能楽鑑賞などなどの記録。  
銕仙会 公開講座と能鑑賞 講座『能「江口」の魅力を探る』 第1回
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1.能『江口』を読む
  −歌人西行の求法の旅と諸国一見の僧−


  宮本圭造

2.実技
連吟
雨月 ワキノ出ヨリ下歌迄
シテ 観世銕之丞
ツレ 鵜澤久
ワキ 浅見慈一

仕舞
西行桜 クセ
  観世銕之丞 (代演)


※2015年9月25日(金) 銕仙会能楽研修所にて。
※以下の内容は、クリコのうろ覚えに基づくものであります。


と、いうわけで、ついに銕仙会の講座にも潜入してきましたぁ〜!!

いや潜入っていうか・・、フツウに聞いてたわけですが・・。
柴田稔が司会をやっていて、わりと淡々と(笑)講座が始まりました。

舞台の上に小さな毛氈を敷いて、その上に講師の宮本圭造が椅子に腰かけて話します。センセーは、なんだかちょっと緊張気味のようでしたが、お話はとっても面白かったです。

今回は第一回目ということで、まず「江口」の物語全体とその成り立ちについてのお話。

さて、「江口」というと、実は江戸時代?ぐらいまでは、一休禅師が作った曲だと一般に信じられていたそうな。そう、あの頓智の「一休さん」です。

「江口」は観た目は華やかですが、詞章はわりと難解で仏教の教義に関わる部分が数多く入っており、作者はきっとお坊さんだろう、ということで、「江口」と「山姥」は一休さんの作だとされていたそうです。

江戸時代に出版(創作)された「一休ばなし」に、そう信じられる一因となった話があるとのこと。「一休ばなし」は寛文八年出版だそうなので、1668年。わりと古いですね。

その話というのは、

昔むかし、ある奥さんが自分はこの年まで仏法を学ぶこともなく、女は罪深く、成仏できないというから、一休禅師に引導してもらいたいと頼んで亡くなった。

家族が泣く泣く一休さんに頼みに行くと、その年まで仏法を知らないでいたのでは難しいと言いながら、一休さんは遺体を鴨川に持ってこさせた。そしてなんと、遺体の首に縄をかけ、「江口」の一節を謡いながら、鴨川にざぶ。と投げ捨てさっさと帰ってしまった。家族は驚き、お経でもなく「江口」の謡では浮かばれないと、遺体を引き揚げ、別のお坊さんに引導を渡してもらった。

ところがこの奥さんが家族の夢枕に立ち、「せっかく一休禅師様に引導して頂いて成仏できたのに、別のお坊さんの引導のせいで、引き戻されてしまった。また一休禅師様に頼んでくれなければ、あなたたちを憑り殺して、一緒に三途の川を渡りましょう・・」と訴えた。家族はまた驚いて、一休さんに再び頼みにいき、一休さんは当初「他の人に頼むからだ」と捨て置いたが、家族の者が嘆くので、その遺体を掘り返させ、一首口ずさみながら鴨川に再び投げ捨てた。すると家族の夢の中で、その奥さんは(「江口」と同じく)白雲に乗って、西の空へ旅立って行った、そうな・・・。

と、いうものだそうです。無論、この話は作り話なのだそうですが、金春家の古文書に、この元ネタとなった史実が記されているとのこと。

「一休題頌」と呼ばれているもので、金春禅竹の奥さん、つまり世阿弥の娘が亡くなった際に、一休が禅竹に漢詩を贈り、この奥方にも「江口」の一節を踏まえた引導の歌を捧げている・・そうです。
圭造によると、一休は「江口」が世阿弥の作だと知っており(しかも自筆本を世阿弥が禅竹に贈っている)、そのことを踏まえて作ったのではないか、とのことでした。

さて、近代では「江口」の作者は、世阿弥が著書「五音」の中で「江口遊女 亡父曲 ソレ十二因縁ノ」と記していたために、長く観阿弥作と信じられていたのだとか。しかし世阿弥の自筆の原稿が発見されたことから、現在では世阿弥作と考えるのが有力、なのだそうです。

世阿弥が禅竹に贈った自筆本に、自ら節付した部分とそうでない部分があるそうで、このことから、観阿弥がクリ・サシ・クセの部分を「曲舞」として作り、世阿弥がそのクセを含んだ「能」として仕上げた。と、考えられているそうです。

世阿弥自筆本と現行版の謡本では微妙に内容も異なっているそうですが、展開としてはほぼ同じで、他の自筆本と比べると、「違いは少ないほう」なんだとか。

「心に留めずは 憂き世もあらじ」(←「江口」の一節)というのは世阿弥の考えた言葉だと思われるが、仏教のキャッチフレーズと言っていいほど、仏教の本質を突いた言葉だと思う(by圭造)。

その昔、お釈迦様は何故人間は苦しむのかと考えた。この世に永遠のものなど無いのに、永遠と勘違いして(執着して)人は苦しむ。その執着を無くせば苦しみも無い・・と、考えるのが仏教の根本。

「江口」は難解な仏教のイメージを和らげつつ、壮大な宇宙を感じさせる世阿弥が得意とする展開の曲・・なのだそうです。

その「江口」の典拠となったエピソードですが、これは幾つかあるらしい。まず「新古今和歌集」に収録されている西行法師の歌と『遊女 妙』の返歌。

 世の中をいとふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむきみかな

 世をいとふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ

西行法師は歌は沢山作ったが、自分の人生は語らない人だった。元は北面の武士(エリート)だったのに、それを捨てて出家した理由もはっきりしていない。だからこそ人々の想像をかき立て、西行が亡くなって数十年のうちに、さまざまな西行の「物語」が創られた。

もう一つの典拠に、この有名な『西行物語』として「撰集抄」があり、この中で西行は江口で雨宿りをしようとして、ある遊女に出会う。前述の有名な歌を取りかわし、西行に一夜の宿を貸した遊女は、これを機縁に出家して尼になったそうな・・。

「江口」では、西行自身は登場せず、ワキの僧がその追体験をする構成となっている。しかし西行法師は能にしばしば登場し、歌枕の地まで旅をして歌を詠んでいる姿が、ワキ僧とオーバーラップされているのではないか。西行は、ワキ僧のモデルと言えるかもしれない。世阿弥がどうやって複式夢幻能を編み出したのかよく分かっていないが、西行のこともヒントになっていたかもしれない・・とのこと。

そして西行の物語が謡曲の世界に取り込まれ、西行のことを尊敬していた松尾芭蕉は、旅の途上でしばしば自分自身を西行と、能のワキ僧に重ね合わせている。こうして日本文学の系譜が繋がって行く・・。by宮本圭造。

さらに、「江口」の典拠として有名なものに、同じく「撰集抄」に性空上人が生身の普賢菩薩を観た話がある。性空上人が普賢菩薩を拝みたいと祈念していたところ、「室の遊女の長を拝め」とのお告げがあり、僧衣のまま行くのは差し障りがあるので、わざわざ変装して(笑)、お供を連れて室まで出かけた。そして遊女の長の舞を見ている時に、心を鎮めて目を閉じたところ、白象に乗った普賢菩薩の姿が観え、そして目を開けると遊女の長が居た・・。喜んだ上人がこの宿を辞した後、その遊女の長はにわかに身罷ったとか・・・。

と、このようなお話があり、その後は世阿弥直筆本のほうをテキストに、「江口」の詞章の解説。

かつて、女性は成仏できないと言われていた仏教の世界で、何故に遊女がそのまま普賢菩薩となり得るのか・・、は、最終回のお楽しみだそうです。

で、つづいて、オマケの実演です!

まずは「雨月」の連吟から。この曲も西行法師がワキとして登場し、とある民家に一夜の宿を求めて・・というお話です。そういえば、「雨月」もあんまり出ませんね??

というわけで、シテ・てっつん、ツレ・鵜澤久、ワキ・浅見慈一という顔ぶれだったのですが・・。

いや〜、これが、スゴかったね。そればっかし言ってるけど、でも本当にスゴかった。

特に、銕仙会の見所で超間近に聴いたてっつんは、本当に素晴らしかったです・・・。圧倒的な声量や息の深さもさることながら、今やそこからある種の芳醇さ、複雑に織りなされる神秘的な生命感すら感じさせます。。あのフクフクのお腹に、何か秘密が隠されているのかしら・・。(←余計なお世話。)

キヨが大吟醸清酒タイプなら、てっつんは赤の葡萄酒タイプだなぁ・・・。GSはさしずめブランデーかしら。。。って、お酒飲まないので知りませんが・・・(適当です)。

続いて「西行桜」の仕舞。ホントはしみかんが舞う予定だったそうですが、てっつんが舞っていました。

こちらもひじょ〜うにに素晴らしかったです。眼福と言ってよいでありましょう。てっつんがハッキリと、本番の舞台での「西行桜」をイメージしているのが感じられました。(たぶん・・。)白足袋が踏み出されるごとに、全て特別な、清新な新たな一歩だという気がする・・。

ああ、こうやって青山の舞台で、栄夫も観たな。閑も観た。と、なんだか思い出したことでした。

そして最後に、圭造に質疑応答。「江口」の内容についての、直接的な質問は出なかったですが、

Q.宮本先生はなぜお能を好きになったんですか?
A.「わぁ不思議。なんでこんなものが存在するのだろう?」と思ったのがきっかけです。はじめから大好き!だったわけではありません。私の祖父は半(?)プロの謡の先生をやっていました。そんなところも縁があったのかも。

Q.「江口」という土地はどんな場所だったのですか?
A.風光明媚というイメージはなかったと思う。かつては海上交通の要衝だったが、世阿弥の頃は既にすたれていたと思います。

Q.観阿弥はクセ舞として「江口」を作ったとのことですが、観阿弥の頃の「曲舞」とはどのようなものだったのですか?
A.クセ舞として独立した芸能でした。現在の仕舞のように、舞だけを舞っていたと思われます。

みたいな感じでした〜。

イヤー、この講座はなかなかイイ!イイですよ。なんたって場所がいい(←そこ?)。
お話も面白いし、行き帰りに表参道で、私ってばオサレピープル・・・(勘違い)ごっこができるし、おトクな感じです。

次回は六の字(←藤田六郎兵衛)がゲストで、てっつん、圭造との鼎談と、お笛の実演だそうで〜す!

第2回へとつづく!
 
posted by kuriko | 00:26 | 講座(能・狂言) | comments(0) | trackbacks(0) |
MANSAI◎解体新書 その弐拾伍 『解析』 〜伝統芸能×テクノロジー〜 
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出演・企画 野村萬斎

出演
 菅野薫
 森内大輔
 登本悠介
 真鍋大度 (映像参加)

※2015年9月30日(水) 世田谷パブリックシアターにて
※以下の内容は、クリコのうろ覚えに基づくものであります。
※URLにリンク張ってますが、ちろっとググっただけで適当です。。


というわけで、MANSAI解体新書に行ってきましたぁ〜!

今回のテーマはズバリ、テクノロジー!その対極にあると思われがちな伝統芸能の世界、の、プリンス野村萬斎(49歳)を解析しちゃおう!という企画です。

今回のゲスト3人(+映像)は、「時代の先端」系の人々とでもいうか、いわゆるメディア・アーティストと呼ばれるデザイナーだったりプログラマーだったり、どちらかというと技術系の人々だったわけですが、電通、NHK、ライゾマティクスと顔を揃えるあたり、現在の萬斎さまの『お立場ぶり』を感じさせて、ちょっとニヤリとしてしまいました(笑)。
NHKのヒトがやたら「お世話になってます」と言ってたあたり、まぁ、面白いと言える範囲だったですケド☆
(←萬斎さまは「にほんごであそぼ」を、もう13年やってるそうです。)

で、まずは最初に、デモンストレーション映像付で、ゲストたちの代表的なお仕事の紹介。

菅野薫は"Sound of Honda/Ayrton Senna 1989"を作ったとか。 
http://www.honda.co.jp/news/2014/4140623.html
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1405/07/news033.html
「SAYONARA国立競技場」のプロジェクトもやったとか。
http://ourstadium.jp/
太田雄貴選手の「フェンシング ヴィジュアライズ」作ったとか。

森内大輔は、以前はNHKのテレビ番組のデザインをやっていたり
(←「紅白歌合戦」とか。これはアナログな「セット」から、デジタル映像化することでかなりラクになったそうです。)
東京駅やスカイツリーのプロジェクションマッピングやったりとか、
http://www.nep-ihistory.jp/column/archives/54
「NEXT WORLD 私たちの未来」でサカナクションのバーチャルライブを手掛けたとか。
http://www.nhk.or.jp/nextworld/live/ (←Liveに来ているのは観客の「アバター」という設定らしいです。)
(←この時の反応で、萬斎さまは『サカナクション』を知らない。ということが判明しました。「この方たちはそこで何してるんですか?」とか言ってたしw。お姉ちゃんのほうのお嬢さんや、裕基くんに訊いてみるといいよぉ〜。)

そして登本悠介は、ライゾマティクス・リサーチのヒトで、あの『敦(山月記)』での萬斎さまの人型プロジェクション・マッピングを担当したんだとか。懐かしい(?)乱拍子シーンがもちろんスクリーンに流れて、これがお目当てだったクリコとしては大満足でした(笑)。他にも「ライゾマティクス グラフィックデザインの死角」も担当していたそうです。
http://www.cbc-net.com/event/2015/05/ggg-rhizomatiks/
これは物凄く平たく言うと、有名なグラフィックデザイナーたちの作品をデータ化して、個人が経験値として持っている作品の傾向を解析したもの。

ちなみに萬斎さまの「乱拍子プロジェクションマッピング」のイメージは、「DNAが変化していく様子」だったとか。

そして真鍋大度の映像出演だったのですが、これがなんと、iPhoneでの自撮り(笑)!!自分がいま興味を持っていることの紹介などありました。http://white-screen.jp/?p=3373

へ〜!と思ったのは、この中で、人間の身体が筋肉を使う時の信号をそのまま音声化する、という仕掛け(?)とか、脳波から読み取れるその人がいま見ている視覚内容の話とか。
(←この技術を使えば、いずれはそのヒトの考えてることや、寝ている間に見ている夢なども覗くことが可能になるらしい・・。)
(←っていうか、この自撮りは室外で行われていたのですが、このときBGMに自動車の騒音だとか、カラスの鳴き声だとかノイズ満載だったのがなんだか可笑しかった(笑)。勿論これも現在の技術であれば、取り除くことも可能なはずですが・・。)

この後のトークでも出てきていましたが、データ化技術の精緻化によって、逆にこれまで個人の暗黙知や経験値としか言いようのなかった部分まで「解析」可能になって来ている・・ことが面白かったです。

例えば太田雄貴選手の「フェンシング ヴィジュアライズ」の話で出てきたのですが、太田選手は最近、世界大会で優勝などもしていて、彼クラスになると動作の再現性がもの凄い、ということ。

フェンシングの世界では、攻撃である「突き」の動きよりも、逃げるときの「退く」動きをしている時のほうが、相手から攻撃を受ける可能性が高く危険らしいのですが、この退避のときの、剣先の軌跡がいつもほぼ同じ、なのだそうです。そういったことが、ヴィジュアライズで分かるのだそうな。

っていうか、フェンシングの競技というと、一般人には剣は細すぎ、動きは早過ぎで何をやっているのかよく分からないわけですが(笑)、それをモーションキャプチャーして可視化し、その面白さを分かってもらおうという現在進行形のプロジェクトなんだそうです。

ある意味当然のことながら、選手同士はそうやってデジタル化されなくても、「その動きが見えている」(←ものすごく動体視力がいいらしい)という話に、なんだか感心してしまいました。

ちなみに萬斎さまによると、能楽の世界の「型」もデジタルなもので、いつも必ず同じ動きをする。そこに誤差はない、のだそうです。(←でも、舞台の環境に合わせた微調整は当然行うんだとか。)

さて、ここでようやく(笑)伝統芸能とテクノロジーがクロスした話になり、萬斎さまの「三番叟」の映像をスクリーンで流しながらのトークです。

「萬斎さんは、(型の中で)どこで綺麗だとか、美しいとかの判断をするのですか?」という質問がゲストから出て、これに対しては、身体のどこに、そのとき意識を置いているかだと思う。漠然と立っているだけではダメで、演じている本人が意識している場所を、観ている人も意識してくれる、とのこと。

「三番叟」の囃子なども、どうすれば自分がエネルギーとしてその音を「まとっている」ようになるか、自分自身も音を発しているような一体感を意識している、そこに嘘がないようにしている・・とのこと。

演者が意識していないと、観ている人も意識してくれないし、「型」だからと言って無意識にやっているわけではない・・のだそうな。

「型」はデジタルなもので誤作動しない。だけど、最初は親に教えられた通り真似して学ぶが、結局は違う人間なので、例えば腕の関節から先の長さなども違ってくる。そこをどう修正していくか・・だと思う・・とか。

萬斎さまの「三番叟」を3D化した映像なども流されていて、これからは能楽の動きなども記録しておいて、3D化することも可能なのかな・・とか。

「三番叟」はもとは農耕儀礼と言われていて、独特な足の使い方も、ぬかるみから泥を撥ね上げる所作と言われているけれど、萬斎さまはそうしたところもシャープに、舞踏的に、現代に呼吸したものにしているそうです。

ちなみに萬斎さまは、今でも年に十回は「三番叟」をやっていて、自分でも『驚異的に三番叟をやっているヒト』だと(笑)。他のヒトは、年に一度やるかどうかぐらいだと思う。(←ま、そうでしょうね・・。)

そうすると、単におめでたいだけのものではない、と分かってくる。足拍子を踏んでいると、「出てくんじゃねぇぞ」と悪いものが出てこないように踏み固めている意識があるし、そうしたものがないと例えば『死』に対する『生』の有り難さも分からないのでは・・とのこと。何のためにしているか。は、とても重要だと思う。・・・だそうです。

で、これが『野村萬斎の「型」だ』と3D化して残すことができますよね、という話になったのですが、弟子に教えるのも大変なので、先生と弟子の違いをデータを出せるといいかも、みたいな話も出てました(笑)。

「このあたりの者でござる」という狂言で大定番の名乗りだけでも、現代には無い抑揚を教えるのはタイヘン!なんだとか(笑)。

しかし勿論、データを使えばマネできるというものでもない。そこにいる人間がいかに美しいか、なぜ美しいと思うのかをテクノロジーを使って、もっと深堀りしていければ・・・という話になっていました。たとえば、萬斎さんがなぜ美しいのか・・を、客観的なデータで解析することができる・・とか。さらに言えば、いずれは萬斎さまみたいな抜きんでている(と思われている)人だけが持っている感性も分析できれば・・とのこと。

ちょっとお遊びのデモンストレーションで、その場で萬斎さまをモーションキャプチャして、「棒人間」として表示するというのがあったのですが、これでも頭が動かず、背筋が伸びていて、萬斎さんと分かる・・と。

萬斎さまによると、昔であれば、たとえば能楽でも観ている人はお稽古している人でもあったので、舞台の上で役者が「耐えている」のを一緒に経験することができたけど、今はそれも難しいですよね・・と。このとき萬斎さまがちょっと、下居してみせたけど、さすがその姿勢も綺麗でした(笑)。

萬斎さまがモーションキャプチャで、いろいろ動いて見せたのだけど、やっぱり全然芯がブレないというか、体幹の強さを感じさせました(笑)。やっぱりお洋服だと余計に分かるな〜・・というか。

それに萬斎さま的には、たとえば「三番叟」の型で、手で指すような所作のときは、指先からビームを出すようなつもりでやっているので、そうしたところも解析できるといいな、そういうのが苦手な(出来ない)ヒトもいるので・・とのこと。

そうすると、3D化だけでなく、脳波の解析的な感じですね・・と、ゲストたちが応えてました(笑)。テクノロジーによって、表面的な、絵ヅラだけでない日本的なものが分かるかも・・と。「データそのものは、常に過去でしかない。テクノロジーは目的ではなく、あくまで手段」というゲストたちの言葉も印象的でした。

ちなみにクリコ的には、筋肉の電気信号を音声化する技術で、能楽師の動きとかを取ってみると面白いんじゃね?と思ったことでした(笑)。
 

posted by kuriko | 21:53 | 講座(能・狂言) | comments(0) | trackbacks(0) |
銕仙会 公開講座と能鑑賞 講座『能「江口」の魅力を探る』 第2回 (その1)
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1.能「江口」の演出さまざま

 宮本 圭造

2.鼎談 演者からみた能「江口」の魅力

    藤田六郎兵衛
    観世銕之丞
聞き手 宮本 圭造

3.小書「干之掛」実演

 藤田六郎兵衛

※2015年10月2日(金) 銕仙会能楽研修所にて。
※以下の内容は、クリコのうろ覚えに基づくものであります。


というわけで、第2回にも行ってきましたぁ〜!
今回のゲストは藤田六郎兵衛!超ツメツメ、密度の濃い(笑)講座となっていて、非常に面白かったです。

それに、わたくし・・・。今回、一つ分かったことがありますの。。。

そ、それは、てっつんの、あのおなかの中には、『ロマンチック』が詰まってるってことなのですよ・・!

・・・。

で、それは後述するとして、まずは宮本圭造から「江口」の演出についてのお話。

「江口」の見所(みどころ)の一つに、遊女三人が川舟に乗って現れるという後場の場面がある。これには屋根付きの屋形舟の作り物が出されるけれど、世阿弥の時代から既にそうで、自筆本にも「かざりぶね」の表記が付されているそうな。

江戸時代には屋根の無い簡略形の舟や、出される位置が舞台の常座だったりすることもあったが、現在では橋掛かりに出されることがほとんど。世阿弥の時代でも「江口」の作り物は橋掛かりに出されていたことが分かっているため、世阿弥演出に戻った形とも言える。

しかし世阿弥の自筆本では、詞章に合わせて(現代の演出よりも)長く、クセのあいだのほとんど(?)を舟の中にシテが居たと思われる。
(←クリコ注(?):昔は一曲の演能時間全体が短かったと言われているので、別に問題にならなかったのカモね?)

また、シテたちが舟から降りた後も、舟は片付けられることはなく、舟の作り物にシテが再び乗って(!)トメていたとも考えられるそうな。

このトメにも江戸時代までは様々なバリエーションがあり、シテが正面を向いて合掌してトメた(「隣忠秘抄」)、シテの留拍子と四拍子が全て同時に打ってトメた(「「隣忠秘抄 外篇」)等の記録がある。

この正面に向かって合掌という型は、「江口」「誓願寺」「海人」でのみ使われる『三番の留』というもので、名人上手が一世一代に演じるものだった・・・らしい。

他にも江戸時代の能楽フリークのお医者さんが、「雲にうちのりて」のところで、雲の上なのに足拍子で音がするのはおかしい!と批評したりしているそうです(笑)。

「平調返」という有名な小書で非常に重い習い物もあり、これは「習い」とされるものを全て、フルセットで行うもので、非常に時間がかかり大体2時間20分くらいになる。
(←今週のてっつんの「江口」では、この一部である「干ノ掛」の小書がつきます。)

観世寿夫が観世華雪の追善能で「江口 平調返」を演じた時には非常に話題になったが、70年代ぐらいまでは、「平調返」といえば、十年に一度出るか出ないかぐらいのものだった。

現代ではわりと出るようになっていて、最近では観世清和、浅見真州、友枝昭世、香川靖嗣・・等によって演じられている。

ではその「平調返」とは、どのようなものなのか。「序」の部分で特殊な笛が吹かれるのが特徴だが、能の音階を支配しているのは笛の音色で、通常は「黄鐘調」だが、これが「平調」になる・・というもの。

西洋音楽では、12音階すべてが基調となりえるが、能楽の場合、雅楽から持ち込んだ五調子だけを基本としており、それが陰陽五行説とも相俟って非常に重視されていた。
(←五調子:壱越調・平調・双調・黄鐘調・盤渉調)

何故「江口」で「平調」なのかというと、「平調」は陰陽五行説で「西」「秋」「白」と、「江口」を連想させる各要素を象徴するものとされたから・・・なんですって・・。「西」は西の空、「秋」は「江口」の曲の季節、「白」は白い雲・・という具合。

「黄鐘調」などは「火」を象徴するともされたため、引っ越しのお祝いなどで縁起が悪いときは「盤渉調」(←「水」を表わす)で演じられたりしたんだそうな。

で、このあたりでアナログなセットチェンジがあり(椅子が増えた)、てっつん、六郎兵衛も登場して鼎談となりました。

六郎兵衛のお家について、ちょっと説明があったのですが、能楽の笛方の各流儀というのは、面白いことに全て同じ人物から端を発しているらしいのです。
その名も笛彦兵衛こと、檜垣本彦兵衛のことで、彼の四人の門人たちからお笛の四流儀は生まれているとのこと(春日流は消滅)。
(←そのために、実は笛の唱歌は各流儀でかなり共通しているらしい・・。)

藤田流としての初代・藤田清兵衛はもとは武家の出身で、なんとあの沢庵和尚(!)が母方の叔父にあたるんだとか。沢庵和尚が武芸よりも笛を好んだ初代を引立てて、笛彦兵衛の孫弟子にあたる下川丹斎に弟子入りさせる等、取り計らってくれたとのこと。

六の字によると、今日の藤田流があるのも沢庵和尚のおかげなんだとか。沢庵漬けだけでなく・・・。

圭造が聞き役となって、あれこれ話が出たのですが、まずは川舟を出す位置について。

てっつんによると、今回もやはり橋掛かりに出すつもり、とのこと。橋掛りに置いたほうが川だと分かりやすいし、空間的な拡がりもある。舞台の定座に出すと、脇正面のお客様に見づらくなるので・・と。ただし能楽堂によって橋掛かりの長さは色々なので、時には常座に出したくなることもあるかもしれませんね。ですって。

それに後見が行う舟の出し入れにも心得があって、早過ぎても遅すぎてもダメ。頭の中でよ〜くシミュレーションして行います、とのこと。

舟を出す前に半幕で舟が観えたり、舳を出したりする演出は?(←圭造)

「平調返」の「沓冠ノ一声」で行うもので、ワキの謡う「月に見えたるたる不思議さよ」を強調した演出です。舳だけ出すというのは、うちの家では行いません。(←てっつん)

(←この時くりこは、『あ〜その半幕でシテがちらっと観えるやつ、キヨのときに観たわぁ〜』と思ってました。幕の向こうにキヨが座ってるのが観えて、そのあとぱっと消えるテンコーばりの(←たとえが古い)イリュージョンだったのです!)

舟を長く出したままにしたりとかは?私はやったことがありません。とか。

続いて、眼目の普賢菩薩への変身については、てっつんは「それができればいいんですけど..//」と、ちょっとハニカミちっくなお答え。
舞台全体的に努力して、御覧になっている皆さんを一種のマヒ状態にして(笑)、「はぁ〜菩薩になってきたな・・」と感じてもらえれば。

圭造の「(後場で)出てきた時は遊女の感覚なんですか?どのあたりから菩薩?」の質問に対しては、クセのあたりから魂は菩薩になってきていると思う。一つにこだわってしまうと舞台が停滞してしまう。観ている人に五感で感じてもらって、シテは舞に入って行って、菩薩としての完成はやっぱりキリかな?段々と(現実と)時間軸がズレてくるような感じ。

シテが菩薩になってきた時、観ている人にとっても、大切な人が思い浮かんで来て、登場人物と一緒に立ち上ってくる感じになればいいと思う。

(ちなみに圭造によると、昔々あるお殿さまが「江口」を演じた時、後シテの出から天冠を着けて出てきたこともあるそうです。)

キリの留拍子については、ワキ留といって、シテはすっと幕に入ってしまう演出もある。留拍子が常だけど、ツメ拍子といって留めの代わりにツメるだけ、というのもある。ツメ拍子でやろうかな・・?キリで合掌っていうのも面白そう・・と色々考えてます(笑)。

今回演じる「甲之掛」では、(笛の音色が華やかになるので)まず、ぽんと花が咲いて、すーっと深くなっていくイメージ。常の演出はもっとじっくりいきます。

菩薩に変身するときの心持は、ワキのお坊さんの宗教的な法悦、昇華と重なるところがあるのかもしれない。それからマヒ感(笑)。あんまり計算して演じられない性質なので・・・(笑)。

「来週の見どころは?」の質問には、最後の白雲にうち乗りてのところ、「是界」の白頭みたいに、ドンッと強くやるのではなくて、静かにドン・・・みたいな感じでどこかに辿り着いた・・という感じにしたいと思ってます。


疲れてきたので、その2へとつづく・・・!

 
posted by kuriko | 01:18 | 講座(能・狂言) | comments(0) | trackbacks(0) |
銕仙会 公開講座と能鑑賞 講座『能「江口」の魅力を探る』 第2回 (その2)
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つづいて六郎兵衛の「実演」ということで、三人は一度楽屋に戻り、それから六の字が一人で舞台にでてきました。

ここでちょっとお話を・・というわけで、舞台に正座して能のお笛について説明トークです。
(←本当は何分でもいいですよと言われたらしいけど、そういうワケにもいかないので・・と。何故か圭造から借りた腕時計を持っていました。笑)

能楽囃子は大体が雅楽の論理を持ち込んでいて、先ほど話のあった「五調子」を能の笛では一番大事しているが、全く雅楽と同じというわけでもない。

雅楽の笛というのはピッチ(pitch)が決まっていて、五本の笛があれば五本同じ音が出ますが、能管はそうではありません。能には、いわゆるハーモニーは無いのです。能はとにかくその時、その場限りの音を奏でます。

舞台の上で、今日はこれで行こう!と決めて音を変えることもある。あらかじめ決めていては「替」とはいえません。もちろん、それに対応できる人がお相手の時だけですが・・とのこと。

で、実際に五調子で吹いてみましょうね、ということで、いつもの黄鐘調で吹き、双調、盤渉調と聴かせてもらったのですが、う〜ん、よく分かったような。。。分からなかったような。。☆
盤渉調はさすがに違いが分かるのですが。ちなみに六の字によると、平調というのは、『みなさんがいつも聞いてる音』なんだそうです。なんとな〜くそうかな?という音色なんだとか。

火を忌んで盤渉調にすると言われるが、水は逆に火を呼ぶということもある。あえて木の調子(双調??)で吹くこともします。

昔は野外の舞台で雨が降ってきたら、笛方は盤渉に替えてもよいとされていました。また船にちなんで「唐船」や(水に縁の深い)「采女」でも、特別な決め事でなく盤渉を吹いてよいとされています。昔の人は、舞台の上でいきなり力試しをするのが好きだったのですね。

今回の「江口」にあたって、自分としては全体としての「江口」の位を出しつつ、『風』になれればいいと思っています。

初めて「江口」を吹いたのは高校生の時(!)で、息が上がってしまいました(笑)。子供の頃から笛はどんな時も強く!と教えられていました。詞章の意味や解釈は習いません。笛で解釈を吹くということはしないのです。でないと弱くなってしまうので・・。笛は舞台に吹く『風』であればいいと思っています。皆さんどうぞ楽しんでご覧になってくださいね。

・・・と、いうような話があり(他にも色々お話があったのですが、お笛の専門的な話はちょっとよく分からず。。)、六の字が序之舞の部分を吹いてくれたのですが、これも、ほよよよよ〜!!(←賞賛の表現です)という音色だったのでした・・。風・・・。風かぁ・・・。

で、最後にみんな出てきて、締めくくりのQ&Aとなりました。

Q.例えばジャズ的に掛け合いで囃子を変え得たりするのですか?

六.もとになるものは決まっているので、あくまで瞬間的に違うもので打たれる(返される)ことはあります。それで盛り上がる・・とか、そういうことはありません。面白いな・・と思うことはありますけど。舞台の上で替えるということはよくあります。

(←ちなみに今回の司会だった柴田稔は「楊貴妃」で六の字に吹いてもらったときに、「あれ・・・申し合わせの時と・・違う。。。」ということがあったんだとか(笑)。でもそれで舞いにくいなんてことはなく、舞台に「ふくらみ」が出て、さすがだと思ったとのこと。)

Q.笛の音色は感情表現ではないのですか?例えば悲しい場面での泣き声だったりとか。

六.そういうことは考えません。序之舞なら序之舞でいつも同じメロディーを吹いてます。違いはただ、曲の「位」」だけです。無色透明だからこそ、聴いている方が自由に色を着けることがきでます。お客様が500人いれば、500通りに感じていただければと思います。

Q.自筆本では「面白や」を2回繰り返していて、金春流でもそうしているが観世流の現行では繰り返さないのは何故ですか?世阿弥は現世のことを面白いと言っているのでしょうか?

てっつん.小書が着くと2回謡います。今回もその予定です。そのために何秒か長くなりますが・・(笑)。世阿弥が何を面白いと言ったのかは、世阿弥でないと分かりませんが、私は序之舞の前の「面白や」と、舞ってからの「面白や」の間は意識が止まっているようなイメージを持っています。時間は進んでいないのです。何かしている時に、ふっと別のことを考える。「面白や」でそんなインスピレーションが入るといい。「面白や」から「実相無漏の大海に・・」とつながって、身体の中に入ってくるような感覚が面白いかもしれませんね・・。

・・と、大体こんなようなお話でした〜。あ〜本番が楽しみです!!

おしまい☆

 
posted by kuriko | 22:56 | 講座(能・狂言) | comments(0) | trackbacks(0) |
銕仙会定期公演10月 ─銕仙会90周年記念─ (その1)
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狂言
連歌盗人
シテ   野村万作
アド   野村萬斎
     石田幸雄

江口 干之掛
シテ   観世銕之丞
ツレ   長山桂三
     谷本健吾
ワキ   森常好
ワキツレ舘田善博
     森常太郎
アイ   野村萬斎

大鼓   柿原崇志
小鼓   林吉兵衛
笛     藤田六郎兵衛

地頭   浅見真州

※2015年10月9日(金) 宝生能楽堂にて。


というわけで、銕仙会に行ってきましたぁ〜!

も〜これが!なんだかスゴイことになっていた「江口」だったのでございます・・!

出演者たちの『力試し』の域を超えた、さながらガチンコ勝負な大一番!だったのです!感動したっていうか・・・、キターッて興奮した感じ(笑)。能楽の揺籃期には、異なる一座同士で「立ち合い勝負」をしていた、なんて話を思い出したことでした。

で、その前に、まずは狂言の「連歌盗人」。

万作の小さくなった声が上品な、穏やかなオープニングアクトとなっておりました(笑)。

連歌の会の「当」になったものの、お金が無くて碌な用意もできないと、お金持ちの家に盗みに入る万作と萬斎さま・・・。

この曲では勿論、二人はお友達(ていうか共犯)の役だけど、横段のところだけが色違いの、カナリア色みたいな縞熨斗目がお揃いになっててカワイイ。肩衣は全然違う色合いなんだけど、袴もグレイと紫の色違いを穿いていて、これもさりげないペアルック(←死語?)でオシャレでした。
(←しかし実はこの曲も、同格の演者が揃わないと上演できないため難しい曲とされているらしい。←能楽大事典に書いてあった。)

首尾よくお金持ち宅に侵入すると、真っ暗闇の態で、お互いに背中を向けて「万作殿・・・」「萬斎殿・・・」と呼掛けあう姿がなんだかシュール(笑)。

そこで連歌の発句を見つけてしまって、二人でワイワイやってるうちに、家の主に見つかってしまう・・という狂言の王道パターンだったのですが、ここで結局許してもらえるというのも、歌の功徳ということのようです(笑)。

現場を押さえられても万作が盗人ではないと言い張ったり、幸雄(主人)が万作と萬斎さまの顔を見て、実は知り合いだったと驚くところが可笑しかった。

そ〜ういえば、この日は野村裕基くんのお誕生日だったそうな。こんな日も、おじいちゃまとお父さんは勿論お仕事です。

萬斎さまがこの間の「MANSAI◎解体新書」で、自分と裕基くんの仲良し画像みて(@にほんご)、「before afterみたいな二人ですよね」と自分で言ってました(笑)。裕基くんは男の子だけど、お父さんにそっくりなのです。そして「この時は、ちょうど同じ身長だったんです」と何故か自己主張していた萬斎さまだったのでした(笑)。
(←この話を書いておきたかった。16歳かぁ・・・。大きくなったね〜。)

続いて、いよいよ「江口 干之掛」です・・!

地謡、囃子方が座着くと、舞台の上はなんだか並々ならぬ緊張感です。そこに六郎兵衛が強く強く、切り裂くような音色を響かせる。最初の次第から、物々しい囃子事。

ワキはツネ2で、おお〜、クリコ的には久々過ぎて、橋掛かりに出てきた時に一瞬誰かと思いました(笑)。そしてツネ2ならではの、あのとっておきの謡がスゴイ。透明感のある美声でありながら、静かな気魄も感じさせる。あたりの空気も震わせるような、自由自在なナビかせぶり。名もなき諸国一見の僧と言いつつ、西行法師その人の面影を思わせる存在感でした。

ツネ2一行が江口の里に着いたかな・・・というところで、アイも登場するのですが、ここで萬斎さまが何故か背筋をビシっと伸ばしたまま、幕前で静止しています。何事かと思ったら、長袴の裾が橋掛かりの欄干のスキマ?に引っかかったみたいで、ハタラキの人が素早く外していて、この舞台でマレにある一瞬のハプニングでした。

もちろん萬斎さまは涼しいお顔・・。というか、萬斎さまも超・気合を感じさせる御姿でした。狂言座に座っているだけで、先程の「連歌〜」の時の飄々とした雰囲気とは全く違って、別人かと思わせるような物凄い緊張感。ツネ2に江口の君の旧跡を尋ねられ、言葉を交わすだけでも、鋭く切り結ぶかのようです。(そしてアイはまた狂言座に戻る。)

ワキ僧は、ここが江口の長の旧跡かとしみじみと感じ入り、またあの歌を口にする。

  世の中を厭ふまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな

西行法師がここで一夜の宿を借りようとしたら、心無い主人に断られたんだよね・・と。
そこに幕が上がると、「のおおおおおおおお〜」と地の底から響くような、大迫力の呼びかけが・・・!

驚いて、一瞬足を止めるワキ僧。振り向くと、白っぽい色合いの唐織を身にまとった不思議な女性がスタスタとやってきます。「不思議やな・・」っていうか、超怒ってる(笑)。ワキの不見識を咎めたてるような、強い調子です。

てっつんの謡いぶりもどこか生々しく、ツネ2の言葉を聴いて、ムムっとした江口の君がガバと土中で起き上がり、たったいま土を払ってやってきた・・そんな雰囲気です。里女というより、この時すでに江口の長らしさというか、女王然とした趣き。

宿を惜しんだわけではなく、西行さまの御立場を思いやってのことだったのですよ・・と前シテは強く主張しています。なぜ私の返歌も口にしない?!、ということのようです。

なんていうかここのところは、「江口」という曲は、前場もやっぱり難しいんだな〜と思ったことでした。シテとしては「ラクなところなんてありません」という感じでしょうか。

西行やワキの僧もやりこめてしまうような才気と、だけどやっぱり、俗世間から自分は誤解を受けていて、いわれないところまで非難を受ける、その悲しさ・・の両方を江口の君は持っています。フト佇むような江口の君の横顔。

あなたは、かの江口の君の幽霊なのですね・・と呼びかけられると、「前世からの縁だったのか、西行さまがこの地にいらしたのは、思いがけないことでした・・」と前シテは語って消えていきます。囃子と地謡、能の音楽に乗ってくるりと身を翻す様子は、水に乗った舟のようです。

しかしまた、あの世に帰っていく後ろ姿は悲しげで、六郎兵衛の笛の音色が、まるで夕暮れ時の川岸に、サラサラと吹いている風・・かのようでした。

ちなみに、前シテのてっつん、ちょっと装束キツめに締めてたカモ。。(笑)それにてっつんも気合が入り過ぎていたのか、前場で一か所だけ、後見(←野村四郎)が舞台に出てくる丁度その瞬間くらいに、謡に詰まった?のを、百戦練磨のツネ2がすかさず自然にフォローしていて、ウマイ!と思ったことでした。


(その2へとつづく。)


 
posted by kuriko | 21:43 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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