能楽鑑賞などなどの記録。  
兄弟

 

・・・。

 

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・・・。

 

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この週末は、真州の「朝長」と、シズカの「屋島」を観てきました。

二日続けての水道橋。どちらも大変素晴らしかったです。

 

感想は近々アップしますね!

 

それにしても、朝長と義経って、実は兄弟なのですよね。

朝長は平治の乱での敗走中に死に、このとき幼かった義経は、「屋島」では、まだ源氏の総大将としての夢の中に住んでます・・。

朝長の死に様と、義経の圧倒的なきらめき。でもどちらもその儚さが印象的でした・・。

 

 

 

 

 

 

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第47回 桃々会 関根祥雪一周忌追善能  (その2)

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(承前)

 

「天鼓」という曲の面白いところは、天鼓たちの運命を決めた皇帝が、主要な登場人物でありながら役者の姿をとってでは、舞台の上には現れないのですよね。そこが逆に、その存在がこの物語にあっていかに絶対的なものであったかを示していて、面白いと思う。「天鼓」を観ると中島敦の「李陵」を思い出すのだけど、下天の天の声とでもいうか。

 

権力者の横暴と芸術家の自由な魂の対比・・・というのが「天鼓」の現代人の解釈として一般的かと思うのだけど、鼓が打てりゃあオイラは幸せ・・と天命に生きていた天鼓と、それじゃあ道理が通らない、とかく住みづらい世間とのギャップも、もう一つの主題ではないかと思う。

 

でも今や天鼓は人の世から離れ、本当の天界に行ってしまった・・。

 

自分のために催された管絃講に姿を現した後シテは、もはや天才少年ではなくて、黒頭の下の面には鋭さが漂い、風格さえある若き芸術家の趣き。こうして弔って貰えるとは有り難いこと・・・と、軽々と掌を返す皇帝(と世間)に感謝する天鼓。

(←詞章的には、おかげで成仏できたということらしい。)

 

そしてシテが鼓に向かう姿には、大切な鼓に再びまみえた嬉しさと、愛器を自らの分身とさえこだわる芸術家の執念が感じられました。


正面から観ていると、シテが撥を手にする動きと、その背後で腕を構える大鼓や太鼓の動きが時折シンクロして、刃のような音が放たれる瞬間が・・。これにはオオッ!ときたw。(←語彙力)

 

人間の水は南 星は北に拱く・・・

 

「天鼓」という名は、七夕の牽牛星の異名でもあるそうな。今や重力からさえ自由になった天鼓は、星空のもと水面で軽やかに舞い遊び、鼓のほうを懐かしく切なげに見つめる。天鼓はついに、星空よりももっと遠くに帰って行ったのでした・・。

 

おしまい。


・・・。

 

以下、蛇足です。

 

というわけでとっても感動的な舞台だったのですが、最後にあえて言うなら、能2番ともに、地謡がかなり抑え気味に謡っていた弱さには、ちょっと違和感がありました。(繊細な印象ではありましたが。)

 

響かないから弱いのか?響きすぎるから抑えているのか?細縦長のホールでバランスがとりにくい(?)のは分かるけど、この際、だったら地謡うしろの舞台を拡げて、地謡の座る方向を工夫するぐらいのドラスティックさがあっても、い〜んじゃないかしら??と、思う。

 

久々のお能で期待するところも大きかったので、ちょっと書いてしまいました。ごみんなさい。

 

 

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第47回 桃々会 関根祥雪一周忌追善能 (その1)

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連吟
  海士

 

仕舞
兼平  高梨万里
夕顔  長宗敦子
花月  岡庭祥大

 

千手 重衣之舞
シテ  観世清和
ツレ  関根知孝
ワキ  森常好

 

大鼓  國川純
小鼓  大倉源次郎
笛    一噌庸二

 

地頭  角寛次朗

 

布施無経
シテ  山本東次郎
アド  山本則孝

 

舞囃子
清経
  高梨良一

大鼓  大倉栄太郎
小鼓  鵜澤洋太郎
笛    一噌隆之

 

仕舞
杜若   観世三郎太
通小町 観世恭秀
芭蕉   野村四郎
求塚   坂井音重

 

天鼓 弄鼓之樂
シテ  関根祥丸
ワキ  森常太郎
アイ  山本泰太郎

 

大鼓  亀井広忠
小鼓  鵜澤洋太郎
笛    一噌隆之
太鼓  小寺真佐人

 

地頭  武田宗和


※2018年4月8日(日) 観世能楽堂にて。

 

 

というわけで、桃々会に行ってきました〜!

 

関根祥雪一周忌の御追善とのことで、なかなかに盛大な催しとなっておりました。
なかでも驚いたのは、久しぶりに観た祥丸GT、恐るべしッ!の成長ぶり。

 

栴檀は双葉より芳し。・・・と言っても祥丸キュンももう、世間一般の年齢的にはオトナになってる筈だけど、文字通りの老成ぶりにビックリコ(←これも久々だ・・)の会となったのでした〜。

 

まずは祥雪のお弟子さんたちの連吟、仕舞から始まり、キヨと知孝の「千手」から。

 

知孝が平重衡役で、囃子方、地謡につづいての登場です。萌黄色の厚板(?)に浅葱色の大口。褐色の掛絡をかけ、直面の姿です。春を思わせるさっぱりとした出で立ちながら、囚われの身として、その姿には沈鬱な気配が漂います。空気をかき分けつつ進むような、ハコビの重さ。

 

つづいて、狩野介宗茂役のツネ2も現れ、鎌倉武士らしく立派な直垂姿で、一ノ谷の合戦で生け捕られた重衡を、いまは自分が預かっていて、云々・・・と語る。

 

そして、シテの千手が訪れ・・となるわけですが、今回の小書の「重衣之舞」は、村上湛らによって近年制作された「短縮版」とのことで、シテの次第での登場やサシの謡なども省略されていたようです。始まってからしばらくの間は、囃子方の手持ち無沙汰感が・・(笑)。

 

戯曲としての要点を絞って極力無駄(?)を省き、かつ舞台としての華は残す、といった展開で、ちょっと『ガラコンサート』的とでもいうか、いきなりサビ(←序之舞)に入っていく全盛期の小室哲哉的とでもいえば分かり易いでしょうか(いや分かりにくい?)。

 

キヨ、知孝、ツネ2と、腕自慢たちが力技で舞台を立ち上げていくわけで、これはこれで見物ではありました。祥雪の一周忌追善のお能で、ツネ2のナビかせ謡にも気合が入ります。

 

キヨのほうは、鎌倉殿の侍女の一人であり、生身の女性である千手の役柄を踏まえて、ぐっと謡も柔らかく優しい雰囲気。

 

一方で、雨の夜に頼朝に遣わされ重衡の無聊を慰めようという千手に、重衡は例によって例の如く、出家の望みは叶わぬかと、不機嫌なままなのですが、これも知孝の硬質な雰囲気によく合っていました。

 

しかし、この「短縮版」というのは、「千手」をこれまで観たことのない人にとってはそういうものかと映るのか分かりませんが、一度でも観たことがあると「短縮」と感じさせるものなのか、少しくらい冗長さがあったぐらいのほうが、生身の人間の心の機微を描いたこの曲の内容を考えると、よいようにも思う・・・。

 

もっとも、御追善だし、あまりベタベタしない内容のほうが、やっぱりイイのカモね。羅綺の重衣たる・・・と、変わらず声の出せるのがキヨ。序之舞も美しかった。

 

自分のためにそっと涙を流し、それでも舞い上げる千手に、重衡も思わず琵琶を引き寄せる。琵琶と琴と仲良く合奏し、ほんの束の間に心を通い合わせるシテとツレの間で『オレいったい、どんなカオしてりゃいいのかしら・・』と、座っていたツネ2のお顔が、今回も可笑しい・・。

 

そんな雨の一夜も明けて、重衡は京へと護送されていきます。ここでもサッパリと、まったく袖を触れ合せることのなかったシテとツレ。重衡の後ろ姿を、寂しげに見送る千手だったのでした・・。

 

このあとは東次郎の「布施無経」、祥雪と縁の深い人たちの舞囃子や仕舞など。

 

「布施無経」で東次郎が、人間いつ死ぬか分からないぞ、みたいなお説教をするのをホントにそうだなぁと、なんだか真面目に聴いてしまいました・・。途中でウトウトしてたりもしたけど・・・。この時、シテもなんとか御布施出させようと必死なのですけどね・・。ふせ、フセ、フセ・・・と何度も言葉に散りばめて、でも全然通じてなくて、ハァ・・と溜め息をついているのが可笑しかった。

 

それにしても三郎太、デカ・・じゃなくってお背の高いこと。祥雪も、なにかの機会で若い頃は長身で苦労したと話してらしたのを思い出した。でももう、そういう時代でもないのカモ。背が高くて綺麗、とか言われそう。

 

もっとも、「うちの三郎太ちゃんに、変な手垢はつけません!!!」(byキヨ)みたいな天衣無縫教育主義はまだ続いているみたいで、力いっぱいの謡ぶりと、素直な舞いっぷりの「杜若」でした。鬘物で云々・・みたいな話は、まだまだ先のようです。

 

そして、いよいよ祥丸キュン改め(←?)、祥丸GTの「天鼓」です。

 

いや〜これがもの凄くてびっくり。祥丸GTは元・天才少年なので「天鼓」の曲自体はイメージにぴったりなのですが、そこは男が美女に化け、女が老武者になるお能の世界。前場からの完成度の高さに吃驚でした。

 

地味な色合いで揃えた、老人の扮装が板についていたというだけでなく、若い人がシテを演じるときの興奮というか、素っ頓狂さみたいなものは、既に微塵もない。ちょっとそうした「若い人」次元は超えているという感じ。

 

前シテ・王伯の息子、天鼓は、母親が鼓が降ってくる夢を見て授かったという不思議な子。しかし皇帝の命に従わず、天から受け取った鼓を差し出さなかったために、呂水に沈められてしまう・・。主を失い、音の出なくなった鼓を打たせようと、前シテが呼び出される・・というのが前段。

 

これが本当に見事なもので、ワキが揚幕に向かってシテを呼び出してからの、姿を現すまでの「タメ」の長さ、謡の息の深さ。知孝と同じ、空気さえもその身に重く、かき分けつつ進むようなハコビ。

 

20代の役者が老人の姿に仮託して表わしていた、彼自身の何かに、ちょっと衝撃を受けました。イヤそれは、息子を失った王伯の悲しみでショ。という話なのですが、それは可能性であり未来であった・・・なんて言えばダサすぎ、運命というといささか重すぎるでしょうか。

 

シテは自分もどうせ殺されるだろうし、それでもいいと思いつつ涙ながらに息子の形見に向かい、撥で打つ。鳴らなくなったはずの鼓はここで妙音を発し、シテ自身も驚いたように、思わず撥を取り落とす。この時、ことさらに音を立てて悲しみを表現するのではなく、そっと、水を打った静けさを表わすかのように落としていたところに、祥丸GTの非凡さを感じさせました。

 

・・・オレが教えたのッ!とかキヨが言ってそうだけど・・。(←後見でした。)

 

 


(その2へと続く)

 

 

posted by kuriko | 01:07 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
観世会定期能三月

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替装束
シテ 寺井栄
ワキ 工藤和哉
アイ 野口隆行

 

大鼓 亀井実
小鼓 幸正佳
笛   内潟慶三

 

地頭 観世芳伸

 

狂言
寝音曲
シテ 野村又三郎
アイ 奥津健太郎

 

仕舞
嵐山  関根知孝
花月  岡久廣
胡蝶  木原康之
鵜之段 木月孚行

 

西行桜 脇留
シテ 観世銕之丞
ワキ 副王和幸
アイ 野村又三郎

 

大鼓 柿原崇志
小鼓 鵜澤洋太郎
笛   一噌隆之
太鼓 小寺佐七

 

地頭 武田志房


※2018年3月4日(日) 観世能楽堂にて。
※時間の都合により、「巴」「寝音曲」は拝見しておりません。

 

 

というわけで、てっつんの「西行桜」を観てきました〜!

が、ちょっと時間も経ってしまったので、さくっと短い感想だけで。。。

 

てっつんの「西行桜」ということで、私の中で期待値も(勝手に)高かったのですが、ちょっと予想外の方向へ。なんとなく、私にとってこの公演の前に観た「玉井」の後日談的な印象になったのでした(笑)。

 

桜の花の咲いたお山の作り物が出されて、和幸西行も登場。沙門帽子に緑の水衣、黄緑の厚板、白大口・・・と春の装いです。先に出てきたワキ西行が庵の中に佇んでいる態で、水色の水衣に能力頭巾、ヒゲなしのアイ又三郎もやってきます。

 

お能らしいスケジューリングというか、マネジメント能力というか(笑)、まぁしょっちゅう東京に来ている二人なのですが、またもこの取り合わせだったのでした(笑)。

 

直垂姿のワキツレたちも大勢(と言っても3人だけど)やってきて、名高い西行の庵の桜が観たい、と言う。アイの取り次ぎでどやどやと入ってくると、ワキツレたちは調子を揃えて、やや甲高く謡い、風流好きな都人たちの騒がしさを表わして、これに対して和幸西行は、低く重厚に謡って境涯の違いを表わすふうだったのですが、ちょっと「玉井」を引きずっていたのか(笑)、重くなり過ぎていた印象も。

 

そして自分はただ静かに暮らしていたかったのに、これも桜の木のせいだな・・と、思わず一首詠んでしまうのでした。

 

花見んと群れつゝ人の来るのみぞ あたら桜のとがには有りける

 

日本人にとって、花見と言えば宴会・・というわけで、宴も過ぎて、ワキツレたちが静かに消えていくと、さっそくに引き廻しもぱらりと降ろされて、桜の精も登場です。てっつんはちょっとクリーム色がかった緋色の狩衣に深緑の大口、輝くような白垂の髪。

 

この歌の真意が知りたいと尋ねる桜の精に、西行がそのままの調子で、「オレの歌に不審ってなによ」と言うものだから、桜の精も「いや自分も、ただここに咲いてるだけなんで」と、さながらマイルドヤンキー同士のケンカ風味に(笑)。西行法師と老いた桜木の精との心の交流・・・は、あまり感じられなかったカモ・・(笑)。

 

だがしかし、桜は言う。「惜しむべし。惜しむべし。得難きは時。逢ひ難きは友なるべし。」・・と。本当にその通りだなぁと思った。

 

それに、気がついてみると、てっつんもいつの間にか老人の役柄に全く違和感の無い、円熟というか、風体の穏やかさ、というか。そんな境涯になっていたのでした。

 

桜の精が夜明けに消えて行くと、ワキが進み出て、さながら『桜・・・ごめん・・』みたいなふうに留める。

う〜ん、てっつんはよかったんだけどな・・と私は思ったのだけど、置かれた場所に咲くだけですけん、と自己啓発書みたいな開かれ具合だった、ある日のお舞台。。。

 

 

 

posted by kuriko | 01:10 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
国立能楽堂2月企画公演 近代絵画と能―水底の彼方から― (その2)

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かくして(←?)三年の月日が過ぎ、幸せに暮らしていた山幸彦も地上へと戻る決心をします。乗り物で送り届けてあげますから御安心なさいと豊玉姫が話し、ここからなんと、ワキが小宮の作り物の中に入り、シテとツレは来序で橋掛かりを戻って行きます。

 

間狂言は替間の「貝尽し」で、海底の貝たちが、いくらか短縮版ながら山幸彦を見送る宴を開いています。皆それぞれ、個性的な面や種類の違う貝の戴きになっていて可笑しい。そして海龍王の娘婿ということで、すっかり海の住民たちにも、山幸彦様が地上にお戻りになるのは目出度いことだ・・と、受け入れられていることに驚き・・というのは、ちょっと考え杉でしょうか。

 

この間に、地謡後列の二人も恐らくは物着の手伝いのために切戸口へと消えていき、国立の公演でこうした(予算?の都合を感じさせる)光景を見たのは、ちょっと珍しかったかも。もちろん和幸の物着はワキ方の後見が行っており、狭い作り物の中での装束替えは、慣れていないのでひと手間だったのではあるまいか・・。

 

出端の囃子でついに小宮の引き廻しが降ろされ、ワキが再び姿を現します。小宮の中で端座するワキの姿は、さながら額縁に収まったが如くで、和幸の整った顔立ちが活きていました。この時の和幸の演技(?)も非常によくて、彼は地上に戻ると、海神から贈られた海を操る魔法の珠を使い、兄一族を制圧し陸と海の両方を掌握するわけで、「やったるでぇ」と凛々とした気合いと、心に迷いのない神々しさを感じさせる。(もちろん従来の「玉井」と同じく、後場ではワキは台詞を発しない。)

 

ただ一つ残念だったのは装束の色合いで、白の大口は立浪模様の半切に変わっていたものの、表着は紺地に金襴の狩衣で、前場と配色として同じになっていて、大きく変わった!という印象がもてなかったこと。

 

ワキとしては恐らく最上のもので、もともと神様だし(?)前後の場で人格が変わるでもなく、後場で真の姿を現す・・とかでもないので、さらにアピールする必要もなかったのかもしれないけど、狩衣の色が違っていたら、より効果的だったかと思う。

 

しかし引き廻しが降ろされ、正面に向かって、作り物の中に現れるシテ・・ではなく、ワキの姿というのは、あっと驚きで、『こんなの、初めて・・・☆楽し〜い・・・!』と、和幸も心の中で思っていたに違いない(たぶん)。

 

豊玉姫、玉依姫も登場し、赤地の舞衣に龍戴、泥眼をつけ、こちらの二人は、その正体も顕わに二人の龍女となっています。そしてさらに、今回の演出版のキモになっていたと思われたのは、小宮の中に端座するワキに、龍女たちが潮盈瓊、潮涸瓊の宝珠を捧げ、一畳台に奉っていたこと。このあたり、本公演の主題である青木繁の「わだつみのいろこの宮」を連想させる場面でもありました。

 

もちろん曲の内容によって様々ですが、一般にシテ方は面を掛けるが故に神とか霊とか人ならざる役割を担い、これに対してワキ方は直面で地上の人間役であることが多いので、シテ以上にワキが神格化されたこの場面は、なかなか冒険と言えたのではないでしょうか。
(←シテよりもワキ方が演じるお坊さんのほうが実は格上、なんて曲もあるにはあるのですケレド。)

 

そして、海龍王もついにその姿を現します。

 

大龍戴に白頭、面は「牙悪尉」とかで、白い肌色ながら魁偉な威厳ある造形で、さらに白い狩衣、白い柄入大口、鹿背杖まで白でした。が、しかし、老いた龍にふさわしい姿とはいえ、今回のシテはいささか足腰の衰えが目立つというか、GS改めミノルのオーラ芸にも陰りを感じさせます。

 

豊玉姫と玉依姫が美しい相舞を観せている間も、それを見守る様子が床几に掛りつつも俯き加減になっていて元気がなく、ぴかぴかと光り輝くような姿を観せていた和幸と対照的でした。

 

・・・。

 

(率直な意見として彼の改名癖が、閉店セールを何度もやるお店のようで、あまりプラスになっているとも思えないのですが・・。文字通りネームバリューというのは、一朝一夕には出来ないからこそ意味があるわけで・・。これでいよいよ「六郎」を譲るということなのでしょうが。。。)

 

しかし娘たちの次に観せた舞働は、老人にこそ発揮される身体を通り越した気魄のようなものを感じさせていました。床几にかけたまま足を踏み鳴らし、まさか立たないのでは・・と思わせてからの立ち上がってのハタラキ。

 

ワキがついに、龍宮城(作り物)から出て地上に向かおうとするのを、海龍王が袂を掴むようにして引き留める。地謡の詞章に即したリアルな型です。すると、後シテがワキのために用意した海龍王の乗り物が現れ・・、そう、観客の目には見えない巨大なワニの出現です。この鰐に跨るワキの所作は、さながら歌舞伎の六方の静止版で、これも大胆で面白かった。

 

海龍王が物言いたげに山幸彦を見守る様子に、さすがミノルの役者ぶりを感じさせる。そしてこの場面に、なんとなく山幸彦だけでなく、和幸の今後に対する、海龍王ミノルの期待の程も感じさせた・・・なんて言うと、考え過ぎでしょうか。

 

ついに山幸彦は二人の龍女を引き連れ、意気揚々と地上へと旅立って行きます。一行を見送る海龍王の姿は、どことなく寂しげです。娘をヨメに出したわけで、当然と言えば当然かもしれませんが・・。

 

海龍王もまた、杖をつく音を響かせつつ、静かに橋掛かりを帰っていくのですが、揚幕の向こうへと消え去る後ろ姿が、人々に忘れ去られた古層の神・・といった趣きで印象的だったのでした・・。

 

ということで、演劇としての整合性を重視した銕仙会の新演出版ともまた違って、真の主役であるワキにフォーカスをあてることで舞台の密度を高めた演出で、とても面白かったです。

 

海幸山幸の説話は、山幸彦が結果的に兄の部族を服従させたことに意味があると思っていたけれど、そうではなく、海神の娘を妻に娶り、制海権とでもいうか、海を制圧したことにこそ真の意味があったのだなぁ・・と思わせた、今回の舞台だったのでした〜。

 

 

おわり。

 

 

 

 

posted by kuriko | 23:50 | 能・狂言 | comments(0) | trackbacks(0) |
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