(高砂 前シテ)
翁が去ると、三番叟がやってきました。
黒川能の三番叟(揉の段)は、王祇祭のフィナーレのとき以外は、わりとノンビリとした?印象です。千歳もそうですが、舞台(大地)にぴたりと張りついて、「飛んだり跳ねたり」にはあまり興味がなさそうです。
三番叟も扇から面を掛けて・・・
千歳/面箱を兼ねるアドの太夫と、無言の対話を行います。
(聴こえない声で、本当は何かを話しているらしい。)
黒い翁面を掛ける「鈴の段」のほうが、三番叟はむしろイキイキとするかのようです。王祇祭では「父尉」も登場するので、本来の意味での『式三番』となります。
大地に種まく所作の、このリアリズム・・・。
そして、三番叟は面箱と一緒に去ります。囃子方も深々と一礼して舞台を退くのですが、足が痺れて立てないヒトも・・・(笑)。(「式三番」では、大鼓しか床几に腰かけません。)見所から「立てるかな〜?」と声が飛んだりして、これもノンビリしていい感じです☆
つづいて、「高砂」。まずは囃子方の登場(地謡は「式三番」から引き続き謡います)。
そして、おなじみのチビッ子ワキたち・・・。元気いっぱいの謡で可愛い。
・・・のですが、なんとなく気になったのは、次第や道行の謡にあの独特な、『なまり』が感じられなかったこと・・・。
結果として、チビッコたちの謡から、なまりが抜けた感じだったのは「高砂」だけだったので、偶然か?それとも現代っ子(←なんだか、この言葉を最近あまり見聞きしませんね)だからか?あるいは、学区の小学校で、お能が教えられたりしていることと何か関係があるのか?と、見所で悶々としていたクリコだったのでした・・・。(聞けばよかった。)
カンケーないけど京都の観世流の謡も、東京から家元派が進出して、大正〜昭和初期のあたりで大きく変ったと言われているそうな。。。(どう変わったのかは知らないケド。)
(↑舞台の端を、橋掛かりに見立てて謡っています。)
そんなことはさておき、前シテ、ツレの登場です。日焼けした農夫か、あるいは漁師を思わせるような前シテです。。
そして、王祇祭で「高砂」がかかるのは、当屋頭人がご夫妻でご健在の証。そんなことを隣りの人と話していたら、隣の人はいたく感じ入ったように「なるほど、翁と媼でね・・・。東京ではもう、あまり高砂はかかりませんね」と話されていました。言われてみると脇能って、あまり出なくなっているのかな??いやむしろ、脇能でも「高砂」はまだよく出てるほうなのカモ。。(←黒川能の見所は、おしゃべり自由です。)
やがて前場の真っ最中に、暁の使いが舞台に登場です・・!おお、気合いの入った丸刈りです・・!
(この人は太鼓方をなさっていて、基本的にボーズの人だった。)
「尾張様、御使いに行ってまいります」と、まず頭人様にご挨拶。そして、長老格である地謡たちにも挨拶しています。
(ちなみに黒川能では、年長者のほうが地謡前列に座り、若手のほうが後列に座るみたいです。地頭は前列の左端に座ります。←古態。)(←「尾張様」は当屋頭人に贈られる国守の称号。)
暁の使いは『提灯持ち』とともに、上座の当屋へとこうして出かけていくのでした。。
クリコの黒川能日記も、永遠に終わらないペースになってきたところで、つづく。
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カメラを変えたので、動画の画質がわりと改善しました。。。「HD」でご覧ください。。