じくらい、滅多に出ていなんじゃないのかな??

早速ツネ2が透明感のある綺麗な声で、西方浄土は遠くにあるよ、だけどみんなの心にあるんだよ的なことを謡う。素晴らしい柔らかなハイトーンヴォイス。この日はツネ2もノリノリです!

そこに、てっきゅん扮する不思議な老人がすーっと聴聞にやってくるのですが、どうやらツネ2の話では、このおじいさんの姿は遊行上人であるツネ2にしか見えないらしい。

不思議に思ったワキがおじいさんに名を尋ねても、おじいさんは田舎者に名乗るような名もありませんので・・と答えない。

しかし前場からシテの声には、落ち着いていながらもズシリとした重さと鋭さがあって、武将の化身としての貫録を漂わせます。

それにてっきゅん、ちょっと(ちょっぴり)痩せたんじゃないでしょ〜か。この日は装束の着方もそうですが、全体として謡も型のキレも最後まで非常に鮮やかでした。相当な準備をして再演に臨んだことを窺わせます。

「実盛」は、ほんっと〜にシテの(そしてワキも)謡の量が多くて、半端じゃ〜ない。それも前場はほとんどが、ただシテの名前を聞きだすことに費やされるというノンビリさです。ゼアミン(←作者)は「申楽談儀」でこの曲を自信作として語っているらしいけど、ナルホド確かに素晴らしいけど、チト長いんでないかい?という気がしないでもない。

せっかくこうして上人様にお会いできたのに、また妄執の起源となる我が名を名乗るのは、本意ではではありません・・。とシテは言う。

(←ここでシテは、滅多に会えないことを「盲亀の浮木、 優曇華の花」と喩えていたのだけど、イマドキのJPOPの甘いメロディで、「めぐり会えたキセキ〜♪」とかよくある歌詞を、「めぐり会えたのは盲亀の浮木〜 優曇華の花〜」とかにしたらウケるのではあるまいか。と、ふと思った。byクリコ)

ワキは、自らを明らかにするのも懺悔の一つだよと、なおも促します。では、お人払いをお願いします・・と、誰にも見えていないのに(見所の[おそらく]全員には観えているのに)、神経質なことを言うシテなのでした。

でもワキツレはそのまま残っていて、ワキツレには後で出番があるのですが、「ああ、ここでオレたちも退けたらなぁ。。」というのが本音なんじゃないでしょ〜か(笑)。

前シテがなかなか名乗ろうとしないのは、実盛が手塚太郎(光盛)に討たれる時にも素性を明かさなかったことへのメタファーとされていますが、どうもこれは、実盛の尋常ならざるプライドの高さと、自意識の強さの裏返しなのではあるまいか。死後も、そして生前も。

てっきゅんも自著の中で(←「能のちから」)実盛のことを非常にプライドの高い人・・と評していましたが、ナルホド。。という感じです。そしてそれが、彼の妄執の原点そのものらしい。

ついにシテは、自分が二百年前、ここ篠原合戦で打たれた斎藤実盛の霊であると明かします。どうも自分の執心が鬢髭を洗われたそこの池に残って、地元の人にも時々見えてるみたいなんですよね。とシテ。これにはツネ2もびっくりです。

なおも、このことは誰にも言わないでくださいね・・と言ってシテは消えていきます・・。中入。

アイ語りはフカたんです。明晰で分かりやすい語りだったのは勿論のこと、そういうのも師匠から習うのでしょうが、息継ぎポイントというか、「間」というか、呼吸の感じまで万作にそっくりでちょとびっくり。万作DNAです。
ついに人々は、アイとワキの語らいによって、以前から話題になっていた『遊行上人の独り言』の秘密を聞くのでした・・・。

そしてここで、ええ〜?!と思ったのは、下掛宝生流のワキ(←ツネ2)がはっきりと、実盛の霊を弔うために「踊り念仏」をすると言ったこと。

そ〜だったんだ!いや遊行上人なのだから踊り念仏で当然なのですが、とゆうことは「なんまいだ、なんまいだ」と人々がかなり熱狂しているところに、実盛来臨だったのですね。実見してみると、事前のイメージと全然違っていて驚いたことでした。

しかし今や能の中の踊り念仏は、狂言とはまた違った洗練に洗練を重ね、美化し尽くされた観もあり。ツネ2がそれは美しい立ち姿で合掌し、それ以上に美しい声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」と繰り返すところに、かすかにその熱狂の痕跡を感じさせます。

そこに後シテが現れる。

なんと言っても印象的なのは、真っ白な垂髪と、故郷に錦と着飾った美々しい装束です。いずれもキラキラの金が入った萌黄の法被に紺色の半切。オレンジ(赤)の地色の厚板。老人らしく渋いながらも、超オシャレな出で立ちです。

そして、後場からのてっきゅんが、ほんっとーにスゴかった・・!

ワキの演技よりもむしろ、シテと地謡の掛け合いの中に、踊り狂う人々の浄土への希求と情熱があったような。その輪の中に実盛は現れたのでしょうか。

念々相続する人は 念々毎に往生す
南無と云つぱ  即ちこれ帰命
阿弥陀と云つぱ その行この義を以ての故に ・・・・

ワキは驚愕したに違いありません。甲冑を身に着けたこれほど目立つ老人が池から浮かび上ってきて、それでも自分にしか見えていないとは・・。

やがて上人に向かって、シテは懺悔の物語を始めるのですが、床几に腰かけ「さても」と、びしっと聴く者を鞭うつかのような語気の鋭さ。実盛の武将としての気概と品位を感じさせます。

まずは、木曽義仲が実盛の首実検した時の光景が語られ、シテ自ら実盛の髪から墨が洗い流された様子を再現します。扇の首はさながら光り輝く盾の如く扱われ、墨が落ちた池水には、木々の緑が映っていたそうな・・。実盛は生前に語っていた通りのことをしたのだと、その気概に人々が涙した時、その時もまた、実盛にとっては満足のいく栄光の時だったのでありましょう。

てっきゅんの語りはただ強いだけの一本調子でなく、「涙をはらヽと流いて」と語る場面では、シテが(代わって)涙を流すその様を、繊細に感じさせました。

そして故郷には錦を着て帰るものですと、実盛が宗盛に直訴して赤い錦の直垂を賜ったことも語られます。

続いてこれだけの大曲でありながら、てっきゅんも地謡もいよいよ全開に、実盛の戦場での躍動が表現される。

義仲と刃を交えようと思っていたのに、手塚光盛ごときに討たれてしまったと、悔しさの滲み出る激しい謡。そして「あっぱれ」と、お前は日本一の剛の者と戦っているのだぞと、郎等をばさりと切り捨てる。この「あっぱれ」の一息にこもる、爆発的な力と満天下に響き渡るような実盛の生き(死に)様と精神。

あの謡、息の強さはてっきゅんの真骨頂とでもいうか、巧さに逃げず、圧倒的な量感と気迫、てっきゅんだけに可能な世界が立ち上ります・・!

これもてっきゅんが御本に書いていましたが、実は木曽義仲は実盛にとっては旧主の子息であり、義仲の父親が討たれた時に、幼い義仲を逃がして命を救ってやったのは実盛だったのですね。

その義仲が今や、平家も自分をも討ち滅ぼさんとしている・・。そして木曽義仲もまた、この翌年には義経たちに討たれてしまうのですが・・。(その義経もまた・・。)

斎藤実盛が亡くなったのは実際70歳過ぎとされていて、現代の感覚でもさすがに老齢の範疇ではないでしょうか。実盛が一人投降していれば、義仲は昔の恩義で彼の命ばかりは助けていたかもしれない。もとより実盛は戦場に死に場所を求めていたのでしょうが、老武者と侮られたくない・・と実盛が願ったのは、その誇り高さのためにというだけでなく、本当はもっと大きなものと戦っていた・・という気もしてきますね。

しかし戦場においては、そんな後先すら関係ありません。ただ燃焼あるのみ。有能な武将として、主君を変えたりもしつつ生き延びてきた実盛ですが、ついに力尽きます。

それから200年が経った頃、ついに自分自身の影も無くなって、シテはただ弔いを請い、そして消えていくのでした・・・。

おしまい!





 
posted by kuriko | 23:26 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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